第11話 冒険の始まり



『人の骨を折ったことはありますか』

「え、はい」

『どのように?』

「…。…カラの硬いペットボトルの飲み口にさ、相手の折りたい指突っ込むの。そんでペットボトルを逆向きに思いっきり曲げると、テコの原理で簡単に折れんのね。こうやって」


コモンくんはペットボトルに自分の中指を差し込み、手の甲の方へペットボトルを軽く押した。

そしてニョロ、と舌を出して愛想良く笑い、「そんな感じ」と言って、そのカラのペットボトルを隣に座っていた少年にカラン!と投げた。


「捨てとけー」


そう言って。

コモンくんは肘を付いて、「それが何?」という物凄くつまらなさそうな顔をしていた。

尋問用のAIは沈黙する。

何か次の質問を考えているようだ。


『過去に人を虐めた経験は?』

「え、ない」

『本当にありませんか?過去の捏造や虚偽申告は罪に問われます』

「あっても覚えてないよーん…」


コモンくんは物凄く退屈そうだった。

対面したAIは丸いテレビ画面のようで、真ん中には青い丸が表示されていた。それが、コモンくんが喋ったり、AIが喋ったりすると揺れるのだ。

それだけなので、非常に退屈なのである。


『簡単なテストをします』

「ん…」

『迷子の子供が泣いています。どうしますか?』

「え、放置」

『助けるとしたら、どうしますか?』

「蹴って泣かす」

『それはどうしてですか?』

「泣き声デカくなったら親が見付けやすくなるから」


コモンくんはメンソールの、「ポルノスター」という銘柄のタバコに火をつけて煙を吐いた。


『館内は終日禁煙です。お煙草はご遠慮ください』

「じゃあ帰して」


彼は片足をテーブルの上に乗せ、顎を少し上げて嫌そうに言う。尖った金色のまつ毛が緑っぽくて暗い蛍光灯の光にキラキラッと輝いて、美男子ぶりに拍車が掛かっていた。


『では次に、ドロシュ・ハウゼンの件です。貴方は彼に会って、何か心境の変化はありましたか?』


AIはさっきからずっと質問形式を変えていた。

きっと彼の答えがあまりに予測と違うからだろう。

コモンくんは蛇の、石のような縦の瞳孔をAIにやっと向けた。

そして首を傾げ、


「…ドロシュって誰だっけ?」


と、本当に分からないという顔をした。

彼は本気でドロシュを忘れていた。なんだか聞いたことのある名前だけど、上手く思い出せない。

そんなヤツいたっけ。なんだっけ。

覚えてないよ、昨日飲んだ酒も覚えてないのに。

という無垢な顔をして見せるのであった。

コモンくんの隣に座っている少年は小さく背中を丸めている。彼も同じように質問を受けているが、コモンくんが怖くて縮こまっているのだ。


「待って、思い出すから」


コモンくんは頭をかいた。

彼の手首にかけられた手錠がジャラッと音を鳴らす。

そしてンー、と考えてから。


「あぁ。アイツか。今どうしてんのかな」


と、煙を切れた唇から吐き出しながら、思い出せてスッキリ!という顔で簡単に言った。

彼にとってドロシュはあまりにもどうでもいい存在となっていたのでスッカリ頭から抜けていたのだ。

思い出せたのは奇跡である。


「…つか、何。お前さっきから何見てんの?」

「えっ。あ、」

「面白い?オレ」

「あ、」

「面白いなら友達になろうぜー」


コモンくんは隣に座っていた少年の肩に手を回し、肩を乱暴に揉んだ。

そしてニコニコニョロニョロ微笑んでから、「じゃオレら友達な。ビール貰ってきて」と言う。


「10秒以内。」

「あ、あっ、はい!」


ドスの効いた声で言えば、少年はワッと青ざめて駆け出そうとした。コモンくんはそんな彼の足に足を引っ掛けて派手に転ばせる。


「っうぶ」


少年はバチィン!と音を立ててグレーの床に顔を打ち付けた。

コモンくんは勢いよくプハッと煙草の煙を吐いてから、開けっぱなしの窓みたいに、夏空みたいに笑う。

そして簡単な魔法を使って、海外のホームコメディみたいな笑い声を部屋の中に反響させた。大勢の外国人の笑い声が彼を囲うように響く。

最悪な演出だった。


「10秒経ったけど。なにしてんの?お前」

「あ、う、すいませ、」

「ハー…つまんねぇ〜…ダル、マジで」


彼は笑ってから、凄くイライラした声を出す。

そしてAIを見て。


「今すぐ、オレを、家に帰せ」


と、煙草を床に落として言ったのだった。

さて、正直に彼はAIの質問に答えた。

嘘をついたり誤魔化したりすると罪に問われるので、仕方がなく素直に答えたのである。

彼は最悪なのでいくらでも嘘をつけるし、いくらでも嘘泣きができるし、事実嘘だけで小学生の頃学年主任やお硬い女教師やクラスメイトを味方に付けて自分のクラスを学級崩壊させ、担任を辞職に追い込んだこともあった。

