第六話 集う〝鬼〟たち

「ずっと苦労をかけてきた。妻は過労で命を落とし、娘達は若い身空で働きに出るしかなかった」


 きっと自分のことを怨んでいるはずだと、疲弊しきった顔のおじさんは告げる。

 出会ったときより、十歳も老け込んでいるように思えて、ぼくは思わず手を伸ばすが、彼は首を振り、言葉を続けた。


「わしが無能で、なにも出来ない図具ぐずで、ろくでもない人間で、連帯保証人などになったばかりに……借金取りに追われ、住むところも転々としたよ。夜も昼も、安心して生きられる時間などなかったからね……娘達に言われたよ、わしはお人好しが過ぎるって」


 だから、その甘さを捨てるために。

 肩肘を張って、精一杯刺々しい態度を取ってきたのだと、彼は言う。


「けれど、それも疲れたのさ。なんの取り柄もないわしは、なにをしたって家族へ報いることは出来なかった。こんな苦しいゲームへ参加させられたのも、天罰なんだろうねぇ。しかし、しかしだよ。そんなわしでも、最後に一つだけ、家族へと残せるものがあるんだ」


 胸を張るおじさん。

 パネルを入れ替えながら、時に手が震え失敗しながら。

 免疫抑制剤が降りかかることも一顧だにせず、彼は告白する。


「わしは、自分自身に生命保険をかけている……!」


 森がざわめいた。

 梢が揺れ、下草が踏みならされる音。

 ロボットのそれとは明確に違う、獣たちが重戦車のように全てを踏み砕き、押し寄せてくる音色。

 〝鬼〟がくる。


「海島のおじさん!」


 彼から手渡されたパネルを入れ替えつつ、叫ぶ。

 おじさんの表情にあるのは諦め。

 だが、違う。ただの諦観では、断じてない。弱気でありながら、轟々と燃える決意、瞳の奥で燃えているのは、そのそれ。


 知っている、こういう顔をする人間を。

 己の全てを賭そうとする人間を。

 大切な、譲れないもののために、海島孝雄は作業を続行する。


「死体が確認されれば、なんとか暮らせるぐらいの金が、娘達に行き渡るんだよ。わしはね、そのためだけに生きてきた。きちんと死んで、子どもを助けるためにさ。でも……怖かったなぁ。こんな場所へいきなり投げ出されて、努力が全部無駄になると思ったら涙がにじんで」


 あちこちで人食い猪たちの鳴き声が響く。

 パネルの完成までは、あと一枚。

 急げ、急げ、ぼく。

 なんとしても、今度こそ彼を助けるんだ。


「猪に食われるのだけは嫌だった。だって、肉体が残らなかったら、死亡確認が出来ないじゃないか。保険会社が金を支払ってくれない。そんなのはごめんだよ。なんとしても島から生きて戻ろうと思った。でも……いまなら、もうひとつ方法があるって解るんだ」


 おじさんが、その方法を口に出そうとしたとき。


『ぷぎいいいいいいいいいいいい!!!』


 十数頭からなる猪の群が――鬼の大軍が、森を突き破って現れた。

 黒い津波のようなそれ。

 奴らがこちらへ到達するまで、1分とかからないだろう。

 まずい、まずい、まずい、まずい!

 焦りながらも、ぼくは必死にパネルを押し込む。


「出来たぞ、運営……!」


 端末に向かって怒鳴る。

 表面上、岩壁は何も変わらない。

 しかし、裏面では確実に完成しているはずだ。

 だから。


『ぴんぽーん! 正解を確認しました。オープンします』


 壮大な機械音を奏でながら、全てのパネルがひっくり返った。

 現れたのは、一枚絵。

 皿に盛られた心臓。これに群がる悪鬼羅刹という、悪趣味極まりないイラスト。


 そのデザインに気圧されたか、猪たちが歩を緩める。

 それは一瞬のことで。

 けれど値千金の一瞬で――右側の壁が、音を立てて勢いよく開いた。


『イベントクリアの報酬として全員分の免疫抑制剤、及び〝鬼〟撃退用のアイテム、そして足枷の鍵を進呈します』


 運営のアナウンスを、最後まで聞いてやる時間などない。

 即座に指示を発する。


「六車さん! 鍵を!」

「わかっています!」


 一番右端にいた彼女が、扉の中を漁り、真っ先に鍵を取り出す。

 自分の分を解錠し、豪さんへ。


「俺は後でいい。田代、使え」

「え、じゃあ、ありがたく、なんか悪いわね」

「六車、撃退用のアイテムを寄越せ。俺が持ちこたえる間に、海島を助けてこい」

「それは演技?」

「ああ、演目を切り替えた。いまの俺は……弱く、しかし真面目に生きてきた男を守るため、悪漢どもを叩きのめすことが仕事だ」


 さすが名優。

 この状況下でも、完璧にヒーローの役柄を演じきってみせる。

 田代さんが足枷を外し、鍵はぼくへ。


 血気を取り戻した猪たちが、猪突猛進、こちらへと雪崩なだれ込んでくるまで残り数十秒。

 ぼくは自分の足枷を外す手間を惜しんで、海島さんへと鍵を手渡そうとして。


 ただ、絶句した。


「……自分で死ぬ勇気は、わしにはない。だから、ゆ、指を切り取る」


 海島のおじさんが、どこから取り出したのかナイフ、自分の小指に当てていて。

 初期アイテム?

 だとしたら、確認を怠ったぼくのミスで――


「スイッチ、返しておくよ」


 投げ渡されるリモコンを、呆然と受け取るぼく。

 彼は、震えながら微笑んだ。


「それと、ついでにわしの指を持ち帰ってくれ、羽白くん。君に責任があるとは、いまは思わない。けどね、きっと君なら生き残れる。だから、この指をわしの家族へと届けて――」


 弱者の笑顔。

 どうしようもない立つ瀬に追いやられたものが、崖っぷちで、それでも優しさを失わずに浮かべる、凄絶な笑み。

 それが、三島孝雄の残したもの。


 きっと、この場面はなによりも感動的だった。

 ぼくらはその挺身ていしんと、気高さに心打たれるべきだったのかも知れない。

 あるいは、生きている間に切り取った指には、生活反応があるから生死の判定には使えないと事実を告げるべきだったかも知れない。

 けれど――ぼくらはどちらも出来なかった。

 海島さんの、命を懸けたふるまいすら、見届けることは叶わなかったのだ。


「おじさんっ」

「え……?」


 振り返ろうとした彼の首が、

 文字通り胴体と泣き別れ。ぼくの胸元へ、すごい速度で飛び込んできて、胸元を朱に染め、落ちて足下をゴロゴロと転がる。

 ほんの一瞬その唇が「なぜ?」と動いた。


 間歇泉かんけつせんのように首から血を吹きだし、傾斜していくおじさんの身体。

 その背後に。


 全長3メートルを超える、猛獣が立っていたのだから。


……」


 田代さんのつぶやきが。

 ぼくには。

 ただ、絶望の開幕を告げるアナウンスにしか聞こえなかった。

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