第16話 カッターキャー
「…え。何?」
スマホの機種変をして帰ってきたコモンくんは、冷蔵庫の隣に蹲るように座っていた占い師を見下ろした。
占い師はコモンくんを睨み付けたり、床を見たりして、フウフウ興奮気味に息を乱している。
彼は首輪をつけられ、冷蔵庫の取手にリードの先を括り付けられていた。
それは簡易的なもので、外そうと思えれば簡単に外せるし逃げようと思えば簡単に逃げられるような結び目だ。
コモンくんが家に帰ってきた時、「邪魔」と言って彼のリードを引っ張って冷蔵庫の取手に先端をくくり付けたのである。
…外道の所業であった。
これに転生者は流石に頭に来たのか、限界だと思ったのか。
「い。いつ、出られるんですか。オレ、ここから、」
と、物凄く棘があって反抗的な声を出したのである。
コモンくんは片眉を上げ、冷蔵庫から瓶ビールを取り出してから「え、別に。用済みになったら出れんじゃね。普通に」と簡単に言った。
そしてポケットから今取り出したみたいな簡易的な笑顔を見せ、「励めー」と言ってリビングに行こうとした。
すると。
「ふ。ふざけ、ふざけんなッ」
「───あ?」
占い師が我慢の限界に達して怒鳴った。
末尾の震える声だった。
コモンくんはポケットに片手を突っ込んだ体勢で振り返り、首を傾ける。
ニョロ、と蛇の舌が出た。
「……。何?」
「い。いい加減にしろ。お。おれのこと、何だと思ってんだよ」
「え、道具」
「ど……」
「もういい?オレ疲れてんだけど」
「……ひ。人のこと、そん。そんなふうに、よく言えるよな」
「そんな風に言われるお前が悪いんじゃない?えなに?めっちゃ絡んでくんじゃん今日。生理?」
コモンくんはクアッとあくびをして、目に涙を浮かべた。
彼は本当に占い師のことを人間扱いしていないのである。
彼にはヒューマニズムというものが全くと言っていいほどないのだ。
「…か。解放しろ。今すぐ」
「?出たいなら出てけば?」
「で。出てったら殴る、じゃん」
「そりゃ殴るぜ。でも嫌なら抵抗して出てけば?」
「…か。監禁だぞ。こんなの」
「……………。………なに。喋る?」
「は」
「オレと。一回ちゃんと喋る?」
コモンくんはゆっくりしゃがんで、彼とまともに目を合わせた。金色の縦の瞳孔、蛇の目は輝いていて怖かった。
占い師は床を見た。
そのまま固まって、しかし、カクカク頷く。
もうこの家から出たくて仕方がないのだ。
お蜜は優しくしてくれるけれど、「出たい」と言っても「コモンくんがダメって言うから」と取り合わない。
故にもう本人に直談判するしかなかった。
するとコモンくんは冷蔵庫のリードをはずし、それを引っ張って素っ気なく歩き始めた。
「、…」
首輪を引っ張られた占い師は他にしようもなく…死刑囚みたいに俯いて歩き、リビングを突っ切って庭の倉庫に入れられた。
コモンくんも中に入って倉庫のドアを閉め、庭の掃除用品を足で退かしながら壁に寄りかかった。
中は薄暗く、土の匂いがした。
「んで、なに?」
「…なにって…だ、だから。こんなの、監禁だし。虐待…だし。労働の報酬もないし、」
「だからなに?」
「なにって…」
「お前さ。自分の意思で異世界来たんだろ?」
「…は」
「嫌なら自分で何とかしろよ」
コモンくんはタバコに火を付けて目を細めた。
心から面倒臭いという顔だった。
「あのねなろうくん。ここには学校の先生も居ねぇし人事部もいないし親も居ないの。モンスターの相手で治安維持隊は出払ってるし、民事に首突っ込む暇ないの。自分で何とかするしかねぇの。監禁とか虐待とか殺人とか拉致とか労働が嫌なんだったらなんで異世界に来たの?お前。自分しか頼れない状況に身を置いたのお前じゃん」
