第10話 悪魔の勧誘



「ヨシ。行こ!」

「なっ、何をしに行くんですかぁ?」

「え?カチコミだが?卍」


オドロアンはクラッチを鳴らして言った。

チーム糸クズ、とうとう悪魔の勧誘に踏み込んだのである。

踏み込んだのであるが。

彼らはお蜜の家から出た場所にて、派手なバイクに跨っていたのである。

オドロアンの背後にはコモンが乗り、ダイダラの背後にはギラ兄さんが。シャオさんの後ろにはお蜜がもち…と乗っていた。

チャッキーのバイクの後ろが空いている。

多分マリンちゃんはここに座らせられるのだろう。


しかもコモンくんは「暴力」と書かれた木刀を持っているし、オドロアンは長い学ランを着て黒いマスクをつけている。

チャッキーは白い特攻服を着ていて、襷掛けをして背中に「殺す」と金の刺繍を入れていた。

お蜜も黒いセーラー服を着て、スケバンみたいに長いスカートを履いていた。

因みにシャオさんはスケバンが性癖なので(初恋の相手がスケバンだった)、あまりお蜜を視界に入れないようにして小さなお花と汗をたくさん飛ばしていた。

好みなので照れているのだ。


「マリンちゃんの分もあるぜー。特攻服とスケバンどっちがいい?」

「い、今から何するんですかぁ?」

「んぇ?悪魔の勧誘」

「あく…?勧誘…」

「魔族をパーティに入れたいんだよね。そこでさ、ドロシュが統治してた世界はもう女神もいないし主力もいないからさ。魔族がそろそろ侵略しに来るはずなんだよ。だから今からそこにカチコミに行くって感じかな」


コモンくんは木刀を担いでニコニコしながらニョロ、と舌を出した。


「バイクはなんかテンション上がるから。特攻服初めて着たー。お蜜ちゃん似合う?オレかっこいい?」

「かこいい」

「嬉しーー♡♡♡♡お蜜ちゃんも可愛いぜ♡♡♡」


コモンくんの長ランの背中には「唯我独尊」の字。

確かに彼にはぴったりの言葉だった。


…マリンちゃんはバイクを見るのは初めてだった。存在も知らない。モンスターに乗って旅をしたり、馬車に乗るのが当たり前だったから。

だから分からなかったけど、異常なことは分かる。

彼らの格好が勧誘をしに行く格好じゃないことくらいは。

だって背中に「殺す」って書いてあるし。

パーティで初めての冒険?みたいなものなのに、これなのかと思う。

変なパーティだとは思っていたけど、あまりにも変だった。


「マァ乗れよ。こういうのはノリが大事だ。オレは最近諦めたんです。コイツらにツッコむの」

「い、今から悪魔と戦うんですかぁ…?」

「大丈夫大丈夫。オレも小うさぎちゃん(お蜜)もいるし。お前もいるからな。それに魔族も大したのはまだ来ねえよ。女神がいなくなって大した時間も経ってねえし」

「………」

「お前も一口乗れよ」


チャッキーはグッと自分の後ろを親指で指した。

そういうわけで乗ったのが彼のバイクの後ろ。

走り出したのはワープ用の真っ暗なハイウェイ。

バイクからは爆音の音楽が流れ、ボルテージはマックスだった。

 

