第20話 悪党の出世



「…チッ、」


ダイダラは渋い顔でスマホを眺めていた。

というのも、緊急用で糸クズたちにGPSを入れさせていたわけだが。

冗談じゃないことに、糸クズたちはそのほとんどがGPSに引っ掛からない場所ばかりにいるのだ。

悪人ばかりのパーティなので、地図には何もない場所に居たり、何故か海のど真ん中にいたりする。

多分意図的に自分の位置を誤魔化しているのだろう。

或いはGPSを消して自分の居場所を隠蔽している奴までいた。

悪いことばかりしてる悪いヤツらばかりだから、ダイダラは味方だというのに居場所がまるでわからない。

スグに集まることさえできないのだ。


普通悪の組織的なモノって、「集まれ!」と怒鳴ったら瞬時に何処からともなくカッコよく現れるモノだと思っていたのに。

実態はこうである。

悪いヤツということは、ダメなヤツということ。

大それた悪いヤツは大それたダメ人間。

つまり脅されない限り組織的な行動がほとんどできないのだ。


…このパーティにはリーダーが居ない。

一応コモンくんがボスという扱いにはなっているが、それもほとんどみんなに押し付けられて仕方なくやっているだけだ。

コモンくんが「やってね」というと、みんなが「うん」とか「やだな」と言う。それだけなので、拘束力がないのである。


よって指揮官が不在のままだ。

そんな指揮官のいない…異世界だなんて日本と全く法律の違う暴力的な別世界で、タカが外れたとことんダメなやつが飛び散るとどうなるかと言うと…。





「3時間前から居たことにして」


ギラ兄さんは胸ポケットから出した金をバーのマスターに渡した。

そしてそのまま何処も見ずに、爆音のロックがかかる暗いバーを歩いて行く。


「お疲れ」


奥に行けば、半個室になっているボックス席に出た。

そこにはいつも通り闇市の男・ラスネールが座っていて、物凄く辛い「天啓」という火のような酒を呑んでいるのだ。実際、グラスの中には真っ赤な火が入っていて、それを少しずつ口の中に入れて飲み込むのである。

ギラ兄さんはそれを呑むくらいなら灯油を飲む方がマシだと思っていた。

天啓を受けた気分になる程、アルコール度数が高いから。


「よ」


ラスネールが手を挙げた。

ここは2人の待ち合わせ場所だった。

ギラ兄さんは彼へステータス詐称用指輪のカスタム代を払いにきた。手渡しでなければならないので、いちいち直接会わなければいけないが…ラスネールとはもう友達だし、会うのは単純に嬉しいから別に平気だった。


ラスネールは時代錯誤の黒いパナマハットを被っている。

真っ赤な髪をオールバックにしていて、いつだってスーツを着ていた。

目の周りは真っ黒に化粧をしている。

頬に「Lacenaire」と掘ってあるので、顔を合わせるだけで自己紹介が済むと言うわけだ。

ギラ兄さんはそんな彼の目の前にバサッと札束を落とした。

指輪の代金だ。

これはいつものやり取りだった。

ラスネールがその金を受け取って鞄にしまい、一杯やって解散する。そういう流れがお決まりだったので、ギラ兄さんは「いつもありがと」と言いながら向かい側の席に座ったのだが。