「………」
「異世界ってモンスターいるんだぜ?そんな治安最悪の場所にママ無しできたのはお前の意思なわけ。治安が良いところでヌクヌク生きてたいんだったら日本か天国にいればよかったじゃん。オレなんか間違ったこと言ってる?」
「……す、あ、」
「本当のチートって何か教えてやろうか?治安の良い先進国で引きこもりやることだよ。働かずに自分の部屋でダラダラして母親に飯作ってもらってゲームして寝るだけの子供部屋おじさんをチートって言うの。だってそうだろ?全部親に用意してもらって自分はゲームするだけだぜ?それの何が不満だったんだよ。社会に出られない人間が異世界に出てビービー言ってんじゃねえよ。ガキじゃねえんだから…」
「…っせ。正当化、だろ。そんなの。お前らのしてること、正当化すんなよ」
「えごめん。じゃあ気を付けるわ。もういい?」
コモンくんは自分の爪を見ながらシラッと言った。
まるで反省は見えないし、そもそも彼はどんなに説き伏せられても拷問されても自分が悪いとは1ミリも思えない人間なのである。
お蜜に「これっ(こらっ)」と言われれば心から反省し教会に通って自分の罪と向き合い続けるし、友達に怒られたらかなり凹むけど。
彼ごときに何を言われようと変わらない。
コモンくんが糸クズたる所以である。
「オレお蜜ちゃんとクッキー作る約束してんだけど…」
「お蜜、のことだって」
「…は?お前何お蜜ちゃんのこと呼び捨てにしてんの?」
「…え。いや、だ。…だって、お蜜が、お蜜って呼んで、って…言うから」
「それで呼び捨てにしてんの?キモ…。距離感とかって概念ねぇの…?」
「お。お前なんて、お蜜のこと洗脳してんだろ!」
「え?洗脳?」
「そ。そうだろ。お蜜に良い顔して、裏でゲスいことやっ、やってんじゃん。そうやってお蜜に自分は悪くないって言い続けて洗脳して。お前の本性お蜜が知ったら絶対離れる、だろ」
「………は?」
「え、」
「……………」
「…な」
コモンくんは無表情になった。
先ほどまでも無表情だったが、今の顔は全てが剥がれ落ちた石の表情である。
ジ。と彼は占い師を見下ろした。
占い師はビク、として、黙る。
なんだよ。図星かよ。と言ってやりたかったけど。
もしかしたら地雷だったかもと思って何も言えなかった。
「…なろうくん」
「………」
「オレ、お蜜ちゃんのこと洗脳してないぜ」
「………して、」
「してない。洗脳とかマインドコントロールとか。してねぇの。やろうと思えばできるかもだけど」
「は?」
「…ガチでやるとしたら、そーだな。…まず、皆でお酒呑みに行くでしょ。そんでお蜜ちゃんのこと酔わせて潰して、お家に連れて帰って寝かすでしょ。その間にお蜜ちゃんのスマホ取って、…お蜜ちゃんの親しい友達?とか家族とかに、お蜜ちゃんに成りすましてクソみたいなメッセージ送るかな。吐き気するようなやつ。2度と信用できなくなるようなの片っ端から送りまくる。ンでスマホは壊してどっかに捨てるでしょ。そしたらお蜜ちゃん、知らないうちに一人ぼっちになるだろ?」
コモンくんはゆるゆるしゃがんで、ニコニコし始めた。
優しい顔をしていた。
暗い倉庫の中、ドアの隙間から差し込む直線的な光が彼の体を照らしている。
つまり不気味なのであった。
「そんでオレはその日からお蜜ちゃんに抗不安薬とか…精神に作用する系の薬。何でも良いんだけど、それ混ぜた飲み物かなんか飲ますかな。スマホ〝無くした〟お蜜ちゃんにスマホ買ってあげて励ましながらさ。そしたらお蜜ちゃん、だんだんボーッとした時間増えてくと思うんだよね。知らないうちに変になってくと思うんだよね。そしたらオレは心配して、お蜜ちゃんのこと病院に連れてく。医者は多分血液検査とかして、薬のせいだって言うと思うんだ。オレは待合室でお蜜ちゃんの心配する。「いつそんな薬飲んでたの?」って。でも知らないって言われると思うから、後は簡単だよ。「もしかしたら、オレらのパーティの誰かが知らないうちに飲ませてたのかも?」って…」
