第14話 マッチポンプ



「んむ」


目が覚めると、開拓局局長、エニグマさんの膝の上であった。


オドロアンは彼女の平べったい腹に顔を埋めるようにして眠っており、今しがたやっと起きたのだ。

彼はぼんやり目を開けてから、目をつむり。

スーッと鼻から息を吸って「やべ、寝てたんか…」と彼女の腰に抱きついた。


「お目覚めですか。オドロアン様」

「マジでごめん、寝ちゃってた…。え、結構寝てた?」

「49分23秒お眠りでした」

「うわ、マジかっ」

「仕事が捗りました。問題ございません」


一瞬で目が覚めた。

エニグマさんは特に気にせず、彼の体に肘をついたり撫でたりしながらタブレットで仕事をしていたようだ。

オドロアンのお腹や肩、頭には無数の彼女の手が乗っていて、側頭部には胸が乗っかっていた。

彼はその間からスルスル抜け出して、抱きついて彼女の首に顔を埋める。

そして「んん"、」と眠そうな声を出した。


「ごめん、足痺れてない?」

「特には」

「起こして良かったのに。マジでごめん」

「よくお眠りのご様子でしたので」

「オレは一緒に居られる時間減ったから悲しい。もう絶対寝ん」

「お疲れだったのではないですか。最近はお忙しいようですから」


今日のエニグマさんは赤いパンツスタイルだった。

赤いキャミソールを着ていて、赤いガラスの靴を履いている。

レッドの尖ったまつ毛はタブレットに向けられていて、両手は忙しなく画面をいじっていた。

空いた手でオドロアンの頭を撫でたり、背中に手を置いたり、右手を握ってくれている。

オドロアンはそのたくさんある内の手の一つにチュッとキスをして、「んー、そうなんよ」と低いゴロゴロした甘え声を出した。


「新しいこと始めたからちょっと大変なんよね」

「何かご協力いたしましょうか」

「ううん。自分でなんとか…」

「手は空いています。仰ってくだされば処理いたしましましょう」

「マジか。じゃあ今度頼るかもしれん。忙しいのにありがと」


オドロアンは顔を覗き込んで、唇にキスをした。エニグマさんはキスをされた瞬間グシャ!と顔に皺を寄せてから、元の顔に戻って仕事を進める。

彼女はいつもいきなりキスをされると顔をシワクチャにするのだ。これは単にビックリしているだけで、嫌なわけではない。

それよりもオドロアンに頼ってもらえなかったことに物足りなさを感じた。

確かに忙しいが、オドロアンの頼みであれば訳もない。

何だってするつもりだったのだが、残念だ。

彼はあまり頼ってくれないのである。


エニグマさんは深くソファに座り直し、首を傾けてオドロアンの肩にもち、とほっぺたを乗せた。

そして「なにでも致します。私は貴方が好きなので」とタブレットをまっすぐ見つめながらいつも通り機械みたいに平坦な声で言った。


「!?かわいッ…」

「はい。自覚はありませんが、私は可愛いのでしょうね」

「えかわい〜ッッ」

「可愛がって頂いても特に構いません」

「言い続けて良かった〜ッ!」

「オドロアン様。業務内容をお教えください」

「、んえぇ…可愛いで釣りよる…。言わなきゃダメ?」

「はい。強制です」

「んー…斡旋の仕事?みたいな感じなんよな」

「斡旋でございますか」

「ウン💦」


オドロアンは長い髪の毛を縛って、「これ」と言って自分の携帯画面を見せる。

エニグマさんは髪を耳にかけながら覗き込んだ。オドロアンは手が暇なので、片手でエニグマさんの頬をむに、と親指と4本指で挟む。

彼女は特にこれに構わず、唇を少しツンと突き出させたまま画面を見つめた。


「………これは?」


エニグマさんが見たのは、様々な、所謂「なろう系」のタイトルの羅列であった。


以下原文


・【え?精霊って誰にでも見えるものじゃないんですか?《精霊使い》をありきたりなスキルだと思ってたら、無双スキルだったらしい。〜エルフ族の王になってしまったが、もうこれ以上嫁はいらないんだが〜】

難易度:★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

→コモン・デスアダー派遣済み


・【おっさん勇者、治安維持のために近所のダンジョンを攻略してたらそこは世界最高ランクのダンジョンだった。〜オレが王都の姫様の旦那候補?いやいや、オレはおじさんなんでなぁ〜】

難易度:★★★★⭐︎

→チャッキー・ブギーマン派遣済み


・【婚約破棄をされましたが、処刑エンド回避に忙しくてそれどころじゃありません!】

難易度:★★★⭐︎⭐︎

→シャオ・カルト 派遣済み


・【レアアイテムがよく取れる穴場スポットを紹介してたら、たまたま美少女吸血鬼を救って懐かれてしまった。〜「んふふ。あるじよ、ワシと世界を滅ぼすのじゃ!」〜】

難易度:★★★⭐︎⭐︎

→マシンガン・ロイヒリン派遣検討中



「………」


頬を挟まれたまま、画面を見て。

フムと思って彼へ目を向けた。


「オろろアン様。こりぇはなにでひょう(これはなんでしょう」

「んー、なんか。オレら今他の世界の勇者狩りしてんだけど。でもどんな勇者かわかんないじゃん。だからオレらのパシリの占い師に調べさせたらその世界のタイトル占ってくれたんよ✌️」