この男の二枚舌は本物である。

毒蛇は嘘つきの象徴でもあるのだ。

マしかし、面倒なので。

正直に答えたところ、彼は1時間待たされた挙句に…


『コモン・デスアダー。勇者適性なし。異世界開拓局行きが決定しました』


と、AIに言われてしまったのであった。

当然と言えば当然だし、彼は今すぐ地獄に落ちるべきである。

よってこれは寧ろ寛大な処置とも言えた。




……





何があったのかと言えば、彼はサイコリストに落ちてしまったことで監査員に連行されてしまったのだ。

素行の悪さや悪質さがバレてしまい、もう言い訳も通用しなかった。

というわけで彼は家でハンマーとジェットに「土足で家に上がるな殺すぞ」と酒瓶で殴り付けようとしていたところを、白人の監査員がきて、連れて行かれた。


そもそもリストが一段落ちると必ずこうして監査員が来るシステムになっている。

だからお蜜は躍起になって事実を隠していたのだが、監査員の目は誤魔化せなかった。

よって連れてこられた場所。

AIの簡単な質問に答えれば帰してもらえると聞いたので軽い気持ちで答えていたのだが。

隣には自分と同じようにプラチナリストからホワイトリストに落ちた少年が居て、リラックスしていたわけだが…。


コモンくんに下された処置は開拓地送り。

それもドロシュと同じ開拓局であった。

アレは一度落ちたら2度と出られない地獄穴。

生きて見ることができる原液の最悪だ。


「………あーね?」


コモンくんはニョロ、と舌を出して肘を付いた。

そして冷たい蛇の目を画面に向けて、「…開拓局の収容人数は?」と真っ先にそれを聞く。

普通は悲鳴を上げて絶望する筈なのだが、彼はそれをしなかった。


『お答え出来ません』


AIが言った。

コモンくんの目が右を向く。

その方向には壁があって、視線を動かしたことに特に意味はなかった。

ただ、考え事をしたかったから横を見たのだ。


「じゃ、最後にお蜜ちゃんに会わせてくれる。オレももう終わりみたいだし」


ニコ!として言った。

机に片足を乗せたまま。

するとAIは暫く沈黙してから、「はい、5分であれば可能です」「会話は全て記録されます」と言った。

コモンくんは「5分もありゃ上等だな」と脳みその端っこで思って、ニコニコして足を机から下ろす。

すると狭い尋問室のドアのロックが自動で外れる、ジー、ガチャという音がして、お蜜が飛び込んできた。

彼女は息を乱していて、目が真っ赤である。


「お蜜ちゃん!♡♡♡」

「こ。コモン、くん、」


お蜜は涙を落として、彼の胸板に飛びついた。

この世の終わりみたいに強く抱き付き、手とお腹を震わせている。開拓地送りになったことを知らされたからだろう。

ショックで手の先はとても冷たくなっていた。

コモンくんはそんな彼女を手錠の付いた腕で優しく抱きしめ、目を細めるのである。


「おみつちゃん、ごめん。オレ開拓地送りになっちゃった」

「ぐすっ、ズビ。嫌。嫌よ、わたし」

「大丈夫だよ。泣かないで。怖いね、ごめんね」

「嫌。いやよぅ」

「ごめんね。嫌だね…」


コモンくんの声は優しかった。

彼女の背中を優しく撫でて、ちまい頭に頬をくっ付けるのである。

強がっているようには見えない。

彼は死に際みたいに穏やかで、心臓の音さえ優しかったのである。


「オレお蜜ちゃんのこと泣かせちゃった。ごめんね、嫌いにならないで。これからだったのに…役に立てなくてごめん」

「う。っう、ゔーっ。うう、」

「泣かないでー…」


コモンくんは眉を下げて彼女の目から落ちる涙を、一生懸命指で拭ってあげた。そしてゆるゆるまなじりを下げ、心配そうな顔をしながらおでこをくっ付ける。


「お蜜ちゃん。大丈夫だよ。あのね、聞きたいことあるんだ。5分しかないから、今教えてくれる?」

「、っ、」


お蜜は泣き過ぎて喉が潰れ、うまく声が出せなかった。

コモンくんはそんな彼女を一生懸命撫でて慰め、「深呼吸してね」と子供に言い聞かせるように優しく言う。

すると彼女はふうふう呼吸をして、それから頑張って深呼吸をした。

コモンくんはそんな彼女にニコ、と笑顔を向けて、「強いね」と髪を耳にかけてやりながら言った。


「オレの行く開拓地ね、何人収容されてるかとかわかる?大体の人数でいいんだけど…」

「?ずっ、ぐす。…にん、げほっ。人数…?」

「うん。わかる?」

「ずび。…スン。…さ。3,000、人、くらい」

「三千人ね。開拓局で働いてる一番偉い人は?」

「え、エニグマ・クロノグラム、」

「ウン。その人の次にえらい人は?」

「シュ、けほ…シュルレア・キュール」

「男?女?」

「おとこのひと、」

「年齢は?」

「んと、ズビ40歳、くらい」

「ウン。階級とかある?」


コモンくんはお蜜の小さな手を暖めるように握って、それからも開拓地の様々な情報を聞き出した。そしてフム、と頷き。


「お蜜ちゃん。ごめんね、オレ開拓地出るの半年くらいかかっちゃうかも。オレに半年ちょうだい。そしたら絶対戻ってくるから」

「ぁ、む。むりよぅ。出れた人、いないのよ、」

「大丈夫。オレのこと信じて欲しい」


コモンくんはお蜜を撫でて言った。

彼の瞳は細かく微動していた。

頭の中で様々なことを考えているのである。

簡単なこと、難しいこと、色んなことを。

細かく申せば、三千人いる場合の大体の派閥の数や、監査員の数、開拓地で転生者がされている洗脳マニュアル、責任者の性格や階級、システムなどを頭の中で予想したり組み立てたりして、どのように出世しどのように脱出するかを考えていたのだ。