コモンくんの声は寝かしつけるようだった。
ある種甘い声で、お蜜との甘い結婚生活について話しているかのようだった。
「そうだな。オレが疑われたら困るから、オレも少しくらい飲んでおくかな。そんでオレも診断して貰って、2人で怖がる。誰かが絶対薬を盛ってるはず。でも誰かわかんない。疑いたくないし、怖いよな。オレはお蜜ちゃんに「この診断結果は誰にも言わないほうがいい」って言っとく。「犯人が聞いてるかも知れないし、下手に動かないほうがいい」って言っとくかな。そしたらお蜜ちゃんはオレにしか悩み事話せなくなるでしょ。疑心暗鬼になるし」
「………」
「オレはパーティのメンツに「最近お蜜ちゃんおかしくね?」ってそれとなく言っとく。「心配なんだよね。この前病院行ったら、なんかパニックになっちゃう?病気らしくて。仕事のストレスだと思う」って言っておく。ンであとはお蜜ちゃんのこと看病してー、優しくしてー、…でさ。お蜜ちゃんに「あんまり酷いんだったら休んだ方がいいから、一回実家帰りな」って言う。「実家の連絡先もその時に聞いてまた登録しなおしなよ」っつってさ。でお蜜ちゃん実家に帰らせるけど、門前払い食らうだろ?クソみてぇなメッセージ送られてるわけだからさ。親はもう2度とお蜜ちゃんの顔なんて見たくないわけ…」
お密はそうすれば路頭に迷う。
実家にも帰れず、友達も頼れない。
ならばすごすごと自分の家に帰ってくるしかない。
コモンくんはその間に家を借りておいて、帰ってきたお蜜を心配しつつ、「行く場所がないならここに居よう。あいつらも居ないし、薬盛られないか心配する必要もないじゃん」と言ってその家に隔離するのだ。
コモンくんは彼女に付き添い、看病をしたりそばに居たりして、とにかく優しく優しく背中を摩り続ける。
彼女が泣いても暴れても決して怒らず、父のように神のように彼女に愛を注ぎ続けるのだ。
そして時折パーティの糸クズ達に会い、お蜜から暴力を振るわれているとそれとなく伝える。
病気になってしまった彼女が錯乱して、自分に八つ当たりをしてくるのだと。怪我の痕も作って、しかし多くは語らない。
精神的にかなり参っている様子は見せておくが。
「そしたらパーティの奴らはさ、お蜜ちゃんがマジでヤバくなっちゃったんだって思うじゃん?」
心配したパーティの男達は時折様子を見に来るだろう。
しかしコモンくんは家には上げず、「今は落ち着いてるから大丈夫」と言い続ける。
家はそれとなく汚しておき、崩壊した家庭らしさを装っておく。
そしてパーティの人間達に、お蜜の携帯から勝手にまた最悪なメッセージを送っておけば、後は簡単だ。
「これでお蜜ちゃんはパーティからも信用無くすわけじゃん。出世コースからも外れるから仕事もできなくなるし、マァクビだろうね。お蜜ちゃんが頼れるのってオレしか居なくなるじゃん。そしたら後は仕上げにオレはお蜜ちゃんの前から、「もうお前といるの疲れた」って言う。そんで荷物まとめて出てくかな。二週間くらい」
お蜜は最後の砦であったコモンくんに捨てられたショックで眠れもしなくなるだろう。
もうそばには誰も居ないのに。
唯一優しくしてくれた彼に捨てられるのは一体どれほどの苦しみで、恐怖であろうか。
それを二週間与えたあとに、コモンくんは彼女の元に帰る。
「やっぱり見捨てらんないよ。オレやっぱ、お蜜ちゃんが好き。お蜜ちゃんしか居ない」
