第36話 涼 29歳 春 伊那の話

「私が知っているロウの話はこういう感じよ。あとはまたロウに聞いてね。でも今回は、監督がロウを離してくれなさそうかしら。今回のように、不思議な縁が繋がって、ロウの知り合いだった人がここにたどり着いたことは初めてなの」

「縁は不思議ですね」

「本当にね」


 伊那も涼もそれぞれの感慨に浸っていた。伊那が顔を上げて言った。


「それで、涼さんはどんな映画に出るの?」

「舞台はモンゴルです。僕はモンゴルの青年の役で、馬に乗って登場します」

「あら、乗馬のレッスンが早速役に立ったのね」

「乗馬はロウさんの勧めでしたが、もし馬に乗れなかったらこの役は回ってこなかったし、したがって監督に出会うこともなかったということです。そうだ、そもそも監督に紹介してくれたプロデューサーは、僕がロウの真似をして鳥を呼んだところをたまたま見てしまったんです。それで声をかけられました。あまりにもシンクロが起こりすぎてびっくりしています」

「それってセレンディピティっていうのよ」

 伊那がそう言って微笑んだ。

「シンクロニシティじゃなくてですか?」

「シンクロニシティは、たまたま宇宙の流れと自分の流れが同じタイミングになっただけのことよ。

 セレンディピティは運の流れを調和させる能力なの。運の流れを感じ、調和させ、もっともいいタイミングで運を捕まえる能力よ。シンクロは運気の流れを待たなきゃいけないけれど、セレンディピティは待つ必要がない。自分でシンクロを起こすことができるの。涼さんもロウと同じで発信する力が強いから、運気の流れを待たなくていいのよ。なんだか羨ましいわ」

「これって、自分で引き起こしているんですか?!」

 涼は驚いてそう尋ねた。

「そうよ。でもこの力を持つ人はあまり自覚がないみたいなの。ロウもあまり自覚はないけれど、不思議なことを引き起こす人でしょう?」

「ロウさんが不思議なことを起こすのはわかります」

「涼さんだってそうよ。これからが楽しみだわ」」

 伊那はふふふと笑った。

「こんな感動的なことが起こるのなら、いくらでも歓迎しますよ」

 涼もそう言って笑った。感動的なこと、の言葉で、涼はモンゴルで出会った鷹と馬のことを思い出した。


「伊那さん、聞いてみたいことがふたつあります」

「なぁに?」

「モンゴルで、鷹を呼ぶシーンがありました。本当は鷹匠を使って撮影する予定だったのに、ロウのように呼んだら野生の鷹が降りてきてしまったんです。普通じゃない意識状態になっていて、そのときは鷹と会話できたのに、何を会話したか覚えてないんですよ」

「なんだか涼さんらしいわね」

 そう言って伊那は笑った。

「伊那さんは、鷹が何を言ったかわかります?」

「うーん、ちょっと待ってね。でもおそらく、そういうときに鷹が言うことは、そんなに種類は多くはないわ」

 伊那は視線を落として、静かに深呼吸を繰り返した。

「鷹は・・・太陽の使者なのよ。この土地の太陽神・・・涼さんは、この土地に生きていたことがあるのね。この土地の神が、涼さんにおかえりなさいと言っている。鷹は、高く舞い上がり、すべてを見通す目の力。まるでウジャトみたい。涼さんはこの神と約束がある・・・約束を忘れるなと鷹が言っている。いつか、遠い未来、この世界が互いにもっともっと近くなったとき、この神が持っている力を人々に知らせる役割をすることを。高く舞い上がり、世界を見通す目を持つ力を。この土地を訪れた者は、準備ができていれば世界を見通す目が持てる。鷹の瞳は象徴なの。瞳のイメージを受け取ったでしょう?」

 涼は、あっと思った。鷹の瞳、しかも片方の瞳の光彩だけがまぶたの奥に焼き付いていた。

「・・・思い出しました」

「それはよかった」

「でも、どうやって鷹の言葉がわかったんですか?」

「忘れたの?」

 伊那は涼を見て微笑んだ。

「私はあなたの時間軸を逆回転できるのよ。いま、鷹が降りてきたのを感じたわ」

「・・・そうでした」

 涼は、伊那に前世を見せられたことを思い出した。


「それで、もうひとつの聞きたいことってなぁに?」

「モンゴルで僕が乗った馬のことです。前にずっと一緒だったような、不思議な感じがずっとしているんです。デジャヴュって言うのでしたっけ。懐かしい感じがする、知っている感じがする、前もずっと一緒にいた、みたいな感じです。その馬との相性があまりにもよくて、完全にハイ状態で駆けているときに鳥を呼んだら、野生の鷹が降りてきてしまったんです。

