第10話 涼 26歳 秋 伊那との再会

「ようこそ長野へ。やっと休暇がもらえたのね。何年ぶりかしら?」

「二年ぶりになります。最初に来てからはちょうど三年です」

「涼さんは、エリクサに来るのはたった三回目だったわね。まったくそんな気がしないわ。もっと濃いおつきあいのような気がするのだけど。たぶん、最初に来たとき、ロウと三人で過ごした時間の密度が濃すぎたのよね。それに、私たちは涼さんの顔を見ることはよくあるから。ああ、がんばっているな、と思いながら見ているから、久しぶりという感じがしないわ」

「僕は久しぶりだって感じます」

「そりゃそうよね。涼さんからはこちらは見えないのだから」


 涼と伊那は車に乗り込み、ぺンション・エリクサへの道をスタートした。東京からきた涼にとっては、ああ自然のある場所に来た、という感慨がある。空気が澄んでいて、空は高く、緑が深い。


「伊那さんは、こんな風にお迎えに来ることが結構あるんですか?」

「しょっちゅうではないけれど、お迎えに来ることもあるわ。なにしろエリクサはかなり山奥にあるから、交通の便に困ってしまう人もいるのよ。それにお迎えは私のほうがいいでしょ?私が留守番をして、ロウが車で迎えに来たりしたら、みんな緊張しちゃうわ」

 伊那はくすくす笑った。

 たしかに、ロウが改札口で待っている光景は、似合わな過ぎて変だ。涼は、ロウは自分よりはるかに目立つだろうと思った。長身の堂々とした体躯、まるで銀髪のような輝く白髪、鋭い眼光と人を威圧するムード、空間を震わせるような黄金の声。未来も過去も見通しているような真っ黒な深い瞳。そのロウと同じように、真っ黒の瞳をした一本角の鹿。

 そこまで思い出して、涼ははっとした。涼はこの三年、ひたすら仕事だけに集中して駆け抜けてきたが、いったい鹿の寿命はどれくらいなのだろう。あの一本角の鹿は、とっくに死んでいるのではないだろうか。


「伊那さん、鹿の寿命ってどれくらいなんですか?」

「鹿?ああ、あの一本角の鹿のこと?大丈夫、一本角の鹿は元気よ。鹿の寿命は、そうね、雄の鹿の寿命は十年から十五年といわれているけれど、雌の鹿なら三十年以上生きるものもいるし、きっとあの一本角の鹿の寿命は長いと思うわ」

「雌と雄でそんなに違うんですか?」

「野生動物はみんな、雄は雌よりはるかに短命よ。きっとストレスが多いのでしょう。男ってたいへんよね。でも、ストレスを上手に発散することができれば、同じ種なのだから、そこまで男と女の差は出ないはずよ」

「人間も女性のほうが長生きですよね」

「面白い説を教えてあげましょうか。生物はもともとすべてが雌なのよ。だって子孫を作れないと種は滅びるのだもの。X因子は、雌の体を雄に作り替える作用をするものなの。だから、男というのは、体ができた地点ですでにストレスを背負っているの」

「その説はちょっと男としてはつらいですね」

「ふふふ、単なるひとつの仮説よ」


 涼は、ロウもストレスを背負っているのだろうか、いやロウはこの世のあらゆるストレスから無縁みたいに見えるな、と思った。普通の人が悩むようなことでは悩みそうにない。それでも、ロウはロウで、もっと深い悩みを抱えているのかもしれない。少なくとも能天気に生きているようには見えない。


「涼さんは、そろそろ車を買うのかしら?」

「はい、買ってもいいかな、と思っています」

「お目当ての車とかあるの?と聞いたところで、私は車のことはあまりわからないのよね」

「買いたいと思っている車はあって、悩んでいるところです。次に来るときには自分の車で来ますよ」

「待っています。そろそろお休みが取れるようになりそうかしら?」

「そうですね、そろそろちゃんと休みたいとは思っています。」

「私の個人的な説だけど、人間の持ち物の中では、一番大事なものはもちろん家、次が車なの」

「風水は僕も気にしますけど、車もですか?」

「車は、家みたいに風水的なものがどう、という部分は少ないのよ。その人のエネルギーの中で、大地とのつながりを象徴するのが家なの。つまり、木でたとえれば根っこが家なの。車は、葉っぱみたいなものね。外側の世界から、光や養分を取り入れる働きの象徴」