「あいおうえふか(タイトルですか」

「?なんて?」

「えをおはなしくああい(手をお離しください」

「抵抗しないのかわいッ」


手を離す。

するとエニグマさんはフウと一息付いてから、「タイトルを占うのですか」と聞いた。

そうなのである。

撃破すべき勇者はお蜜が見つけ、パシリの占い師がその勇者を占うのだ。すると勇者のタイトルが現れるため、どんな性格なのか、どのような能力を持っているのかそれだけで大体分かる。

あらすじなんかも見れるため、対策はバッチリ打てるということ。


「うん。オレ今キビダンゴ(危険薬物)の制作とコレをずっとギラ兄さんとやってるんよ笑。タイトルから当たり付けて現状把握して難易度決めて誰斡旋するか考えてーみたいな。ギラ兄さんこういうのめっちゃ得意だからほぼ手伝いだけど…言うて寝る暇なくて草」

「オドロアン様」

「ん?」

「新しい開拓地ができました。勇者適性のない地球人が大量に必要です」

「え」

「開拓局より勇者不適合者通知を大量に発行することも可能です。必要であれば、担当女神に通知を送ることもできますが、いかが致しましょう」

「………」

「どうされましたか」

「…エニグマさん」

「はい」

「オレ、エニグマさんに自分の仕事協力させたくて接近した訳じゃないかんね」


オドロアンはエニグマさんを見下ろして、突然声のトーンを下げて真剣な顔で言った。エニグマさんは彼を見上げ、「?はい。存じております」と返す。


「私が利用されていないことは知っています。オドロアン様のことは部下に調べさせましたので」

「良かった…クソビビったのだが…💦」

「如何いたしますか?」

「………。…勇者不適合者通知書?ってやつ…それって発行されたら開拓局送り?みたいな扱いになるん?」

「いえ、一度監査局へお越し頂き、厳正な審査が行われます。審査の結果、勇者適性がなければ開拓地送りです。転生法違反者、もしくは神法違反者は問答無用で開拓地送りですが」

「審査の時に勇者適性があるってなったら無罪放免?」

「はい。ですが、イエローカードです。次に何か問題があれば監査局を挟まずに開拓地行きとなりますし、監視が付けられます。以前のような生活はしばらくの間出来ませんので、足止めにはなるかと」

