第三章 ハートがドキドキ! 鉄骨渡り!

第一話 命の在り処

 血まみれの手を見下ろす。

 バクバクと心臓がたわみ、轟々と耳の裏で血潮が騒ぐ。

 腕の中でこちらを見上げる、光を失った両目。

 ぼくは、彼のまぶたを、そっと閉じる。


「ごめんね、海島のおじさん」


 殺到した〝鬼〟から逃げるとき、無意識に連れてきたおじさんの頭。

 ぼくはたぶん、人食い猪やヒグマに、彼を食わせたくなかった。

 今際に託された〝生命保険〟という言葉が、耳にこびりついて離れなかったから。


 海島孝雄という人間が確実に死亡したこと。

 失踪ではなく、いま息絶えたことを、ぼくは世間に知らせなければならない。


 だから、これまでのような慢心を捨てる。

 ゲームの制作者だから全て解っているという増上慢おもいあがりを捨て。

 身体ひとつになっても、心臓を手に入れるという覚悟いしを固めた。


 ただ、首を持ち運ぶことは、思ったよりも重労働で。


「当然です。人間の頭部は、体重の10%以上を司ります。それほどまでに、脳髄とは重要な部位なのです」


 〝鬼〟から逃げ切った先。

 かつてイベントの舞台であった水族館へと舞い戻ったぼくら。

 一息をついたところで、六車さんがそんな説明をしてくれる。

 どうやら、また無自覚に思考を垂れ流していたらしい。

 盗作騒ぎがあってからこっち、どうしてもひとりでクリエイティブな作業に没頭することが多かったためか、独り言は最早ぼくの癖となっていた。


「独白は心的ストレスを解消するための行為であると、医学的には認知されています。いまあなたの心身には、看過できない負荷がかかっている。私でよければ、相談に乗りましょう」

「精神科医だったんですか?」

「まさか、人体工学が専門ですよ。いかにも機械に強そうな顔をしているでしょう?」


 そんなことを、くすりとも笑わずに言う童顔美女。

 ……まったく、ここまで気を遣わせてしまうとは。

 豪さんと田代さんも、わざと距離を置いてくれているし……そうだな、少しだけ甘えてみるか。


「では、話を聞いてください」

「その前に、この水族館を避難場所として指定したのは羽白氏、あなたです。一度は〝鬼〟が現れたこの場所を、安全とする根拠はなんです?」


 ぜんぜん甘えさせてくれなくて、思わず笑みがこぼれた。

 こっちの方が、正直有り難い。忙しさは、いつだって苦痛を忘れさせてくれるから。

 首をかしげている彼女へ、簡単な事なのだと説明する。


「いま、ぼくらの全身には免疫抑制剤の匂いが染みついています。安全な場所などありません。しかし、ここは違う」

「なぜですか」

「猪が、大変警戒心の強い生き物だからです」


 本来、猪は山中で出会っても刺激しない限り人間に襲いかかってなど来ない。

 むしろ、率先してけてくれる。

 この島で逆転現象が起きているのは、免疫抑制剤中毒になっているからだ。


 彼らは薬の味を覚え。

 そしてこの場で、ひとりの人間を捕食した。

 彼女は、解せないという表情を浮かべる。


「ならば、餌場だと考えるのが自然でしょう。また襲ってくるはずでは?」

「いいえ、違います」

「なぜ?」

「六車さんが、奴らを撃退したからです」

「……獣よけの煙」


 そう、あのアイテムにはシアン化合物やカプサイシンの仲間など、強力な劇物が含有されていた……はずだ。

 今となっては――少なくとも未知のエネミーであるヒグマが現れた以上、ぼくは確固たる事を言えないが。

 それでも、効果は間違いなくあった。


「だから、猪は寄りつかない。そういうことですか?」

「はい。あと、この地点へ逃げてくるとき、途中で免疫抑制剤を一本貰いましたよね?」


 それを、ぼくはこの辺りとは全く真逆の地点で、たたき割ってきた。

 内容物は、今頃地面へと広がっているだろうが、ぼくらの体臭よりも、よほどあちらの方が濃い匂いを出しているのは間違いない。


「リスクの分散は十全だと?」

「少なくとも、ぼくが作ったゲームならば出来るプレイです。あと……じつはどうしても、この場所に来たい理由がありました」

「それは?」


 訊ねられるまま、ぼくは水族館の奥へと歩んでいく。

 豪さんは田代さんへと寄り添い、六車さんだけがついてきた。

 暗がりの中、血まみれの床があって。

 そこには、銀色の輝きを放つ箱が数個落ちている。


「ジュラルミンケース……」


 ぼくは首肯を返す。

 欲しかったのはこれだ。

 四橋さんが手にした初期アイテム。

 金銭を保存する器。

 そのうちの一つ、一番大きなケースをがばりと開ければ、なかから大量の札束がこぼれだしてきた。


「やっぱり、ぴったりだ」


 海島のおじさんの頭部は、ケースの中へすっぽりと収まる。

 まるでそう作られていたように。


「羽白氏。あなたは」

「持ち運びたかったんです」


 おじさんの頭がブレないよう、隙間を札束で埋めつつ、ぼくは蓋を閉じた。


「もしもぼくが脱落しても、お金と一緒なら、誰かがおじさんを島の外に運んでくれるかも知れない。だから」

「わかりました。死者に対しても敬意を払うあなたを、私は尊敬します。ええ、六車法子とは、全く違うと」


 それは、どういう意味で?


