第39話 涼 29歳 春 馬と白鳥と
涼は部屋に戻ると、真っ先に天窓から北極星を見上げた。あの北極星はポラリスだ。伊那とロウの星だというベガはどこになるのだろう。涼は携帯で星図を探し出し、見上げた空と見比べてみた。ベガは全天でたった21個しかない一等星だ。白色で明るく光り輝いている。涼は、現在の北極星であるポラリスからベガまでの距離の遠さに驚いた。12000年たてば、あんなに遠くにある星が北極星になるのか。宇宙は不思議だ。宇宙の不思議さに比べれば、地上で人間が起こす不思議なんて、どんなに奇跡のように見えても、当たり前に起こることなのかもしれない。
涼はさっとシャワーを浴びると、ベッドに戻って再び北極星とベガを見つめた。やはり二つの星は遠い。伊那とロウはベガから来たと言っていたが、じゃぁ僕はどこから来たんだろう。やっぱりポラリスなのかな。そんなことを考えていると眠気がおそってきて、いつのまにか眠りに落ちていた。
ブフ、ブフフフ、ブフゥ。
ん?なんだ?
涼はすぐ耳元で聞こえる鳴き声に呼ばれて目を開いた。
涼に顔を摺り寄せてうれしそうにしている馬は、まぎれもなくモンゴルのシェルキだった。
涼は飛び起きた。
「シェルキじゃないか!」
シェルキの体は光り輝いている。明らかに実体ではなく、霊体だけの状態だったが、それでも涼を見分けて、うれしそうに体をすりつけてきた。
涼はシェルキの首を撫でてみた。感触があり、それはシェルキにも伝わっているようだ。いま、シェルキは眠っていて、夢を見ているんだろうか。モンゴルと日本の時差は1時間しかない。モンゴルも今は真夜中だ。
そういえば、伊那も、過去世に飼っていたラクダが訪ねてきたことがある、と言っていた。
動物との絆は、人間同士よりエネルギーが強いのだろうか。どんなに仲がよくても、たとえ恋愛状態であっても、人間の霊体が訪ねてきたことなどないのに、動物は絆のある相手のところに簡単に訪ねて来られるのだろうか。
それとも、ここエリクサのこの部屋だけの魔法なんだろうか。
涼はシェルキを撫でながら、顔を上げた。北極星から、この部屋にむかって星の光の道がついていた。シェルキはこの道にそってやってきたようだ。その道には、たくさんの馬が並んでいる。シェルキの後ろにいる馬は、涼がいつも乗っていた乗馬クラブのサラブレットだ。ロウと一緒に山駆けに出場したときのアラブ馬もいる。その後ろにいるのは・・・。涼にはすぐにわかった。過去世、フランスで生きたときに乗った馬、それにベドウィンだったときに乗った馬だ。どの馬も、愛と信頼に満ちた瞳で涼を見つめている。馬たちからのどこまでも純粋な愛が強烈な波動を持って涼を満たしていった。
いつのまにか涼は、馬たちが輪になって駆けていくその中央にいた。喜びと高揚感に包まれていく。やがて馬たちのエネルギーはひとつに溶け合って消えていき、その向こうから真っ白な翼を持つ鳥が優雅に天空を舞いながら近づいて来た。
白鳥だ!
涼は立ち尽くして白鳥の真っ白な美しい翼を見上げた。
白鳥は舞い降りてはこなかった。ゆっくりと天空を旋回し、やがて星の光とともに遠ざかり、北極星のもとへと消えていった。
今度は白鳥か、と涼は思った。もうこの部屋で何が起こっても驚いたりしないけど、白鳥ってなにを示しているんだろう。
明日の朝、伊那さんに聞いてみるしかないか、涼はそう思ってベッドに戻った。
涼は別れのときのシェルキの様子を思い返していた。お別れだとわかっているのだろう、いつまでも涼に鼻先を摺り寄せて離れようとしなかった。涼も、これでお別れだと思いながら愛を籠めてシェルキの首を撫でた。
会いにいってみるのもいいな。はるばるモンゴルまで、ただ馬に会いに行くというのも面白いじゃないか。シェルキは、それだけの愛と信頼を僕に寄せてくれているんだ。僕がシェルキの愛情に応えてもいいじゃないか。涼はそんなことを考えていた。
次の朝、涼が一階に下りていくと、伊那とロウはすでにダイニングにいたが、監督はまだ起きてきていないようだった。
「涼さん、おはよう。なにかあったの?」
伊那は挨拶するなり、そう言った。ロウがおはよう、と言いながら振り向いて涼の顔を見た。
「ありましたけど、なぜわかるんですか?」
「だって涼さん、波動が変わっているもの」
「波動?」
「涼さんのまわりに漂っているエナジーが違うの。いつもの涼さんより遥かに明るいわ。つまりね、私から見ると、光輪を背負って入ってきたみたいに見えるの。光輪って、天使の頭の上の輪っかみたいなものね」
涼は思わず自分の頭の上に手をやった。
「涼さん、そういう意味ではないわよ」
伊那が笑いながらそう言い、ロウも微笑んでいる。
「ロウさんも見えるんですか?」
「伊那のように見えるわけではないが、涼くんがいつもより明るいのはわかるよ」
「そうなんですね。実は昨日、モンゴルで乗っていた馬が訪ねてきたんです」
「あら、私のラクダの話と一緒ね」
「そうです。モンゴルの馬だけじゃなく、僕といままで縁があった馬、みんなきてくれました。今世だけじゃなくて前世で縁があった馬もいました。それは素晴らしく幸せな感覚でしたが、最後に大きな白鳥が現れたんです」
「まぁ、白鳥がきたの」
「ええ、それで、白鳥ってなんだろうと思って」
「白鳥は山の神だよ」
ロウが横から、驚くべきことを口に出した。
「山の神?」
伊那がうなずいた。
「そう、ここの山の神は白鳥に姿を変えることがあるの。本体が白鳥というわけではないのだけど、白鳥を見たときは、ここの山の神が姿を現した、と思ったほうがいいわ」
「いつも、ロウさんと一緒に呼んでいた山の神ですか?!」
「そうだよ。姿を現すには、もちろんそれなりの意味がある。いままで涼くんは、山の神にとっては伊那や僕の仲間、という認識だったのが、神と涼くんと、直接につながる関係になったということだ。もう僕や伊那の力を借りなくてもいい。涼くんは自分で神とアクセスできる」
ロウはそう言った。
「自分で?本当に?」
涼にはまったく自覚はなかった。伊那のようにはっきり神が見えるわけでも、ロウのように神を捉えられるわけでもない。
「それで何が変わりますか?」
「それはそのうちわかってくるよ。理解の仕方は人それぞれだし、あまり他から聞いて囚われないほうがいい。自由に感じればいいものだから」
「涼さん、朝ごはんにしましょうよ。監督はまだ起きてこないかしら」
「イタリア語を話しているうちにイタリア時間になったかな。アメディオが起きてきて、朝ごはんが終わったら僕の家に行こう。昼までに起きてくればいいが」
ロウはそう言って笑った。
「今日は山の神に挨拶しなくていいんですか?」
「涼くんは夜のうちに挨拶したじゃないか。十分だよ」
そうか、と涼は思った。あれであいさつしたことになるのか・・・。涼は白鳥の姿を思い出し、不思議な気持ちになった。
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