「…。……監査局味方につけた方がいいんかな」

「そちらの方がよろしいかと。ですが、監査局長は硬いですよ。とても。それに私はお手伝いができません」

「んー……。監査局長って誰なん?」

「LL(えるえる)様、男性です」

「……男か。あとで調べてみる。ありがと」

「私に分かることであれば、いつでもお聞きください」


オドロアンはエニグマさんの肩に顎を乗せ、ジ…と深く様々を考え始めた。

彼女は柚子茶を飲み、まったりしている。

仕事は中断したようであった。


「ねぇ、そのLL?って人はさ。女で傾きそう?金で釣れそう?」

「想像が付きません。前回はお金で黙りましたが」

「そっかぁ」

「……………。………申し訳ございません。……お力になれず………」

「え!?めちゃくちゃ落ち込んでる!」

「…………彼が元カレ等でしたら良かったのですが。何も知らず……………」

「えコイツごっさ可愛いのだが…😷💦💦💕💓」


オドロアンは感動して、「いいって笑」とエニグマさんの頭にコチ、と自分の頭をぶつけて押した。

これはよく彼がやる犬みたいな仕草だ。

エニグマさんはそのせいでわずかに揺れただけで無表情のまま右下を見つめ、沢山の手をだらんと下ろして悲しげに黙っている。

力になれなかったのが悲しかったらしい。

オドロアンは嬉しくなってキスをし、反射的にシワクチャになった顔を撫でて肩に頬を乗せた。


「大丈夫。人が相手ならオレら得意だから」


と、シワクチャになったエニグマさんを撫でながら幸せそうに言うのであった。





【一方、シャオ】悪役令嬢編




「──転生者?貴方が?」

「…うん。ここがどこだか、分かる?」


カルマヘアをした、絶対零度の美男であった。

奥二重気味の切長の目、月明かりを反射させる高い鼻。

短くて黒いまつ毛を上下に動かすだけで人を支配できる白い鬼である。

しかし本人はそんな美貌には無自覚とも思えるほど、ふわふわした空気で、ふわふわ小さなお花を漂わせながら白うさぎを抱き抱えて困っていた。


エリーゼ・ヴァレンロッド…この物語の悪役令嬢(オドロアンは悪役令嬢を「悪役喪女」と呼んでいた)は、そんな彼に見惚れて自分を忘れた。


普通、少女というのは意中の男性を見た時、もしくは美男と相対した時は慌てて髪を直すものである。

自分に意識が向いて、綺麗にしなければという気持ちになるからだ。

しかし圧倒的過ぎる美男を前にすると、口を開けて動けなくなる。自分に意識がいかずに呆然とただ見つめるだけになってしまうから。


エリーゼは後者と化して、一瞬自我を放出した。

それ程のロマンスをこの男は持っていた。

重たくて黒い、人型の花束のような男だった。


「ウサギ追いかけてたら、穴に落ちちゃって…」


ふわふわしたお兄さんは恥ずかしそうに笑った。

多分嘘だ。

なんだか大真面目に「転生者」と名乗ったことが恥ずかしくなって、何かで誤魔化したくなったのだろう。


「…えっと、」

「──あ。あぁ、ごめんなさい。…貴方、名前は?」

「シャオです。話してくれてありがとう。ホッとした」

「シャオというの。そう…」

「うん」


シャオと名乗った男はどこまでも優しく笑った。

まるで名前を呼ばれて嬉しいみたいに。



───さて。

シャオさんはニコニコふわふわしながら、自然に彼女の隣へ座った。

そして「あなたの名前はなんていうの」と、のんびりと優しく尋ねる。

頭の中では全く別のことを思いながら。



『死んでくれ…』

『わぁ…』


───暴君役・公爵さまは金色の髪をかき上げながら、妻の死をやっと認めた男みたいな声で言った。

シャオさんは何かの参考になるかもなと思って、エリーゼとは別の世界線の公爵さまと話す席を設けてもらったわけだが、一発目がこれである。

なのでちまい汗とお花をふわふわ飛ばしながら、「凄い…ストレスなんだね…」と当たり障りなく言った。


『ヤツらは身分の高い美男を下に見て素っ気なくすることで憂さ晴らしをしてるんだ。分かるだろ?チート勇者はクラスメイトの陽キャ、悪役令嬢はイケメンをいつも床に這いつくばらせたがる。自分の自己肯定感くらい何故自分で上げられないんだ?だから貴様らはモテないのだと何故わからない?『イケメンたちは私のことが好きですが私は全然好きじゃありません、それよりお金とか事業の方が大事です』がやりたくて仕方ないヤツらの為に何故、オレ達が、犠牲にならなきゃいけないんだ?凄まじいルッキズムだ、美男ばかりこき下ろしやがって、』

『えっと、落ち着いて欲しいかも…』

『貴様。これが落ち着いていられるとでも?』


公爵さまはシャオさんの顔にタバコの火を押し付けるような目で睨んだ。

さすが暴君役の公爵、ひと睨みの気迫が銃弾のようである。シャオさんはふわふわ困ったまま、「ごめんね」と優しく言った。

彼は赤い瞳をしていて、それが怒りでキラキラ光っているのだった。


『何故暴君から逃げて田舎でスローライフをしようとする?実家でスローライフをしていたくせにわざわざ異世界でもスローライフを求める必要がどこにあるんだ。家で済むだろう』

『凄いこと言う…』

『そもそも。努力で美しくなった女と突然美貌を与えられた女とでは雲泥の差があるんだ。ヤツらは引き際というものを一切分かっていない。美しい女は生まれた時から視線に慣れているからわざわざ中心に行こうとは思わないんだ。が、突然美貌を与えられた女は見せびらかしたくて仕方がない。格好いい自分の男と、美しく着飾った自分を見せたくて仕方がないんだ。ひけらかす場は必ずがめつく飛びついて登場し、イケメンは自分に一目惚れをして周囲の女はハンカチを噛んで悔しがると信じて疑っていない。高貴で気品のある女というものをまるで理解できていないんだ』

『うんうん、それは悪役令嬢が悪いね』

『神から与えられた美貌、ドレスや化粧は侍女任せ、予め読んでいた小説の知識と地球の知識を使って成り上がる。金も権力、全て借り物だ。自分で思いついたものや成し遂げたものは一つもない。借り物を我が物のように扱いニコリともしない女のどこに惚れろと言うんだ。そもそも逆風の中で成り上がれる行動力があれば現代でも一旗あげられたはずだろう。何故こちらの世界の方が簡単だと思っているのか理解に苦しむ。世間から嫌われた女がSNSもない時代に新聞記者も買収せず事業が拡大できるとでも本気で思っているのか』

『うんうん』

『美しい悪女というのは、みなに愛される存在だ。その女に選ばれなかった男や弄ばれた男が結果的に悪女と呼ぶのだ。我儘で愛想のない嫌われ者は悪女ではなく、単なる邪魔な厄介者だ。その相手をするオレは…一体、なんのために…』

『わかるよ。オレも、〝どうしようもない人〟をお姫様にする仕事をしてたから』


シャオさんはふわふわ笑って、いつまでも喋り終わらない公爵さまをベッドに寝かせた。

公爵さまは寝るまでずっと転生悪役令嬢の醜悪さについて語っていた。眠くなってもとろとろと話し続け、やがてシャオさんの大きな手で目を塞がれると撃ち殺されたように眠った。

公爵さまは酷くお疲れのご様子である。

シャオさんは彼の話を聞いて、「オレ多分これ得意だなぁ」と思いつつもちもちの白うさぎを撫でていた。


イケメンに冷たくすることでプライドを保ち、身の丈に合わない美貌とドレスと権力を手に入れた乙女たち。

地球の…誰かが必死に生み出してくれた最先端の技術や知識を借りて中世に持ち込み、自分の才能や魅力に変換できると思い込んだ彼女達を褒めそやしたり足に縋り付いたりする男役。…

は、多分、自分の得意科目だ。


彼女達は褒められ慣れていない。

美男に「かわいい」「好きだ」と心から言われた時にするべき反応を知らないから、冷たく突き放して見せるのだ。

そう言われたときは、とびきりの笑顔で「嬉しい」「ありがとう」と微笑めば、美男も自分の言葉を受け取ってくれたと分かってお互いに嬉しいコミュニケーションが成立する。

プレゼントは突き返さず、相手の心を思うのであれば子供みたいに喜んで受け取るものだ。

それは言葉や行動でも同じこと。

「貰えない」と受け取らなかったり値段を気にする行為は、謙虚ではなく時に無礼となるのだ。


よってシャオさんがすべきことは何かといえば。

悪役令嬢と全く逆のことをすれば良いだけだ。


好きだと言われれば顔を赤くして喜び、何かプレゼントを貰えば生涯大事にすると誓い、冷たくされれば「好きだ」「構って」とついて回り、褒められれば照れつつも笑顔で礼を言い、不遜な態度を取られてもこちらはいつでも上機嫌でいる。