そう言って抱きしめる。
お蜜はコモンくんから2度と離れられなくなるだろう。
あとはそんなお蜜と少しの間蜜月の日々を過ごして…。
「ねぇお蜜ちゃん。この家、あいつらも来るかもしれないし。オレらの邪魔しに来るかもしれないから、ここ出ようよ。遠く行こうぜ。2人で暮らせる場所新しく探そう」
と言って、誰も知らない場所に移転する。
あとはお蜜と一緒にいつまでも幸せに暮らせば、ハッピーエンドだ。
孤独な彼女を独占できるし、何をしても彼女はコモンくんから離れないだろう。
コモンくんはそれを話し終わって、ニコニコしながら肩をすくめた。
「洗脳ってのはそうやってやるんだよ。後はたまに「お蜜ちゃんと付き合えるのはオレだけだよ」って言うだけ。「オレが居なくなったらお蜜ちゃんのこと愛してくれるやつなんて誰も居ないぜ」って言う。喧嘩のたびに毎回毎回吹き込めば、多分信じるでしょ。閉鎖空間なら尚更。あんま家から出さなきゃオレが〝全部〟になるから、オレのこと信用するしかないじゃん」
「…………」
「そうすりゃ簡単にオレはお蜜ちゃんのヒーローになれるし、神様になれるだろ」
「…………」
「でもやんない。可哀想だし、オレ普通にお蜜ちゃんと結婚したいもん。今の適当に今思い付いたから言っただけでそんな上手くいかないと思うし。チャッキーあたりが厄介だな、本気でやるならもっとガッツリ練らないと。いややんないぜ?お蜜ちゃんのこと世界一幸せな女の子にしたいもん」
「……お、まえ…」
「なに?」
「…じ。自分の言ってること、わかっ、…わかってんの?」
「分かってるよん」
「今の。今の、全部…」
「お蜜ちゃんに言う?」
「………」
コモンくんはしゃがんで膝に肘をついていたが。
フーンという顔をしてから。目を意味もなく逸らし、途端に何もかもつまらなくなったような顔をして。
「…なんか。もういいや。お前もう要らないかも。…うん、要らねーや。…めんどくせぇし……」
と、凄まじく幼い声を出した。
買い物に飽きて帰りたがるような、ボソボソした子供の声だった。
丸っこくてかわゆい声。
不気味で低い子供の声である。
彼は膝についていた金色の髪をチョイ、と摘んで捨てながら、「いらねーな」と独り言みたいにもう一度言うのだ。
占い師はビクッとして、しかしもう声も出なかった。
目の前の男が本当に怖かったのである。
コモン・デスアダーは〝本物〟なのである。…
「…なろうくん。最後に教えておいてやるけどさ」
「………」
「人ってさ。助けてくれた人じゃなくて、助けてあげた人のことを好きになるんだぜ。情が生まれやすいから。お手本見せてやろうか?…やめろ!!」
「っ!?ヒッ、」
コモンくんは喋っている途中。
突然脈絡なく「やめろ」と怒鳴った。
それは辺り一面響くような爆音であり、倉庫内が反響するほどだった。占い師は驚き過ぎて思わず目を閉じた。
それくらい唐突だったし、彼の声は天まで通る。
さすが、地下格闘技場仕込みの声は心臓まで響くのであった。
「、」
占い師が目を開けると。
コモンくんはそのまま自分の胸ぐらを掴んで、ガァン!と。自分で自分の頭…側頭部を、倉庫の壁に思い切りぶつけたのであった。
「ひっ、…」
ガァン!ガァン!と、血が出るまで何度も執拗に。
コモンくんは当然、かなりのダメージを負って…クラッと来たようで。足をよろめかせ。
そのまま、倉庫のドアを乱暴に開けて、倉庫の外に思いきり倒れた。
183センチの巨体が倒れれば、かなりの迫力である。
コモンくんは側頭部から血を流し、顔を赤くさせて苦悶の表情を浮かべていた。
「あ。な。…な、」
訳がわからなくて占い師は後ずさった。
怖くて怖くて仕方がなかった。
