第二章

第13話 悪役令嬢



【え?精霊って誰にでも見えるものじゃないんですか?《精霊使い》をありきたりなスキルだと思ってたら、無双スキルだったらしい。〜エルフ族の王になってしまったが、もうこれ以上嫁はいらないんだが〜】




「あぅ、う」

「この子ったら、なにとお喋りしてるのかしら」


真っ赤な髪、優しい垂れ目の美しい女。

彼女はオレの母親なのだそうだ。


「ははっ!きっとエマに挨拶してるのさ。この歳からそれができるなんて、きっとコイツは良い剣士になる。見ろ、この手。良い剣筋を見せてくれそうだ」


金の髪、快活そうに笑う父。

剣士の彼はオレの父親なのだそうだ。


「もう。貴方ってばそればかり…。リュートは体が弱いのよ。ね?リュート」


リュート。

それはオレの新しい名前…というか。

〝異世界〟に生まれたオレの名前なのだそうだった。


オレの前世は平凡な高校生だった。

いや、オレにとっては平凡だったというだけで、周囲から見れば少々特殊ではあったろう。

オレの母親は新しい父親と再婚したが、その父親はどうしようもないクズだった。


酒に溺れてギャンブル中毒、オレの背中はいつもその父親のせいでアザができていた。

見えない場所を殴られるので周りは誰も気づかない。

母親は部屋の隅で震えるオレを見ても無関心を貫いていた。男がいなければ生きていけない女だったのだ。


そのせいでオレの性格は捻くれて、学校では当然うまく人と話せなくなった。

人の目を見て話せない。

それに顔は昔の父親似でブサイク、ストレスで過食に走ったせいで腹はいつも出ていた。


『オイ豚。お前学校来んなよ、不愉快だからさ』

『ご。ごめん、』

『ハ?人間の言葉使ってんじゃねぇよ。ブーだろブー…。…マいっか。体で覚えていけば良いよ、なッ!』

『ゴフッ!』

『いやだからゴフじゃなくてブーだろ。どんだけ覚え悪いんだよ誰か警察呼んでくれ』

『ダハッ、そしたらお前が捕まるっつの』

『じゃあお前が弁護士資格取れし』

『え?お前を弁護するためだけに…?』


クラスの陽キャにも当然いじめられていた。

高校の頃、一番記憶に残っているのは廊下の輝く床だ。

昼の光に光る廊下。

そこにオレの汗が落ちる。

表面弾力で丸くなった汗は埃を浮かべ、キラキラ光っていた。


オレは何度もそれを見て、腹を庇って蹲っていたのだ。

クラスの女子は笑っているばかりで、誰もオレを見てはいなかった。

陰キャの中の陰キャ。

それがオレだった。


家にも学校にも居場所がない。

そんな無明(むみょう)の日々に差した光が何かといえば。

オレの背中を照らす、大型トラックのヘッドライトだった。

そのヘッドライトは目も開けられないほどに眩しく、気付けばオレは血を流してアスファルトに倒れていた。


遠くからやってくるサイレンと救急車の赤い光。

それが血に反射して光っていた。

それはあの廊下で見る光によく似ていて…。

前世の記憶はそれだけだ。

他にはもう何もないのだ。…

オレの人生はこれで終わり。

ほんと、笑っちまうよな、と。


思っていたのだが。


『山下 真斗(やました まさと)さんですね』


死後。

真っ白な空間で、ピンクの髪をした美少女が言った。

彼女は女神だと自分を名乗り、死んだオレの頬をそっと撫でた。


『あなたの人生をずっと見ていました。恵まれない人生でしたね』


余計なお世話だよっ!