相手に愛想がないならニコニコして、目を見つめ、興味がないふりをされても絶対にめげずにアタックし続ける。

相手が弱れば心から心配して寄り添い、いつでも相手のことを思い、肯定する…。

気遣いや距離感にズレさえなければ、人に好かれる方法は簡単なのだ。転生した悪役令嬢はこの真逆をいくので、つまり人に嫌われる手札しか配置していないのだが。


『………』


シャオさんはしかし、満足そうに眠る公爵さまを見下ろしながらまた少し思案に耽る。

せっかくなら、この公爵さまの言う悪女とやらを自分が演じても良いかもしれないとも思った。

みんなに愛される美しい女というやつを。





シャオさんはエリーゼお嬢様と同じアカデミーに通うことになった。

爵位を女神から授けられ、うさぎと鞄しか持たない地球人からお貴族様へと出世したのである。


どのようにしたかと言うと、

エリーゼ嬢の担当女神をエニグマさんが調べ、あれこれと難癖を付けて通知を送ったのだ。担当女神は縁遠いはずだった開拓局からの通知を受けて泡を食い、エニグマさんの元へ真っ直ぐ降り立って直談判をしにきた。


エニグマさんはそんな彼女を部下に対応させ、「エリーゼ嬢の今後はこちらで監視させて頂く」「監視員としてシャオ・カルトを配属する」と告げ、無理矢理シャオさんをエリーゼ嬢の監視役として彼女の世界に捩じ込み、爵位を与えさせたのだ。

よって伯爵となったシャオさんは、元々伯爵であった男を引き摺り下ろしてその席に座った。

彼はシャオ・カルトから、カルトヴェノム伯となったのである。


しかしシャオさんは貴族社会というものを知らない。

女神の加護という名の転生者サポートシステムとして、上流階級のマナーが最初から頭に入っているわけではないし…その点に関してはハンマーとジェットと博打をして目眩しの魔法をかけてもらった。

つまり悪魔と博打をしたのである。

簡単なコイントスでハンマーとジェットはわざと負け、小指の爪を与え…彼の礼儀知らずに周囲が違和感を覚えないようにしてくれた。


『なんかね、取り敢えず相手には様付けて、敬語で喋ればいいんだって。マァ別にタメ語でもいいらしいけど一応敬語にしとくと良いかもって感じ』

『わぁ、簡単で嬉しい…』

『雰囲気でいいってさ』


コモンくんからそんな電話がきた。

シャオさんは友達のカノジョが(開拓局局長)が用意してくれた屋敷のベッドに寝転がり、友達(悪魔)がくれた小指の爪でこのように貴族社会に紛れ込むことができたのである。


「シャオ様、よろしくお願いしますぅ」

「本当にありがとね、来てくれて」


身の回りの世話をしてくれるメイドとして、マリンちゃんも派遣された。

と言っても別にそこまですることはない。

カルトヴェノム伯は気に入った女以外部屋に入れない偏屈者という設定にしたので、マリンちゃんのみが部屋に入れる…ということになっている。

よって家の中では貴族を演じなくても良い。

マァやっていることは2人でダラダラ寝っ転がってスマホで映画を見たり恋バナをしたりボケーッと家具屋の通販サイトを2人で眺めるくらいのもの。

家の使用人が見ているところではメイドらしくしずしず付き従うが、部屋の中に入ればマリンちゃんはマットを敷いてヨガを始めたり、新しくやりたいネイルの雑誌を寝転がってフンフン読んでいるくらいなので特に問題ない。