「きゃーっ。あはははっ」


マリンちゃんはチャッキーの後ろに、立って乗っていた。

楽しくなって立ち上がったのだ。

最初はチャッキーの背中に手を付いていたし、原理がわからなくて怖かったが。

分かればもう怖くなくて、バイクのバイブレーションもエンジン音も面白くなった。

だから彼女は彼の後ろに簡単そうに立ち、キラキラ目を輝かせて白いエプロンと青髪を靡かせていたのである。


「立つって何?体幹どうなってンのよマリンさん」

「わかんねっす。流石元チートメンバー」


チャッキーは背中にもちもちがくっついてくれると思っていたのでしょんぼりして耳を下げていたが、マァ楽しいのなら良いだろう。

というわけで彼は一番先頭へヴァーッと音を鳴らして煙を吹き上げながら出て、もっとスピードを出してやった、

マリンちゃんは嬉しそうにキャアキャア言って、時折チャッキーの頭に手を付いたりしながら真夏の風に吹かれている。


…マァ、毎度予測不能な動きをするモンスターに乗っている乙女だ。モンスターには乗る場所なんてないし、突然一回転したりする。

そんなものに乗っているならばバイクなど怖くもないだろう。

チャッキーの方がよほど怖い。


「楽しいですぅ。こんな楽しい出発初めて!チャッキー様、誘ってくれてありがとうございますぅ。楽しい!」

「かわいッ…」

「愛しッ😷💦💕」


マリンちゃんはキャッキャとはしゃいで野郎どもとカッ飛ばすハイウェイを楽しんでいた。

お蜜はギュ!と目を瞑ってシャオさんの背中にくっ付いていて、しかし本人なりにスリルを楽しんでいるようである。

コモンくんも3段シートに寄りかかってヘラヘラ笑い、爆音のEDMに心臓を高鳴らせていた。

ああ、異世界って面白いなぁと思いながら。

彼は今、友達と好きな子と遊んで暮らしているような感覚なのだ。

ゲームじみた世界、思ったより現実的な社会、融通の効かない法整備、魔法という、一度は見てみたかった概念。

地球も面白かったけど、こっちも面白い。

世界を面白くするのは我々自身なのだ。


「あははは、はは」

「はは、は」


他の奴らもヘラヘラ笑っていた。

テンションが上がってきたのだろう。

これからやっと本番。今日は多分死にかける。

そのせいかアドレナリンが出て、なんだか変に面白かった。


「なんか、異世界転生っぽくなってきたね」


オドロアンが風に負けない声で言った。

コモンくんは彼が何を言っているか聞き取れなくて「あ!?あはは」と適当に返す。

そんなコモンくんの金色の三つ編みが風に乗って蛇のようにうねって靡くのを、後ろでギラお兄さんは目を細めて眺めていた。


アイツに殺されてここに来た。

でも、多分ここは地球と同じくらい楽しくて、それ以上に面白いことができるかも知れなかった。

異世界で死んだら、次はどこに行くんだろう。

どこでも良いけどアイツとが良いなと思った。

またきっと、今回みたいに楽しい日が来ると思うから。







「……夜だ。昼のはずなのに」


ドロシュの元いた世界に到着した。

ここはウォロントという街だが、様子は前回と随分違っていた。

人が居ないのだ。

家や家財道具を置いてそっくり人だけが居なくなっている。しかも時計は昼の2時を差しているのに、空には四角い月が出ていた。

遠くで犬の鳴き声が聞こえる。

それ以外は何も聞こえない、本当に嫌な夜だった。


「…え、やばい?」

「いや。魔族が来てる証拠だ。ビンゴだな」


チャッキーはスン、と匂い嗅ぎながら言った。

彼の耳は今は反っている。イカ耳というやつだ、警戒しているのだろう。

彼らはバイクを降りて、とにかく辺りを探索した。

街並みはイタリアのフィレンツェによく似ている。

煉瓦の地面と石の家、大聖堂と彫刻、花、何かに怯えているかいせき持ちの老犬。

それがただ続くだけで、人にはまったく巡り会えなかった。


「お蜜ちゃん、何で人いないの?」

「避難勧告が出たか、消されたかのどちらかだと思います。勇者と女神がいなくなれば乗っ取り放題ですから、まずはこういう風になるんです」

「…へぇ。ずっと夜なのはなんで?」

「夜は人が迷いやすいですから。好都合なのでしょう。悪魔は人を惑わせます。気をつけてくださいましね」

「手ェ繋ご」

「はい」


無音の世界は異様だった。

虫の声も聞こえないのである。

車の音や喧騒に慣れている彼らにはこれがかなり不気味だった。

仲間の足音がレンガを打つ音だけが聞こえている。

先頭はチャッキーが歩いてくれた。

右側をマリンちゃんが、後ろをコモンくんとお蜜が歩いている。

真ん中には糸クズたちがキョロキョロしながら歩いていた。


「!…」


すると。

暫く歩いた先。

開けた場所に出た。

目の前には朽ちた大聖堂をギルドへ改装した建造物。

周囲には石造りの宿屋。

煉瓦の地面、無人の屋台。

地面に落ちた花。

そこでチャッキーとギラ兄さんの耳がピンッと立った。

何故ってギルドから明かりが漏れていて、人々の笑い声や話し声が聞こえたからだ。

ギルドの中に冒険者が居る。人の気配がやっとしたのだ。

喧騒がここまで漏れていた。

きっと魔族が来ても、生き残った屈強な男たちがそこに溜まっているのだろう。

全員、それとなく顔を合わせた。

ここに居る男たちから話を聞くことができるだろうと判断したのである。

しかし警戒は一応した。

もしかしたら人間のフリをした魔族かもしれないから。


「んじゃ、オレが開きますんで」


チャッキーがオノ片手に言った。

この男はいつもチェーンソーだとかナタだとかカマだとかを必ず持っているのだが、今日のマストアイテムはオノらしい。

お蜜たちは取り敢えず言うことを聞いて、チャッキーの後ろに下がった。

中は笑い声や酒を乾杯する声が響いている。

いつものギルドの空気だ。中はきっと涼しくて、男たちが笑っているのだろう。


「、」


と、思ったのだが。

チャッキーがギィッ、とギルドのドアを開けると、その馬鹿騒ぎは静まり返った。


中にいた人間が黙ったのではない。

ドアの向こうには誰もいなかったのだ。

ギルドの中は暗く、月明かりしか入ってきていない。

酒の匂いすらしない。

ただ木のテーブルと木の椅子が並んでいて、冷たいほど静かなのである。

先刻まで大騒ぎしていた声が突然止んだため、あたりは不気味なまでにシンとした。

チャッキーはドアに手を添えたまま固まり、毛を逆立ててジワーッと後頭部に鳥肌を立ててから。



「───ロストワールドだ」



と、誰にも聞こえないくらい小さな声で言った。

瞬間、お蜜が目の色を変え、右目をチカチカッと金色に光らせて。


「ランクは」


と物凄く鋭い声で言った。

ただ事ではない状況下、それでも冷静さを保とうとして喋っている感じだ。

チャッキーは鳥肌を立てて固まったまま。


「S級だろ。……ヤッ、……ばいぞコレ!」


エンジン音のような声だった。

彼はそれを言った瞬間ドアをバン!と閉め、右目を赤くチカチカッと点滅させた。


「え、なに。何?何?えごめんなに??」


オドロアンが両眉をあげ、小さな声で言った。

マリンちゃんはクッと姿勢を低くして周囲を見ている。

彼女も状況がわかって居ないが、何か物凄くまずいことが起きているのは糸クズ同様分かっていた。

ジン、とシャオさんの二の腕に鳥肌が立つ。

何も分からないけれど、チャッキーとお蜜の反応が怖かったからだ。


「…お蜜ちゃん。ロストワールドって、何?」


コモンくんがギルドのドアを見つめたままソッと言った。

お蜜は白い顔をさらに白く硬めながら、


「…。失われた世界という意味ですから、もうこの世界はダメって意味です。女神を派遣してももう間に合わない。勇者でももう無理です。Sクラスの、悪魔が、来ちゃったから、…」


彼女はコツ、コツ、と少しずつ後退りながら、細い顎を震わせて言った。


「!…っ」


その時である。

ギルド内から爆音のクラシックが流れた。

John WilliamsのDevil's Dance(ジョン・ウィリアムズのデビルズダンス)である。

それが当たり一面に鳴り響き、心臓に冷たい針を刺されたみたいに驚いた。思わず一瞬目を閉じてしまうほどである。


「CCC:6020緊急コール!チャッキー・ブギーマン、登録IDはBW6-5-3-4-9-8。対象者:魔族Sクラス。現在目視不能、至急戦闘に入る。ウォロント陥落、ロストワールド!」