オレは思わず声に出して言いたかったのだが、喉がこわばって何の声も出なかった。

精神的なものではない。

声が物理的に出せないのだ。


『ふふ。死後に話せるわけがないでしょう。仕方のないことです。私の話を聞いていてください』


女神は笑った。

その顔は本当に美しかったが、オレはそれどころじゃなかった。混乱もあるし、死んだと言われてもピンと来なかったし。


けれど女神は言ったのだ。

あなたに新しい人生を差し上げます、と。

恵まれない貴方に愛の手を。

次なる人生ではきっと、幸多からんことをと言って…。


気が付いたらゆりかごの中だ。

オレは赤ん坊になっていて、赤い髪の母と剣士の父の間の子供になっていた。


「どんな子になるのかな。リュート」


母は微笑んだ。

それは初めて向けられた、優しい顔だった。




けれどオレは油断できなかった。

もしかしたら母と父は離婚するかもしれないし、また前の人生と同じように新しい父親に殴られるかもしれないから。


だからオレはこの異世界で生き残るために、何かに初めて本気で取り組まなければならない。

もう2度とあんな目に遭わないために。


この異世界には、魔法という概念がある。

火、水、木、風…と、4種類の魔法があるのだが。

しかしオレはどれも使えなかった。

赤ん坊の頃から魔法について学べばきっと…と思ったのに。


やっぱりオレは、どうなったって『出来損ない』らしい。

日々の癒しといえば…。


『だぅ、』


ゆりかごの周りを回る、光の粒だけだ。

それはカラフルで、赤い光もあれば緑の光もある。

最初は異世界特有の虫かと思ったが、どうやらこれは《精霊》らしい。


オレは女神からの特典として、目に見たものがなんなのかをパネルで見ることができる。

任意のタイミングで目の前に四角いパネルが浮いて、自分のステータス表示や対象の情報を見ることができるのだ。


オレはその特典で、オレの周りを浮かぶものが精霊なのだと知った。

キラキラ光る帯、丸い粒。

形はそれぞれ違っていて、綺麗だった。


オレは赤ん坊の頃の暇な時間、その精霊と遊ぶことにほとんどの時間を費やしていたのだ。

ジーッと眺めたり、掴もうとしたり、喃語だが、話しかけてみたり。

…すると。


「う?」


ある日、その精霊たちが自分の思うように動くようになった。

右、と念じれば、精霊たちは右へふよふよ浮いていく。

左、と念じれば同じように。

操れるようになったのか、言葉が通じるようになったのか…。


「キャッキャ」


オレは面白くなって、それを続けていた。

渦巻き、と念じたり、風、と念じたり。

すると精霊は渦を撒き、風を運んできたりした。

良い暇つぶしにはなったのである。


「?」


するとある日。

自分のステータス表示を暇つぶしで眺めていると。


《精霊使い》を獲得しました。


と、ステータスの上に表示され、自分の名前の横に《精霊使い》と表示された。


リュート・ベルンハート/ホワイトリスト

種族:ヒューマン 役職:精霊使い

Level:10


と。

自分のステータス表示は変わっていた。

いつも役職のところは空欄だったのに。


精霊使い、か。

漫画やアニメでよく見る設定だ。

王道の剣士でもなければ、アタッカーでもない。

どうやらオレはここでもモブキャラ枠になってしまったようだ。


マァ、分かっている。

どうせオレはどこへ行っても誰の期待に応えることもできない。

でも…もし精霊使いのスキルを極めたら。

自分1人で生きていって、異世界でスローライフを送るのも夢じゃないかもしれない。


そうだ、このまま。

ちょっとずつ練習して、暇つぶしを続けていけば。

少しはオレも、何者かにはなれるのかも…。


「リュート。今日はご機嫌ね」

「うー、」

「ふふ。良い子。あのねリュート、聞いてちょうだい。今日からベビーシッターを雇おうと思うの」

「う?」

「子供の素質を見て、将来どんな子になるのか見ることができる魔術師の方なんですって。リュートにどんな素質があるのか、お母さん気になっちゃって!」


親バカの母はニコニコしながら、オレを抱き上げて頬をピンクにした。


どうやら母は、魔術師のベビーシッターを雇ったらしい。

将来は剣士に向いてる、だとか、将来は炎術使いに向いているだとかを身体の中に流れるマナを見て判断してくれる人なのだそうだ。


オレは赤ん坊ながら、少し汗をかいた。

そんなことをされたら、オレが精霊使いだとバレてしまう。

剣士の素質がないことがバレてしまう…。


「うぎゃーっ」

「あらあら、どうしたの。オムツかしら…お腹すいた?」


違う!

