第三話 決着

「トウサク、免疫抑制剤を寄越せ」


 豪さんの言葉に、いちいち疑問を抱いていては、この乱戦、生き残れそうにない。

 ぼくは突っ込んでくる猪へ槍を突き立てながら、彼へと薬剤アンプルを投げる。

 豪さんはそれを、どうにも手間取った様子で受け取り、それから田代さんの横へと並んだ。


「田代」

七生ななおでいいわ」

「ならば七生……背中を守らせろ」

「らしくないじゃない。いつもならこう言うでしょう、『背中を預けろ』って」


 クスクスと笑いながら、田代さんは迫ってきた猪を一撃で沈黙させる。

 ライフルが硝煙と薬莢やっきょうを吐き出す。

 リロード。


 六車さんと月彦さんは、陽太さんを心臓とは反対側へと誘導しつつ、四方八方に石を投げまくっている。

 だから……問題は、ヒグマだ。

 最凶の鬼は、こちらの様子をジッと観察していた。


 愚直に突っ込んでくるわけではない。

 さりとて猪が挑みかかってくれば、弾き飛ばし、容赦なく喉笛を食いちぎってみせる。

 その上で、作り物のような両目が、ぼくらを見詰めて。


『グルァアア……』


 短い吠え声とともに。

 ヒグマは、食べかけである猪の死体をもおもむろに持ち上げると。


 ――陽太さんへ向かって投擲した。


「バカな!?」


 こちらの動きを見て学習した?

 そこまで賢いのか、熊という生き物は。


「ひ、ひえ……!」


 悲鳴を上げながら逃げ惑う陽太さん。

 彼が位置を変えれば、当然突っ込んでくる鬼達の向きも変わる。

 無理矢理に、こちらの体勢が崩される。


「豪さん!」

「心得た」


 やはり、早急にヒグマを倒すしかない。

 ライフルを持った二人が、距離を詰めながら弾丸を叩き込んでいく。

 命中。

 血しぶきも上がる。

 けれど、ヒグマは動じない。


 不死身なのか?

 やはり、ただの生物を超えたバケモノなのか?

 常識外に立つ埒外凶獣ヒグマ。

 その存在と不気味さに背中が粟立あわだつが、躊躇する暇などない。


 豪さんたちを援護するため石の雨を降らせて猪を散らす。

 再び放たれる弾丸。


『バアアアアアアアアアア!!』


 威風たる咆哮。

 それは途端に四つ脚をつくと、こちらへ――陽太さんへと向かって突撃チャージをはじめる。

 立ち塞がるものは、猪だろうがなんだろうが吹き飛ばす、まさに戦車の如き駆逐力。

 全身に被弾し、血を流していながらこの力は異常すぎる!


 それでも囮を守るべく、ぼくはヒグマの前に立ち塞がった。

 地面へと槍の柄を突き立てて、即席の騎兵槍パイクへと仕立て上げ、ヒグマの速度に重ねて、鼻っ面へ大きく突き出す。


 目玉つらぬかれて死ね……!


 ヒグマが大口を開けた。

 槍が。ナイフが。

 一瞬で噛み砕かれ、崩壊する。


 どんな咬合力だ!


「ふざけんな!」


 悪態をつきながら飛び退けば、一瞬前までぼくがいた地点を強靱な爪が薙いでいた。

 バッと噴き出す冷や汗。

 借り物の心臓が悲鳴を上げる。


 まずい、長期戦は根本的にこちらが不利だ。

 それにぼくが抜かれたら、あとは爆弾しか持っていない三人しかいなくて。


 なんとかしろ、羽白一歩。

 この状況を打開する手段をひねり出せ。


 おそらく、人生で一番頭脳が早く回転する。

 死地に追いやられて、走馬灯のようにこれまでの全てが脳内を廻っていた。

 周囲にあるもの、ライフル、石、砕けた槍、爆弾、猪、崖……猪?


「六車さん、免疫抑制剤、ありったけ!」


 ぼくが叫んだときには、おそらく彼女も同じ答えに達していた。

 彼女たちは逃げながら、ヒグマへと向かって残る全てのアンプルを投げつける。

 ヒグマの身体が、緑色に染まったとき。

 とうとう凶獣は、こちらへ王手をかける。

 陽太さんの前へ立ち塞がる、獣の巨体!