 思い返してみれば、最初にそういう感じを味わったのは、あの一本角の鹿でした。次がロウさんで、その次がモンゴルで出会った馬です」

 そう言いながら、涼は、鹿、ロウ、馬、と並べるのはロウに失礼なのかな、と思いついて急におかしくなってきた。

「よく考えたら、鹿・ロウさん・馬って並べたら変ですね」

 伊那も一緒になって笑った。

「いいんじゃない。ロウは別に怒ったりしないわよ」


 涼はそこではっとした。

「伊那さん、あの一本角の鹿は、代替わりしたんですか?」

「おそらくね。もう一本角の鹿はみかけないわ。野生の動物は決して亡骸を見せることはないから、確実ではないのよ。きっと、いまが代替わりの真っ只中なのかしら。私たちは新しい山の王にも会っていないのよ」

「そうなんですね・・・」

 涼はなんだかさみしい気分になった。一本角の鹿に会ってから6年になる。あの威厳ある姿と、真っ黒な瞳を見ることはもうないということか。

「動物たちの寿命は人間よりはるかに短いから、お別れの日が来てしまうのは仕方ないわね。特にあの一本角の鹿は特別だったし、王であった期間も長かったから、さみしいわ」

「いつから鹿の王だったんですか」

「涼さんが来るほんの少し前よ。だから6年間王だったわけだけど、鹿にしてはすごい長期政権ね。そんなに長く王でいる鹿はいないわ」

「もっと短いんですか」

「せいぜい2-3年だと思うわよ。そもそも雄鹿の寿命自体が短いしね」

「そうでしたね」

「それで、なにが聞きたかったのかしら」

「モンゴルの馬のことを懐かしく感じるのは、もしかして前世でもあの馬と会っていたりするのかな、と思ったんです」

 ロウとは前世で出会っている。だから懐かしい感じがするのは理由があるのだとわかった。動物はどうなのだろう。

「私は動物の魂のシステムについて、そんなに詳しく知っているわけではないけれど、過去世に飼っていた動物が訪ねてきたことがあるのよ」

「訪ねてきた?」

 伊那は相変わらず、予想もしなかった返事を返してくることがある。

「どうして突然訪ねてきたのかは、私もわからないのよ。もちろん実体で訪ねてきたのではなくて、エネルギー体で訪ねてきたのよ」

 伊那は微笑みながら、懐かしむような顔をした。

「ちなみに訪ねてきたのはラクダなの」

「ラクダですか?!」

「そうなの。私も砂漠に縁があるのね。その前世はちゃんと思い出していないのだけど、もしかしたら涼さんとご縁があったのかもしれないわね。砂漠で生きた前世は思い出していないし、昔ラクダを飼っていたことなんて覚えていなかったけれど、訪ねてきたラクダを見た瞬間、『私のラクダだ』ってわかったわ。動物との間には、圧倒的な愛と信頼感の絆しかないのよね。人間同士と違って、ネガティブな感情が混じったりしないのよ。嫉妬や期待、失望とは無縁だもの。ラクダが現れた瞬間、本当にうれしくて、うれしくて、はるばる来てくれたんだ!と幸せな気持ちになったわ。あんな幸せってないわ」

 伊那はうっとりした顔をした。


「だから、おそらく動物も転生するのだと思っているわ。動物にも魂があって、転生してまた出会うことはあるのだと思う。さすがに亡くなるときに動物が迎えに来ているのを見たことはないけれど、迎えに来た人間が動物を連れているのは見たことがあるの」

「それはペットですか?」

「それは残念ながらわからないの。おそらく、人間の魂の迎えは、人間じゃないといけないんでしょうね。あ、待って、違うわ、特殊な人なら神仏が迎えに来ることもある」

「それはお坊さんとかですか?」

「それは関係ないわ、だって神職はこの世ではひとつの職業でしょう。人間として生きているときに、天使みたいに優しかった家庭の主婦のこともあるし、軍神のように時代を変えるパワーを持っている革命家のこともあるわ。職業は関係ないし、社会的地位も関係ない。どれだけ世界を変えたかは関係ないのよ。命ある間に、どれだけ自分の世界に愛と光を注いだかによるのよ」

 まだ若い涼にとっては、死の話も死んだあとの世界も、遠い世界のようで実感はない。それでも、当たり前のように死後のことを話す伊那といると、死がまるで近しいもののような気がしてくる。


「死んだ後って、まだ実感はないですが、どこへ行くんですか」

「どこへ行くかは自分で決めればいいのよ」

「自分で決めるシステムですか?」

「そうよ、だって、自分の人生でしょう」

 伊那は笑った。

「人生は死んだら終わるのでは・・・」

「終わらないわ。もっとも、死んでみないと始まらないけど。なんだか禅問答みたいね」

「死んだことがないので・・・って、やっぱり禅問答ですね、これ」

 伊那と涼は一緒になって笑った。

「もっとも、どこに行くか決められない人もいるのよ。地獄へ行く人と、幽霊になる人には自由はないわ」

「地獄ってあるんですか?」

「あるといえばあるし、ないといえばない・・・地獄という共通の悪夢を見ている魂たちがいるって私は思っているわ。幽霊は、あまりにも執着心が強すぎて、肉体がなくなってもこの世から離れられない魂たちのこと。死んだことを理解できない魂もいるけどね。どちらにしても囚われの身で自由はない。その他の人たちは自由よ。もう一回生まれてきてもいいし、地球を守ってもいいし、違う星に行ってももいいし、自分の愛する人たちと過ごしてもいいし、自分の愛する神様のところに行ってもいいのよ」