ベビーシッターは反対だっ。


「よしよし、ねむいのね。ゆっくりおやすみ」


母は赤子の癇癪として、オレの涙に取り合わなかった。

勘弁してくれ。

精霊使いだなんてバレたら、父親はどうなる。

こんなに期待をかけられているのに。


クソ、こうなったら精霊を操ってベビーシッターにはお帰り頂くしかない。

ベビーシッターには悪いが、もうこれ以上仕方ないだろう。


というわけで。

オレは明日の朝に来るベビーシッターに備え、死ぬ気で精霊を操り続けた。

生まれた時からずっとやっているだけあって、精霊はかなり動かせるようになった。

右へ渦を巻くようにと命じれば、豪速で渦を撒きながら移動できるようになったし…「襲え」と命じればその方向へ一気に飛んでいくようになった。


これならベビーシッターも面食らうだろうし、嫌がって帰ってくれるかもしれない。

喋れない今、抵抗できる手段はこのくらいだ。

だから猛練習を重ね、明日の朝。


「あ。こちらです。ウチのリュートをよろしくお願いいたします」


母の声が遠くから聞こえた。

オレはグッと気を引き締め治し、精霊に「待て」と命じる。

赤くて強い精霊ばかりを集めたので、ベビーシッターが来た瞬間一気にぶつければ…きっと少しは嫌悪を見せるだろう。


「リュート!シッターさん来たわよぉ」


母はニコニコしながら子供部屋のドアを開けた。

オレはゆりかごの中からパッとその方向を見る。

赤ん坊らしくを装って。


すると。

立っていたのは、優しそうな乳母ではなかった。

若く、金の髪をした男で…。



「ベビーシッターのコモン・デスアダーです。ヨロシク」



長い三つ編みを揺らす、毒蛇だったのだ。


コモン・デスアダー/サイコリスト

種族:毒蛇 役職:マッドハウス

Level:1500


と。

ステータス表示には書いてあった。

…どこが。

どこが、魔術師だ。

どこがベビーシッターだよ。

…確かに、魔術師みたいな格好をしてるけど。


「こんにちはリュートくん。仲良くしようぜー」


毒蛇はニコーッ、と笑って、オレの腹をツン、と突いた。

母はニコニコして、嬉しそうに隣に立っている。

オレはやっとそこで…気付けば、用意していたはずの精霊が部屋から全て消えていることに気が付いたのだった。








【異世界転生勧誘詐欺】




「………」


部屋は沈黙で満ちていた。

コモンくんが母親に、「お母様。マナを見るために集中したいので、一度席を外していただけますか」と優しく微笑めば簡単に彼女は退席した。

今、子供部屋には転生者とコモンくんの2人きり。

コモンくんは椅子にどっかり座り、ゆりかごを片足でギィ、ギィ、と揺らしていた。


「精霊使いって、この世界じゃ特殊らしいぜ。一億人に1人レベルの珍しいスキルだとか。無双できるんじゃねーの。良かったね」

「………」

「でもオレ思うんだけどさ。あんまり特殊だと、迫害の対象になるんじゃねぇかなって思うんだよね。天才過ぎると不気味がられるし、才能あるやつってみんなそう。でき過ぎるやつって反感喰らうし、嫉妬されて足引っ張られるしやってもないこと言われたりすんだよ」

「………」

「マサトくん。お前さ、地球で嫉妬の交わし方も勉強してこなかったのに上手く立ち回れんのかな。身の丈に合わねえスキル貰って、使いこなせんのかな…」

「!……」


コモンくんは小さなぬいぐるみのお腹を押して、プーッ、プーッ、とぬいぐるみから鳴る甲高い音をゆりかごの中身に聞かせながらぼんやり喋っていた。

リュートの本名を言えば、ゆりかごの中身は大きな動揺を見せた。

誰も知らないはずの自分の本名がバレたのが怖かったのだろう。


これはコモンくんの使えるようになった魔法。

スキル《勇者殺し》である。

ドロシュを穴に突き落とした時に獲得したこのスキルだが、使い方が分からず放置していたものだ。

これはどうやら、転生者を見ればその人間の過去を全て見ることができるスキルらしい。

コモンくんはリュートの知られたくない過去や昔の顔をそっくり見たのだ。

成る程、確かに「勇者殺し」である。


「うぎゃ、」

「あ?」

「あーっ。ぎゃあーっ」

「はは。泣くなー。泣いても親来ねえぞー」

「うぎゃーっ。おぎゃあ」


リュートはせめてもの抵抗として声を上げて泣いた。

こうすれば親が駆けつけてくれると思ったから。

しかしコモンくんは赤ん坊のできることなどそれくらいだと知っていたから、部屋を防音に変える魔法をチャッキーに教えてもらっていた。

チャッキーは悪いことをする時にどんな魔法が必要なのかをよく知っている。それにこれは初歩の初歩らしいので、努力家のコモンくんには簡単にマスターすることができた。

この防音魔法は、作曲家や歌手、建築士などが覚える魔法らしい。


「赤ん坊って楽で助かる。普通さ、あそこのドア閉めるだけで監禁罪になるんだけど。赤ん坊って抵抗できねぇからそれも成立しねえし…。…?そもそもこの世界って監禁罪とかあんのかな。ハハ」

