第二話 心安まる食事の時間

 駆けつけたぼくらが目にしたものは――へたり込んだ田代さん。

 そして、いまにも彼女へ躍りかかろうとする、小ぶりな猪の姿だった。


「六車ァ!」


 豪さんがライフルを即座に構え、六車さんが数時間前にゲットした弾丸を差し出す。

 流れるような装填を経て、音速を超えた弾頭が射出。

 ここまでコンマ数秒。

 弾丸は見事、〝鬼〟の頭蓋をぶち破った。


『ぷ、ぎ、ぃ……』


 全身を痙攣させながら倒れ伏す、人食い猪。

 名優甲斐田豪は、歴戦のマタギか兵士の如く、油断なく周囲を警戒し続ける。

 代わりにぼくが、田代さんへと駆け寄った。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃない! ここ、ぜんぜん安全じゃない!」


 泣きじゃくりながら怒鳴ってくる彼女。

 まったくもって正論であり、ぼくとしては反省することしか出来ない。


「甲斐田さーん、この人本当に信用できるのぉ?」


 埒があかないと思ったのか、彼女は這いずっていくとイケメン俳優の足に絡みついた。

 豪さんはそれをぞんざいには扱わず、安全確認を済ませてから答える。


「田代七生、あんたの言いたいことはよくわかる」

「でしょう、だったら」

「だが、トウサクはよくやっている。げんに、この猪は年若く、老練なものは近づいて来ない、被害は最小限だ」


 彼の言葉を受けて、田代さんは反発するかと思った。

 しかし、実際飛び出してきたのは、もっと思慮深い言葉だ。


「……危険を知らない経験不足の猪だから、ここに来たって事ね。それならよくあるの。人になれていないくせに警戒心もない若い猪が、猟師に襲いかかるって事件は、本当に多いから」

「詳しいな」

「当然よ。だってアタシ、ジビエ肉屋の娘だもの」


 そこまで言って、彼女はポンと手を打った。

 いましがたまでの泣き顔はもうどこにもない。

 あるのは、人間の本能とも呼べるもので。


「ねぇ」


 田代七生が。

 いま息絶えたばかりの――新鮮な獣を見下ろしながら、問い掛ける。


「これ、食べてみない……?」



§§



 食糧不足は、わりと切実な問題だった。

 甲斐田豪が初期から保有していた携帯食料、及び四橋さんたちと分け合った食料はとっくに底をついており、飲料水も心許ない。

 島の各地には川もあるが、野生動物がいる以上、糞尿及び寄生虫などが混在している可能性が否定できない。免疫抑制剤によって抵抗力が極端に低下しているぼくらにとって、それは死活問題だ。


 安全に食べられるタンパク質は常に不足しており、その意味で田代さんの提案は渡りに船。

 しかし、猪を食べられる状態にするなど、素人に可能なのだろうか?


「だーかーらー、あたしは肉屋の娘だって。解体ぐらい簡単よ」


 言いながら、彼女は懐からナイフを取り出す。

 まさか、それは。


「これ? 海島おじちゃんが握ってたのはくすねてきちゃった。どうせ要らないでしょ?」


 正しい判断だが……死体から臆せずナイフを奪い取ってくるとは……もしかして大物なのか?

 いや、割り切れ羽白一歩。倫理観をどうこう言う権利はおまえにはない。

 とりあえず、解体はナイフでいいとして、火はどうやっておこそう。


「ライフルの火薬を抜きますか?」

「俺はさほど詳しくないが、そもそも黒色火薬なのか? 液体火薬であれば、着火剤としては不適切だろう」

「安心して。それについてもあたしが準備出来るわ。じゃーん、携帯燃料」


 取り出された幾つかの青い円筒状の塊と、ライター。


「それだ!」

「きゃ!?」


 ぼくは、一二もなく燃料へと飛びついた。

 ドギマギした様子の田代さんには悪いが、いまは欲しいものが手に入った喜びが勝る。

 そうか、これが初期アイテムとは……もってるなこの人!