「伊那さんは死んだらどうするんですか?決めているんですか?」

「私はロウと一緒に星に帰るの。もっとも残念ながら、ロウのほうがずいぶん早く帰ってしまうけどね。それはこの年齢差だから仕方ないわ」

「星に帰る?」

「私たちはベガから来たの」

「ベガ?」

「ベガは琴座にある星のことよ。織姫星っていう名前のほうが有名かな。ベガは12000年前に地球の北極星だったのよ」

「12000年前?あまりにも遠すぎて・・・いまの北極星はベガじゃないですよね?」

「そうよ、涼さんがこの部屋から見た北極星はポラリスよ」

 涼は、思わず天窓から空を眺めた。いまは青空が見える。涼が見た北極星はポラリスだ。伊那とロウは、12000年前に地球の北極星だったベガから来たのだという。

「北極星って移動しているんですか?」

「北極星が移動しているのじゃなくて、地球の軸が移動しているのよ」

「宇宙の中を、ですか?」

「そうよ」

 涼はあまりに壮大な話に頭がくらくらした。もしロウがここにいたら、前のように肩をつかんでゆすられるかもしれない。

「地球に降りてくる魂には法則があって、真北からまっすぐ降りてくれば、どんな魂でも降りてくることができる。たとえばキリストは普通の人間よりはるかに進化した魂で、地球の輪廻のシステムには囚われていないの。だから、真北から星の光とともに降りてきたのよ。

 私たちは12000年前にベガから来たの。でもベガは地球ではかなり古いのよ。みんなとっくに帰ってしまって、ほとんど見つからないわ。私はロウ以外のベガ出身の人に会ったことはない。ロウがいてくれてよかった。もしロウがいなかったら、私はずっと淋しかったかもしれない。

 ベガは、いまから12000年後に、ふたたび地球の北極星になるのよ。つまりベガは24000年の年月をかけて地球を見守っているの。12000年後には、地球人とベガ人は友達になっている予定よ」

「・・・なんだか、スケールの大きな話ですね」

「星から地球に降りてくるのはとっても難しいの。慎重にしないと地球のパワーに弾き飛ばされる。でも逆は簡単なのよ。飛び出していくだけだから。12000年後に、ふたたびベガが北極星になるまで待つ必要はないの。ふふ、涼さん、この話はおとぎ話だと思っておいてくれたらいいわ」

「おとぎ話かもしれないけれど、面白いです」

「おとぎ話でいいなら、これからも星の話をするわ。涼さんはしばらく帰ってこないかな、と思っていたけれど、すぐに戻ってきたし、不思議ね」


「僕もすぐに戻るとは思っていませんでしたが、またここに来られてうれしいですよ。ところで伊那さん、今日の日はどんな日ですか?」

「今日は5月15日ね。5はそもそもが変容を起こす数字なの。五月にはエネルギーの変動が起こっていて、すべての生物に対して、『その人生でいいのか?チャレンジしていないことはないのか?』と問いかけているのよ。だから、五月には落ち着かない気分になる人が多いし、五月病っていう言葉もあるわよね。それは新しい人生に馴染んでいないからではなくて、自分が進むべき道を間違えているっていうメッセージなのよ。もしも五月に鬱になるのなら、人生をやり直さなきゃいけないわ。正しい道を進んでいるときには、五月は軽やかで楽しく、明るい毎日になるのよ。

 15は光の糸なのよ。数字は12までが単音で、13からが音楽になる。13の音楽に、14は命を与え、15は光を与えるの。それに今日は、1をはさんで左右の5でバランスを取っている数字でもあるでしょう。こういう数字は鏡の数字というの。世界を反転させる力を持つのよ。今までの思い込みをすべて手放して、新しい世界に生きられる。

 つまり5月15日は、宇宙が新しい創造の光の糸を投げかける日よ。今までより美しい世界に足を踏み入れるチャンスなの」

「何かが起こる日は、必ずその意味がある日なんですね」

 涼は感心してそう言った。伊那はにっこり笑って答えた。

「そりゃ、宇宙が何かを起こす日は、宇宙がその準備を整えた日だもの」

「そうか。僕も今までより美しい世界に足を踏み入れたいですね」

「踏み入れているでしょう?」

「そうですね」

 涼は同意した。いろいろな偶然が重なって、切れたと思った縁も必要があれば必ずつなぎ直される。切れたままの縁は、切れている意味がある。宇宙には大きな流れがあって、人間が小さな思考の中で、自ら縁の糸の中にぐるぐる巻きに絡めとられなければ、最善と最適があるのだ、そんな風に感じた。

「さて、そろそろ一階に戻りましょうか。ロウと監督の話もひと段落ついている頃でしょうね」

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