第五話 主人公の資格
また、入り口が大きな音を立てる。
だがドアを注視する者の数は限られていた。
そんなことよりも、勝負へ意識が向いていたからだ。
あの瞬間、確かに甲斐田豪はイカサマをした。
しかし、与えられた時間は極微。
恐らくは、出来て
カードを覗き見るか、あるいは山札をシャッフルするのが限界だったはず。
豪さんは前者に賭けたのだ。
このままでは、善戦しても引き分けだから。
ギャンブラーという役を演じたからこそ、大勝負に挑んで……そして、失敗した。
上振れを狙ったがゆえに、勝ちも負けも手に入れることが出来なかったのだ。
「けーっへっへ、驚かせやがって。追い詰められたのは貴様らの方のようだな。おれたちは既に二勝、貴様らは一勝。次のゲーム、勝敗の
「……兄さん、あまり強い言葉を使わないほうがいい」
「うるさい月彦、おれに従え。おれの指示が、一度でも間違ったことがあったかぁ……?」
兄の言葉に、弟は黙る。
一方で、こちらは全員が冷や汗を掻いていた。
なにせ、時間をかければかけただけ勝率は目減りしていくのだ。
理由は単純。
先ほどの一戦で、双沢陣営がカードの並び順を覚えていることが判明してしまった。
ならば、先ほどのキングを辿って、次なる数字を探り当てられるのは時間の問題。
正直に内心を
どうすればよかったのか解らない。
そもそも、何を間違ってこうなってしまったのか――
「俺は」
そこで。
渦中の人物が呟いた。
甲斐田豪。
彼は山札の前に腰を下ろしたまま、背中で語る。
「俺には、借りがある。いや、恩とでもいうべきものだ」
その言葉は間違いなく、隣に腰掛けた田代七生さんへと向けられたもので。
「大昔のことだ。俺は腹痛を起こし、気絶した。だが、意識を失う寸前まで、あるひとがずっと背を撫で、介抱を続けていてくれたことを覚えている。その後、彼女の店は潰れてしまい、俺は礼を言うことも出来なかった。方々を探しても見つからず、ならば俺が有名になるしかないと考えた」
知名度が上がれば、あちらから声をかけてくるはずだと。
「恨み言で構わん。殺意でもよかった。ただ一言、俺は謝り、そのひとから言葉を貰いたかった。そのために、俺は生きてきた」
「やっぱり、甲斐田っちは、あんときの」
自分を凝視する女性へは一瞥もくれず、彼は空を見上げる。
闇夜の中に、一等星が輝く大空を。
「だから――俺はまだ死ねん。トウサク、俺が演じるべき本当の役はなんだ? 俺がこの場面で、真に
ビリビリと震えるほどの大声。
切なる願いによって構築される大喝。
それで、目が醒めた。
劣っていたのはこのぼくだ。
誤っていたのはこのぼくだ!
豪さんに、ギャンブラーを演じさせる?
無意味、あまりに空虚、無謀。
一か八かでのるかそるか、そんなものは彼に似合わない。
なぜならば、彼こそが〝全〟。
甲斐田豪に、出来ないことがないというのなら。
「演じてください、豪さん――主人公を!」
それは解、一つの答え。
彼という人物を示すなら、これ以上の記号はない。
物語の〝主人公〟。
甲斐田豪こそが、そのそれ。
刹那、場を支配する空気が一変する。
敗色濃厚な色が消し飛び、轟々とうねりをあげて闘気が渦を巻く。
全ては回る、彼を中心に。
みなぎる気迫。
豪さんが
「さあさあ、勝負の続行といこうか双沢
「……正気か? おれたちの勝ちは」
「そんなに敗北が恐ろしいか、端役ども?」
「……上等だ。コテンパンにされてぇっつーなら、地獄へ落としてやるぜ。さっさと宣言しろや、次のカードはなんだ? まあ、ハートのキングの上なんざ一枚だって――」
「ワイルドアップだ」
「――は?」
唖然とする。
陽太さんだけではない。
全員が、ぽかんと口を開けた。
即ち、ジョーカー。
山札の中にただ一枚眠る、どの数字にも優越するカード。
もしもこれを的中させたなら、二勝が約束されている。
だがこれは無論、
それこそ一か八かの大賭け事。
はっきり言って、勝算などあるわけもない。
実際、それが解っているからだろう、陽太さんは腹を抱えて笑いはじめた。
「頭がおかしくなったのかぁ? そうだな、確かにここで勝つためにはジョーカーを引かなきゃならねぇ。でもなぁ、こないんだよ、ジョーカーは来ねぇ! 大人しく安パイを選んでりゃあ引き分けもあっただろうになぁ、愚かだよな、貴様はよぉ、本当衆愚って感じで」
「能書きはいい、あんたは何を選ぶんだ?」
「ダウン! これ一択だ……!」
大きく宣言する彼は、しかし動かない。
違う、動けない。
その月彦さんとそっくりな顔から、ひと筋の冷や汗が流れ落ちる。
甲斐田豪が、口元を吊り上げた。
「どうした? さっさと
「……なにをした?」
陽太さんは、デッキを睨み付けながら叫ぶ。
「山札に、なにをした貴様……!!!」
「貴様ではない。俺の名は甲斐田豪。今日はそれだけ覚えて帰って貰う」
「ふざけるな」
「双沢陽太。怯えているのか? よもや俺が、俺以外の何かに見えている――違うか?」
「う」
「鬼にでも見えているのか、胴元……!」
「うう」
「さあ、カードを捲れ!」
「う、ううう……」
双沢兄はガタガタと震えていた。
何の変哲もない山札を前にして、微動だにできない。
甲斐田豪は、実際何もしていない。
イカサマなど、していない。する余裕などなかった。
しかし、陽太さんは警戒するしかなかったのだ。
山札の様子が、奇妙だったから。
なぜ?
決まっている、この場でただ一人、双沢兄弟から目をつけられずにいた人物がいた。
それは――六車法子。
ドアが悲鳴を上げる。
何者かが殴り続けている。
あのときと同じように。
そうだ、あの瞬間、動いたのは豪さんではなかった。
彼はあくまで
器用さで言うなら――六車さんを超える者など、この場にはいない。
なぜなら、彼女は医者だから!
ぼくらの誰も知らない仕掛けが、いま山札には施されている。
それはもはや即死のトラップ。
プレイヤーのどちらか、下手を打った方の喉笛へと食らいつき、確実に毒を盛る蛇の如き悪意。
軋む入り口。
追い詰められるぼくら。
けれど、それ以上に。
「どうした、次の数字を示してみせろ」
「う、あああああああああ!」
陽太さんが叫ぶ。
そして、山札に乗せていた手を、赤熱した鉄に触れたような勢いで離した。
同時に、ドアが吹き飛び、入り口が開く。
乱気流。
屋上とビル内が繋がったことで気圧差が生じ、風が吹き荒れる。
突風が、山札をめくった。
現れたのは――
「俺の――いや、俺たちの勝ちだ」
ジョーカー。
ワイルドカード。
何よりも強い札!
つまり――確定!
ぼくらの三勝は確定!
しかし、喜びは長く続かなかった。
なぜなら。
『バアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』
天を裂く咆哮。
巨体を誇るヒグマが、ドアを
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