第18話 涼 26歳 秋 北極星の部屋

 突然、ロウがテーブル越しにガシッと涼の肩をつかんで揺さぶった。

「うわあっ」

 涼は思わぬロウの行動に思わず大声をあげた。伊那が目を丸くしている。

「伊那、涼くんはもうこれ以上なにかを伝えてもダメだよ。容量オーバーだ」

「そうね・・・」

 伊那は同意して、それから笑い出した。

「ロウ、乱暴よ。涼さんがびっくりしているじゃない」

「ちょっと体に刺激を与えたほうがいいかと思ってな」

 涼は突然ロウに揺さぶられて目を白黒させていたが、けらけらと笑っている伊那を見ているとだんだんおかしくなってきた。


「まぁ・・・たしかにもう、これ以上なにか言われてもなにも考えられません」

 ロウは涼から手を離して言った。

「今日は計画変更しよう。そうだな、君はテニスをするかい?」

「テニスですか?たいして上手ではありませんが、一応は」

「じゃぁ、今日はテニスをしにいこう」

「テニスを?」

 涼はびっくりした。ロウとテニスをするとか、あまりにも予想していなさすぎて、驚きしかなかった。

「あら、歌わないの?」

 伊那が聞いた。

「それはやめておこう。彼にとって歌は仕事につながるからね」

 ロウは時間を確認した。

「故郷に帰る飛行機は何時だった?」

「四時半です」

「三時半には空港に着いたほうがいいから、昼すぎに出発したほうがいいな。今からテニスに行って・・・昼までに帰って来られるだろうから、お昼ご飯は私が作ってあげるよ。星からも、歌からも、仕事からもいったん離れよう。そのほうがいい」

「あら、ロウが作ってくれるの?じゃぁ私はサボっていいのね。うれしいわ」

「一緒にテニスに行くかい?」

「私が?私は球技の才能ないのよ、知っているでしょう。ふたりで行ってきて」

「そうか。車を貸してくれるかい?」

「わかりました」


 ロウは、服も靴も借りられるからそのままでいい、と言って、涼を連れ出した。エリクサの山を下りるとすぐテニスクラブがあった。

 涼がそれほどテニスはうまくないと言ったのは、謙遜でもなんでもなく事実だったが、ロウはかなり上級者のようだった。それでも、涼のレベルにあわせて球を打ち返してくれたので、涼としてはちょうどストレス解消になる程度のいい運動になった。


 エリクサに戻ってくると、ロウはキノコのスパゲッティを作るという。当然、麺をゆでるのだと思っていた涼は、ロウが小麦粉を取り出したので目を白黒させた。タリアテッレを作るのだと言う。涼は料理をするが、さすがにパスタを麺から打ったことはない。

 君も一緒にこねるんだよ、と言われ、涼もみようみまねで一緒にパスタ生地をこね、のばし、切るという作業をやってみた。パスタの太さは揃えなくてもいい、不ぞろいなのもいい味につながるから、と言われ、自由な感じでパスタを切る。

 ロウは乾燥ポルチーニを水で戻し、戻し汁を煮詰めてペーストを作った。鍋にバターを入れて弱火で溶かしたあと、オリーブオイル、玉ねぎを入れ、ニンニクとセージを大きいままで入れる。ニンニクとセージはあとで取り出す、とロウは言った。最後に刻んだポルチーニを投入する。隣でタリアテッレをゆでながら、仕上げにポルチーニペーストを入れ、ブラックペッパーと塩で味を調え、パスタにかける。

 そのうえからオリーブオイルを少したらした。

「出来上がり!」

 ロウは嬉しそうに笑った。涼はロウの料理の手際のよさに感心していた。本当に料理が好きなんだろう。

 二人は出来上がったパスタをテーブルに運び、伊那を呼ぶ。伊那がやってきて、わぁ、おいしそうね、と声をあげる。テーブルは笑顔と明るさに満ちていた。


 タリアテッレにまったりと絡んだポルチーニソースは驚くほどおいしかった。キノコがこんなにも芳醇な味がすることを涼は知らなかった。ポルチーニははっきりした味だが、セージも玉ねぎもニンニクの味も同時に感じて、いろいろな味がハーモニーを奏でている。トマトソースもクリームソースも濃厚でおいしいが、すべてがその味に染まっているようで、ポルチーニソースほどの繊細さはない気がした。なんでこんなにおいしいんだろう、と涼が思わず言うと、ロウが、君自身が作ったからだよ、と返した。料理をおいしくするものは、努力とそれから愛情だな、と言った。

 パスタを食べ終わると、もう涼が帰る時間だった。ロウは玄関まで見送ってくれた。

 またな、と言われ、ロウと握手する。涼はまたすぐに来よう、と思いながらエリクサを後にした。伊那と二人、まつもと空港までの車中も、ほとんど料理の話をしながら走った。


 搭乗口で伊那と別れるとき、涼は、またすぐに来ます、と言った。

「そうね。あの部屋は空けているから、いつでも来てね」

 と伊那は言った。

「えっ?空けておくんですか?」

 涼が驚くと、伊那は

「涼さんのためじゃないわ。北極星のためよ」

 と驚くべきことを言った。

「あの部屋は、そもそも北極星のための部屋なの。北極星とアクセスするための部屋。泊まったのは涼さんが初めてじゃないけれど、北極星は、涼さんを見つけ出した。今夜から、北極星は、空にのぼるたびにあの窓から涼さんの姿を探すのよ。他の人が眠っていたらびっくりしちゃうわ」

 と言い、すぐに付け加えた。

「あ、いけない、結局星の話をしてしまったわ。つまり、あの部屋は北極星のための部屋で、北極星は涼さんを待っているってこと。だから、また来てね」

 そう言って、伊那はにっこり笑った。

 涼は驚きながら、またすぐ行きます、としか言えなかった。

 すぐにでもエリクサに戻りたいが、次に休みが取れるのはいつなのかわからない。涼は未練を感じながら、伊那に別れを告げ、両親の待つ故郷に向かう飛行機に乗り込んだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る