チャッキーが少し俯いて、片目をチカチカ光らせながら片耳を押さえて音楽に負けない声で怒鳴っている。

糸クズたちは後ずさった。

マリンちゃんも勝手に上がる息を抑えられず、「ふ、ふ、」と息をして腹を無意識にヒクつかせながらドアを見ている。


お蜜はコモンくんの手を離し、もう一歩白い顔で後退り。

ユーザー認証をしてから防護シェルター魔法を張ろうと思った。

緊急コールをしなければ。

そう思ったのだが、



「何でこんなところに女神がいるんだ?」

「しかもグズのお蜜だ」

「バカ丸出しの役立たず」

「かわいいガラクタ」

「エクソシストでも連れてきたのか?」

「オレ達を祓いに来たのか?」

「できないくせに」

「正義感だけは一丁前」

「無能の女神」

「ドベのクズ鉄」

「間抜けなスクラップ!」



「………〜〜〜ッ」


マリンちゃんは振り返ってゾッと青ざめた。

お蜜の真後ろに、いつの間にか…男が二人立っていたからだ。

ドギツイピンクの髪を三つ編みにしてツインテールにした、背の高い同じ顔をした男が2人。

勝気な釣り眉で冷めた目をした美男だった。

2人は片方の三つ編みをお互いの三つ編みにくくりつけ合っていて、一つのイヤフォンを2人で使っているみたいになっていた。

耳から下がっているチェーンのピアスも繋がっている。


ガチャガチャの棘のような歯。

首から大量に下げられたロザリオ。

片方は水墨画で山が描かれた白いワイシャツを着ていて、黒いグローブを付けている。そのグローブには大量に指輪が付けられていた。

片方は深い緑のクラシカルなスーツを着ていてポップコーンをボロボロこぼしながら食べている。

つまり服装はバラバラだった。



ハンマーとジェット/サイコリスト

種族:ドッペルゲンガー、悪魔

役職:ジョーカー、ピエロ

Level:S-666



チカチカ片目を光らせ、コモンくんは2人のステータスを見た。

見なくても敵う相手では決して無かった。

2人は双子ではなく、ドッペルゲンガーらしい。

寧ろそれしか情報が分からなくて、コモンくんはジッと2人を見ながら。

(フーン、オレって今日で終わりなんだ)と思いつつ固まっていた。

本当に動けないのである。

全身が金縛りにあっていて、筋肉が固まってしまっているのだ。

コモンくんにはコレが自分の精神的なものなのか、攻撃なのかも分からなかった。


「ッ、う?」


すると。

チャッキーがしゃがんで、着ていたTシャツの裾を噛んで自分の左腕をドンッ!とオノでいきなり切断した。

血は飛び散らなかった。

ただ、真っ黒の断面が見えて、切り落とされた腕がビクッと跳ねるだけだった。

コモンくんはギョッとしてそれを見る。

すると真っ黒な断面から、ズルンッ、と真っ白な女の腕が生えたのだ。

大きいが、明らかに女のものだとわかる真っ白で柔らかそうな手だった。


「ふ、ッ」


その手で彼は、正面に浮かび上がらせた金に透き通る魔法陣の真ん中に手のひらを押し付けるように触れた。

すると魔法陣の中心に置かれた手に、ジジッ、と金の静電気のようなものが起こる。


「SS:1-9-5-3」


チャッキーがボソッと言って、片足でカァン!と地面を踏み締める。

すると緑の魔法陣が下駄の下に出現、糸クズ達とマリンちゃん、お蜜の顔の前に緑のバツマークが出現した。

これは一瞬だけ彼らの存在を消すことで、巨大な攻撃魔法から守る術である。


「、発動許可、…ッ」


チャッキーは物凄く重たい物を持ち上げているみたいに、喉の詰まった声で言った。

眉は限界までしかめられていて、汗までかいていた。


「ん?」

「ああ、女神か。しかも世界ランク4位の」

「知ってる。サドボギーだ、」


彼らがそう言った瞬間。

バァン!と音が鳴って、コモンくんの鼓膜が破れた。

目からドロッと血が出て、視界がホワイトアウトする。

彼らからはもう何も見えなかったが、何が起こったかといえばこうであった。


まず、夜空が黄金の朝焼けに変わった。

雲が空を覆っていて、金色の光が雲間から差し込んで美しいウォロントの街並みをキラキラと照らしたのである。

そんな天から今にも天使が降りてきそうな空から、ヌ、と巨大で真っ白な女の顔がのぞいた。

それを見上げた悪魔・ハンマーとジェットは自分が0.2ミリ程の微生物になった気分になる程、巨大な女の顔であった。

金の髪、柔らかそうな唇。

閉じられた目に生えた金のまつ毛。

優しそうな美しい顔だった。

その目が、音もなくパチ、と開く。


「ッゴ」


その瞬間、凄まじい重力がかかり、チャッキーは自分を最大防護で守っていたのに…耐えきれず口から血を噴き出させた。

目からも血が出て、ウォロントのギルドが、石造りの家が、大聖堂が、グシャッ、と。

上から手で叩かれたみたいに地面にめり込んで潰れた。

地面にヒビが割れ、強烈な地震がやってくる。

チャッキーは俯いて目を開けられなくなった。

目が飛び出しそうで、頭蓋骨が口から出そうだったから。

そのくらいの圧が真上からかかっているのだ。


「、ぉ、ゴ」


きっとウォロントにいる全ての生物は虫さえも死んだろう。

チャッキーは耐え切れずに片足をつき、上から天使の羽が降ってくるのを背中に一つ二つ積もらせながら、ガクン、と頭を垂れた。


「っ、」


第二撃。

天上の女が、もう一度瞬きをする。

すると先刻の凄まじい天撃のせいで遠くから轟音を上げて迫っていた二次災害の津波が、もっとスピードを上げてウォロントの街を飲み込んだのである。

瓦礫を呑み込んで真っ黒になった津波だった。

それが飛沫をあげて右から左へ一息に全てを染め上げたのだ。