「足りねえよ」

「え?」


ラスネールは金色の指輪が付いた右手で、火の酒を呑みながら言った。


「足りねえ」


と。

テーブルの上の札束を顎でクッとさして。

ギラ兄さんはキョトンとして、「え。足んない?」と親しい者へ向ける優しい声を出した。

そんな筈はないのだが。

言われた通りの金を払ったのに。

行き違いがあったのだろうが。


「?でも言われた通り…」

「あと5本は必要だな」

「…ハ。5本って…。おかしいだろ。急に」


ラスネールは全く笑わなかった。

いつもと全然雰囲気が違う。ギラ兄さんは何かがおかしい、と思った。

2人は全くの親友であり、会えば気安く笑い話ばかりしていたのに。なんだか今日は、様子が…。

そう思ってキョトンとしていると。

隣のボックス席に座っていた金髪の男が立ち上がってカツカツとコチラにやってきた。

物凄く足が長くて、古いフランス映画の俳優みたいにスッキリとした顔立ちの男だった。

その男が黙って、いきなりギラ兄さんの首へ拳銃を押し付けたのである。


「ッ、」


ギラ兄さんは思わず緊張で腹筋に力を込めて、グッと固まった。目を大きくして、テーブルに手を乗せたまま。

するとラスネールは優しく彼の手を上から握って、やっと笑った。


「ヴォイニッチ。気を付けろ。…5本だ」


優しく言われた。

ギラ兄さんはカッと汗をかいた。

どうやらハメられたらしい。

確かにギラ兄さんは今、鞄の中に要求された分の金を突っ込んできている。けれどその金は活動資金であり、信用できる金庫に移すつもりだった。

何故その金を知られているのかはわからない。

が、ラスネールはなんでも知っている。

というか、「なんでも聞き出す」ヤツだ。

ということはギラ兄さんが本日大金を持って移動することを知っていたのだろう。


「………」


ギラ兄さんは目だけで周囲を見回した。

周囲のボックス席に、ラスネールと似たような格好をした男たちがハットを目深に被って酒を呑んでいたからだ。

既に自分は囲まれていたのである。

…ここに来る途中にGPSは切ってきた。

助けは来ない。

パーティの仲間はギラ兄さんの居場所を知らない…。


「鞄の暗証番号は?」


銃を向けた金髪の男が言った。

ギラ兄さんの鞄には頑丈なロックがかかっていて、彼しか番号を知らなかった。

お蜜が設定してくれたセキュリティ用の魔法が掛かっているのだ。この鞄は長い長い暗証番号を知っている者しか上開けられない。

…鞄には金以外にも、パーティの大事な書類が入っている。

これが外に出ると大変まずい。

大変まずいものを外に持ち出してしまった。

なんせラスネールのことを本気で信頼していたから。


「…言いたくない?」


ラスネールが言った。

優しい声だった。ギラ兄さんは真っ白な前髪の向こうから…なんだかぼんやりした目で彼を見て、口だってぽやっと開けて…寝起きみたいに呆然とした顔をしたまま。

空いた左手でソッと酒瓶を持って、銃を突きつけていた金髪の頭をいきなり、ラスネールの顔を見たままかち割った。


「!あ」


ゴヅっ、と重たい音が鳴った。

ギラ兄さんは未だに呆然とした顔をしている。

周囲の男たちが咄嗟に立ち上がって銃口をコチラへ向けたのに、全く見ていなかった。

ただラスネールだけを見つめていた。

金髪の男は完全に油断していたようで、グルッと白目をむいて…頭を反時計回りにクワン、と回して倒れる。

人間が1人倒れると結構な音が鳴った。

ギラ兄さんはなんの反応もしなかった。

ラスネールもなんの反応もしていない。


「……えっ。スゲェ…ムカつく…」


ギラ兄さんはボソッと。やっとそう言った。

怒りで眩暈がしていた。彼はカッとなるとスグに手が出るので、今のは特に何も考えずに咄嗟にやってしまった。

抵抗したくてやったのではない。ムカついたから殴ったのだ。

猫の目の瞳孔が狭まっていて、猫耳が勝手にそっていた。


「───ッえ?はは、マジか!クッソむかつくわ!やば!」


そして突然引っ叩かれたみたいにブハッと吹き出して、キラキラした目でラスネールを見ながら咳き込むように笑った。

驚いた時に思わず笑ってしまうような、そんな笑い方である。


ギラ兄さんは男達に取り押さえられながら…もう止まらなくなってしまったようで、片足で床をバァン!と叩きながら…「ヤバいねお前!」と酔っ払いみたいに素っ頓狂な声を出す。