「どんな車がいい、とかあるんですか?」

「もちろん好きな車が一番よ。他人にどう思われるか気にして買うのがダメなだけ。それって、貧乏なのに服だけ立派なのと同じこと。自分らしくいられる車にするというだけのシンプルなことなの」


 涼は、自分が一番好きと思う車はどれだろう、と考えてみた。買いたい、と考えている車の中から、ただシンプルに自分が好きと思う車。


「家はね、風水をすごく気にする人がいるけれど、風水なんて家の中だけのことでしょう。そうじゃなくて、家の外の配置がとても大事。家の外の配置が悪いのに、家の中だけ整えてみてもたいした効果はないのよね。京都は町自体が風水に沿って作られているって聞いたことあるかしら」

「聞いたことはあります。中国の四神にそっているんですよね。北が玄武で山、東が青龍で川、南が朱雀・・・朱雀はなんでしたっけ」

「朱雀は湿地帯、湖、と今では言われているのだけど、よく知っているわね。好きなの?」

「いえ、これもエリクサと一緒でゲームの世界で覚えました」

「なるほど、ゲームね。ゲームには神話や伝説が出てくるから、意外にこの世の真理がわかったりするのよね。だけど、朱雀は鳳凰なのだから、本当は南が湿地帯ではいけないのよ。だから京都の風水には一部欠陥があって、魑魅魍魎の跋扈する都になってしまったの。

 あの四神の配置は、この世は火土風水の四元素からできているという世界観から作られたもの。その中の火の位置を湿地帯にしてしまったら、火がなくて水が多い、バランスの欠いた世界になるでしょう。水の気が過多な場所には幽霊や魔物が棲みつくのよ。

 もともと京都の町は天皇のために作られた町。それが水の気が過多なために、天皇という地位に尊敬と賞賛ではなくて、嫉妬と執着を呼び寄せるようになってしまった。一番呪いを呼ぶのは代替わりのときよ。その結果、代替わりの地位に敗れた者が呪いに囚われて怨霊になり、さらに次の代替わりに怨念を飛ばす、という悪循環になってしまったの。そうやって京都は魔物の都になってしまった。魔都:京都を、強力な呪法で平定し、魔物を封じ込めたのが安倍晴明ね」

「ええと安倍晴明も、もちろんゲームで覚えました」

「ゲームってすごいわね、侮れないわ。私はゲームをしないのだけど。それで、安倍晴明は好きなの?」

「安倍晴明だけじゃなくて、見えない世界のことは好きです」

「そうね、芸能の世界で生きる人は、見えない世界に理解がある人が多いのよ。霊感がある人も多いし、人気や運は見えない世界が司っているとわかっているのね」

「やっぱりそうなんですか?!」


急に涼は大きな声を出して、伊那のほうを向いた。伊那が目をぱちくりさせた。

「まぁ、涼さん、いまさらそれを言うの?あなたが?」

「ええと・・・」

「そういうところが涼さんのいいところでしょうけど」

 伊那は運転席から少しだけ顔を涼のほうに向けた。目が笑っていた。

「今回は初めての主演だったわよね。主演してみて、なにか変わるところはあった?」

「そうですね」

 涼は考えた。さんざん取材のときにいろいろなことを話した気がするけれど、伊那にはまったく違うことを話してみたいと思った。

「前に、どうしてもこうはなりたくない、と感じた有名な俳優さんがいたんです」

 涼はそう話し始めた。この話はマスコミにはできないことだ。伊那はうなずいて先をうながした。


「些細なことでキレるし、まわりの人を攻撃するし、もちろん僕も攻撃されて、いつも張り詰めていました。練習のときも本番もいつも限界まで緊張していました。自分がおかしくなるくらい、ぎりぎりで自分を保てているような感覚です。でも、その緊張感が舞台のエネルギーを上げるんです。観客たちが息をのんで集中するのがわかりました。僕は好きではないけれど、もしかして、こういう緊張感を持つのが舞台として正しい姿なのかな、と思ったりしました。あんなに評判のいい舞台はなかったです。すごい俳優だな、と思いますが、どうしても好きになれなくて」