「それでシャオ様、アカデミーに入学するのは分かりましたが…どうなさるんですかぁ?」

「うん、なんかね、原作だとエリーゼ様は公爵様にアカデミーで婚約破棄を言い渡されちゃうんだって。正ヒロイン?を虐めてたとかなんとか色々誤解されて…」

「わっ、王道ですねぇっ。そこからの逆転劇楽しみですぅ」

「オレ、エリーゼ様と顔は合わせてるから…あとは味方になって、頑張って仲良くなるよ」


シャオさんはふわふわニコニコしながら、ペットのうさぎにブラシをかけてやっていた。

うさぎはただキョトン…としているだけでいつも置物みたいに大人しく、シャオさんと同じくらい穏やかな性格をしている。

横に寝転がっていたマリンちゃんは「そうなんですねぇ」とニコニコしてから、「…私、ちょっと用事を済ませてきますぅ」と部屋を出た。


「あ、うん」

「失礼しますねぇ」


ドアが閉まる。

そうして彼女は、ニコニコしたままコモンくんに買ってもらったスマホを手に取り。

カチカチ長い爪を画面に当てて音を鳴らしながら画面を操作、お蜜に電話をかけて…。


『もしもし、マリンちゃん?どうなすったの』

「京蜜さまぁっ。私!ずっとシャオ様と同じ部屋に居るのにまだ抱いて貰えてないんですぅっ。どうしたらいいですかぁっ!?」

『おおおお…』


カッ!と彼女はスマホに向かって叫んだ。

お蜜は大きな声に驚いてコロン…と絨毯の上に仰向けに転がってから、「べ、ベッドに上がってみたりした?」と聞いてみる。


「これみよがしに上がってますぅっ。くっ付いたりアーンしたりしてるのに一向に抱いてくれないんですぅ!」

『マリンちゃんおっぱいよ。おっぱいを使うのよ』

「もう使ってます、昔のメイド服着てますぅ!」

『難儀な…そやつ本当に男か…』

「そうでしょうっ!?なんでですかぁっ?」


マリンちゃんはしゃがみ込んで嘆いた。

お蜜は「あのおっぱいに靡かぬ男(おのこ)がいるとは…」とムムム、と眉を寄せる。

その電話をお蜜の隣で聞いていたコモンくんは、「え?」という顔をしてから。


『もしもしマリンちゃん?ごめん、話聞こえちゃったんだけど。マリンちゃんってハンマーとジェットが好きなんじゃなかったっけ?』

「それとこれとは別です」

『べ、別なの?誰が抱いてくれないって話?』

「シャオ様ですぅ…」

『ほな別か』


ほな別である。

コモンくんは頷いて、それは全く全然別の話だなと思った。シャオさんは全てにおいて例外なのである。

コモンくんは天をつくほどの異性愛者であり、同性愛に驚くほど理解がない…というか興味がないが、シャオさんは別だった。

それはこのパーティ全員がそうである。


『ってかオレもまだシャオさんに抱いてもらってねぇんだけど。マリンちゃんずるいぜ抜け駆け…え、てか待って。この中でシャオさんに抱いてもらったやつっている?』

『え?オレまだないのだが😅🤚全員〝済み〟なん?』

『いや、オレもないです。今か今かとは思っていますが。こんなに毎日部屋の鍵開けっぱなしにして待ってるのに。嫌んなっちゃうネ…ハハ』

『ダイダラは?』

『あったらとっくに自慢してるわ』

『だよな』

『オレもないっす。この前一緒に呑み行った時そのまま泊まったんすけど抱かれなかったっすね。わけわかんなかったっす』

『それは確かにわけわかんねぇわな』

『ハンマー!ジェットォ!マリンちゃんがシャオさん抱いてくれなくて困ってるって〜ッ!』

『そうかよ。抱かれる日があれば混ぜろって言っとけ』

『その場合オレも抱かれるのか?』

『抱かれるのはオシャレじゃないな』

『気まずい、嫌だ』

『でも相手があの男前か』

『悩みどころだな』

『は?悩んでんじゃねーよお前らみたいなもんが。シャオさんが抱いてくれんだぞ。文句言うなバカじゃねぇの』


このように全てが例外になるのだ。

天下の悪魔もギリギリまで悩む始末、シャオさんが誰か1人を抱くとでも言えば血で血を洗う争いになるのは分かりきっている話。

マリンちゃんは結局誰もシャオさんの攻略法を知らないのか、と眉を下げ、ここは大胆に行くしかないかも知れないと気を引き締め直す。


誰も抱いて貰っていないということは、誰もまだ誘っていないからかもしれないから。

彼は童貞ではないのだ。

それに恋人もいない、ならば断られる意味もなかろう。

マリンちゃんはよし、と思って短いスカートをもっと短くした。

おっぱいを限界まで出し、キュウと息を止めて顔を赤くした。そしておっぱいにちょっと霧吹きをかけて汗ばんだ印象を付け、気合を入れなおす。

そしてブラジャーなんて脱いでスパァン!と窓の外に捨てた。このおっぱいを使わずしていつ出番が来るのだとばかりに。

全く漢気のあることである。

というか、糸クズ達に染まってきたのだ。


『お電話代わりましたチャッキー・ブギーマンです。マリンちゃん、不躾な願いで大変恐縮なンですが。もし抱かれることがあったら動画撮っといてくんねぇ?ベッドの横あたりにカメラ設置して。オレ言い値で買いますんで』

「いやですぅ。切りますねぇ」

『キューン…』


スマホをエプロンのポケットに入れて、マリンちゃんは香水を付けてから。


「ただいま戻りましたぁ」

「あ、うん。おかえり」


シャオさんの部屋に戻り…まだベッドで胡座をかいてうさぎの毛繕いをしている彼の隣に、シト…と座ってみせた。

そして「この子、お名前なんて言うんですかぁ?うさぎさんって呼んでましたけど…」と言いながら腕におっぱいを当てる。


「白玉(しらたま)って言うんだよ。オレの友達なんだ」

「白玉さんですねぇ。確かに、もちもちでぴったり…」


と、言いながら。

彼女はもちもちと白玉みたいなおっぱいを無意識を装って彼の腕に当てた。しかしシャオさんは「おっぱいが当たってる」という顔を一瞬ホワ…としただけで、いつも通りふわふわ穏やかに微笑んでいる。