マァ今いくら予想しても斜め上をいかれることも当然あるため、単なる脳の体操にしかならないだろうが。

それでも彼は簡単そうに「だいじぶだよ」とお蜜をむにむにもちもち撫でるのである。


「ね、お蜜ちゃん。オレね、グラタン好き。半年経ったら、チンするやつでいいから作って欲しいな」

「う。う、グス。ずび、うう、」

「約束ね。お蜜ちゃんだいすき」


丸いおでこにキスをして、コモンくんはギューッとお蜜を抱きしめる。そして目を細め、簡単そうに彼女から離れた。

それは到底今から開拓地に行くとは思えない男の顔である。


なんせコモン・デスアダー、彼はマインドコントロールや集団心理のプロである。

たった三千人の中でトップに立つなどあまりに容易く、その上で残虐な執行官たちに気に入られるのも訳はなかった。

開拓地が極限状態ならば彼にとっては非常にやりやすい。

それに開拓地は不死の体にされるらしいし。

死なないのであれば、口さえ動けば上等である。

ウジの沸いた飯を食わされようと、リンチされようと強姦されようとこの男は最低限頭と口さえ動けばどんな局面も乗り越えられる自信があった。

彼が本当に恐ろしいのは、人が一切いない箱の中に放置されることなのだ。

しかし人さえあれば幾らでも自分のホームゲームに持ち込むことができるのである。

そして凄まじいまでのポジティブシンキングと、過剰なまでの自己肯定感の強さと自分の力への過信があるから、心が折れない。

どこに行ったってやっていけると言うのは、つまりそう言うことだ。


「任せて。オレのこと待っててね。オレがいない間に他の男のとこ行っちゃやだよ」

「ヒック、ヒッ、ひぃ、」

「約束ね」

「こ、コモ、く、」


好きよ。

彼女は震える声で言った。

虐待された子猫の声だった。

眼球にナイフが近付いてくるのを怯えるような、しわがれた声である。

コモンくんはパッ!と笑って、「オレも大好き!♡」と幸せそうに言った。それはこれから殺されるのをうまく理解できず、無邪気に笑う子供みたいだった。


5分経過。

かくして彼は、開拓地送りとなったのである。





「………」


風が吹いていた。

開拓地の下から流れてくる真っ黒い風が、コモンくんの三つ編みを揺らす。

ここはいつも暗くて、穴の底は真っ暗だ。

見下ろしても何も見えないのである。

鈴虫の声が聞こえて、真夏なのに秋風が吹いている。

彼は開拓地、地獄の入り口を見下ろして目を細めた。


彼の両サイドには厳しい目をした監査員がいて、背後にはこの中で一番偉い転生管理者の男が立っている。


「コモン・デスアダー。勇者適性無しとして、開拓局に引き渡します」

「………」


責任者が無線で誰かに言った。

コモンくんは穴の底を見下ろし、流石にちょっと怖いなーと思う。この高さから落ちるのはちょっと、いやかなり怖い。

普通に降ろしてくれないかなと思った。


「、」


するとフワッと真っ黒の穴から、赤い女が浮き上がって穴のそばへ立った。

背中についた8対の腕、体の横に付いた2対の腕。

合計20本の腕がついた、赤いドレスを着た美女。

エニグマ・クロノグラムである。

開拓局のボスがお出ましだ。

コモンくんは「あ、顔見知り!」と思ってから。

これから先なんとかこの人に取り入れられないかな思って、ジッと彼女を横目で見た。


普通はこの穴の底を見て、もう逃げられないことを悟って腰砕けになっている筈なのに。

コモンくんは落とされるのだけを嫌がって、「なんとか普通に降ろしてって頼めないかな」と彼女の横顔を見ていた。


『ようこそお越し下さいました。監査員の皆様、開拓局局長のエニグマ・クロノグラムです』


滑らかで平坦な声も変わらない。

彼女は体の前で手を合わせ、全くの無表情である。

コモンくんを全く見ておらず、監査員だけを見ていた。


「どうも。勇者不適合者の引き渡しに参りました」

『はい、ロッテン・ガロー様ですね。お待ちしておりました』

「あとはよろしくお願いいたします」

『はい。承りましたが…』


エニグマさんは大きな目を見下すように半分瞼を下ろして、今日はゼブラ柄になった赤いボブをサラ、と艶めかせた。


『コモン・デスアダーをこちらで審査した結果、勇者適性者であると判断されました。不適合者であるという事実は確認できません』

「───…は、」

『コモン・デスアダーの受け入れは拒否させて頂きます。また、審査内容などに関してはお伝えできかねますのでご了承ください』

「そんなはずは…ありません。何かのお間違いではありませんか」

『開拓局が判断し、決定したことです』


エニグマさんはロッテン・ガローをまともに見つめた。

──開拓局。

監査局もまた素晴らしい権力を持っているが、開拓局もまた山のような大物である。

企業で例えるならばAmaz×nかGo×gle、N×tflixかa×pleか。

エニグマさんは全ての開拓地の頂点に立つ女。

コモンくんの罪を揉み消すことなど、造作もなかったのである。


「…はにゃ?」


さて、落ちる気満々であったコモンくんが勿論1番驚いていた。何が起こっているのか分からない。

確かに自分がこの穴に落ちるなんて信じられないくらい腹が立つし、自分は何も悪いことをしていないのに(しているし、地獄に落ちた方がいいし、全部コモンが悪い)こんな理不尽な目に遭うなんて許せなかった。

