第3話

 ――あいつももうおしまいだよ。

 兄はいつそうなったのだろうか? 最後に会ったあの日、兄はニタニタと笑いながら祖母の暮らした部屋の中で酒を飲んでいた。

「いいよやるよ」

 一升の酒を手土産と言いながら彼らにふるまっている自分に陶酔しているような兄を見ていると、父がどうして彼を援助しようなどというのかわからなかった。

 ――それでも面倒見るのは俺しかいないんだよ――。という父に、今の彼にどんなチャンスを与えたって、資産を投げうって仕舞うだけで使用もないことだということは父にもわかっていたはずであった。さんざん家族を罵倒して自らに酔っているだけで何にもなりえない兄の何に父は将来を見たのであろうか?

 ――あいつももうおしまいだよ。

 それはもうわかっていたことではないか――。

 あの時、父がことに出ていれば兄もまた、兄の名誉と誇路を保てたかもしれなかったはずである。

 ――あの時、もし訴えたら俺は仕事を失くしていたかもしれないんだぞ……。 あの時、兄を悪者いし立てたのは学校側だけではない。兄を悪者にしてしまったのはこの父のためでもある。一言、あの好調に謝罪せればよかったのではないか? けれどもあの時、兄の学校の校長がうちまで来てわざわざこう言ったとき、兄の全部は終わった。

「わたしもそろそろ定年でして――、ことは大事を要するとは思いますが――、ほかの生徒のこともありますし――。何、原野さんのお子さんだって、まったく責任がないというわけではないのですから――、ここは波風立てることのないように――、その方が双方のためにも良いことだと思われますよ――。ですから今回のことに関しては、――ええ、穏便に……――」


 彼はまだ依然として車を走らせていた。高速道路は全く混む気配もなくスムースにT海岸のICで降りることができた。陽が山影へ沈んでいた。空は赤く染まってその先からだんだんと藍色の夜空がやってきていることがよく分かった。

「案外ICからあいつの家前は近いんだな――」

 ICの出入り口からすぐのここ4,5年でできたショッピングモールを過ぎると直ぐに兄の生活する家がある。彼は通りを折れて裏路地に回った。3階建ての建物の2階の部屋のひとつが兄の部屋である。エンジン音がやむと父はすぐに車から降りた。

「ちょっと見てくるから――」

 出がけに父はこういった。

 ――奴に会うわけではない。 彼にとってそれは了解ずくのことだった。兄の手紙のことを聞いていたからなおのことである。おそらく兄にあったとしても大きな声で喚かれるか、ことによるとナイフかバットかを持ってくるに違いなかった。前の家を兄が出払った時、やはり扉や壁は穴だらけになり、押し入れや部屋の隅にはごみ袋が山積みになっていたという。 父が階段を上がっていくのを見ながら、彼もまた建物のまどを見た。小窓からはオレンジ色の明かりがこぼれている。あそこはおそらくトイレであろう。どうせ消すのも面倒で点けっぱなしのままなのである。

 ――生きているか、確認するだけだから。 これではしかし、生きていることも確認できないのではないだろうか?

 父はすぐに下りてきて彼が思うことと同じように、ただわからないといっただけであった。

「まあ、トイレの灯りはついていたことだし、一応生きてはいるんじゃないか?」

「一昨年まではそれがよく分かったんだけれどな――」

 話を聞いているだけであるから実際のことは何もわかっていないが、一昨年まではT市の生活課が兄の許を訪れて就職支援などを行っていたが、配置換えで担当者が入れ替わってからは全く情報が入らなくなったのだという。 彼はいずれにしてもこれ以上詮索のしようもないことはわかっていた。

「あまり、長居しても来たことがわかっちまうよ――」

 彼はそういって父を車へと戻すと、また車のエンジンをつけ、その古びた建物をあとにした。 海岸までいかないか? と言い出したのは、彼からだった。

「ああ、予定よりも早く着いたからな」 兄の住む建物から海岸までは目と鼻の先にある。車を走らせれば数分のところである。 彼はこの子にこう言い聞かせて出てきた。

「大きいお砂場へ行こう――。海もあるぞ」

 

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