ラスネールは黙っていたが、それを見て…やがて、「は、」と喉に何か引っかかったような音を出してから、ヘラヘラ笑った。「ごめん、」と謝りながら。


「マジでむかつく!ダハハ、」

「はは。ははは、ごめん。ハハハハ」


ギラ兄さんは麻袋を頭に被せられた。

彼はそれでもくぐもった声で笑っていた、

ラスネールも緊張感が急に皮膚から剥がされたみたいに、安堵で笑っている。

ギラ兄さんは酒瓶を持ったまま、2人の男に脇の下に腕を通されてズルズルと店から引き摺り出されていった。

夏の入口みたいな笑い声は、青春の匂いがした。


「、」


手錠を掛けられた。

車に投げ入れられたギラ兄さんは履いてきたサンダルが脱げて、仰向けにシートの上に転がった。

ドアはすぐさま閉められる。


「はは…」


彼は仰向けに転がったまま、長い足の置き場がなく。

車の窓を片足の足の裏で踏むようにして目を閉じた。

麻袋の中で彼はまだ低い音で笑っていた。

予想外と怒りと、不愉快で笑っているのだ。

何も面白くなかったが、あまりに予想外なことが起こると思わず笑ってしまう心理である。


「──ガチでウゼ〜…」


が。

打って変わってつまなさそうに呟き、キュルル、と足を窓から滑らすように下ろした。窓には足の指の形が曇って付いていて、すぐに消える。


…このように暴力がベースの異世界にとことんダメなやつを散らばせば当然悪いことにも巻き込まれる。

ダイダラは何度も彼に電話をかけたが、電話は繋がらなかった。

糸クズ達は集まることさえできないのである。




◼️



昼。

意地悪な雛人形の殿(でん)はあまりに長閑であった。

静かであり、中は暗く、外は雨が降っている。

雫が木々の葉を打つ音ばかりが聞こえ、遠くからは情情(じょうじょう)と琵琶の音が聞こえた。


蝋燭のわずかな灯りと、床緑に薄く照らされたコモンくんは円窓の前に座っている。

三つ編みの髪は解いて、長い金色のうねった髪がヒラヒラ揺れていた。

白い寝間着を着せられた彼はブスッとした顔で窓の外で雨に打たれる梅の木を眺めていた。


「…気褄(きづま)が治らぬようじゃ。如何様にすれば可いのか。おのこは何を好む?」

「美しい大矢数(おおやかず)さまのお側に有るのです、あの者の気褄も直に治りましょう」

「そうであろうか。…そういうものであるのか」


意地悪な雛人形はソワソワとしてコモンくんの背中を見ていた。

今夜は彼女の元でコモンくんの面倒を見ることとなり、コモンくんは雛人形の住む花の殿に引き取られたのである。

雛人形の名は大矢数(おおやかず)の姫というらしい。

コモンくんは狐の怖い顔をした女達に、「大矢数の姫さまの御慈悲に感謝せよ」と言われてここに来た。

保護された、という感じだが、ほとんど閉じ込められているようなものだ。コモンくんは明日には出て行きたいとは思っているし、沙羅姫(さらひめ)さまにもそのように言ったが。