「おぎゃ、うぎゃーっ」

「アハハ黙れー。うるせぇな。オレガキ嫌いなんだよ」


コモンくんはリュートの両脇に手を差し込み、高い高いをしながらニコニコ笑った。

その笑みは赤子にとって心から恐ろしいものであり、火葬場の入り口みたいだった。

何故か分からないが、いくら呼んでも精霊は来ない。

それどころか部屋の中から精霊が消えてしまったのだ。

一体何故かは分からなかった。


「同じ転生者だろ。仲良くしようぜ」

「、……」

「それとさ、精霊がいなくなって困ってんだろ?」

「!……」

「いないんじゃなくて見えなくなったんだよ。マサトくんは精霊使いじゃなくなったの。特訓が無駄になっちまったな…」

「え?見えなくなったよな?ウン、できないはず。待って確認すっから。…」


コモンくんは片目を金色にチカチカ光らせ、自分のIDとパスコードを早口で言った。ユーザー認証を済ませ、「魔法使用履歴表示」と言えば、目の前にリスト化された使用履歴が表示された。

これは何重にもセキュリティ対策をしているので、他人からは一切見えないようになっている。


「あ、うん。ちゃんと発動してる…っぽい?いや今日さー、練習で来たんだよね。スキル?とかオレ使ったことなかったから人で試そうと思って…。…うんいけてるな。よしよしよし」


コモンくんは使用履歴を眺めて頷き、リュートをゆりかごに戻した。そして眉を小指でカリカリ掻きながら、「えーっと…」と書類を整理するような顔つきをして見せる。


「なんかさ、侵略者っていうスキル手に入れたのねオレ。どんなスキルか内容知りたいじゃん?でもなんかさ、使うまで説明がないの。だから使うまでスキルかわかんなくて。そんなん怖くて使えないじゃん。んで友達に協力してもらってめっちゃ調べたのね。そしたらなんか、侵略者って名前ではなかったんだけど…昔同じスキル内容で《役者封じ》っていうやつがあったらしくて。多分それと同じ?らしいのねどうやら。《侵略者》の古い名称なんだとさ」

「………」

「んでその…《役者封じ》っていうスキルがさ、相手の役職を奪える?みたいな。感じなのね。今お前の《精霊使い》っていう役職をそれで奪ったわけなんだけど。でも奪っても…《精霊使い》をオレが使えるわけじゃないの。…分かる?意味。奪えるけどオレの役職にはできないみたいな。なんかそんな感じね」


コモンくんはタブレットを操作しながら、雑談のような気軽さで話し始めた。

椅子に座り直してまったりして、リュートの母が淹れてくれたお茶を飲んで。


「んで、奪った役職がどこにいくかって言うと、お前の担当女神に返却されるのね。だから今頃担当女神に《精霊使い》が返却されてる頃…だと思う。え違うかな?や、多分そう」

「……、」

「あでさぁ、役職が女神のもとに返却されるならまた貰えば良いって思うじゃん?オレもそれは聞いたの友達に。そしたらなんかさ。役職が返却されちゃうと、死亡したっていう扱いになるらしいんよ。役職が女神に返却されるのは転生者が死んだ時以外ほぼあり得ないらしいからさ。だからお前今死んだっていう扱いになるのね?なので…えーっと…。…女神の加護がなくなったの。お前。今」

「あぅ、う」

「こうなるとどうなるかって言うと。言語翻訳機能と…あと、前世の記憶のデータ引き継ぎ機能…とか、あとは転生者アシストシステムが無くなるのね。お前今オレが何喋ってるか分かんないよね?」

「うー、あう」

「だって赤ちゃんに戻ったもんな?」


コモンくんはニコ、とゆりかごに笑顔を向けてみた。

するとリュートはキャッキャと赤子の虫笑いを浮かべ、無邪気にコモンくんに手を伸ばすのである。

リュートは前世の記憶を失ったのだ。

それに女神の加護による言語翻訳機能も無くなったので、コモンくんの言葉が理解できない。異世界の言葉もはじめて聞く言葉となっているはずだ。

役職を返却されると、転生者に与えられるチート能力、前世の記憶、言語翻訳、ステータス表示機能、コミュニケーション保助システム(現実ではコミュ障だったのになぜか異世界の美女とは普通に話せるのは、この補助システムのおかげ)その全てが失われるのである。


「良かった上手く使えて。なんか《侵略者》ってスキルさ、めっちゃレベル上げないと使えないらしいの。あと普通は女神に役職返却できないらしくてさ、役職を一時的に…5分くらい奪うくらいしかできないらしいんだけど。オレめっちゃカスタムしたの。このスキル。闇市でスキルをカスタムできるスキル買ってさ、魔法バカ練習したわ。もうなんか聞いて?友達の知り合いにタナカちゃんって人がいるんだけど。タナカちゃんにめっちゃしごかれてオレ。死ぬかと思ったガチ。見た目超怖いのその人。マジ何繋がりであんな怖い人と知り合うんだよ。タバコ吸って良い?吸うわ」