「そうね、そういうタイプの俳優さんはいるわよね。でも、私も好きじゃないわ」

「伊那さんは、舞台観ていてその違いわかりますか?」

「そうねぇ。たしかに観客を惹きつける力はそういう人は持っているわ。でもなんというのかな、人を惹きつける力の強い人でも、そういう人のオーラは刃物みたいに尖っているのよ。遠くで見るときらめくように美しくても、近づくと傷つけられる。人から遠く離れていてこそ、その人は美しいのよ。俳優としてどれほど素晴らしくても、ひとりの人間としては誰より不幸せだと思うわ。だって、誰とも心通じることはないのですもの。もっとも、本人は不幸せと感じていないでしょうけど。たぶん、俺くらい才能あるものはいない、と思っているんでしょうね。それが間違っているわけではないし」

「その通りのような気はします」


「人を惹きつける力の強い人でも、近づくとそのきらめきは刃物ではなくて、雪の結晶みたいに美しくてはかない人もいるわ。遠くからみても美しくて、近づくときらめきが優しい水に変わる人」

「ロウさんのことですか?」

「ロウ?そうね、ロウも人を惹きつける力の強い人には違いないわね。でも、ロウは雪ではないわ。近づくと優しい水に変わったりしないのよ。遠くからみて美しくて、近づいてみると硬い宝石だった感じかな」

 涼は、ダイヤみたいな感じかなと思った。遠くから見て硬質で美しくて、近くで見ても硬質で美しい。


「人の魅力って、オーラで見るとその人のまわりに光の粒子のように広がっているのよ。魅力の高い人ほど、光の粒子が多いの。天使の絵には必ずまわりに光が描いてあるでしょう。仏様の絵や彫刻も、光の輪を背負っているわ。人間にも同じものがあるの。ほとんどの人の目には見えないけど、見えなくてもみんな感じているの。だから、魅力があると感じる人は誰にとっても同じなのよ。

 光の粒子にはいろいろな種類があって、どの光の粒子に惹きつけられるかは人それぞれだから、それが魅力の違いや、好みの違いになったりするのね。

 でもその中でも、誰にとっても魅力的な粒子というのがあるわ。そうね、たとえていうなら、どれだけ他者を愛したか、つまり人を、動植物を、地球や宇宙を愛したか、それが金の輝きになる。どれだけ自分に対して努力したか、自分の才能を見つけ出す真摯さ、欠点を見つけ出し改善しようとする覚悟、自分の特性を理解し自分を育てる忍耐力、そういうものが銀の輝きになるの。そうした他者への愛と自分への努力が金と銀のきらめきになって他人を引き付けるエナジーになる。

 生まれつき他者を惹きつける魅力を持つ人と持たない人の差は、転生を越えてその人自身が持ち運んできた魂の輝きよ。それがあなたたち舞台に立つ人が「華」って呼んでいるものね。華は今生だけのたった百年の努力じゃなかなか身につかないわ。それはもう仕方ないことよ。一万年努力してきた魂と、一万年努力しなかった魂を同列に考えて、どうして人の能力や魅力に差があるんだ、なんていうほうがおかしいわ」


 涼は、自分はちゃんと過去世で努力したのかな、想いを巡らせた。さんざん苦しめられたあの俳優も努力してきた人なのだろうか。人として好きにはなれなかったが、人を惹きつけるパワーは鮮烈だった。彼は人間を愛さなくても、なにか愛しているものがあったのだろうか。かといって、やっぱりあんな風には生きたくない、とも思った。

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