「暫くここに居るように」と彼女は譲らなかったのである。


当然彼の機嫌はもちろん治らなかった。

こうしてずっと拗ねていて、近付いてもフイと顔を逸らしたり顔をクシャクシャにするばかりだ。

それも正しく姫のような態度であったが…。

雛人形、大矢数の姫さま(おおやかずのひいさま)はそれにたいそう気を揉んでいた。


「…蛇よ、そなたの名を聞いておらぬ。なにと申すのかえ」


大矢数の姫さまはさくらんぼの唇を青色の扇子で隠したまま、彼へ訪ねてみた。


「………」


するとコモンくんはやっと彼女を振り返った。

意識して見直せば、やはりビクッとくるほど美美しい(びびしい)男である。

勝気な容貌は沙羅姫さまのお好みではない。

しかし、大矢数の姫さまの好みではあった。…


「やだ。何言っても怒るだろ」


コモンくんはそっけなくそう言って、ツイッと顔を逸らしてしまった。

大矢数の姫さまはもっとオロオロして、「そのようなことはない」と懸命に伝えてみるけれど取り付く島もないのである。


「怒るなら噛むぜ」


コモンくんはそうして彼女にも、そしてまた沙羅姫さまにも素っ気ない態度を取り続けた。

何を聞かれても言われても「ヤダ」と答えて顔を背けて見せる。しかし側を離れることはなく、目の前で拗ね続けて見せるのであった。

触れる距離には居るけれど、触れてはいけない。

それを彼は徹底し続けたのだった。


…しかし変化を付けないわけではない。

彼は誰に対してもそういう風な態度を取っていたが、大矢数の姫さまの側に居る時はどの姫さまの時よりも近寄って座るのだ。

むすっとしているが、彼女の側には近付いておく。

すると大矢数の姫さまの機嫌を取るために、そして大矢数の姫さまが他の姫よりも優遇されていると思い込みたいために、彼女の世話をする女房は必死に言うのだ。


「ご覧なさいませ姫さま。蛇の君は姫さまのお側にある時だけはこのように近付いて…。きっと姫さまに気を許しているのでしょう」

「他の姫にこのような姿を見せることはないのですよ」

と、さわさわ彼女に耳打ちするのだった。


意地悪な大矢数の姫さまは、これに対し随分気を良くしていた。未だに冷たいコモンくんにオロオロするけれど、しかし自分に一番懐いているのだと知れて満足な様子である。

それからコモンくんは、大矢数の姫さまがこちらを見ていない時にだけ大矢数の姫さまをジッと見つめるようになった。彼女がこちらを向けばすぐに目を逸らすけれど。

それを続けていれば、当然女房達がまたしても「姫さま、あの者は姫さまを気にして盗み見しているのですよ」「このようなことは沙羅姫さまにもしていませぬ」と伝えてくれるので。

大矢数の姫さまは特別に浴すことができた。

かわゆく弱いヘビに気にされることが、特別になりゆくのであった。


「………」


コモンくんはニョロ、と舌を出した。

それはいつもの癖で、蛇のサガである。

当然コモンくんはそのまま大矢数の姫さまに取り入るのだと思われたが、違う。

彼が本当に取り入りたかったのは大矢数の姫さまではない。


狙いは沙羅姫さまの筆頭女房である。

つまり女狐達のトップの側近。

ここでは2番目に立場のある女である。

コモンくんの狙いは彼女だけであった。


沙羅姫さまの筆頭女房の名は青水無月(あをみなつき)という。

青水無月殿は白髪の混じる老婆であり、白い狐の耳は垂れ、かつては美しかったであろう黒髪も艶を失って久しい。

釣り上がった厳しそうな目と、ニコリともしない引結ばれた口元。気難しい古時計のような老女である。

いつも背筋がシャンと伸びていて、他人にも自分にも非常に厳しい彼女へ、コモンくんは。


「青水無月の姫さま!」


と。

彼女が居る時ばかり、彼女にだけ笑顔を向けてヒヨコのように後ろをついて回るのだった。

大矢数の姫さまにも、沙羅姫さまにも決して見せることのない笑顔を見せ、嬉しそうにそばへ寄る。

どんなにそっけなくされても甲斐甲斐しく健気に「青水無月の姫さま」「あをみなつきのひいさま」とピヨピヨついて行くのだ。

青水無月殿は彼を誰よりも毛嫌いし、沙羅姫さまにはずっと「何故あのような得体の知れぬ者をお側に置くのです」と猛反対をし続けていた。

それだというのに、どうしてか懐かれてしまった。

彼女はコレが不思議だったし、理由もさっぱり分からない。

しかしコモンくんは青水無月殿にベッタリだった。

…故に。


「…蛇よ」

「はい!はい、青水無月の姫さま」

「なにゆえそなたはそうも私(わたくし)に拘うのかえ。鬱陶しくてかなわぬ、姫さまとは口も効かぬというに」

「青水無月の姫さまが好きだからです」

「なにゆえに」

「?あの時助けてくれたから…。オレが大矢数の姫さまに舌を裂かれそうになった時に、青水無月の姫さまだけが助けてくれました」

「………」


聞いてみて、驚いた。

そうだ、そういうことがあった。

舌を裂かれようと言う寸前で、沙羅姫さまが何か反応したので。青水無月殿だけが「やめよ」と金狐を退けたのだ。

しかしそれはただ、可哀想になって助けたのではなく。自分の主人の意を汲んだのみである。

よってこの蛇のためではない。

しかし彼は勘違いして、懐いてしまったようだ。


「左様(そう)か。…蛇よ」

「はい。青水無月の姫さま」

「私は姫ではない。青水無月と呼ぶように」

「…青水無月さま?」

「そうじゃ。そのように」

「はい。はい青水無月さま。教えてくれてありがとうございます」

「…もう壱つ。沙羅姫さまにもそのように接されよ。姫さまはそなたがいつまでも臍を曲げていると言ってご傷心のご様子じゃ。そなたは姫さまの御慈悲により生かされている身、よくよく心得よ」