「死者の肉体にも利用価値がある、私はそう考えてしまうと言うだけのことです。それよりも、こちらも話したいことがあります。甲斐田氏についてです」

「田代さんのことですね?」


 ぼくも彼の豹変ひょうへんについては気になっていた。

 もとからおかしな……トンチキな人ではあるけれど、いまは田代さんにこだわっているように見えてならない。

 二人の間に、なにかあるのだろうか?

 そんな当然のクエスチョンは、


「おまえたちの疑問、もっともだ。説明してやろう」


 暗がりからぬっと現れた豪さんが、あっさりと解き明かしてくれた。


「俺は昔――食い逃げで店を潰したことがある」



§§



「駆け出しだったころだ。昼夜を問わず演劇の訓練へ勤しんでいた俺は、食うや食わずの日々を送っていた」


 いまとは比べものにならないほど血色が悪く、身体は痩せ細り、とても演技など出来る状態ではなかったらしい。


「見かねた先輩が、飯に連れて行ってくれた。その店の名が〝狩猟家田代〟、ジビエ料理の専門店だった」


 え? だとしたらまさか。

 あの田代さんって。


「そうだ、店は父親ひとりで切り盛りしていてな、一人娘が手伝っていた。初めて食べたジビエの味はあまりに絶品だったのを覚えている。噛みしめるたびにあふれ出す肉汁。市販品では味わえない、筋繊維のきれる噛み応え、野趣溢れる脂。俺は食べた。夢中で食べ尽くした。結果――倒れた」


 はい?

 首をかしげるぼくと対照的に、自称医者は手を打ってみせる。


「栄養失調の状態で大量の食事を摂取したため、胃袋に血流が集中してショック状態へ陥ったと?」

「ああ。目覚めた先は病院だった。先輩に尋ねると、料金を払っていないという。俺は慌てて、なけなしのバイト代をひっつかんで店へと走った。しかし……待っていたの〝閉店〟の二文字だ」


 整った顔立ちに、初めて失意のようなものを浮かべる豪さん。

 普段の尊大なほどの自信が、いまはどこにもありはしなかった。


「俺が倒れたことで、食中毒を疑われ、保健所の介入があったのかも知れない。その結果、店を閉じざるを得なかったのかも知れない。真相はわからん。しかし、それ以来俺は、なんとしてもあの親子に報いなければと思った」


 だから、修行に修行を重ね、芸事の道を邁進まいしんしたのだと彼は言う。


「少しでも露出が増えれば、世界一の名優ともなれば、誰もが俺の名を知るだろう。そうすれば、きっとあの親子も俺に気が付く。怨まれていてもいい。償うべき罪はよくわかっている。ただ、一言謝って、あの日の弁償をしたかった」

「豪さん。あなたは」

「この島へ送られて、死ぬわけにはいかないと考えた。あの二人に俺の名は届いていない。ここは死に場所ではないと。しかし、いまは違う」


 きゅっと、彼がまなじりを決する。

 僅かに曲がっていた背筋がピンと伸び。

 そこへ覇気がみなぎった。

 情熱に燃える眼光が、高い位置からぼくらへと注がれる。


「田代七生。俺は彼女を必ず生かして帰還かえす。甲斐田豪が演じるべき演目は、これだと決めた。つまり――ここが俺の死に場所だ」


 確固たる決意。

 冷静さと熱情に裏打ちされた絶対的な信念。

 ぼくらに、それをどうこう言う資格などあるわけもなく。


「もっとも、おまえ達を見捨てるつもりはない。今後とも、指示を頼むぞ、トウサク」


 ふっと口元を綻ばせ、笑いかけてくれる彼。

 ぼくは。


「それが、豪さんの本当の目的なんですね?」

「そうだ」

「……ほっとしました」

「なにがだ?」


 眉をひそめる彼へ。

 心底の安堵から、笑顔になって告げる。


「豪さんにも、微笑ましい失敗談があるんだなって」


 名優が、僅かに目を見開く。

 一挙一動、指先から睫毛まつげの動きまで全てが計算され尽くしているような彼の動きの中で。

 その瞠目だけは、ひどく自然な活動に思えて。


「きゃあああああああああ!!!」


 確かに存在した穏やかな時間。

 ぼくらにあった一瞬の団欒を。


 田代さんの悲鳴が、切り裂いた。

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