チャッキーはその瞬間、一瞬姿を消して…街を呑み込み続ける黒い津波の上に立った。

顔を限界まで下に向け、ゼーッ、ゼーッと息をしながら。

そして津波の上に透明に透けるガラスの板のようなものを出現させ、小さな魔法陣を出してダァン!とその魔法陣の真ん中を拳で叩く。


「うぉ、」


すると。

ガラスの板の上に、無傷のコモンくん率いる糸クズ達がスッとホログラムみたいに姿を現した。

一瞬存在を消され、また存在を元に戻されたのだ。

コモンくん達はガラスの板の上、真下の津波を見て、金色の朝焼けを見て…。


「…………、」


何が起きたのか分からず、放心していた。

チャッキーが魔法陣へ手を添えたところまでは覚えている。

すると視界がホワイトアウトして、気が付いたらガラスの板の上に乗っていた。

ウォロントの街は跡形もなく、下には濁った水、上には朝焼け。

そして巨大な女の顔。


「…え、…ぁ…」


真上の女は、「ふふ、ふふふ」と笑ってゆっくりと雲の中に戻っていった。

取り残されたマリンちゃんもガラスの上でキョトンとして、それを見ている。

ハンマーとジェットの姿はどこにも無かった。


「ハーッ、ハーッ、」


ベタン!と座り込んだ血まみれのチャッキーを見て、お蜜の行動は早かった。

「B-96354!」と高速で言って、チャッキーへ黄緑の電撃を直下させたのである。

チャッキーは脳天にそれが突き抜けて、「ッヅァ!」と一言言ったが。ガラス板に右手をついて、ハァハァ息をしてから。


「い。イナフだ。ありがとよ…」


と、金に光る朝日を浴びながら礼を言った。

今のは回復魔法であり、急を要する際に使う治癒の電撃である。体に一瞬強い衝撃が走るが、受ければ体のダメージはほとんど回復する。


「苦心した…」


チャッキーはよれよれ立ち上がり、ため息をつき。

目頭をグッと親指で指圧して充分だろうと思ったが。

ポン、と両肩に手を乗せられて、一瞬息ができなくなった。

右には黒いグローブをはめた、指輪だらけの大きな手が。

左にはむき出しの、緑の指輪をはめた手が。

乗せられていた。


「凄いなサドボギー」

「あんなの初めて見たぞ」

「かなりくらった」

「目の奥が痛い」

「でも面白かった」

「楽しかった」

「もう一回やってくれ」

「死ぬまでやってくれ」

「お前の魔法がもっと見たい」


右と左から交互に、そんな声が聞こえた。

チャッキーは振り返ることができなかった。

ドギツイピンクの三つ編みが、視界の端に見える。

ドギツイピンクの目が、多分こちらを見ている。


瞬間、時間が巻き戻った。

津波は跡形もなく消え、朝焼けは消え失せて夜に逆戻り。

ウォロントの建造物達も元に戻っていて、チャッキーはギルドのドアに触れた体勢に戻っていた。

マバタキをした瞬間のことである。

後ろでは糸クズ達が立っていて、お蜜の後ろに彼らが立っていた。

時間を戻されたのだ。


「〜〜〜〜ッ」


「もったいぶるなよサドボギー」

「オレ達ってもう友達だ」

「つまりずっとやれ」

「友達なら言うことを聞け」

「お前もそう思うだろお蜜」

「そうだって言えよクズ鉄」

「バカなロリポップ」

「かわいいショートケーキ」

「愛しいスクラップ」

「ゲラゲラゲラゲラ」

「ケタケタケタケタ」


ハンマーとジェットはガチャガチャの棘の歯を見せて笑った。2人は口の端から血を流していたが、それだけだった。

チャッキーの上から五番目に強い攻撃魔法だったのに。

世界ランク4位の女神から受けたS級大型魔法だったのに、少しも喰らっていなかったのだ。

あんなの普通、誰も助からないのに。…


「……、…なぁ聞けよ。オレ達パーティ組んで初めての戦闘なんです。最初からラスボス級はキツい。見逃してくれませんかね」


チャッキーは右手をちょいと軽く挙げて言った。

コメカミからツッと汗をかいて落としながら。

するとハンマーとジェットは首を傾げて、


「戦闘だったのか?」

「別にオレ達は戦ってないぞ」

「お前が急にカッ飛ばしたんだ相棒」

「お前が先走ったんだサイコボギー」

「でもそうか、戦闘だったのか」

「なら戦うか?」

「何の為か知らねえが」

「ヤるのは好きだ」

「どっちの意味でも」

「イくなよサドボギー」

「どっちの意味でも」

「死ぬなんてオシャレじゃない」

「だから死ぬなよ」

「殺すつもりもない」

「だから死ぬなよ」

「オレ達ずっと一緒だ」

「だから死ぬなよ!」


彼らが交互にボソボソ言って、最後、彼を突き飛ばすように言った瞬間だった。


「ッぅぶ」

「ご」


マリンちゃんが近くにいたギラ兄さんとダイダラを担ぎ上げ、ダンッ、と飛翔。そのままギルドの頂上に着地して月を背に逃げて行った。


「っえ"ぁ」


それを見たお蜜が、隣にいたコモンくんの木刀を奪って彼を蹴り飛ばした。

コモンくんの肘がオドロアンの胸板にぶつかる。

シャオさんがコモンくんを咄嗟に受け止めて、「えっ」と言えば。

バキン!と音がして、3人は金色の透ける箱の中に閉じ込められた。

それはお蜜の出した大型防護魔法、核さえ防げる鉄壁の箱である。

その箱の上に立ったお蜜は予備動作なしに大型魔法を使ったことで鼻血を垂らして、ハ、ハ、と息を吐き。


「私の男に手を出したら殺すわよ」


そう怒鳴って、カラフルな魔法陣を六つ重ねて体の前へ出した。

その魔法陣の中心をガスッ!と木刀で貫けば、木刀が黄金の剣に変わった。その持ち手には蛇が巻き付いていて、いつかコモンくんを歌舞伎町のラブホテルで滅多刺しにした短剣によく似ていた。