「…シャオ様ぁ」

「?うん」


マリンちゃんは悔しくなって、もちもちの太腿も彼に当てた。そして上目遣いで肌をほてらせ、おっぱいを腕で寄せ。


「ま、マリンももちもちですぅ。白玉さんには敵わないかもしれませんけどぉ…た、試してみませんかぁ…?…触ったり、舐めたり…♡」


マリンちゃんはしっとり寄りかかって、勝負に出た。

艶めくピンクの唇、赤らんだ頬。

しどけなくほどける、なにとも言えぬ女の良い香り。

悩ましげな眉、熱い吐息に豊かな白い胸。

彼女は全てを使ってシャオさんを攻撃したのである。

昔ドロシュには呆気なく断られてしまったが、今回ばかりは自信があった。

断る理由など一つだってあるものかと。

コモンくんのパーティですっかり自信を取り戻した彼女は「決まった!」と内心ガッツポーズ、期待に満ちた瞳を潤ませた。


シャオさんは流石に彼女を驚いた目で見つめ。

それからふわ、と困ったように微笑んで首を傾げた。

彼の角に付けられたアクセサリーがシャロンと音を立て、桃の紅茶の香りが満ちる。


「…えっと、マリンちゃん。気持ちは凄く嬉しいんだけど」

「は、はいぃ、」

「それは人に物を頼む態度じゃないから、やり直してくれる」

「!?きゃーッッ!?♡♡♡♡♡♡♡♡」


マリンちゃんはドキュンと心臓を撃ち抜かれた。

誘いは伝わったようだが、お願いの仕方にダメ出しをされたのである。

そんな風に言われるとはまさか思わず予想外。

彼女は(しゃ、シャオ様に叱られちゃった…♡♡)とめろめろよわよわと胸板にしなだれかかった。

そして「にゃーん…♡♡♡」と胴に抱きついてなつき倒し、「ごめんなさい♡ダメなメイドにいっぱいお仕置きしてくださいぃ…♡♡」と水っぽくなって重だるい脳みそで言うのである。


「…あ、えと…ごめんね。冗談だよ。その、電話の内容があまりにも丸聞こえだったから…。恥ずかしくてちょっと仕返ししちゃった。良くなかったね。ごめんよ」

「!ご、ごめんなさいぃ。体で謝りますぅ、ご奉仕させてください…♡♡」

「んと、そうじゃなくてね…」


シャオさんはニコ…ふわ…としたまま、ちまい汗とお花を飛ばしてとてもたくさん困った。

マリンちゃんははふはふ言って離れようとしないので、これにもちょっと困る。

このまま何かしようものならハンマーとジェットが混ざりに来ると分かっているからだ。止めに来るならまだしも、混ざりに。

そうなると一気に三人に増えるので大変なことだし、流石に経験がないので大ごとである。

よってシャオさんは「ちょっと離れようね」「せっかく言ってくれたのに、ごめんね」「あ、ダメだよ。ベルト返してね」「脱がないよ。服着ようね」「あ、やめてね、ズボン返してね、」と一生懸命彼女を止めた。