けれど決定が覆らせるなんてまさか思わなかったし、エニグマさんが庇うような働きを見せるなんて思わなかった。


一体何が…と思ったが。

当然裏がある。

彼女はコモンくんに私的な感情を抱いているわけではない。むしろなんの興味もなかった。


がしかし。

彼女はほぼ毎日通っては柚子茶やプレゼントを持ってきて、尻尾を振って自分に懐くオドロアンに非常に私的な感情を抱いていたのである。

彼が好きだし、最早エニグマさんは彼に陥落している。

仕事一筋で生きてきた硬質な彼女の心を解いたのはオドロアンだったのだ。


エニグマさんは別に冷たく振る舞っているつもりなどなかったが、周囲からは鉱物のように扱われている。

しかしオドロアンは彼女を見るたびに「可愛すぎるのだが…😅🤚💦」「え?愛しているのですが…💦笑」と言い続け、エニグマさんにゴロゴロ喉を鳴らして懐き続けたのだ。

それにオドロアンは「ごめん、オレ腕2本しかないのキモいよな」とむしろ自分の見てくれを気にする始末、彼女をどこまでも肯定し続け、歩けば側に寄り添い、座れば手を握った。

エニグマさんを毎日「かわいい」「だいすき」と褒め続け、「オレも腕いっぱいあったら全部の手握れるのにな」と悲しげに眉を下げるのである。


そして紅茶アナリストの資格を取り、柚子茶だけでなくエニグマさんが好みそうなお茶を淹れ、「今まで紅茶の資格持ってなくてごめん」とさえ言ってみせた。

マッサージも習い続け、「背中重たくて肩凝るよな😢💦」「もし触られるの嫌じゃなかったらいつでも言って、いつでもやるから」と言った。

頼めば彼女の肩にタオルをかけ、いつまでも嬉しそうにマッサージをしてくれたし、嬉しい可愛い大好きを言い続けたのである。

気持ちよくて眠ってしまったエニグマさんが、「…右から、二番目の転生者を…始末…するように、」と凄まじく怖い寝言を言っても、オドロアンは「あ!右から二番目の転生者を始末するように言い付けてる」「かわいッ…夢の中でも仕事してる…🥰」と嬉しそうにニコニコするばかりであった。