「うー、だう」

「や、もうなんかさ。友達今全員忙しいから愚痴れないの誰にも。だからお前に全部喋ってんだけどさ。つか、しかもタナカちゃん〝その筋の人〟(反社会勢力)だから無詠唱魔法しか教えてくんないの。ヤバくない?無詠唱魔法ってアレ犯罪者しか使わないらしいじゃん。周りにバレずに魔法使わなきゃいけないからバカ正直に詠唱できないっていう理由らしいんだけど。だからタナカちゃん無詠唱でしか教えらんないの。初っ端で無詠!?みたいな。無理に決まってんじゃん。ガチ死ぬかと思った」

「あゃう、う」

「初スキル使用だぜオレ?なのに無詠唱だぜ?難易度高過ぎん?え?死ねやみたいな。チャッキーも無詠唱派だし。アイツも犯罪者だから。や練習したら結果できたけどさー。オレ寝れなかったもん。練習し過ぎで」


コモンくんはゆりかごの柵に両足を上げて窓を開け、タバコの煙をフーッと吐き出した。

リュートはもう既にただの赤ん坊になっていて、興味深そうにコモンくんの靴の裏を見つめるだけだった。


「スキルにカスタムすんのも大変だったし。なんか申請出さないといけないのアレ。書類めっちゃ書いたもん。合ってんのかも分かんないけど取り敢えず出して役所行って…最終的に川田さんがなんとかしてくれたけど。マジで辛かった。魔法の発動方法もさ、頭の中で念じれば魔法陣出るじゃん?ンで魔法陣の真ん中に手合わせると発動すんのね。アレがクソムズイの。魔法陣全然触れないし。なんか魔力のコントロールがうまくいってないと弾かれちゃうんだよね。だからオレ病院行って魔力点滴毎日打ってもらって魔力ドーピングして毎日コントロール練習してたわ。ってか魔力科の病院の横に性病科あってクソウケた。アレどうにかならんの?」

「………」

「あそうだ。知らなかったんだけど毎日大型魔法使ってるとクソ肩凝るねアレ。整体めっちゃ通ったわ。肩に力入るじゃんアレ。シンプルだるいほんとに…聞いてねえってそんなん…。…いやマジで頑張ったと思わねぇ?成功して良かったわ」


コモンくんはハーやれやれ、と天井に顔を向けた。

足首のあたりで組んだ足をゆらゆら動かし、ゆりかごを揺らしながら。

随分大変な思いをしたのだ。

無詠唱魔法の練習をショートカットする方法もあるが、アレもなかなか手続きが面倒なのである。

バギースモーカーは魔法陣に専用のカードを当てるだけで詠唱なく魔法を発動できるが、あのカードも役所に申請をいちいち出さなければいけないのだ。

コモンくんは川田さんに頼んでやってもらおうかとも思ったが、自分のスキルは明らかに悪用する為のものだと役所にバレてしまうため申請が結局できなかった。


なので純粋に練習するしかなく、魔力のコントロールの仕方をほとんど独学で学び続けた。

最初は詠唱したって魔法陣に触れることすらできなかったところから、少しずつ。

毎日魔力を使うと練習するための魔力残量が不足するので、病院に行って点滴を打ってもらい…マァ本当に来る日も来る日も練習したのである。

たまにサボって酒を呑んだりもしたが。

その甲斐あって発動できるようになり、今では魔法陣を透明化させることもできた。

無詠唱で、魔法陣を透明化すれば、周囲にいる人間は誰も自分が魔法を使ったとは気付かない。


ハンマーとジェットもこうやって魔法を使っているらしい。

だから彼らは魔法陣を滅多に出さない。

彼らから言わせれば、「魔法陣を出したらこれからどんな魔法を使うかバレるだろ」とのこと。

やはり悪魔や犯罪者は悪用のためにキチンと練習しているらしい。

お蜜みたいに幾つもの魔法陣を出して重ねて同時使用などできないが、それも練習すればできるようになるだろう。

もともと努力のやり方を知っている人間なのだ。

方向性は全部間違っているけど。


それに人に恵まれたからできた。

川田さんとチャッキーとハンマー/ジェット、田中ちゃんが付いててくれたので達成できたことだ。

結局世の中は顔でもスタイルでも金でも学歴でもなく、コミュニケーション能力と努力家が報われる社会なのかもしれない。

彼のこの人望は、ひとえにコミュニケーションと努力が招いた結果だ。

やり方は最悪だが。


「…とりま防音魔法と侵略者と勇者殺しは達成かな。あとはなんだっけ、沈黙の春?まだ使えないんだよなこれ。…いやマジ思ったんだけどスキル名厨二感やばくね?名前変えたいんだけどそれも書類出さなきゃらしいからもう諦めたわ」