「…でも、オレを助けてくれたのは青水無月さまだけです」

「自惚れるな。わたくしは沙羅姫さまのお心を察して動いたばかりじゃ」

「それでも青水無月さまだけです。沙羅姫さまは止めなかったじゃないですか」


コモンくんは青水無月殿の小指をゆるく握った。

彼の身長は彼女よりも高い。美美しい男から与えられる飾らない裸のロマンスは身に毒である。

特に、乙女の頃から誰にも恋をされたことがない老婆には。


「、…」

「オレ、青水無月さまばっかり好きです。尽くします。全部青水無月さまがいいです」


コモンくんはバカっぽく笑った。

ここには男の着物が無く、取り敢えずということで彼は白い寝間着を着せられている。三つ編みを解いた彼は金の髪をヒラヒラさせていて、それは病人のようで不健康な艶やかさがあった。


「…無礼な」


青水無月殿はしかし、これに心はまだ動かされなかった。

確かに美しいとは思うが、それだけである。

彼女の心の中心にあるのは主人の沙羅姫さまのみ。よって、沙羅姫さまに懐かないこの蛇が嫌いなのだ。


「…ならば沙羅姫さまを私と思い仕えよ」


そう言って彼女は仕事に戻っていってしまう。


「あ、」


コモンくんはシュンとして彼女の背中を見つめた。

そうしていつまでも切なく見つめていた。

青水無月殿はそれに気がついていたが、振り返ることはしなかった。間抜けな蛇が鬱陶しかったからだ。


…が、コモンくんはこれしきで彼女が靡かないのを知っていた。

別にコレで良かった。

勝算があったし、特に焦りもしない。

どうせここに閉じ込められるならば住みやすい/出て行きやすい環境にしたいので、こうして先を見通して布石を打っているだけだ。

というわけで。

厳格な青水無月殿を襲ったのは、コモンくんへの恋心ではなく、姫や他の女房達からの嫉妬であった。

どうしてあのかわゆい蛇は青水無月さまにばかり、と乙女達は彼女を敵視したり、さりげなく理由を問うてきたり、寧ろ「さすが青水無月の御方、こんなに疾くあの蛇を手なづけるとは」と褒めたりもした。

──よって。彼女を襲ったのは彼を愛しく思う気持ちではなく、優越感であったのだ。


美しい大矢数の姫さまにも靡かず、我らが沙羅姫にも保身のためにすら尻尾を振って見せない。

他の絢爛な姫達にも同様、彼は顔をシワシワにしてフイと袖にして見せるというのに、青水無月殿だけには雛鳥のようである。

青水無月殿は沙羅姫さまには申し訳なく思うけれど、それ以外の姫達にはそう思えなかった。


むしろ心地よかった。

彼女は常に厳格で頑なである。それが故に鬱陶しがられることも少なくなく、彼女の生真面目さをバカにする女狐ばかりであった。

がしかし、蛇を手に入れたことで彼女は良くも悪くも姫達の関心の的となり、最近ではチヤホヤと彼女を誉めそやす空気ができあがり始めたのである。

あからさまではいけないから、沙羅姫さまの美貌や賢さを誉め、それから、「そんな沙羅姫さまのお側にこうして居られるのは、全て青水無月殿のお陰ですわね」「ええ本当に。青水無月殿がいらっしゃるから、わたくし達こうして和やかに暮らしていられるのですわ。わたくし自分の女房にはいつも、青水無月殿を見習うように言い付けておりますのよ」と。ついでを装って青水無月殿を誉めそやすのであった。