「説明しろ、トウサク」

「野生動物は火を嫌います。マタギは山に入るとき、焚き火に当たっていたら着替えるほどです」

「……そうか、これで煙を起こして全身を燻蒸くんじょうすれば!」


 田代さんが目を見開く。


「そう、いっそう獣よけの力が強まるわけです!」


 これで、種火と獣よけ、二つの問題が同時に解決できた。

 ならば、あとは迅速に行動するだけだ。


「豪さん、薪を拾いに行きましょう。できるだけ煙の起きやすい枯れ木と生木の中間がいいです。六車さんは、田代さんの補助をお願いできますか?」

「……なぜ私に」

「え? お医者さんなら、解体は得意では?」

「医学に対する偏見を感じる……」


 不承不承と言った様子で、しかし童顔美人医者は了承してくれた。

 とにもかくにも、光明が見えたからだろう。

 全員が、意気込みも新たに、動き出す――


§§



 出来上がったものは、非常に原始的な料理だった。

 モツ――つまり猪の内臓、その可食部位を焚き火で炙ってよく焼いただけのもの。

 塩味一つない料理だったが、ぼくらは夢中で齧り付いた。

 思えば、ビタミンが足りていなかったのだろう。


 また、血抜きを徹底的に田代さんが行ってくれたお陰で――その血は六車さんがなぜか保存していた――モツは臭みがまったくない。

 いくらでも食べられるとは言わないが、贅沢な食事であった。

 満足感とともに、ぼくなど心臓ハツへと齧りついていたのだが、


「……人間を食った猪の肉を食べる、これって共食いにならないのかしら」


 田代さんの発言を受けて、口の中のものを噴き出した。

 いや、いやいやいや……。


「医学的な見地から言えば、胃袋で消化されているはずなので、猪の脳髄さえ食べなければプリオン病などの危険性はないかと」

「六車さんは理知的だなぁ……」


 そこまで怜悧れいりを徹底されると、苦笑いするしかない。

 しかし、この胸で拍動している心臓が、豚のものであることは事実。

 ぼくらを食らう猪もまた、共食いという禁忌に片足を突っ込んでいるのかも知れない。


「案ずるな、トウサク。俺たちは人間だ。誰がなんと言おうとも、己を演じ続ける限りはな」

「含蓄のある言葉ですね。誰かの名言ですか?」

「ああ、俺の言葉だ」


 一周回って、この尊大さがぼくらを安心させてくれる。

 しかし、そこではたと気が付く。

 豪さんが、一口も肉を口にしていないことに。


「まさか、郷さん?」

「…………」


 視線をついっと逸らすイケメン俳優。

 マジか。

 このひとまさか、若い頃の失敗を引きずっていて肉が食えないのか?


「えー、あたしが捌いた肉は口に合わない感じー?」

「そんなことはない」

「息子ちゃんは喜んで食べるのになー」

「…………」


 天下の甲斐田豪がタジタジになっている。

 ぼくは思わず噴き出してしまった。


「トウサク」


 ぎょろりと睨み付けられるけど、それすらおかしい。

 だって。


「ぼく、豪さんのことを完璧常人だと思ってたんです。けど……そうじゃなかった」


 先ほどのこともそうだ。

 このひとは居丈高で。

 空気を読まないところがあって。

 いつだって無茶苦茶だけど。


「弱点のある同じ人間なんだって、安心したんです」

「……そんなことを言われたのは初めてだ」


 微かに。

 本当に隠すかに、彼の口元がほころぶ。

 それが、なんだかぼくには、たまらなく嬉しくて。


「モツが駄目なだけでしょ? 普通のお肉食べましょうよ、豪さん」

「俺に出来ないことはない。モツ程度、成敗してくれる!」


 言いながら口に詰め込み、咀嚼そしゃくし、無理矢理飲み込む豪さん。

 負けず嫌いの豪情っ張りにもほどがある。

 でも、いまはしっかり食べることが大事だ。

 ぼくらはしばし、栄養補給に注力した。


 火を囲んで食事を取って。いわゆる同じ釜の飯を食った仲になって、人心地がついたころ。

 ぼくらの精神は少しばかり緩んでいた。

 実際、疲労の蓄積は著しかったのだ。


 田代さんは安堵からうつらうつらしており、これを豪さんがさりげなく支えている。

 ぼくは海島さんが入ったジュラルミンケースを抱きしめながら、考える。

 この先起こるイベントのこと。

 まだ、ヒント一つ掴めていない適合心臓のことを。

 そして、なぜ【しんにげ】が実際の死亡遊戯として行われているのか――


「あ!」


 ほとんど横になりかけていた田代さんが、豊満な胸を揺らしながら跳ね起きた。

 何事かと全員が注視する中で、彼女は顔を青ざめさせながら叫ぶ。


「今すぐここを出て逃げなきゃ!」


 なぜ?


「そんなこともわかんないなら、やっぱ使えないやつよあんた! あのね、襲われる危険性があるからなの!」

「しかし、猪は……」

「違う。ヒグマよ。熊は、一度目をつけた獲物を、執拗に追跡するの。だから――」


 彼女がそこまで言いかけたときだ。

 水槽が破壊される音が轟く。

 ぬっと闇を突き破り、現れる鼻先。

 立ち上がるのは、三メートルを超えた巨体。


『バゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』


 ヒグマが、咆哮を上げる。


「走れ、おまえたち!」


 凍り付いていたぼくらは、豪さんの号令一下、みっともなくケツをまくる。

 ジュラルミンケースを背負ったところで、ポケットの端末が新たなイベント開催を告知した。


『それではこれより、ドキドキ! 鉄骨渡りを開催します!』


 そんなこと、今言われても困る。

 まずはこの窮地を切り抜けなければ――!

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