「うー、やぅ」

「ハイハイ。ありがとねー、今日は練習台になってくれて」


コモンくんは愚痴を言い終わってスッキリしたらしく、魔術師のハットを被り直した。

久々にスーツを着たが、マァ悪くない気分である。

さて彼はニコ、と顔を作り直して立ち上がり、ドアを開け…。


「!どうでしたか、うちのリュートは…」


母親が興奮気味に飛び出してきたので。

コモンくんはニコニコしてハットを目深にクッと下げながら。


「はい!流石剣士様のご子息ですね。リュートくんは立派な剣士になりますよ」


と、適当に言って家を後にした。

残念閔子騫、リュートはただの子供になってしまったわけだが。

次世代の勇者のはずだったが、彼は才能を絶たれてしまった。何も悪くないし、何もしていないのに。

マしかし才能を持つ人間というのは得てしてこういう、しなくても良い苦労をするものだ。

思わぬところで足を引っ張られ、足元に火を付けられ、信じられないような邪魔立てが入るもの。

大きな才能には大きな困難が立ちはだかるのが世の常だ。

それに厄災というのはいつ来るかわからない。

精霊使いとして万全の状態でやっと強敵に会えるわけではないのだ。


ゲームは自分のレベルが上がるまで強い敵には遭遇しないものだが、現実では自分のレベルが底辺クラスでも強い敵に遭遇し続けるものなのである。


「ふぎゃ、おぎゃあ」

「あらあら、よしよし…」


母はしかし。

普通の赤子になったリュートの異変には気付かなかった。

むしろ昔よりよく泣く、赤子らしい赤子になったことを喜んでいたのだった。







悪役令嬢の鉄板は、ロマンス小説や乙女ゲームの中に入り込んでしまい、その中の登場人物になってしまうという筋書きである。


主人公は一度読んだ、或いはプレイしたことのある物語の中に入ってしまうため、その後の展開や登場人物、重要な出来事、その全てを知っている。

故に先の展開を知っているがために自分に不利な状況を覆すことができ、やるべきことを道筋立てて他よりも有利にコマを進めることができる、というのが、異世界勧誘詐欺の恐ろしいところだ。


ここまで聞けば「先の展開を自分だけが知っている」というあまりに有利なカードを手に入れている為、その世界の中では神のように振る舞えると錯覚してしまう。

あまりに魅惑的で飛び込んでいってしまう。


しかし。

考えても見ればわかる。

我々はテスト範囲を知っていたのに、テストで100点を取ることなんてほとんどできなかった。

どんな問題が出るかもほとんど分かっていた小テストでも完璧とは言い難かった。

よって先の展開をどんなに知っていたとしても、完璧な行動を取れるか否かは微妙なところである。

しかも社交界でうまく立ち回らなければいけず、味方を増やしていかなければならない立場。とにかく素晴らしいコミュニケーション能力が求められるのだ。


悪女に転生するというのは、例えるなら教室内で最底辺まで嫌われている状況に行くということ。

全員が白い目でコチラを見て、他勢が常に自分を虐めている状況下。

そんな場所で味方を探さねばならず、さらに悪印象を真反対に変えなければならない。

イジメにあっている人間が、その教室内で自分の印象をひっくり返してクラスのカッコいい男の子に好かれるという状況は、残念ながらあまり見たことがないが。


いじめてきた人間へ権力を振りかざしてもさらに悪い噂が飛び散るだけ、なんせ社交界など現代のように娯楽が飽和しているわけでもないのだ。

学校と同じほど陰湿で、悪口や噂が最もありがたがられる娯楽なのである。

もし公爵に嫌われていれば…もし婚約破棄などされれば、それほど影響力のある男に嫌われているなら最早そのゲームはゲームとすら言えない。

そもそも中世では男がこれ以上のない権力を持っており、女は立場が弱い。

権力のある男が「こう」といえば「そう」なりやすい時代だ。

そんな影響力のある人間に一度嫌われてしまえば、覆すことはどんなに先の展開を知っていても容易くはないだろう。


更に言えば、悪女の印象を消すために良いことばかりをしたとしても…メイドを虐めるのを辞めたとしても。

周囲は「変わった」とは思わない。

「不気味」だとは思うだろうが。

例えば毎日DVをしてきた父がいるとして、その父が突然別人のように穏やかになったとして…我々はきっとその父を死ぬまで信じることができないだろう。

変わったと分かったとしても今まで虐げられていた恨みがあるからこそ「何を今更」と流石に好きにはなれない。

人間の印象はそうそう変わらないものだ。


逆の場合は、例えば大好きな恋人がいたとする。

毎日「好き」と言ってくれて、大事に大事にしてくれたとしよう。が、その恋人がだんだんとモラハラ体質になってきて、することなすことコチラにケチをつけて暴力まで振るってきたとして…。