女に恥をかかせるなど言語道断だが、今回ばかりは話が違うので。


…余裕のない男も困るが、余裕のあり過ぎる男というのも困りものである。

こんな状況で断る男など何処の世界を探しても存在しないかと思えばここに居た。

彼は目を合わせただけで相手を全員女学生にしてしまうので(川田さんもそうなってしまった)、今更なにも困っていないのだ。


これが彼の日常なのである。

つまり、悪役令嬢だけではなく、悪役令嬢以外の公爵様や正ヒロイン、その他の男性攻略キャラクターの〝全て〟を陥落させるなど…彼にとっては日常の延長なのだ。



よって、


「エリーゼ・ヴァレンロッド。貴様との婚約は破棄させて貰う」


アカデミー、室内。

昼、パブリックスペース。


「わ、修羅場…」


アラベスク魔法学園、観衆の中。

悪女、エリーゼ嬢はガロミラ卿に婚約破棄を突き付けられた。

エリーゼ嬢は過去、ガロミラ卿にしつこく付き纏って毎日愛を伝え、嫌がられつつも婚約をしていたらしいのだが…。


「もう限界だ。分かるだろ」


ガロミラ卿は疲れた顔をしていた。

彼は金色の髪を緩く束ねた…理知的な相貌であり、勝気で冷たい目をしている古時計のような男だった。

クラシカルな美貌はみんなが思いつく王子様という感じで、これは乙女達が憧れるのも無理はなかろうという具合である。

そんなガロミラ卿の隣、腕を抱きしめているのはブラウンのふわふわした髪をした、野うさぎのような娘。

ちまこい顔にはアンバランスなほど大きな垂れ目、気弱そうな眉。守りたくなるようなかわゆいお姫様だった。

彼女は正ヒロイン/リリス・オルヴァース嬢。

男爵家の一人娘だった。


「証人が大量にいる。リリス嬢にしてきた数々のおぞましい悪事は聞いているんだ。もう耐えられない」


悪女/エリーゼお嬢様はそれを白けた目で見つめていた。

周囲の人間はサワサワとささめき合い、エリーゼ嬢の零落をどこか楽しんだ目で見物している。

ワニのようないやらしい他人事の瞳だった。

エリーゼ嬢は別に正ヒロイン/リリス嬢を虐めていない。

多分リリス嬢がガロミラ卿に嘘を吹き込んだのだろう。それを信じたガロミラ卿は限界を感じて彼女に婚約破棄を突き付け、伴侶にリリス嬢を選んだ…というわけだ。


「…閣下。信じておいでですか。その娘の言うことを」

「無論だ。まだ抵抗するのか、これほどの証拠が揃っておいて」

「証拠はどれも杜撰なものですが」

「黙れ。リリス嬢が嘘をついているとでも言いたいのか」

「そのように申し上げているのです」

「良い加減にしてくれ。私はこれ以上時間を無駄にしたくない」


言い合い、見物人。

リリス嬢はガロミラ卿を見上げて、「キールさま、」と弱々しい声で言った。

ガロミラ卿はそれに一気に可哀想な顔をして、


「リリス、かわいいリリス。大丈夫、私はキミの味方だ。キミが私の妻になるんだ」


リリス嬢を愛おしげに見た。

彼女はそんなガロミラ卿にうっとりとした目付きをして、彼にくっ付いて目を閉じる。

さぁ早くあの女を始末してくれと言わんばかりに。

さて大一番、ここからが盛り上がるところ。

転生者/エリーゼお嬢様は鼻を鳴らし、「ではそのようにいたしましょう。婚約を破棄致します、」と言ったところで。



「リリス!」



見物人に混ざって、ほや…と眺めていたシャオさんがやっと声を出した。

彼の声はよく通り、空気にカァンと釘を刺すようだった。今だと思ったから、今声を出したのである。

エリーゼ嬢は驚いて彼を見た。

彼はいつものふわふわした顔を引き締め、黒い目をしてリリス嬢へ近寄るのである。

突然のことだった。


「…リリス。オレを揶揄ったの」


シャオさんはリリス嬢へ、頭を押さえ付けるような重たい声で言った。

香りを含んだ煙の声はよく場に染み込み、彼女を動揺させるには充分である。


「オレのことばかり愛してるって言ったのに。オレと結婚するって言ってくれてたのに。あれは嘘だったの」


シャオさんはリリス嬢の片手をよわよわと握って、俯いて言った。

無論こんなもの嘘である。

リリス嬢とはほとんど初対面で、顔見知り程度の関係だ。よって彼女は驚いて固まってしまい、彼にとっては非常に好都合であった。


「な、」


一番先に声を出したのは悪女/エリーゼ嬢だ。

シャオさんと面識がある…互いに転生者であると認識している彼女は、リリス嬢と彼が繋がっていたなんて知らなかった。

マァ繋がってなどいないのだが。


「ど。どういうことです。リリス嬢」

「…リリス?」


ガロミラ卿も信じられないと言う目でリリス嬢を見ていた。シャオさんは真っ白な顔で彼女を見つめ、「3日前まで、オレのこと愛してるって言ってたのに、」と握った手を震わせる。

周囲のワニの目は一気に色めき立ち、この面白い大修羅場に頬を高揚させた。

一体何が起こっているのか、リリスはガロミラ卿を騙していたのかと。あんな麗しの美男2人をからかっていたのかと…。


「ご。…な、何かの誤解です。私はあなたの名前すら知らな、」

「腰の付け根の黒子」

「、」

「オレは知ってるよ。全部。不思議だね」


ゾッとする目だった。

今のは怖い。

もう少しで刃物を出すところという感じだ。

シャオさんはリリス嬢と顔見知り程度だが、彼女の生い立ちも何もかも知っている。

ギラお兄さんが闇市の友達、ラスネールから買った情報だ。

マしかし、ラスネールは何でも知っている訳ではない。

何でも〝吐かせる〟のだ。


「、……」


ガロミラ卿の足がふらついた。

シャオさんは「頃合いか」と、彼女のちまくて震える手を離す。

そして怨念のこもった目を床に向けてから、リリス嬢を見てから、ガロミラ卿を優しく見て。


「……、」


何かを言いかけて、何も言わない。

腕はだらんと下がっている。

首が緩く傾いている。

彼の脱力した人形の後ろ姿は見物人の目にどう映ったか。

リリス嬢はカタカタ震えて何も言えなかった。

シャオさんの気迫に鞭打たれて喉が突っ張るのである。

彼の老婆のような老いた目が怖かった。ガロミラ卿の顔が見れなかった。


シャオさんはそのまま少しの間死神みたいに立っていた。

嘘で見物人に餌を与えて、ガロミラ卿に痛烈な一撃を与えて、リリス嬢から味方を奪い上げたので。

上手くいったかな、と眺めていたくなった為である。


「…あなたが虐められてた訳ないだろ。ずっとあなたといたんだから、分かるよ。同情を引いて取り入ったんだね」

「…ち。ちが、」

「何が違うの?まだ、嘘をつくの…」


シャオさんはリリス嬢に指を差した。

しかしその指は床を指していた。

指先に力が籠っていないから、人差し指が軽く曲げられて床を指しているのだ。

彼の体にはその手以外に力が入っていない。

だから不自然に体ごと僅かに右に曲がっていて、背の高い彼がそれをやれば不気味な印象を与えた。

見物人とエリーゼ嬢からは彼の後ろ姿しか見えない。

それでよかったし、その方が迫力が伝わった。

さてこれで悪女はエリーゼ嬢からリリス嬢となった。元々男爵家の小娘である、強力な味方を失えば彼女には何の力も残らない。


「………」


シャオさんはフッと顔をあげ、全員が何も言わないので。

やっとリリス嬢に背を向けて気丈に見える足で歩き出した。

その顔はしかし、虐待された老犬の、空っぽになった無表情である。深い哀しみと怒りが立ち込め、もはや何も無くなってしまった男の顔だった。

それは不気味な後ろ姿とはいっぺん、ほろりとくるほど可哀想で、かわゆく見える顔なのだ。

見物人に最後これが見せられればそれでよかった。


あとはリリス嬢がどんなに弁明しても、全て言い訳に聞こえることだろう。

だってシャオさんがこんな嘘をつく動機はないから。


エリーゼ嬢はシャオさんが通り過ぎる際に。


(あなた、役者ね)