マァそんな男に通われ続けたのだ、エニグマさんも彼にメロメロである。

最近ではオドロアンが来れば彼女から迎えに行くし、隣に座れば彼女から寄りかかるようになった。

タトゥーの入った優しい手が大好きになって、彼のくれた豹柄の赤いピンヒールを履くようになった。

最近では遠慮していたオドロアンは撫でてくれるようになって、それが凄く嬉しかった。エニグマさんは人に撫でられるのはその時が人生で初めてだった。


というわけで。

エニグマさんは非常に私的な感情で、オドロアンが悲しまないために権力をフルに使って…彼の友人であるコモンくんの罪を揉み消したのである。

彼女の決定は絶対だった。

開拓局の頂点は陥落したのであった。


よって、…。


「っ、……」


コモンくんは手錠をエニグマさんに外され、「転生者様。お車をお出しします」と平坦な声で言われた。

監査員は戸惑いを隠しきれず、「困りますな」と突き飛ばされたように言った。


「開拓局長殿。この者に勇者適性はありません。どのような審査をされたのかは分かりかねますが、監査局の決定でして、」

『ロッテン・ガロー様。失礼ながら、出世にご興味がないのですか』

「は、」

『監査局からの許可証も届いています。コモン・デスアダーは担当女神の元にお返しします』


彼女は片目をチカチカッと赤く光らせ、赤く透ける許可証のフッと空間に出して見せる。

エニグマさんは有り余る富を、金を監査局に積んでいた。

このためたった今彼の罪は完全にこの世界から消去され、コモン・デスアダーの罪状は白紙となったのである。


『コモン・デスアダーは開拓地の者が送り届けます』


買収が済んだ彼女は風に髪を靡かせる。

今日はレッドのマーメイドドレスを着ていた。


『では失礼致します。お気をつけてお帰りくださいませ』


エニグマさんはゆるゆると頭を下げた。

こうくると一介の監査員が口を挟める問題でもなく、最早「…では、」と取り付く島もなく帽子をパッと脱いでから車に戻る他なかったのである。


「………」


取り残されたコモンくんはただ茫然としていた。

本当に開拓地に行く気だったので、拍子抜けだったのである。

まさか友人のオドロアンが彼女を懐柔しているとは思わず、不思議そうにエニグマさんを見つめるだけだった。


「あ、りがとうございます?」


礼を言った。

エニグマさんは何も言わなかった。

すると、遠くから黒塗りの車がやってくる。

エニグマさんが手配した車だった。


『──転生者様』

「あ、はい」

『オドロアン様は、どのような食がお好みですか』


車に乗り込もうとした時。

エニグマさんはポツリと去り際にそう言った。

それを聞いて全てを察したコモンくんは、「ああ、」と深い納得の顔をして。


「デミグラスハンバーグ」


と教えてあげた。

確か飯に誘ったとき、「もうこれしかいらんのよ」と言いながらよく食べていたのを思い出したからだ。


「でも多分…エニグマさんが作ればなんでも喜ぶと思います」


エニグマさんはそれを聞いて頭を下げ、「それでは失礼致します」と一言…フワッと穴蔵の中に消えていった。

…オドロアンはどうやら…知らないうちに、凄まじく大きな山を動かしたらしい。


「お蜜ちゃん、ただいま♡♡」


半年と言ったが、1日もかからずに帰ってきたコモンくんはお蜜を抱きしめ。

…すげぇカードを手に入れたもんだな、と腹の中でトグロを巻いた黒い蛇と笑った。

これ以上ない禁止カードとコネをデッキに入れることができたのである。

懐柔するどころか、いきなりてっぺんを取ることができた。


「心配してくれてありがとう。お蜜ちゃんだいすき」


ンビャ!と泣いて胸にくっつくお蜜を撫で、コモンくんは幸せそうに笑った。

残念、彼はまだ地獄に堕ちない。

結局こういう風に世渡りが上手い男は因果応報を切り抜けてしまうのだった。

これから先彼は、彼らのパーティは、どんなことをしても開拓局に揉み消されて無罪放免となり続けるだろう。

世の中というのは、本当に理不尽なのだ。







「…ウィース…アザす」


ギラお兄さんは朝早くに荷物が届いて、ガリガリ頭をかきながら配達員の対応をした。

届いた赤い段ボールには差出人が書いていない。

ということはビンゴ、闇市で予約していた装備が届いたのだ。

ギラお兄さんは闇市で働いているラスネールという男と仲良くなったので、こうして現地に行かずとも自宅に届けてもらえるようになったのだ。

かなり前に頼んだもので忘れかけていたが、キチッと指定日に届いた様子。


彼はTシャツにパンツ一枚、リビングにそれを持っていってガムテープを剥がした。

ダンボールの中から取り出したのはまたしても小さな箱。

これを開けると、


「…おー。やば。普通じゃん」


中から出てきたのは、シルバーのシグネットリングである。

単なるファッション用アクセサリーという感じで、何の変哲もなく見えた。

ギラお兄さんはソレを中指に適当に付けてみる。

そして片目をチカチカッとブルーに光らせた。

これはレベル10以上になればできるようになることで、自主的にする時もあれば他所からの連絡で光ることもある。

ギラお兄さんは片目を光らせて自分のステータスを見てみた。

すると、


非公開ステータス

ギラ・ヴォイニッチ/ダークリスト

種族:猫 役職:スプラッター

Level:720



公開ステータス

ギラ・ヴォイニッチ/プラチナリスト

種族:白猫 役職:アタッカー

Level:25


と、出た。


「おー。おっほほ。無理あるわ」


ギラお兄さんは煙草を口の端に引っ掛けて吸いながら、ほとんど口角を上げずに笑った。

この指輪が何かといえば、詐称用魔法が込められた魔道具…糸クズたちが初めて買った装備である。

彼らはダークリスト揃い、あまりにも真っ黒なステータスのせいで困ることが沢山あった。

まずギルドには入れないし、悪い人以外友好的に話してくれない。信用地は最底辺。冒険者達からは白い目で見られるし、何より女の子に全然モテないのだ。

それにコモンくんはそのせいで捕まって開拓地送りになりそうになったし。

そもそも悪魔が勇者のパーティだ。

誰からも信用されないに決まっている。

悪い事をするならば、信頼が必要だ。真っさらな経歴と素晴らしいステータスが必要。

だから闇市でこのステータス詐称用装備を手に入れたのである。


「なんか遊んでんのか?糸クズ」

「セックストイでも買ったのか?」

「それともお人形遊びか」

「付き合ってやろうか猫畜生」

「遊んでやろうかフランケン」

「お前が泣くのを面白がってやるよ」

「お前が苦しむのを見て酒を呑むよ」