そんなことがあったとしても、きっと人はなかなか離れることができない。幸福だった頃の記憶と喜びが忘れられず、自分が悪いのではないかと思い始める。

またあの頃に戻りたくて、使った時間が全て無駄だったなんて思いたくなくて嫌いになりきれない。

人間の印象はなかなか変えられない。


よって、針の筵、周囲に嫌われている自分。

権力を振りかざしても悪口の餌になり、優しく振る舞っても人の印象は簡単に変えられない。

影響力のある男には捨てられ、絶体絶命の状況下。

革新的な事業を立ち上げたとしても、革新的なものというのは最初とにかく嫌われるものだ。新しいサービスは怪しまれるもので、どんなに良いものでも最初の頃はこき下ろされるもの。

オンラインサロンやクラウドファンディングが良い例だ。

それに周囲に本気で嫌われている状況ではその逆風というのは凄まじいものであろう。

物語の先の展開は知っていようとも、自分の未来は知らない。

そんな不確定な…恐ろしい難易度の、生活様式も文化さえも違う中世へ飛び込みたいと思う愚か者はきっと居ないだろう。


圧巻のコミュニケーション能力を持ち、百手先でも千手先でも予想できる先見の明を持ち、鋼の心臓を持ち、社交界というものを知り尽くしており、美男を籠絡させる素晴らしい手管を持ち、自分の魅せ方というものよく知り、時には大胆に、時には引き際というものをわきまえ、どんな会話でも失敗せずに素晴らしい回答を用意できる…そんな狂気的な凄まじい女でなければ、名誉を挽回し生き抜くのはほぼ不可能。


これが異世界転生勧誘詐欺の恐ろしいところ、神々はその影をひた隠しにし、先の展開さえ知っていれば誰だって主役になれると…乙女たちをたぶらかしているのだ。

考えてみればわかる、マッチングアプリがある時代、SNSで誰とでも簡単に繋がることができ、身分という縛りもなく自由に人々と交際できる時代に交際できなかった少女たちが公爵に恋をされるなど夢のような話である。


大学一の美男に告白されたことは?

街を歩けば毎日声をかけられる?

歴代の恋人は皆ハイスペックだったか?


『違うのか?ならまず無理だな、クリームパフ』

『男を知らない女に、女を知り尽くした男を射止められるとでも?可愛いな、ティファニーブルー』

『ゲラゲラゲラゲラ』

「きゅう、くうぅ、」


ハンマーとジェットはゲラゲラ笑った。

マリンちゃんは真っ赤っかになって、喉からコックを捻るような音を悔しそうに漏らすばかりである。


今をときめく公爵様。

もしくは同じように身分の高い美男たち。

彼らが自分に興味を持ってくれない女を好きになるか…といえば、大抵の場合はあり得ない。

誰だって自分を大好きで居てくれるかわゆい女の子を好きになるに決まっているのだ。


例えば、自分のことを毎日好きだと言ってくれて、献身的に尽くしてくれて、話しかければニコニコして嬉しそうに、放置すれば悲しそうに背中に抱き付いてくる浮気をしない凄まじい美男と…自分に全く興味がなくて、むしろ「近寄るな」と言ってくる冷たい美男とでは、明らかに上記の男を好きになるだろう。