青水無月殿の立場は変わった。

皆に怖がられ、鬱陶しがられていたのが嘘のようだった。

これは全てコモンくんの考えた通りである。


例えば大矢数の姫さまに取り入っても、大矢数の姫さまは意地悪で見栄っ張りなのだ。だから自分を手に入れてもその気性が増長するばかりで、敵を作るだろう。

寧ろコモンくんは立場が弱くなってしまう。


沙羅姫さまに取り入っても、沙羅姫さまはここの長が故に嫉妬されることもないだろう。

彼女は何かを手に入れることに慣れている。

皆も彼女だけが特別であることに慣れている。

沙羅姫さまなら当然だ、と。


それにそれこそ青水無月殿が猛反対をするだろうし、コモンくんの立場も弱くなってしまう。

もちもちのお蝶さんにこそ最も尻尾を振りたいところだが、これも無理だ。彼女は立場も弱いし気も弱い。

きっと他の姫さま達に嫉妬で意地悪をされてしまうし、さらに立場を弱くしてしまう。コモンくんもただでは済まないだろう。


ならばここで2番目に偉い堅物に取り入るのが賢い選択だと思った。

青水無月殿は嫉妬されても虐められるようなお立場ではないし、青水無月殿に寵愛されるならばコモンくんの立場も保証される。

沙羅姫さまから一番信用されており、沙羅姫さまが小さな頃から仕えている老婆なのだ。寧ろここで一番偉いのは彼女と言っても過言ではないだろう。

影響力があり、恋や羨望に慣れておらず、野心もなく、忠誠心だけで生きてきた老婆。

コレは素晴らしい女だった。だからコモンくんは彼女にだけ愛想を振り撒き続けたのである。


「青水無月さま。お側に寄っても良いですか」

「…既に寄っておるではないか」


老婆は頑なであった。

しかし最初の頃とは明らかに違っている。

コモンくんは常に誰かの目があるところで彼女に懐き続けていた。そうして彼女の優越感を育て続けたのである。

健気に通い、青水無月殿に気に入って貰えるようなことばかりをして、そのたびに失敗して落ち込んでみせた。

氷も撫で続ければいずれ解ける。

よって青水無月殿は彼に絆されつつあり、こうして側に寄ってニコニコしていても、話しかけても邪険にされることは無くなったのであった。


「青水無月さま、オレとお揃いにしましょう。お髪に触ってもいいですか」

「……このような大年増を捕まえて何を企んでいるのやら」

「失礼します」

「可いと云っておらぬ」

「三つ編み…」


コモンくんは勝手に彼女の髪をすいて三つ編みにして、「ほどいちゃヤダぜ」とニコニコにょろにょろ懐いた。

青水無月殿は文句を言いつつも解かなかった。コモンくんは彼女の膝の近く…彼女の衣の裾に頭を乗せて、少し微笑みながら横になって目を閉じる。

そのまま暫く寝たふりをした。

青水無月殿はため息をついて書き物をし、彼が起きるまで起こさない。

彼に優しくすることで満足感を得ているのだ。


「………」


コモンくんは寝たふりをしながら、彼女がいつまで経っても起こさないのを確認して。


頃合いかと思った。


もう充分だと察したのだ。



「お、」


あとは。

意地悪な雛人形、さくらんぼの唇を持つ大矢数の姫さまの元にお呼ばれしたので、いつものように適当に背中を向けておく。

警戒心はいつも通り、素っ気ないのもいつも通り。

しかし。

コモンくんは彼女がお菓子を食べようと…匙で生菓子を切り分けて口に運ぼうとした時。


「ん」


隣からいきなり彼女の肩に手を置いて、その匙が彼女の口に入る前に横からガブ。と勝手に食べた。

コモンくんの長い髪の毛先が、大矢数の姫さまの膝を着物越しにスルリと撫でる。

彼はそのまま彼女の肩の近くで咀嚼した。大矢数の姫さまから見れば、彼のつむじが自分の胸の辺りに見えるのだ。


「、…」


コモンくんは食べ終わってから、フと顔をあげ、彼女の首筋に鼻を近づけて匂いを嗅いでから。


「いいにおいする」


と。

独り言みたいに言って、飽きたようにニョロニョロ離れて縁側へ歩いて行き、背を向けてまた風に吹かれるのであった。


「…お、おおお…」


大矢数の姫さまは真っ赤になって震えた。

今まで何をしても靡かず、触ろうとすれば逃げていた蛇が。突然自分の手から菓子を食べたのだ。

彼女は嬉しさと驚きに打たれて震え、真っ赤っかな顔を女房に向けた。