一体何が起こったのかも分からなかったし、彼が頭を打ちつけた壁は凹んでいた。
「コモンくん!」
すると。
悲鳴のような、細い女の声が聞こえた。
お蜜である。
リビングにいた彼女は騒ぎを聞きつけ、驚きに満ちた顔で駆け寄ってきたのだ。
コモンくんは地面の芝生に倒れて、薄くて震える息を吐いている。
「コモンくん、どうなすったの。コモンくん…」
お蜜は青ざめて彼のそばに座り、酷い怪我を負った彼を見て息を飲んだ。
金髪に血がまとわりついて、ベルサイユの美しい金のまつ毛が震えている。コモンくんは静かに息をしていたが、やがて。
ゲポッ、と嘔吐した。
「あ…」
頭を何度も打ち付けたり殴られたりすると反射的に嘔吐してしまうのだ。脳震盪である。
目の前がぐるぐる回り、勝手に吐瀉物が喉の奥から這いずって飛び出すのだ。
「………っ、」
コモンくんは酒の混じった嘔吐をして、グルッと白目を剥き。
そのまま失神した。
本気で頭を打ちつけたから、手が痙攣していた。
まさか「自分でやった」ようには少しも見えなかった…。
「え。え、」
占い師はそこで、お蜜がこちらを恐ろしい目で見上げていることに気がついた。
遅れて駆けつけてきたオドロアンも、「テメェ」と恐ろしい声で言った。
自分が疑われているのである。
当然だ。
ここには占い師とコモンくんしかいなくて…2人はコモンくんの「やめろ」という悲鳴を聞いている。
占い師がやったと思われて当然であった。
ここに彼の味方はいないのだ。
「ち。違う。オレじゃ…」
オレじゃない。コイツが勝手やったんだ。
占い師は必死に首を振って訴えた。
「…コモンくんがご自分で頭を打ったとでも?」
お蜜の赤い唇に、彼女自身の黒い髪が一本くっ付いていた。
大きな目がコチラをギョロッと睨みつけている。
いつもの柔らかい彼女の声は老婆のようにしわがれていて、鬼ババみたいに濁っていた。彼女は見たこともないほど怒り狂っていた。
オドロアンはコモンくんの容態を確認し、チャッキーに電話をしながらどこかに走って行った。今すぐ彼をなんとかしなければと焦っているのだ。
「テメェ。あとで殺すからな」
オドロアンは去り際に、物凄く低い声で占い師に言った。
その言葉が最後だった。
◾️
「………ゔ」
「!コモンくん」
数時間経って。
頭に包帯を巻かれたコモンくんは白いベッドで目を覚ました。
隣にはお蜜がいて、部屋は水蜜桃の香りがした。
「……?」
「コモンくん、起きないでね。治癒は打ったけど、まだ危ないのよ。酷いお怪我だったから…」
「…お蜜ちゃん」
「うん。…頭、痛む?」
「…ここどこ?」
「私のお部屋です」
お蜜はソッと彼の頭に触れた。
コモンくんはゆるいマバタキを繰り返し、現状をあまり理解していないようである。
尖った鼻先は赤く、勝気なまなじりも微妙に赤らんでいる。
そのせいで彼の顔は僅かに幼く見え、少女のような印象を見せた。けれど少し顔の角度が変われば全くの美男子に戻る。
彼は顔の角度や光の角度によって、時折驚くほど女顔に見えるのだ。しかし骨はしっかりとした男のものなので、中性的だという印象はない。
このアンバランスさが美男に拍車をかけているのだ。
「…おみつちゃんのお部屋?」
薄い唇は内側が口紅を付けているみたいに赤い。
散らばった金色の髪はシーツの上で乱れ、汗で頬にところどころ張り付いていた。
病的な彼は乙女をときめかせる美しさを宿していたのである。
「…コモンくん、覚えてる?何があったか…」
「あんまり…。いって…。え、クソ頭いてぇ…」
「頭ね、ゴッチンして気絶したのよ。動かないでね」
「オレゴッチンしたの?」
「したっていうか、されたの」
「……。え、まさかオレあいつに負けたの?」