「おみ、」


お蜜ちゃん。

言おうとした時、お蜜は箱の上から剣を振った。

すると。


「ウッオ。聖剣だ」

「痛っ。珍しいな」


何も起こらなかった。

風圧すら起こらなかったのに、ハンマーの胸板にかなり深い切り傷が走ったのである。

それは火傷のようにジュッと音を鳴らし、血が蒸発して煙が上がった。

そしてチャッキーも「ヴッ」と低い声をあげる。

彼も太ももに火傷のような傷を負って片膝をついたのである。


『何でお前にも聖剣効くの!?』


箱の中でコモンくんは叫んだ。

チャッキーは女神だが普通に悪しきものなので、聖水とか十字架とか聖剣が効くのである。

因みに教会恐怖症なので、見るだけでちょっと尻尾が丸くなる。入ると「あわわ…」と一言血の気が引いて倒れるのであった。

彼が一番悪魔らしいのである。


「待て、小うさぎちゃん、」


チャッキーが脚を押さえて言った。

しかし大興奮のお蜜には聞こえていなかった。

お蜜が空中に向かって剣を突く。

するとハンマーとジェットの胸から同時にドッと血が噴き出した。しかし2人はケロッとして、「効いた」「キッツイな」と胸に手を当てるだけだった。

痛覚そのものがないように見える。口から血を流しっぱなしなのに、まるで効いているように見えない。


「分かった分かった」

「お前も参戦だな、クズ鉄」

「女神2人か」

「しかも片方は世界ランクだ」

「でも片方はグズのお蜜」

「ならバランスはバッチリ」

「ファーストダンスはお約束」

「ゲームスタートはセオリー通り」

「弱いものいじめだ!」


言えば、ハンマーとジェットがフッと消えた。

一体どこに。と思えば。


「バカンス中か?」


金色の透ける箱の中。

緑のスーツを着たジェットがシャオさんの髪の毛をガシ!とつかんで言ったのだった。

女神の加護、防護の箱の中。

片方の三つ編みを外し、左側の髪だけ解けた状態のジェットはちょっと笑っていた。

弱い者イジメとはつまり当然、この中で一番弱そうなヤツらを痛ぶるという意味である。

彼がなんなく防護を抜け、箱の中に悠々と入ってきたのであった。


「シャオさん!」


お蜜が悲鳴をあげた。

その瞬間、シャオさんの腹にジェットの膝が突っ込まれた。

腹を膝蹴りされたのである。

シャオさんはゴブっと空気の塊を吐き、箱の天井に背中を打つほど体が浮き上がり、地面に落ちた。


「ッカ」


シャオさんは地面に倒れ、腹を抑えて吐血。

汗がドッと噴き出し、息が全く出来なくなった。

血の混じった唾がダラッと口から出て、お腹の中のものが全て潰れた感覚だった。


「っあ」


オドロアンとコモンくんの髪が引っ張られ、地面にバァン!と寝転がらされた。

ジェットはそんな2人の背中に座り、「お前らレベル700前後だろ?」と学校の廊下で友達と喋っているみたいに、簡単な声で言う。


「安心しろよ。それならオレもレベル700でいじめる。スグに殺しちゃキュートじゃない。殺すのと虐めるのは違う。この箱の中は自動回復機能も入ってるからな。一撃で死んだりしない。まとめて連休を取ったんだ。その間やることなくて暇で最悪だからこの箱の中で過ごす」

「ッあ"っ、あ」


ダァン!とオドロアンの背中にジェットの靴底がめり込んだ。

オドロアンは背中を逸らして衝撃に電撃を流されたみたいになり、ガラス板の床に掌をつく。汗をかいた手のひらはガラス板と擦れてチュルル、という音が鳴り、顔を伏せれば床は吐息で曇った。

コモンくんの顔は真っ赤で、オドロアンの顔は真っ青だった。

あまりにもジェットが重くて動けないのである。

そういう魔法を使われているのか、恐怖心なのかはわからなかった。

ガラスの箱の外では轟音が鳴っている。

マリンちゃん、チャッキー、お蜜、ハンマーが外で戦っているのだ。ガラスの箱の外はもう土煙やら光やらで何も見えなかった。


「誰がクズ鉄の男だ?お前か?一番男前だしな」

「っあ、う」


シャオさんの髪の毛が掴まれ、顔を上げさせられた。

シャオさんは血を口から流し、涙と汗まみれだった。自動的に回復魔法がかかっているので息はできるようになったが、浅い呼吸を繰り返していて手は震えていた。


「どうなんだ?どれをいたぶれば良いかわかんねえな」

「ブッ」


バチィン!と右頬をビンタされて、シャオさんの右耳の鼓膜が破れた。

ジェットは指輪をつけているので、彼の頬には切り傷ができた。悪魔のブレスレットには十字架がたくさん付いていて、それがジャラジャラ音を鳴らす。


「ナースコールはないぞ赤ずきん。何とか言えよ」


何も言わないのではない。

ダメージのせいで声が出せないのだ。

ジェットはピースサインを作って、それを足みたいにしてトン、トン、トン、とシャオさんの肩からコメカミへ歩かせた。


「それともここにアイツの男は居ないのか?もしかしてサドボギーがアイツの男か?」

「ッァんなわけねぇだろ殺すぞ!!」


コモンくんが息も絶え絶えに怒鳴った。

ジェットはキョトンとして、違うの?と言う顔をする。


「じゃ、お前か?毒蛇」


彼はそう言って、彼をドギツイピンクの目で見下ろした。

コモンくんはスーーッと喉から蛇の威嚇音を出して、彼を無理矢理見上げて睨みつける。


「ァそうだよオレだよかかって来いよ腐れ外道ッ」


と。







お蜜は糸クズ達を助けに行くことができなかった。

そんな余裕も隙もないほど、ハンマーからの攻撃が止まないのである。

彼が空中を蹴る。

そうすればウォロントの大聖堂が風圧でカッ飛び、遠くにあった教会の鐘がゴーン、と鳴るのだ。

それに吹っ飛ばされて息もできない。


マリンちゃんが目も開けられていられないほどの落雷を天から落とそうと、チャッキーが十字架型の拳銃からチュンッ、と光線らしきものを発射してウォロントの街の三分の一を焼け野原にしようと、ハンマーは天使の仮面を被せた赤く巨大な犬に乗って空へ滑空しどこ吹く風、それどころか爆音の讃美歌を魔法で流してこちらを侮辱する有様である。