「み!見たか。見たか、おノブ。蛇が私の手から菓子を食べたぞ。見ていたか」

「はい姫さま、見ておりました」

「それに。私の香が気に入ったようじゃ。見たか、」

「はい姫さま。ふふ」

「へ。蛇よ。蛇、気に入ったのか。可いぞ、もっとやろう。近うよれ。近う…」


大矢数の姫さまはふうふう言いながら、真っ赤っかになって本当に嬉しそうに言った。

コモンくんはチロ、と彼女を見て…しかし動かない。


「おいで、叱らぬから。気に入ったのであろ。こちらに…。これおノブ、もっと持って参れ。蛇が気に入ったようじゃ」


彼女は大興奮であった。

女房達も慌てて姫さまのためにコモンくんの気に入った菓子や気に入りそうな香を山と持ってきて、大矢数の姫さまのお味方をして「こちらへ」と呼ぶのである。

コモンくんはしかしそれをジッと見るばかりで靡かない。

が、暫くして。


「おおおお…」


大矢数の姫さまが食べようとしたものだけ横から攫っていった。コモンくんのために用意したものには手を付けないのに、彼女が食べるものには手を付けるのだ。

彼女はキュンとして、「そ。そうじゃな。子犬も人の食事を欲しがる…」と…驚かせないようにソッとコモンくんを撫でながら言った。

コモンくんは無表情だった。

黙って彼女の菓子を横からチョイとひとかけ奪うだけである。


「…大矢数の姫さま」

「!」


それから彼は。

初めて彼女に話しかけた。

金色の目を彼女の目に向けて、裾に触れて。


「これ頂戴。いい匂いするから」

「…あ。こ、これか?」

「ウン」

「よ。可いぞ。相分かった、無論じゃ。持って征くがよい」

「ウン」


彼女の着ている衣を強請った。

乙女なら誰でも憧れる、たったひと針だけで真珠が買えるような極上物(ごくじょうもの)である。その艶やかな着物を彼は強請って、簡単に受け取った。

彼はそれに袖を通し、フンフン匂いを嗅いでから。

満足したようで、縁側にて…ころり、と横になるのだった。


「───かわゆい…!!」


乙女達はズキュンと胸を打たれ、その奔放な彼の甘えぶりに心が悶えた。

芯がツンとして、胸が痛くなる。

やっとだ。やっと口をきいてくれた。

その上こちらの手から直接菓子を食べ、撫でても抵抗しない。衣に包まって昼寝をしている。

なんと生意気でかわゆいことかよと大矢数の姫さまは痺れるようになって、口元を扇子で隠し、「クゥ」と目を閉じた。


それからコモンくんは沙羅姫さまにも同じような態度を取るようになり、他の姫さまにもそれとなく懐くようになった。

かと言ってあからさまに態度を変えることもない。

彼女達の努力が実ったみたいに、少しずつ懐くようになったのである。

姫さま達はコモンくんに夢中になり、生まれたての犬の赤ちゃんみたいに彼を可愛がって、何をすればもっと懐くのか、どうすれば側で眠るほどになるのかとアレコレ手を尽くし始めたのであった。

こうくると青水無月殿はまた元の位置に戻ってしまった。コモンくんが青水無月殿のそばにいる限りは青水無月殿が関心の中心であったが、コモンくんが懐き始めればコモンくんが中心になるのである。


手に入らないと思っていた姫のような男が…青水無月殿のそばにいることで立場を更に確立させた彼が懐くとあれば、姫さま達も夢中になるというもの。

薫物合わせで夢中になるように、彼女達はコモンくんを可愛がったのである。


「よしよし。お前はほんにかわゆいの」

「シャー」

「私には未だ懐かぬ…」


沙羅姫さまは彼の三つ編みを撫で、頬を撫で、威嚇音を出されながらもニコニコとして可愛がっていた。


「全く、何が気に食わぬというのか。そなたは私のおかげで此処にぬくぬくといられるのじゃぞ」

「やだ。叱るだろ」

「もう叱らぬわ。こうして無礼を許しておるではないか」


沙羅姫さまはもちもちと大きなおっぱいで彼の顔を無自覚に挟み、嬉しそうに撫でるのである。

コモンくんは顔を背けながら、後ろに手をつき。

ガッ、と彼女の手に噛みつきながら、ものを考えた。


「これ、噛むでない」

「…沙羅姫さま」

「!…なんじゃ。申せ」

「………」


…生き抜くため必死だったとはいえ。

自分はずっと仕事をしていない。スマホは充電が切れていて今パーティがどうなっているかも確認できない。

お蜜ともずっと会えていないのだ。


(…タダで帰れねえな)