「負けたんじゃないわ。酷いことさりたのよ」
「…や、待って。オレ負けてないぜ。嘘。頭はオレこれ自分でやった。ケンカはオレが勝った」
「そんな訳ないでしょ。見栄張らないの」
「や、マジ。マジでこれ自分でやったんだって。あいつもそう言ってただろ?」
「良いから寝ててくださいまし。男の子ってどうしてそうなの」
「お蜜ちゃん信じて。ケンカはオレが勝ったから。ガチで」
「わかりましたから。安静にして」
「う…」
お蜜はちょっと呆れつつも、コモンくんの胸板を押して布団に戻した。
コモンくんは眉を下げて、「ほんとだぜ」と悲しげに言う。明らかに嘘なのだろうが、お蜜は適当に「そうね。自分でやったのね」と信じるふりをしてやった。
そしてため息を付き、「今日はじっとしてるのよ。看病するから、なんでも言ってね」と優しく言ってあげる。
「…ほんとなのに」
コモンくんはニョロ、と舌を出してしとしとと言った。
「本当にオレが全部やった」
と。
お蜜はコモンくんの手を握り、「そうね」と優しく言ってやる。拗ねて言う彼がかわゆかったのだ。
男にとって喧嘩の勝敗はとても大事なことなのだろう。
ドロシュの時も彼は自分が勝ったと強がって譲らなかった。
カッコつけていたいのだ。
大怪我をさせられたことが恥ずかしいのだろう。
勝ったか負けたかなんて女にとってはどうでも良いのに。
そんなことでいちいち格好悪いだなんて思わないというのに。
けれど下手な嘘をつく彼にキュンとするのもまた事実で、「コモンくんがやったのね」と肯定してやる。
「コモンくんが自分で頭打ったのね」
「…ウン。オレが自分でやった」
「痛かったでしょう」
「別に?全然痛くない」
「ふふ。…かわいい人」
お蜜はゆるゆる目尻を落として、コモンくんの手を自分の頬に当てた。
「安心して、コモンくん。〝あの男〟はもう追放したから」
「…え」
「もう要らないでしょう。遠くに行かせたわ」
「遠くって?」
「開拓地へ」
お蜜は彼へ優しく微笑み、セクシーな声で甘えるようにそう言った。肌を撫でるような桃色の声だった。
するとコモンくんは眉を寄せて彼女を見てから、酷く弱々しく目を伏せ。乙女のように目を華奢に逸らしてから、彼女に寄りかかって。
「ごめんね。またお蜜ちゃんに助けられちゃった。オレカッコ悪い」
とても哀しそうに言った。
お蜜はしかし彼の力になれたのが嬉しかったし、彼の役に立てた実感があったから首を振る。
良いのよと。
あなたの為だもの…と言いたかったけれど、恥ずかしかったから「女神ですもの」と代わりに言った。
「転生者を守るのが私のお仕事よ」
彼の頭を撫でた。
コモンくんはそのまま少しだけホッとしたような顔をして目を閉じる。
占い師が開拓地へ行ったと聞いて安心したのだろう。
詰めが甘い。そんな顔をすれば、やはりあの男に怪我をさせられたと言っているようなものなのに。…
男の子って、嘘が下手ね。
お蜜はニコニコして、そのまま彼が眠るまでそばに座って子守唄を歌ってあげた。
サイコリスト、コモン・デスアダーは幸せそうな顔をして、やがてあどけない顔をして眠るのである。
お蜜はそのかわゆい寝乱れ姿に、もう一度恋をし直すのであった。
さて、赤い首輪は持ち主を無くしてしまった。
大型犬用のそれは行き場すら無くし、結局。
冷蔵庫の取手にぶら下がっていた。
ダイダラが冷蔵庫を開けて酒を取り、ドアをバタンと閉める。
首輪はそれにより、少し揺れただけだった。
悪は善を知っているが、善は悪を知らない。
─────フランツ・カフカ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます