第五話 最初の犠牲者

「心臓だ……!」


 どこにそんな力があったのか解らない。

 けれど四橋さんはぼくを突き飛ばして起き上がると、暗がりへ向かって走り出した。


 響く駆動音。機械の走る音。

 心臓を載せたロボットが、確かに近くを走行している。

 だけど、駄目だ。


「待って!」


 そっちに行っちゃいけない、四橋さん。

 生還したいという強い思いは解る。

 でも、いまは一刻も早く、ここを離れるべきなんだ。

 だってあなたは、免疫抑制剤を投与したばかりで!


「行っちゃ駄目だ……!」


 叫んで、起き上がり。

 彼へと追いすがろうとした刹那。



!!!』



 おぞましい吠え声が、響き渡った。


 死亡遊戯デスゲーム【心臓が逃げる!】。

 その最大にして最悪の敵――〝鬼〟が、姿を現す。



§§



 何もかもが、瞬間的に起きた。

 走っていた四橋さんの身体が、まるでトラックに衝突されたが如く吹き飛ぶ。

 ついで、奇声。


『プギュアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』


 暗がりから現れたのは、人間よりも一回りも大きな獣。

 牙は鋭く、天を衝き。

 蹄は床を粉砕しながら突き進む。

 頭部を振るたびよだれが周囲へとばら撒かれ、ひどい獣臭にむせかえりそうで。


 いのしし

 人を食らう獣鬼おにが、捕食者として再び雄叫びを上げる。


「四、橋さん」


 ぼくは完全にビビってしまっていた。

 プログラミングした猪と、実際の猪は、当たり前だけど違いすぎた。迫力も、感じる恐怖も、何もかもが別格。

 それでも歯を食いしばり、震える足を殴りつけ、四橋さんへと駆け寄ろうとして――更なる異常が、到来する。


 無数のひづめが地を砕く音、ひしめく鳴き声。

 闇の中から姿を見せた猪の、その背後にいくつもの影が並ぶ。


 群れだ。

 人食い猪の群れ。

 たった一頭でぼくらを殺しうる凶暴な野獣が。

 絶望そのものとも言える野獣が。

 いま、十数頭からなる獣の集団となって、周囲を覆い尽くし。


 そして――四橋さんへと殺到した。


 聞くに堪えない絶叫。

 骨が折り砕かれ、肉が噛み千切られる音。

 彼の、悲鳴。


「……ざけんな」


 いくら何でもやり過ぎだ。

 大がかりなドッキリみたいなものを、この瞬間まで疑っていた自分に腹が立つ。

 嘘偽りなどどこにもない。

 これは、紛れもなくリアルな……〝死〟そのものだ。


「ふざけるなよ!」


 ぼくは拳を硬く握り、雄叫びを上げて、猪の集団へと飛び込もうとした。

 四橋さんを、助けるために。

 最早自暴自棄になって。

 けれど。


「やめておけトウサク」


 ぐっと、腕を掴まれる。

 振り返れば、厳しい表情をしたイケメン俳優がいて。


「豪さん? 放してください、いまならまだ――」

「無駄です。彼を救う医療技術は、この島にありません」


 無慈悲な言葉が、ぼくを遮る。

 童顔美女は、そんな無責任なことを言い放ち、ぼくの腕を掴んで走り出す。

 豪さんも、同じようにぼくを引っ張っていこうとする。


 なんでだよ?

 どうしてだよ!

 おかしいだろ、こんな容易く人を見捨てるなんてさ!?

 あんたらには、人の心がないのかよ!


「私は医者だ!」


 童顔美女が。

 その秀麗な顔立ちに似合わない激情に支配された表情で叫んだ。


「医者である限り……これ以上、貴重な命を危険にさらすわけにはいきません。むざむざ死地に患者を追いやるなど……それは絶対ならないのです!」

「……そういうことだ。四橋には悪いが、俺たちは逃げる。ここを死に場所にはできん」


 二人の言葉は、一見して非情そのものだった。

 けれど。

 彼らの二人の身体は、震えていて。

 実際、いまのぼくらに〝鬼〟と戦う方法なんてなくて。

 ぼくは。


「うわああああああああああああああ……!!!」


 結局、逃げ出すことを選んだ。

 なにもかもを見捨てて。


「――タルタル、食べたかった、な」


 かすれきった今際の言葉が、聞こえなかったふりをして。


§§


 ……かくて、このデスゲーム最初の脱落者が発生する。

 四橋伝助でんすけ

 端末に表示されるまで、下の名前すら知らなかった彼は。


 ぼくらにジュラルミンケースだけを残して、猪に食い殺されたのだった。


 残る参加者は――六名。

 心臓は、三つ……


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