故にコモンくんは思った。

自分のパーティのメンツは何かしらの収穫を持って必ず帰ってくる。ならば自分も、殺されかけたのを回避しているからと言っても手ぶらで帰るわけにはいかないのだ。

何か手土産がなければ戻れない。


「…沙羅姫さま。オレのこと殺す?」

「何を申すか。害さぬと云うておろうに」

「オレが弱いから?」

「…ふ。左様。そなたは抵抗の手段を持たぬ柔蛇じゃ」

「じゃ強くして」

「?……」

「オレ弱くて夜道も歩けないんだぜ。1人じゃスライムも倒せねえよ。だから沙羅姫さまのこと信用できない。なんかされたらオレひとたまりもないし」

「………」

「だからなんとかしてよ。オレが可愛いんでしょ。可愛がってよ」


毒蛇の美男はそう言って彼女の膝の上に跨って座り、ジーッと沙羅姫さまを見つめた。

沙羅姫さまは無表情だった。

なのでコモンくんは黙って、


「、」


バチ!と沙羅姫さまの右頬をいきなり平手でぶった。

沙羅姫さまはぶたれて顔を逸らしたが、すぐに彼へ顔を向けて見つめた。

髪にとまっていた赤い蝶は、みんな衝撃を恐れてヒラヒラと飛び立った。…


「…ふはっ、」


彼女は、しかし口を開けて笑う。

突発的な笑いだった。突拍子もなかったので、思わず笑ってしまったのだ。

今のビンタはきっと、「返事しろよ」という意味の仕草だろう。彼女にとってその平手打ちは、子猫の猫パンチと同じくらい弱々しくてかわゆいものだった。


「…へへ。ふふ」


コモンくんもその顔を見て笑った。

2人はあはあは笑って、沙羅姫さまは彼にキスをする。コモンくんはのけぞって喉仏を晒し、沙羅姫さまの口紅が付いた唇を広げてヘラヘラ笑うのである。


「…相分かった、かわゆい蛇の目。何かくれてやろ。しかし痛いぞ」

「ウン」

「よしよし。手を繋いでいてやろう。全く。莫迦のフリをしおって」


沙羅姫さまは彼に授け物をすると約束した。

コモンくんは彼女の力を一つでも与えられるならば上等だと思い、「約束ね」と念を押した。

そして。




「……、…は、」


彼はうつ伏せになって痛みに脂汗をかいていた。

寝そべった彼のそばには、坊主頭の狐が片袖を抜いて着物をはだけさせ、乳を丸出しにしていた。

ぎょろぎょろした目で針を筆を横に咥え、針を何度も彼の背中に刺しているのだ。

その坊主の女は彫り師であり、沙羅姫に支えている女狐である。


「耐えろ。痛かろうが」


沙羅姫さまは彼の頭を撫でた。

コモンくんは背中に何遍も針を刺されながら苦悶の表情を浮かべ、しかしジッと耐えている。何時間経ってもグッと目を閉じ、朝がくれば自然と涙が溢れた。


「…蛇には蛇じゃの。コココ」


目の下に黒いクマを作って、ガクンと気絶したコモンくんの背中には。

沙羅双樹の中で大口を開ける蛇が這っていた。

沙羅姫さまはその入れ墨にフッと息を吹きかける。すると蛇は皮膚の下でボコ、と蠢いて、コモンくんは気絶の中で「う」と苦しそうにうめいた。


「──これで小物は恐れて近寄ることもなかろうよ。私の憎い蛇」


沙羅姫さまは赤い蝶をヒラヒラ周囲に飛ばしながら綺麗に目を細めた。


「お前の仲間にもうつしてやろ。叶えてやろうな、かわいい無礼者」


コココ、と彼女は笑った。

コモンくんは目をバッテンにして気絶しながら、しかし無意識の中でも激痛に耐えていた。

彼の体の中に、大蛇が住んだのである。


これは沙羅姫さまからの、愛に満ちた拷問であった。






スキル《沙羅双樹》を獲得。

これにより種族:毒蛇から白蛇(はくじゃ)に位が上がり、サイコリストから除名。

プラチナリストに登録されました。






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