「かわいいズダ袋」

「憎いクリームパフ」

「おはよう白猫」

「おはようバカ猫!」


「ァ怖〜…」


ギラお兄さんが他の指輪も開封していると。

真後ろから突然肩を掴まれ、右と左の交互からそう言われた。

ハンマーとジェットである。

静かな早朝に一番会いたくない人種、最悪の象徴。

ギラお兄さんは猫耳を下げて疲れた顔で振り返り、「詐称用リングっすよ」と買ったものを見せた。

ハンマーとジェットは派手なナイトガウンを着ていて、今しがた起きてきたのだとわかる。


「詐称用リング?」

「うす。活動中怪しまれると困るんで。付けてください」

「何に化けるんだ?」

「何か変わるのか?」

「ステータス表示が変わるっぽいっす。どぞ」

「………」


指輪を受け取った2人は、意外と素直にそれを見て、黙って人差し指に付けた。

すると指輪がドギツイピンクに代わり、ハンマーとジェットの片目がチカチカッと光る。


非公開ステータス

ハンマーとジェット/サイコリスト

種族:ドッペルゲンガー、悪魔、勇者

役職:ジョーカー、ピエロ

Level:S-666



公開ステータス

ハンマーとジェット/ブルーリスト

種族:ヒューマン 役職:エクソシスト、勇者

Level:560


と目の前に表示された。

2人はこれをキョトン!とした勝気な目で見つめ。

それから指輪を見つめ、またステータスを見つめ。


「こりゃ良いなオリヴァ」

「エクソシストかジェット・ブラック」

「ゲラゲラゲラ」

「ケタケタケタ」

「あ、気に入ったっぽい」


2人はここに来て初めてお互いと会話した。

よほど気に入ったのだろう。

2人は機嫌がいい時、互いのことを「オリヴァ」「ジェット・ブラック」と呼び合うらしい。

本名かは知らない。本名は誰も知らない。

が、楽しそうなのでマァよしとする。

気に入らなかったらどうしようと思ったが。


「ヒューマンのフリか。できるのか?」

「ヒューマンの習性を知らない。自信ないぞ」

「でもステータスがそう言ってる」

「なら間抜けはみんな騙せる」

「かなり高価なリングだ。パチモンじゃないな」

「かなりのレベルじゃないと付けられない」

「体が耐えられない」

「掘り出し物だな」

「気に入った、エクソシストなんてオシャレだな」

「キュートだしロマンティックだ」

「…あの。それずっと付けてて貰えます。Sクラス悪魔ってバレたらガチヤバいらしいんで」


2人はジーッと指輪を見つめていた。

するとキュ、と目を細め、コンコンと指輪をノックする。

すると指輪はピンクダイヤモンドの宝石に変わり、彼らの指によく似合うデザインに変えられた。


「こっちの方がいいな」

「気に入ったぜ、ギラ」

「お前の言うとおりずっと付けよう」

「ずっとだ、結婚指輪みたいに」


そう言って2人はニヤーッと笑った。

その顔は怖い事を考えている時の顔だ。どうやって目の前のギラ兄さんを痛め付けようか考えている顔。

ギラ兄さんは「これ以上はまずいな」と冷静に判断。

なのでチャッキーに教えてもらったとおり、黙ってキッチンに行って大きな袋に大量に詰められた鈴カステラを持ってきた。


「どぞ」

「………」

「………」


2人はガサ、と突然鈴カステラを渡され、キョトン…!としてから。黙ってそれを受け取った。

そして中身をジ…と見て、袋を開けて。

ソファに座って黙ってモソモソ食べ始めるのである。

目はもうギラお兄さんを見ていなかった。

テーブルに足を上げ、テレビ画面の不健康な色をした海外のアニメキャラクターが動くのを暇そうに見ながら鈴カステラを食べている。

これは2人が一番好きな食べ物で、魔界ではなかなか手に入らないお菓子なのだ。だから与えれば大人しくなるとチャッキーに言われたのを思い出したギラ兄さんがこれを持ってきたのである。

これは身の危険を感じたらする対策マニュアルの1ページ目だった。


何故対策があるかといえば、当然理由がある。

なんせハンマーとジェットは悪魔らしく、当たり前に邪悪で最悪だからだ。

2人は信じられないくらいに常識と秩序がなく、まずは「片づける」という概念が辞書になかった。

というか「カ行」が辞書に無い。

その為、当然トイレの便座は下げないし、土足で家に入るし、カーテンで鼻をかむし、テーブルには絶対に足をあげる。

物を食べる時は絶対にこぼすし、服の裾を伸ばしてその中にポップコーンを入れて食べる。油で汚れた手は近くにいたオドロアンのTシャツを引き毟るように脱がせて拭き、それをゴミ箱に投げ捨ててオドロアンを何故かビンタして席に戻る。

近くにいたマリンちゃんのおっぱいを特に意味もなく掴んで、おっぱいをビンタして何事もなかったかのように去って行く、煙草は人のコーヒーカップに入れて消す、もしくはテーブルにそのまま押し付けて消す。

酒はラッパ飲み、飽きたら近くにいるやつの頭にかけてから特に意味もなく瓶で殴る。


しかもハンマーとジェットの2人は別に仲がいい訳ではないらしく、寝る時は別々の場所で寝るし、今のリングの会話以外では2人はお互いの目を見ることもしなければ2人で会話もしない。

彼らは2人きりでいる時は静かで、何の会話もしないのだ。

喋る時は基本的に独り言というカウントになるらしい。

ソファで2人で座っている時、2人が電車でたまたま隣に座った人みたいに他人行儀であることに周囲は驚いた。

そういう、信じられないくらいの暴れ馬だし、扱いにも困るのである。

それにどっちがハンマーだかジェットだかもわからないし、なんの差もなかった。

本人も自分がハンマーなのかジェットなのかも分かっていない。

だから、


『ハンマー』


と呼べばどちらも振り返るし、逆もまたしかりである。

兄弟ではなくドッペルゲンガー。

しかも仲が悪くて、しかも自分がどちらかも分かっていない。

そんな意味不明の最悪なので、いくつかの対策が講じられたのである。


「………」


ギラお兄さんは触らぬ神に祟りなしと2人の前をソソクサと通って、リングを自分の部屋に持ち帰った。

もう少しすれば他の男達も起きてくるだろうと思って待つ。

その後はギルドへ偽りの情報を登録し、初めてパーティとして正式に活動を始めようと思うのだ。







「………」

「………」


ハンマーとジェットは生まれて初めてギルドに入った。

木造建築のこの建物内は非常に穏やかで、受け付けにはエルフ族のお姉さんが立っていた。

酒も提供しているようで、大きな帽子を被った魔法使い、ビキニみたいな鎧を着たお姉さん、子供みたいな顔をした騎士、明らかに貴族上がりの勇者がテーブルに座って何か話している。