「私に興味を抱かないなんて面白い男」と思うより、「私に興味を抱かないなんてつまらない男」と思うだろう。


『お前はイケメンに溺愛されたいんだろ?』

『そういう漫画を読んでる』

『男も同じだ』

『美人に溺愛されたい』

『人間はみんなそうなんだよ』

『自分だけには優しくしてほしい』

『自分に靡かない冷たい人間を好きで居続けられるか?』

『自分にだけは冷たい男に恋をするのか?』

『好きになった男に冷たくされるならまだしも。好きでもない男に冷たくされるんだぞ』

『それでお前は〝面白い〟と思えるのか?』

『好きになるのか?』

『同じだよロリポップ』

『男だって好きでもない女に冷たくされたら嫌いになる』

『毎日健気に寄り添ってくれる綺麗な女を好きになる』

『無条件で好きになってくれる可愛い女がほしい』

『お前だって無条件で好きになってくれる格好良い男がいいだろ』

『イケメンを助けてあげて優しくされたいだろ』

『残酷だと思うか?』

『イケメンは結局綺麗で都合のいい美人を選ぶのかと悲観するか?』

『お前だってイケメンで都合良く自分を大好きで居てくれるイケメンを待ってるくせに』

『『夢見てんじゃねえよ、バカ女!』』

「う、う、うぅ、」

『つまり嫌がるな』

『好きな男には尻尾を振れ』

『つまりオレに優しくしろ』

『悪魔に溺愛されたいならお前もオレを溺愛しろ』

『世の中って等価交換だ』

『愛が欲しいならお前から愛すべきだな』

「うーっ」

『なんだよ。いじめられて悲しいのか?』

『お前だってオレに素っ気なくするくせに。素っ気なくされると辛いのか?』

『なら優しくしろよ。優しくし返してやる』

『バカな女』

『お花畑のお姫様』

『お城で待ってても王子様は来ないぞ』

『おとぎ話は現実的じゃないからおとぎ話なんだ』

『現実にするのはお前の力量次第』

『可愛くなれ』

『媚びろ』

『好きな奴には好きだと言え』

『愛されたいなら努力しろ』

『素っ気なくされてもめげるな』

『異世界だってもう一つの〝現実〟だぞ!』


「ゔわぁ〜〜ん!!」


マリンちゃんは自室、音楽を流しながらドキドキとロマンス小説を読んでいたのに。

突然音楽は切り替わり、低いハンマーとジェットの声が…蓄音機から「ジジ、ジジ、」という音を響かせながら聞こえてきたのでいる。

そんな風にマリンちゃんは悪魔2人に揶揄われていじめられ、何度も蓄音機を止めようとしたのに無駄で、とうとう泣いてしまった。


『ゲラゲラゲラ』

『ケタケタケタ』


ハンマーとジェットの姿はどこにもない。

ただ蓄音機から流れるのは二人の笑い声。

がしかし。

暇な大学生みたいに床に寝っ転がって、マリンちゃんの少女漫画を読んでいたダイダラは。


「別に夢見るくらい良いじゃねぇか。夢見せる側も商売でやってんだから。現実でそんなん起こんねえことくらいみんな知ってんだよ。誰にも迷惑かけてねえんだから放っとけ」


ピンクのクッションに頭を乗せて、マリンちゃんを肯定してやった。マリンちゃんは涙に輝く目を彼に向け、グシグシ目を擦ってから…赤い顔のまま、無言でダイダラをビッ!と指さした。

蓄音機を睨みつけながら。

「どう?その通りでしょ?!」という顔で。

しかし蓄音機に乗せられたレコードは回り続け、勝手に針は落とされて。


『素直になるならオレが現実にしてやるっつったんだよ』

『そんな小説で満足できねえだろ?』

『小説のままで終わらせるな、マリンブルー』


蓄音機からそんな声が流れた。

マリンちゃんはそれを言われて、更にバン!とレンジで熱されたみたいに真っ赤になる。

この娘はドロシュに素っ気なくされ続けたせいで、好意を見せられる耐性ができていないのだ。

煙が頭から出るのを、ダイダラは「ぁわわ…」という顔をして見て。


「元ハーレム出身のやつってほんと男の趣味悪ィ…」


と、憐れむ顔つきをするのだった。

女扱いというものをまるで分かっていない転生者のハーレムにいた娘だ。

男の趣味が悪くて当然であった。




さて、そんな詐欺を働かれ、女神に「小説の展開を変えてみせろ」と引き抜かれてきた乙女たちへ。

美しい暴君の公爵、理知的な美男子、かわゆい天使のような少年、腹黒の意地悪な美男…と、よりどりみどりの世界で、悪役令嬢をシャオがどのようにたぶらかすかと言えば。


「…オレも地球から来たんです。日本から、気がついたらここに居て…」

「………」

「どうして良いかわからなくて。貴方ももしかしたら、転生してきた方じゃありませんか。勘違いだったら、…その、ごめんなさい」


死亡フラグを回避するために慣れない生活を続け、誰も信じることができない悪役令嬢へどんな手を差し出すかと言えば。

こうである。

同じ転生者として境遇に同情し、共に死亡フラグを折るために側で画策して協力し、懐かしい望郷の話をし、同じ目線で支えて愛するような…。


共犯者の立場で、彼は悪役令嬢に取り入ることにしたのでいる。







シャオ・カルト/ホワイトリスト

種族:白鬼 役職:ラブソング

レベル:1056


スキル、《うんうん、それは彼氏が悪いね》を獲得しました。







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