「い――いやだぁ、おれは生きてかえって贅沢三昧を続けるんだ……!」


 あと一歩で、陽太さんが餌食になりかけた。

 そのときだ。


『ぷゅぎゃあああああああああああああああああああ!!!』


 猪の群が、ヒグマへと殺到した。



§§



 それは、さながら怪獣大決戦。

 巨大なヒグマと、無数の猪たちが、互いを貪ろうと殺し合う最悪の死亡遊戯。


「どうして? 猪は、臆病なはずじゃ……」


 そう、田代さんのつぶやきは正しい。

 先ほどまでも、できるだけ猪たちはヒグマを避けて陽太さんを狙っていた。


 だが、いまは違う。

 ヒグマは大量の免疫抑制剤を浴びたのだ。

 そして猪は――中毒者。


 そこに免疫抑制剤があるなら恐怖など容易く乗り越え、命を捨てて、目の色変えて突っ込んでいく……!


「この機を逃すな! 田代、俺の道行きを示せ」

「おっけー! やってやるわ!」


 田代さんとまだロボットに乗っている豪さんが――気に入ったのだろうか?――ヒグマへと突っ込む。

 適正距離に至ると、膝の裏や喉といった毛皮まもりの薄い部分を適切に撃ち抜いていく。

 呻くヒグマ。

 殺到する猪に牙を突き立てられ、銃弾の雨を浴びて、さすがの頂点捕食者も限界を見せ始める。

 底なしの体力が擦り切れて。

 バケモノの動きが、止まる!


 カウントダウンは残り01:35。

 やるなら、いましかない!


「ボムを、使います!」


 手の中で爆弾のスイッチを押し込む。

 六車さんと月彦さんもこれにならい、全員が同時にヒグマへと向かって爆弾を投擲とうてき

 ヒグマへと命中した刹那、閃光が弾けた。


 凄まじいまでの爆風と爆煙が、一帯を包む。

 焼けた風が、肌を撫でる。


「やったか!?」


 陽太さんの裏返った歓声は。

 次の瞬間、悲鳴に変わった。


『グルルルルル……』


 黒煙を切り裂きながら現れる鼻先。

 全身はすすけ、至る所に裂傷を刻みながら、しかしヒグマは生きていた。

 潰れた片目に怨念を宿しながら。

 大凶獣が、陽太さんを殺そうと右腕を振り上げ。

 ぐるりと、その場で一回転する。


 獣の視線の先にいたのは、アンプルを握りつぶした甲斐田豪。

 吸い寄せられように。

 大顎を開いたヒグマが、豪さんへと襲いかかり。


「甲斐田っち!」


 田代さんがトリガーを引くが、弾切れ。顔を青ざめさせる肉屋の娘。

 何もかもがスローで流れるなか。

 男は。


「はーっはっはっは!」


 大笑いをしながら――ヒグマの口へ、右手を突っ込んだ。


 凄まじい、骨のひしゃげる音。

 彼は脂汗を滝のように滴らせながら、豪胆に笑う。


「丁度よかった、とっくに目が見えていなかったのでな」


 ――え?


「そちらから来てくくれれば、まだ俺にも仕事が出来るというもの。そう、甲斐田豪一世一代の大舞台。演目は――熊殺し!」


 左手に握られていたライフルが、獣の口腔へと突き入れられる。

 30口径ベレッタBRX-1、最新式のこの銃は、右手でも左手でも扱えるようになっており。


『――――』

「おっと、逃がさん」


 ヒグマが口を開こうとするのを、豪さんが筋肉を牙へと絡めて止める。

 残り時間は00:27!

 豪さん……!

 

「これまで多くの血肉を食らってきたのだ。その怨念、たんまりとむさぼっていけ!」


 そして。

 致命の弾丸は放たれた。


 連続する炸裂音。

 そのたびに熊の全身が小刻みに震え、やがて脱力。

 重たい地響きを立てて、生態系の頂点が倒れ伏す。

 あとには、ただ一人。


「はーっはっはっは! はーっはっはっは! 日本一……いや、世界一の熊殺し俳優の誕生だ! 愚か者たち、祝え祝え……!」


 勝ち誇るように腕を突き上げる甲斐田豪がいて。

 けれど。

 でも!

 その腕は最早どうしようもないほどにグズグズで。


「豪さん……!」

「甲斐田っち!」


 咄嗟に駆け寄るべく地を蹴るぼくら。

 それを、鳴り響く端末が押しとどめる。


『皆様、イベントクリアです。報酬として、心臓の時限爆弾機能を解除致します』


 ハッとなってロボットを見遣れば、そいつらは立ち上がり、また逃げだそうとしている。

 こんな疲弊した状態では、もはや追走など適わない。

 絶望とともに見送るしかないと思われたとき。


 黒い人影が、二つのロボットへと触れた。


 瞬間、心臓が解放され、四つ脚の操縦権が委譲される。

 ロボットから取り外したケースの一方を抱え――彼。


 双沢月彦は、歩き出す。


 そして、じつにうやうやしく。

 兄である陽太さんへと、心臓それを差し出したのだ。


「さあ、兄さんの心臓だよ? 受け取って」

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