壁に貼られた募集の張り紙、穏やかな空気。

始まりの町みたいな、みんなが一番最初に思い付くお手本みたいなギルドであった。


普通、ハンマーとジェット…Sクラスの悪魔がこんな場所にやって来れば、人々は逃げ惑い泣き叫び、間髪入れず攻撃を打ち込んでくる。

それにここに立つということは、つまりここをロストワールドにするという意味になるから…。避難勧告が出て、この世界はもぬけのからになるはずだ。

しかし人々は何の警戒心もなく彼らの前を横切ったり、見向きもせずに酒を呑んでいたりする。

それが新鮮で、なんだかぼんやりとしてしまうのだ。


2人は今、神父の格好をしている。

ブラックの足首まであるカソックを着ていて、首から大量のロザリオをかけていた。ロザリオは首にかけるものではないのだが、何故か2人はいつもこうしている。

多分シンプルに天への冒涜であった。

十字架も聖水も彼らには効かないのだ。

身長は185センチ。

それが揃って無表情で立っていると、マァ多少の迫力がある。

ドギツイピンクの三つ編みのツインテール、鎖のピアス。

派手な指輪と片手に持ったポップコーン。

それを見るに敬虔な神父にはまさか見えないのであるが。


「よし、ボーッとしてんな。今のうちに登録済ませようぜ」

「物静かね…」


ハンマーとジェットは募集の張り紙が貼ってあるボードの前に立って、長い影を落としていた。

無表情でギルドを眺めており、異様な空気だが霧降るパリみたいに物静かである。

よってコモンくん達は彼らが珍しそうにギルドを眺めているうちに登録を済ませてしまおうと受付へ行った。

今日はこのチーム歌舞伎町を、正式にパーティとしてギルドに登録するのである。


「こんにちは。クエストのご紹介であればあちらですが…」

「こんにちはー。今日アレなんすよ。パーティの登録で」

「パーティのご登録でございますね。おめでとうございます。では皆様、1人ずつコチラの水晶に手をかざして頂けますか。ステータスとお名前の登録を致しますので」

「あっす」


コモンくんはリラックスした顔で水晶に手を当てた。

本当は少しドキドキしながら。

毒蛇なんてステータスが出たらおしまいなのだ。悲鳴を上げられて治安維持隊を呼ばれてしまう。

そんな面倒はごめんだった。

だから流石に緊張する。うまく指輪が作動してくれることを祈るしかない。


「………」


隣で珈琲片手にサングラスをかけているダイダラも、ダイダラの背中に抱きついて頭の上に顎を乗せているチャッキーも少しドキドキしていた。

壁に寄りかかってスマホをいじっているオドロアンも、マリンちゃんとのんびりお話をしているシャオさんもどこかでコチラに神経を尖らせている。


「お、」


水晶が柔らかい青色に光った。

すると、水晶の真上に。


コモン・デスアダー/ホワイトリスト

種族:白蛇 役職:剣士

Level:26


…と。

お見事。

フェイク用の詐称ステータスが浮かび上がった。

受付のエルフのお姉さんは微笑んで、「はい、剣士様ですね。コモン様。登録完了致しました」と言ってくれた。

ギルドの水晶を騙せたのだ。

コモンくんは心からホッとして、「どーも」とニコニコを返す。すると頭の上に先ほど詐称したステータスが表示された。

どうやら登録した人間はギルド内にて、ステータスが頭の上に表示されるらしい。

安堵した糸クズ達はそれから案内に従い、言われるまま自身の登録を済ませていった。


詳細は、こうである。


修羅屋 京蜜/プラチナリスト

種族:ヒューマン 役職:魔術師

Level:305


チャッキー・ブギーマン/ホワイトリスト

種族:狐 役職:デバッファー

Level:320


シャオ・カルト/プラチナリスト

種族:白鬼 役職:聖騎士

Level:35


ダイダラ・ボッチ/ホワイトリスト

種族:ヒューマン 役職:ヒーラー

Level:27


オドロアン・ブルー/ホワイトリスト

種族:幽族 役職:召喚師

Level:22


ギラ・ヴォイニッチ/ホワイトリスト

種族:白猫 役職:アタッカー

Level:25


マシンガン・ロイヒリン/ブルーリスト

種族:水神 役職:アサシン、メイド

Level:400


と、上記の通りである。

指輪は素晴らしい活躍をしてくれた。

すっかり騙されているエルフのお姉さんは「…うーん、かなりレベルに開きがありますね」と言いつつ心配するだけだった。

言いたいことはわかる。

レベルに関しては、20以上が初級ダンジョンをなんとか任せられるレベル。300以上は歴戦の人間で、中級ダンジョンを安心して任せられるレベルなのだ。

500以上が上級ダンジョンの覇者。

500はこの辺りじゃなかなかお目にかかれない存在だ。

コモンくんはニョロ、と舌を出して、「ルーキーなんですけど、たまたま入れて貰ったんですよ」とニコニコ言った。

普通はレベル差がない人々が共に冒険をするものだが、マァきっとこのレベル300以上の3人が彼らを育てやろうとして組んでやっているのだろうとエルフは無理矢理納得した。