扇子の口元を隠し、物凄く小さな声で言った。

シャオさんは(わぁ、やめて欲しい…)と心中思う。

完璧にやったのに、誰かに聞かれたらどうするのだ。魔法のある世界なのだから盗聴されていてもおかしくないのに。…

バカな女。


…というわけでシャオさんは退場。

馬車に乗ってコトコト家に帰り、使用人にただいまを言って自室に戻り。

窓を開けてガチッとタバコに火を付けた。

「聖歌」という銘柄の…物凄く辛くて、金色の煙がでるタバコだった。


「………」


アレでマァ、何とか。

やることはやった。

エリーゼ嬢にはシャオさんが庇ってくれたのだと伝わったろうし、リリス嬢は失墜、ガロミラ卿は立場を失ったし疑心暗鬼になっている。

こうくるとリリスを虐めたという証人も信じられず、頭は真っ白だろう。

ならばつまり次にするべきことはひとつ。




「…リリス嬢」

「ッ!…」


リリス嬢の邸宅へ行くべきだ。


夜分遅く、きっと眠れていないだろう彼女の寝室のテラス。

マリンちゃんに上へあげてもらったシャオさんは、コツコツ窓をノックしてホヤ…とした顔で待った。

まだかなーという顔で。

すると窓が開いて、目を真っ赤にした彼女が暗い寝室から出てきた。

リリス嬢はガロミラ卿が魔法で来てくれたものだと思ったのに、目の前には憎い嘘つきのシャオが立っていたもので…カッ!と怒りで顔を赤くして細い声で怒鳴ったのである。


「あ。あなたのせいで。あなたのせいで!」

「こんばんは。うん、オレが悪いね」

「ど、どうし、どうしてくれるの、」

「…味方も居なくなっちゃったね。卿ももうダメだろうし。憎いエリーゼ嬢の株が上がっちゃったね」

「う。ううぅ、」

「一人ぼっちだね。リリス嬢」


彼女は泣き通しだったらしく、体力も残っていない。

だからズルズル彼の服を掴んで腰を曲げ、可憐な呻き声を上げるのだった。

シャオさんはそのちまい頭を見つめてから、優しく微笑んだ。


「どう、どうして、こんなことを、」


私に恨みでもおありなのですか。

リリス嬢は涙声で言った。

シャオさんは首を傾け、角をシャロ、と鳴らしてから。


「ううん。好きだから孤立させたんだよ」


と優しく言って、片膝をついてしゃがんだ。


「欲しかったから。あなたのことはもう誰も信じてくれないだろうけど、オレは信じるよ。だってオレしか味方居ないし…」

「?、…なん、」

「お友達ももう居ないよね。婚約者も居なくなったみたいだし、アカデミーにももう行けないな…」

「は、ヒュ…」

「怖いね。早く1日が終わればいいのに」

「あ、」


シャオさんは彼女の腕をグッと引っ張って床に座らせた。自分も床に座って、リリス嬢の手を握る。


「ねぇ」

「……、」

「昼は一緒に寝てさ。夜は一緒に沢山お酒を呑もうよ。訳わかんなくなろうよ。忘れたいでしょ」

「、う、」

「オレのせいでこうなったんだし、毎日オレに八つ当たりしなよ。殺そうとしても良いし、どこでも好きに引っ掻いたり噛んでもいいよ。好きな曲を言ってくれたら弾いてあげるし、引きこもって2人でいようよ」

「……、…」

「外のことなんてどうでも良くなるよ」


シャオさんはニコニコふわふわ笑って、音も無く泣き出したリリス嬢のおでこにおでこをくっ付けた。

魔性の美男の目は、ある種淫乱な光があった。


「外は怖いでしょ。一緒にお家にいよう」


リリス嬢の目は涙で光っていた。

もはや何の気力もなく、つつけばただ倒れるだけの死人だった。

けれど震える声で「かえって、」と。

この恐ろしい誘いを突き飛ばした。

もう少しで夢に見るほど憎い男に押し倒されそうだったけれど。


「そう?」


シャオさんはしかし全く急がなかった。

寧ろ待ってましたという感じで立ち上がり、「じゃあ、帰るね」と優しく言ってスタスタテラスを歩き。


「おやすみなさい。あったかくして寝てね」

「、あ」


という言葉を最後に。

テラスの地面から生えた、真っ赤で巨大な手にバシン!と握り潰されて消えた。

彼も悪魔と博打をしたので、転移魔法を使えるようになったのだ。


何、あと一週間経ったらまた彼女の元に行けばいい。

そうすれば孤独に耐えかねたリリス嬢はきっと陥落するから。





「お嬢様。お手紙が届いております」

「…これは誰から?」

「カルトヴェノム伯から」

「…シャオから?」


一方エリーゼお嬢様。

次の日の朝、使用人から手紙を渡された。

彼女はシャオからの手紙に少々驚いてから、あの役者、一体何を…と少し期待して手紙を開けた。

すると中には、文字は書いていない。

封筒の中から出てきたのは、なにかの譜面である。


「……?」


エリーゼお嬢様はよく分からなくて、その譜面を見つめ…どういう意味かしらと思う。

そして悩んでから、昼の頃。

ピアノでその譜面を弾いてみた。

彼女は女神の加護でピアノも弾けるようになったのだ。


「…………」


そしてフ、と思わず笑ってしまう。

シャオから届いた譜面の曲は、「エリーゼのために」だったからだ。











シャオ・カルト/ホワイトリスト

種族:白鬼 役職:ラブソング

レベル:1056



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