第38話 涼 29歳 春 賑やかなディナー
笑いが一通りおさまったところで、ロウが監督に話を振った。
「ところで、アメディオは日本のどこに行きたいんだ?」
「京都とか奈良とか、そういう日本的な観光地は映画を撮るときに行ったんですよ。僕がいま一番興味あるのは、日本の世にも美しいイチゴとサクランボです!」
と大真面目に言った。
「イチゴとサクランボ・・・」
あまりにも想像外の返事だったのだろう、ロウの口がぽかんと開いた。涼は、そのロウの顔がツボにはまってしまい、おなかを抱えて笑った。伊那もくすくす笑っている。
「いいんじゃない、イチゴ狩りに行く?春だしね」
伊那は日本語でそう言った。
「大の男が三人でイチゴ狩りですか?」
涼は、ロウと監督が大きな体を折り曲げて、イチゴを探している図を思い浮かべ、いや、この図はあまりにもおかしすぎるだろう、と思った。とうていその図には加わりたくなかった。
「イチゴ狩りか・・・」
考え込んだロウに向かって、監督が、何を話しているの?と質問し、ロウがイチゴ狩りについて英語で説明する。監督は目をきらきらさせながら、BenissimoとかFantasticoとかイタリア語でつぶやいている。伊那はくすくす笑いながら、どこでやっているか調べてみるね、と言って自室に戻っていった。
涼はとても三人でイチゴ狩りに行く勇気はなかったが、監督はすっかり乗り気だし、ロウも真面目にその案を考えていそうな顔をしていた。
伊那が戻ってきて
「イチゴにはちょっと遅く、サクランボにはちょっと早いみたい。残念ね。あなたたち三人がイチゴ狩りしている図を見たかったわ」
と笑いながら言った。涼はなんだかほっとしたが、二人の残念そうな様子を見て、自分の頭が固いのだろうかと一瞬疑い、監督もロウも一体どういう発想で真面目にイチゴ狩りするつもりだったのかと考えた。この二人って、人生を遊んでいるよな、と思いながら、遊び心はもしかすると、運を開くための大事なツールなのかもしれない、と考え直した。
夕食は伊那が寿司を作るのだという。
「ありえないくらい緊張しているのよ」
伊那はそう言った。基本的にエリクサのディナーでは和食は出ない。伊那はあまり和食が得意ではないからだ。朝食は中華だったことはあるが、朝食ですら和食は見たことがない。
「監督にイタリアンを出しても仕方ないし、一生懸命考えた献立なんだけど、こんなチャレンジして大丈夫かしら」
伊那はたいそう不安そうだった。
「どんな寿司を作るんですか?」
涼はそう聞いた。
「無謀にも花寿司を作ろうとしているの」
「花寿司?」
「飾り寿司のことよ。私なりに監督に歓迎の料理を作りたいと考えたのだけど、考えれば考えるほど不安でいっぱい」
伊那は両手で頭を押さえて、顔をしかめてみせた。
「僕は止めたんだよ。僕ですら食べたことがない」
ロウは苦笑した。
「僕が手伝いましょうか?といっても僕も作ったことないです・・・」
涼はそう言って悩んだ。役に立つかどうかわからない。
監督が何を話しているの?と英語で聞き、ロウが夕食は寿司なんだ、と説明した。
「オー!スシ―!作ってみたい!」
監督は目をキラキラさせて言った。
「その手があったか!」
ロウがぽん、と手を叩いていった。
「全員で作ればいいじゃないか。歓迎の寿司料理ではなくて、寿司の作り方レクチャーだな」
伊那がふき出した。
「そうするの?私は助かった!という感じだけど」
「いいじゃないか、涼もアメディオも、お客さんじゃないからね。それに僕も作ってみたいよ」
「じゃぁ、全員で作って、全員で食べるのね。これが本当の寿司パーティーかしら」
監督はカリフォルニアロールを作るという。日本人のように器用ではなく、米の外側に海苔が巻けなかったアメリカ人が考えだした、海苔が内側に巻いてある巻き寿司だ。
伊那は予定通りに押し寿司の花寿司を作るという。
ロウは巻き寿司の花寿司を作ると言った。
涼くんはどうする、とロウに問われ、
「僕が作れるのはちらし寿司くらいです」
そう言うとロウに止められた。
「涼くん、こういうときは最上級に難しいものにチャレンジするものだよ」
「なぜですか?」
「成功すれば拍手喝采、失敗しても笑いになるからだ。簡単なチャレンジでは、成功して当たり前、失敗したら恥になる、つまりまったく面白くない」
なるほど、と涼は思った。かといって、そんな最上級に難しい寿司も知らない。握り寿司にするにはネタがない。伊那が横から口を出した。
「涼さん、四海巻きをしてみたら?」
「四海巻き?」
「美しいわよ」
涼は四海巻きを携帯で調べてみたが、なるほど、四角の形の飾り寿司ではあるが、たいそう難しそうだった。まぁでも、失敗しても笑いか、と思ったらやってみる気にはなった。
「じゃぁチャレンジします」
四者四様のチャレンジが始まった。すし飯については、ロウが監督に英語とイタリア語で教えていた。伊那はシミュレーションが行き届いていたのか、それともひそかに何度か練習していたのか、あっという間に花寿司を作り上げて、サイドメニューに入っていた。しんじょう汁にじゃこサラダ、それに豆腐を薄く切ったものの上にカナッペのようにいろいろな具をのせて色彩の美しいオードブルを作り上げていた。
「本当はアボガドサラダにしようと思っていたけれど、監督にとられちゃった」
と言っていた。なるほど、カリフォルニアロールにはアボガドが入っている。
ロウは器用に桃の花の形を作り上げていた。上手ですね、と涼が声かけすると
「母親が作る海苔巻きを手伝ったことがあるからね。僕は妹が早く死んでしまったから、いい子になるしかなかったんだよ」
そう言ったが、いい子、という言葉がなんだか似つかわしくなかった。
涼の四海巻きは、とりあえず四角にはなっていたが、思い描いたようには対角線で仕分けされておらず、中心がずれていた。ロウは、まぁいいじゃないか、味は一緒だろう、と笑っていた。
監督のカリフォルニアロールは、というといつまでもロールにはならず、結局はみかねたロウがロールに形を整えた。
夕食のテーブルには珍しく日本酒が出た。
「今日はエリクサのディナーじゃないでしょう。お酒があってもいいと思ったのよ。旧友を温める日だから」
伊那がそう言った。
伊那の花寿司はモザイク型に彩り豊かに並べられており、まるでプチケーキを集めて並べたようだった。
「おー!イナの寿司は美しいね!」
監督はそう言って感動しており、伊那はにっこり笑ってGrazieと言っていた。
全員が日本酒で少し、いや、かなり酔っ払い、昔の話から最近の話まで話題は尽きず、日本語、英語、イタリア語が飛び交って真夜中までパーティーは続き、もっとも酔っぱらっていた監督がおやすみなさいと言って部屋に引き上げたときには深夜2時近かった。
ロウが、明日の朝はゆっくりでいいよ、と涼に声をかけ、涼もおやすみなさいと挨拶をして部屋に引き上げた。
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