ハンマー討伐の為必死で戦う3人は味方の攻撃にもかなり精神を潰していた。

容赦なくぶっ放す味方の攻撃を交わすのも大変だったし、衝撃音や光線に一瞬視界がゼロになったり耳が聞こえなくなることもある。

何が起きているのか訳が分からなくなるのだ。

それでも神経を研ぎ澄まして、感覚だけで走る、飛ぶ、ハンマーへ照準を合わせて使ったこともない魔法を使う。

それの連続で息も上手くできなかった。


「なんでそんなに真面目なんだ?もっと楽しくできないのかよ」


ハンマーは火を吹き上げる宿屋の上に着地し、首を傾けて言った。

これがSクラスの悪魔なのだ。

そもそも女神というのは様々な魔法が使えるが、攻撃特化型の魔法をたくさん知っているわけではない。

マルチな活躍が求められる職業なのだ、それは当たり前だった。

しかし悪魔は攻撃特化型、むしろそういう魔法しか使わないし覚えない。よって差が出るのは必然的であった。


「落ち着けよティファニーブルー」


火から噴き上がる黒煙を裂き、マリンちゃんが飛び出してハンマーへオノを振りかざした。

しかしそれはアッサリ片手で止められ、取り上げられて捨てられ、片腕を引っ張って引き寄せられてしまう。

腰を抱かれ、ダンスシーンみたいに近寄って。


「女は宝石以外持つな、ヘビイチゴ」


ハンマーがマリンちゃんにチュッとキスをした。

その途端、マリンちゃんは怒りでカッ!と顔を赤くし、小さな魔法陣を右手から出して彼の腹にそれを勢いよく押し付ける。

そうすれば彼の腹には風穴が開くはずだったのだが。


「そんな物騒な魔法どこで覚えた?」

「っ、は」

「嫁入りには使えないぜ、ビビ」

「あ、嫌っ」

「踊ろう!HAHA。ジョークが足りない!」


何も起こらなかった。

無力化されてしまったのだ。

ハンマーはマリンちゃんの右腕を取って空へ踏み出し、爆音のハウスミュージックをバックに空の上でマリンちゃんと踊った。

チャッキーからの光線魔法を花火に変え、お蜜から飛んでくる最大級の火炎魔法を弾けるポップコーンと歓声と笑い声に変えて。

月をバックに、南国みたいなロンドを楽しむのであった。

マリンちゃんは体を勝手に動かされ、人形みたいにクルクル回されたりお姫様抱っこをされて空をリズムよく駆け上がったりされて悲鳴をあげた。

すると。


「なんだ。楽しくないのか?ならいらない」

「、っ」


ポイっと空から捨てられた。

マリンちゃんが天から落下する。体がうまく動かなくて、このままでは地面に体が叩き落とされてバラバラになってしまう気がした。

しかしそれを、落ちる寸前でお蜜が受け止める。

マリンちゃんはガフッと息を吐いて気絶しかけた。

だが無事だった。彼女のおかげで死は免れたのである。

が。


「ッがぁあっ、」


退屈になったハンマーが、本当につまらなさそうに今彼らから受けた…チャッキーの光線魔法と、お蜜の火炎魔法と同じ魔法を両手で指パッチンをして発動、チャッキーに向けて撃った。

チャッキーはまさか跳ね返されるとは思わず、首に血管を浮き上がらせてギリギリのところで転移魔法を使う。

しかしもう魔力はほとんど残っておらず、自分の魔法にもダメージを食らった。

なんとか逃れてウォロントの塔の上に立ったが、もう立っていられない。


「は。は、はぁ、」

「はぁ、は、ハァ、」


お蜜とマリンちゃんも金色の盾に隠れて何とかやり過ごしたが、3人とももう限界だった。

汗が目に染みて、心臓の音が喉にまでせぐり上げている。

息ができなくて耳鳴りがした。

水が飲みたくて仕方ない。

地面に倒れ込みたくて仕方ない。

もう何も考えず足を投げ出したくて仕方ない!


…しかしハンマーはダメージゼロ、サラッとした顔をしてチャッキーの前に立つのである。

そして首を傾けてジャラッとピアスを鳴らし、「時間を戻すか?」と声をかけた。


「またギルドを開けるところからやり直すか?それでも良いぞ、サドボギー」

「ッウァ"」


顔を蹴っ飛ばされた。

チャッキーはゴギッと奥歯が折れて、しかしそれでもなんとか吹っ飛ばされなかった。無理矢理身体強化魔法を体にかけたからだ。

右耳ではずっと耳鳴りと、「SS-6205の使用許可を受けました」「BM-5802の使用許可を受けました」と、チャッキーが先ほど連続で打った魔法の使用許可が降りた音声ガイダンスが遅れて今更鳴り響いていた。