そういうことなら、今日がパーティの初登録というのも頷ける。

マァ見れば装備すら付けていないし、確かに強そうなのはマシンガン・ロイヒリンという女だけだ。

レベル300以上のお蜜もチャッキーも後方支援みたいだし…気の合う彼らを前衛として育てようというのだろう。


「これで全員ですね?」

「あ、いや。アイツらもです。ハンマー!ジェット!」


呼んだ。

しかしコモンくんは振り返った先に彼らが居なくて、アラ?と思う。

さっきまで大人しく張り紙の前にいたはずなのに。

一体どこに、と思えば。


「、ッ」


フッと突然、ギルドが真っ暗になった。

夜でもないのに、窓の外は明るい昼なのに。

窓の外は真っ暗になって、室内は物の輪郭すら見えなくなってしまったのだ。

糸クズ達は勿論、ギルドの中にいた人々も口を開けて動揺する。

一体何が起こっているのだと驚いたのだ。

あたりはツンと、蝋燭が消えたばかりの煙の香りが立ち込めている。…


「ご機嫌ようハニーパイ」

「麗らかな午後だ、蝶々が飛んでる」

「故郷を思い出すか?かわいいエルフ」

「両親の反対を押し切ってギルド勤務か、ハニーパイ」

「パパは心配してる」

「ママはお前の行く末が不安で仕方ない」

「実家に残してきた妹は泣いてたろう」

「可哀想に。大人しく花嫁修行をしてればよかったんだ」

「そうすればパパは一安心」

「妹が泣くこともなかった」

「ママも枕を高くして眠れたんだ」

「親不孝のアバズレエルフ」

「自分探しのために家族を捨てたバカ女」


受付の中。

エルフの後ろで。

カッと赤いスポットライトが落ちて、ハンマーとジェットはイエローのソファに座って聖書を読んでいる。

2人は…そんなものなど無かったのに、ふかふかのソファの上でオットマンに組んだ足を乗せていた。

するとジジ、と音が鳴って、そんなものもなかったのに蓄音機から緩い讃美歌が流れた。

ガビガビの音質でギルドに流れるのだ。


「ダーリン、それとも婿探しのために家を出たのか?」


ハンマーはエルフの顎をクイッと持って言った。

いつの間にか彼らは彼女の真横に立っている。

ジェットは彼女の隣で、白いタキシードを着て薔薇の花束を持っていた。


「優しくてつまらない男を探すのか?」

「子エルフを産むための種探しか?」

「強くて家庭を大事にする欲の無い男」

「慎ましい暮らしに白い犬」

「かわいい娘と小さなお家」

「横には旦那、空は晴れ?」

「家族は何だかんだお前を応援してくれてハッピーエンド?」


ジェットがチュッ!と頬にキスをすれば、エルフの姿は花嫁衣装に変わった。

…エルフは恐怖で固まっていた。

受付内には、最上級の防護魔法と結界が貼られていて、ここで働いている人間以外絶対に入れない仕組みになっている。

それなのに彼らはアッサリ入っただけでなく、ジョークみたいな魔法を連発するから。

何者なのかと恐れ慄いたのだ。

それに、何故自分の家族を知っているのか。

誰にも話したこともないのに、家族の反対を押し切ってこの遠い街に来たことまでバレている。

どうして、と思うけれど、固まってしまって声すら出なかった。


「素敵な人生」

「薔薇色の日々」

「子供に見送られて大往生」

「頭の上で天使が微笑んでる」

「バカ女は楽園でいつまでも幸せに暮らしましたとさ」

「旦那の不倫にも娘の売春にも気付かず幸せに」

「愛する家族」

「愛しい生活」

「優しい幸福」

「憧れの結末!」


エルフは指輪を左の薬指に嵌められ、薔薇の花束を持たされた。

2人は神父の服に戻り、ハンマーが彼女を抱き上げる。

ジェットがそれに跪いてロザリオを握り、神に祈るポーズをしてみせた。


「そうなることを願ってる」

「オレは神父、ハンマーだ」

「オレはエクソシスト、ジェットだ」

「このバカ女に神の祝福を」

「このバカ女に幸運と愛が満ちますように」

「アーメン」

「ハレルヤ」


そう言ってボト!とエルフを落とす。

そしてハンマーは受付にどか!と座り、ジェットはエルフの頭を踏みつけた。


「バッチリだな」

「どこからどう見ても聖職者だ」

「やってみるもんだ」

「挑戦してみるもんだ」

「神父とエクソシスト」

「名の通りのことをした」

「祝福を送った」

「幸多からんことを願った」

「良いことをした」

「面白いな」

「楽しいな!」

「ゲラゲラゲラ」

「ケタケタケタ」


スポットライトが消えた。

ギルドに昼の光が満ちた。

ハンマーとジェットはとても満足そうな顔をして、今のは上手くカムフラージュができたなという態度である。

2人は完璧に聖職者に成り済ましたつもりであり、素晴らしい働きをしたつもりなのだ。

誰にも怪しまれていないし、みんなからは素晴らしい神父だと思われていることだろうと自信満々だった。

ギルドにいた冒険者達は、どこからどう見ても異常な2人へ武器を向け始めているのに。

受付の中は侵入者対策の為に自動で放出される攻撃魔法だってあるのに、それを無効化している2人へ全員が大警戒しているというのに。


「…………」


糸クズ達はもう黙って目を逸らしていた。

俯いている奴もいるし、諦めてストーリーを撮っているやつもいる。シャオさんは窓の外の蝶々を見ていたし、コモンくんは顔を覆ってしゃがみ込んでいた。そんな彼の背中をお蜜がさすってくれている。

ハンマーとジェットはエルフのお姉さんを踏み付けたままニコニコして、「どうだよ」という顔をしていた。

見た?今の。

完璧だったろ?という感じで。…


「ッも。もう、」


そんな中。

怒りでカッ、カッ、と顔を赤くしたマリンちゃんが。

2人のことがまだまだ大嫌いな彼女が、両手をグーにして、


「良い子にしないと、川田さん呼びますよぅ!」


ムキャ!と怒った。


「、」

「え」


するとハンマーとジェットは、キョトン…!として。

そっくりなビックリ顔を向けてから。


「………ぇ、」

「………な、」


怒られた犬みたいにショボ、ショボ…とゆっくりマバタキさせて、物凄く哀れな顔をした。

2人とも川田さんが怖いし、もう2度と会いたくないからだ。

良い子にしたつもりなのに。

良いことをしたと思ったのに。

どうやら失敗したらしい。貢献は無駄だった。

頑張ったのだ、彼らなりに。

難しかったけど一生懸命やったつもりだったのだ。…


「…オーケー。ハンマー、ジェット。イナフだ。ゆっくり覚えていこう」


チャッキーが優しく言った。

コモンくんもしゃがみ込みながら頷いて、ニコ…と微笑み。


「責めないから、家帰って反省会しようぜ。ココア淹れてやっからさ…」


と、ほとんど諦めた顔をして言った。

悪魔に健常者のフリは難しい。

彼らは人々の生活へ巧妙に紛れ込んで人をたぶらかして堕落させるタイプの悪魔ではなく、世界を丸ごと潰すタイプの悪魔だということを忘れていた。

いくつもの世界をロストワールドにしてきた彼らにヒューマンのフリなどできるわけがなかったのだ。

それをちゃんと分かっていなかったこちらの落ち度である。と、コモンくんは反省した。

あと単純に身内に甘いので、彼らを許してやったのである。


さてこれでパーティ登録は台無し、彼らはこの世界を捨てることにした。

新たな旅路と冒険の始まりのはずだったのだが、一から練り直しである。


まずはハンマーとジェットを人間らしく仕立てること。

その為にはまず、人間らしい生活を覚えさせることだ。

成る程、強い味方が増えたけれど、やはりこういう弊害が起こるのかと…。

コモンくんは目頭をつまむようにして指で押さえた。


世の中というのは、理不尽なのだ。






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