「オレは連休で暇なんだ。休みが終わるまで何回でもやり直して良いぞ、ボロ雑巾」

「グ、」

「起きろ相棒。きっと明日は晴れるんだから」


ハンマーがそう言って、彼の肩に足を乗せて土下座のような体勢をとらせ。

左腕を勢いよく伸ばすことで袖を捲り、腕時計を出す仕草をした。

左手首には黒いシンプルな腕時計が付けられていて、彼はそれを巻き戻そうとした。

本当にギルドを開けるところからやり直そうというのだ。

チャッキーはゾッと鳥肌が立って、やはりSクラスから逃げるなんて無理があったか、と目の前が真っ黒になった時。



「ァ僕が悪かったですって言えやゴラァ"!!」



爆音の怒鳴り声が地上から聞こえた。

信じられないくらいそれは大きな声で、ハンマーがヒクッと眉を顰めるくらいだった。

一体何が…と思って地上を見下ろすと。

コモン・デスアダーである。

金の箱に入っていたはずのアイツだった。


お蜜が立ててくれた金の箱は無惨にひび割れて壊れていて、その中から糸クズ達は出ていた。

それは良い。良いのだが。

コモンくんがジェットの胸ぐらを掴んでいて、シャオさんがジェットを羽交締めにしている。


羽交い締めにされたジェットは嫌そうに目を閉じ、眉を顰めてグッタリ項垂れていた。

オドロアンにめちゃくちゃに灰皿で殴られたらしく、頭からは血が流れている。


「ッァァ"ゴラァ!!なんとか言えや悪魔風情がよぉッ」


コモンくんはチンピラみたいにジェットの胸ぐらを捻り上げて言った。

さすが元リングアナウンサー、ここまで届くほど声がよく通る。

ジェットはシワクチャの顔をして、「オレが悪かった…」とボソボソ言った。それは完全降伏のサインであった。


「えぇーーーっ!?」


上からそれを見ていたチャッキーは口元を右手で覆って、ハワワ…と驚いた。

ハンマーも目を見開いて驚いている。

まさか。

まさかジェットが。ハンマーと同程度に強いジェットが糸クズ如きから集団リンチに遭っている。

バイクで乗りつけたダイダラとギラ兄さんから「死ーね、死ーね、死ーね」とコールをされていて、顔はぐちゃぐちゃだった。

明らかにいじめられている。

物凄くいじめられていた。


「クソ、反則だろ…」


ジェットは呟いて、ドイツ製のため息をついた。

よく見れば、オドロアンの片手には。

パーティ勧誘証が風にひらめいて、紋所みたいにジェットに突きつけられていたのである。







「ゼーッ、ゼーッ、ハーッ、」

「ゲッホゴホ、ハァッ、ハァッ、ハ、げっほ」

「ふう、ふう、けほっ、ふう、」


ギルドにて。

戦いで疲弊し切ったチャッキーは床に転がり、汗だくでゼェゼェ息をしていた。手が震えて起き上がることができなかった。

マリンちゃんも床に仰向けに倒れてゼェハァ息をしていて、シャオさんの膝の上に頭を乗せて時折お水を飲ませてもらっている。

お蜜はコモンくんの膝の上に座り、彼の胸板でふうふう荒い息を吐いていた。


「…………、げほ、」

「…………はぁ、」


ハンマーとジェットもテーブルに足を上げて座ってはいるが、ちょっと息が乱れていて、汗をうっすらかいている。

向かい側にはオドロアン、コモンくん、ダイダラが座っていた。

ギラお兄さんはチャッキーへ水を持ってきてやっている最中である。


戦闘が終わったのである。

パーティ勧誘証というキラーカードによって。


…ハンマーとジェットは神法により転生者に手を出してはいけない。

そうすると天界が本気で潰しにかかってくるから。しかし、全て元に戻せば何をしても良いと思っていた。

殺しても時間を戻せば何もなかったことになるし、何もしてないと言い張れるから。

けれど勧誘証だけは無かったことにできない。

これは天から転生者に与えられた特権であり、何人たりともこれを突きつけられれば例え戦闘中でもすぐに辞めて即時停戦とし、話を聞かなければならないのだ。

だからこれを突きつけられたジェットは手を出すことができず、両手を上げて降参、そこを虐められたというわけである。


ハンマーも状況を確認して最早仕方なく、ギルドだけを直して椅子に大人しく座った。

まさか勧誘証を出されるなんて思っていなかったから。


「それで、休憩のつもりで出したのか?毒蛇」

「オレ達は何を聞いても断るし帰らないぞ」

「またやるぞ」

「また時間を戻すぞ」

「まさか勧誘するつもりなんてないだろ?」

「なあスクラップ。なんとか言え」


ハンマーとジェットは片方だけ三つ編みが解けていて、ふわふわのピンクの髪を背中に払って言った。

ジェットは酒瓶片手に、ハンマーは葉巻片手に。

がしかし、読者諸兄はお分かりの通り。


「え、勧誘する気だけど」


コモンくんは言った。

そう、今回は悪魔の勧誘。

Sクラスならばおあつらえ向き、完璧な戦闘要員である。

ハンマーとジェットは片眉を上げた。

訳がわからなかった。

血迷ったのか、この転生者と思って、面倒臭そうに目を逸らす有様だ。


「断る」

「パーティなんて入る訳ないだろ」

「仕事があるんだから」

「暇じゃないんだ」

「冒険ごっこなんて死んでも嫌だ」

「強いやつを適当に入れりゃ最強だと思ったのか?」

「言うことなんて聞かないぞ」

「後方支援なんて最悪だ」

「せいぜいモンスター狩りではしゃいでろ、蛇野郎」


ハンマーとジェットはウエッという顔をして当然断った。

しかしそんなの把握済みである。

よってコモンくんは「オドロアン」と一言。

全く彼らに取り合わず、テーブルに肘をついて彼の名前を呼んだ。


「りょ✋ちょい待ち」


呼ばれたオドロアンは立ち上がり、よいせ、としゃがんで。

自分のユーザーIDと名前を呟き、たどたどしく魔法陣を出した。

これは何度も練習したことで、彼はこれしか使えない。

しかし忘れるなかれ、オドロアンは召喚師なのだ。

それが何を意味するかというと。


「え、」


オドロアンが魔法陣にぺと、と手を付くと。

魔法陣が光り、そこから出てきたのは…。

強そうなモンスターでも、強そうな助っ人でもなく。

しょぼくれた不動産営業のおじさん、川田さんであった。


「川田さーん」

「よっ、待ってました」


コモンくん達は手をパチパチさせて、川田さんを歓迎した。川田さんはびっくりした顔をしていたが、しかし話は聞いていたし、書類は用意していたので。

呆気に取られたハンマーとジェットの前に、おっかなびっくり…。


「し。失礼します。パーティの説明を承りました、川田と申します」


と、禿げた頭を下げつつ名刺を2人に渡したのであった。



………



「と、いうわけでですね、こちらは8名のパーティ構成となっております。えー、もしお入り頂けた場合、退会手続きの方ですね、されるというのであればワタクシの方に一度お電話頂いて、えー書類を何枚か書いていただくことになるんですけれども、よろしいでしょうか」

「……はい」

「……はぁ」

「はい。ありがとうございます。ではですね、パーティに入った場合の注意事項と保険ですね、ご説明させて頂きます」

「…いや、もういい」

「頭がおかしくなりそうだ…」

「す。すいませんこちらとしてもですね、最低限こちらはお客様にお伝えする最重要事項となっておりますのでもう暫くお待ちください。えー…まず注意事項ですね。パーティに入った場合2年の間は退会手続きができません。2年間の契約内容となっておりますので、もし抜けられる場合は先ほどお伝えした通りワタクシにご連絡ください。えー、それでですね、女神様のいるパーティとなっておりますので、神法の方は厳守していただく形になっております。神法をご説明しますね」

「知ってる」

「いい」

「ですが説明の義務がありまして…」

「………」

「………」


ハンマーとジェットはもう死にかけだった。

機種変更手続きだとか、家を買うときだとか、役所に行ったときだとか、そういう時の死ぬほど面倒で何を言っているかわからない説明を…しかも物凄く下手くそで頭が痛くなってくる説明をさっきからずっと聞かされているのだ。


細かくて重たい書類はまだまだあって、川田さんはその書類をハンマーとジェットに見やすいよう前に出してマーカーを引きながら…丁寧に丁寧に下手くそに説明し続けた。

今更分かっている神法についてもウダウダ聞かされ、何度も聞いている重複した説明を何度もされ、やっと一枚終わったかと思えばもっと細かい書類が登場する。

しかもハンマーとジェットは義務によりこれを聞かなければならない。

もし聞かずに逃げれば天罰が降るし、話途中に寝ても攻撃してもいけない。

何か言われれば返答せねばならず、聞かれれば答えねばならない。

向こうの話が終わるまで拘束され続けるのだ。

2人にとっては拷問だった。

待ってる側のコモンくんもグッタリしてテーブルに伏せてしまっているほどであり、オドロアンも「もう良い…」と言いたくなるくらいそれは本当に長かった。


お蜜は寝てしまい、チャッキーとマリンちゃんも椅子の上でスヤスヤ寝ている。

シャオさんとダイダラとギラお兄さんはタバコを吸いにギルドを出て、星空を見ながら他愛もない話をしていた。

そのくらいの時間が経っても、説明はまだまだ終わらないのである。


「…以上で説明は全て終了になります。何かご質問はありますか?」

「!終わったのか?」

「やっ、と終わった……」


30分後。

やっと説明は終わった。

もうハンマーとジェットは顔を覆い、精神的な疲労によりどこまでもグッタリとした。

開放感が凄まじく、やっと終わったのだと涙さえ出そうだった。

なので、


「入らない」

「ごめんだね」


とスッキリした顔で跳ね除ける。

すると川田さんはカリカリ禿げた頭をかき、お茶を飲んでから。


「左様でしたか。えー、入らない場合のご説明ですが…」


と言って、鞄からまたバサ!と書類の山を出したのである。

ハンマーとジェットはピシ。と固まり、もう涙が溢れそうだった。

入らない場合。

入らない場合も説明があるのか。

もうたくさんだ。もう死にたい。

いっそ殺してくれ!


「…川田さんまだあんの…?」


コモンくんも半泣きで言った。

説明するにあたってギルドマスターは同席しなければいけない義務があるので、座ってなくてはいけないのだ。

だから涙目で川田さんを見る。川田さんは「はあ、」と困った顔で頷き、「えー、パーティに入らない場合は…」と始めた。


「待て」

「待った。その説明はどのくらいかかる」

「えー、そうですね。40分ほどお時間を頂けると…」

「無理だ!」

「死ぬ!」

「短くしろ」

「あと1秒で終われ!」

「そういうわけには…。…お入り頂けるならご説明は終わりましたので書類のサイン等をして頂くのに5分少々で終了いたしますが…」

「じゃあもう入る!!!!!」


陥落である。

ハンマーは涙目でそう言った。

ジェットも「もうこれ以上耐えられない!」と頭を掻きむしり、半狂乱で怒鳴った。


コモンくんはこれを聞いた瞬間、伏せた顔をニヤ…と歪めた。

計画通り。

川田さんの説明は拷問だ。

これに耐えられる者など悪魔さえいない。

痛みは耐えられよう。

故郷を焼かれたって彼らは平気だろう。

だがこのかったるくて狂いそうな役所的重要連絡事項の連続に自由を愛する悪魔が耐えられるはずなどないのだ。


「…お。堪忍したか。そらするわな」

「あれマジ下手しい気ィ狂うっすからね」

「よくあんな良い人見つけてきたねえ。オレなら自殺してるよ」

「や、ラッキーだったッス。たまたま不動産営業だっつんで拾ってきたんすよ」


ギルドの外でタバコを吸っていたダイダラ達は、中から聞こえてきた悪魔の悲鳴を聞いて疲れたように喋った。

彼らも途中まで同席していたので、精神的に疲れ切っているのだ。

というわけでタバコを消して中に入れば、悪魔は死にそうになりながら書類に汚い字で住所と名前を書き続け、拇印を押し続けていた。

これで終わるならばと、延々サインを書いているのだ。

死んだ顔で。

しかもその書類の多いこと多いこと。

同じことをずっと書いているとゲシュタルト崩壊で死にたくなるのだが、もう仕方ないので解放されることに一生懸命だ。

誰だって同じ状況になれば終わらせたくてペンを走らせるだろう。

川田さんが口を挟む前に、全てを終わらせなければならない。


「…はい。サインは以上になります。ありがとうございました」

「………」

「………」


ハンマーとジェットはゴン、と頭をテーブルに落とし、もうぴくりとも動かなくなった。

ペンを持ったまま殆ど気絶みたいなものである。

川田さんはトントンと書類をまとめて鞄にしまい、「これで全て終了になります。お疲れ様でした」と汗をハンカチで拭きながら悠長に言う。

悪魔は返事をしなかった。

もうどうなったってどうでも良かったから。


「じゃ、ハンマー、ジェット。ちなみにオレらのパーティさ、入った順で偉いからお前ら後輩な」


コモンくんはハンマーとジェットの頭をポンポン叩いて、ニコニコして言った。

作戦勝ち。

何をすれば人が嫌がるか、何をすれば人が泣くかをよく分かったサイコリストの笑みである。


「勇者として頑張ってくれよ。ヨロシク」


コモンくんはニコーッ!と笑って言った。

悪魔は返事をしなかった。

もう何も聞きたくなかったし、反応する気力もないのである。



これにて悪魔の勧誘成功。

チーム糸クズの中に、Sクラスの魔族が入ったのであった。












ハンマーとジェットのイラストを近況報告ページに載せました。

FAでmksp様が描いてくださりました。

見てください。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る