6話  手強い香り

 今夜も女を、狩らねばならない――


 鼻をかんだあとの赤い名残なごりが、唇の上にほんのり色づく顔を見て一真は誓う。そうしないと、昨日の燃えるような怒りがわいてこない。優は、雪を転がし頭の製作に入る。はじめは、バレーボールほどの雪の塊が公園をまわり戻って来ると、体半分が隠れる大きさになっていた。


「留さん、ちょっと来て」

「それを乗せろというなら、僕はおことわりだ」

「違うよ。ここに上げてほしいの」

「同じ意味だ」

 しぶい表情でにらんだが、シールドでもあるのか、まったくひるむ様子ようすがない。一真の顔を見て笑い出したせいで、あやした空気になった。

「なんだろう。留さんといると楽しいな~」

「それは、どうも……」


 一真は不思議そうに優の顔を眺めてから、眉間みけんのしわを解除する。損得そんとく抜きで、自分と一緒に居て楽しいと言う人間はめずらしい。氷点下の気温が怒りを冷やすのか、雪だるまに苦戦をして、雪まみれになった姿をぼんやり眺めていた。


「ねえ、留さん、重いの~」

「あたりまえだ。頭だぞ? バランスが変だろう」

「もう、小さくできないもん」

「もう一つ作って、小さくまわりなさい」

「じゃあ、やって見せてよ」

「え?」

 とは言ったが、雪に慣れた人間の鼻っぱしを折るのは、気分が良さそうだった。渡された手袋は、小振こぶりだがつけられないほどではない。人生初の雪玉をソフトボール大に作り、ベンチの前に落とした。


「丸めた雪を、こうやってだな」

「ああ、腰をかがめてね」

「こんなふうに、くるくると……」

「歩幅がだいじなんだねぇ~留さん、お上手じょうず~」

「形を整えて……」

「きれいな丸だね。おみごと」

「はい、できあがりって……僕は、何をやっているんだ?」


 気がつくと、一人で八丁目広場の中央あたりまで来ていた。本来の製作担当者は、声かけはしていたがベンチでピンクの水筒を出し、湯気ゆげの上がった飲み物でやされ中で、こちらに向かって人差し指を立てている。つまり、もう一つ作れという合図あいずだった。


 なめているのか―― 僕を、誰だと思っている――


 優をにらみながら、優の作ったいびつな形の雪だるまに、みごとな球体に整った頭を一真が乗せる。「ブラボー」と、拍手をもらったころ、西の空は夕焼け色で、今日も支笏湖は遠かった。


 その日から、一真が公園に顔を出すたび雪だるまは増え、七体目からクオリティーも上がる。お菓子を詰め込んだバックを揺らし、手を大きくふる日もあれば、カサをふりまわして出迎える日もある。うかつにも手をふり返したのは昨日、歩く雪だるまかと思うほど、雪まみれだった。


排雪車はいせつしゃと、戦ったのか?」

「転んだの。早くベンチに座って」

「なんで?」

「高さがちょうどいいの」

「なんの?」

 一真は首をかしげながら、ベンチに腰を下ろす。すると、頭を支えに片足でバランスを取り、優が長靴を脱ぐ。

 赤い手袋が頭に乗ったまま、「なめてんのか?」と脅すが、「動かないで」と言われ、長靴の雪が払い終わるまで一真はたえる。正面に鏡があれば、まぬけな顔を見ることができた。


そして、今日。赤いマフラーを頭からすっぽりかぶり、あごの下で結ぶ姿に息が止まる。交差点手前で気がつき、赤信号で向かい合わせになると、笑いをこらえられるレベルではない。信号待ちは一真を入れて五人、その立ち姿にみんな肩を揺らしていた。


 名前を呼ぶな―― 笑うな―― 手をふるな――

 すべての言葉に、『頼むから』が、先頭に入る。祈るようにねんじるが、「留さ~ん」は、いつも以上に声が大きい。さらに、跳ねながら手をふられ、笑顔は満開だ。

 一真の願いむなしく通行人がふり返り、歩き出せずにいると、ひょっとこマフラーが走り寄ってきた。


「留さんどうしたの? 信号は、青で渡るんだよ」

「――そう、知らなかったよ」

 点滅をはじめた信号を見て、一真は優の腕をつかみ歩き出す。雪だるまが待つベンチまで、数人が一真にふり返った。

「君の家には、鏡がないのか?」

「だって、今日は寒いの~」

「よく、その姿で街を歩けるな」

「留さんが待っているから、平気かな」


 首をかしげた仕草で、おどけた顔を見ていると肩の力が抜けてくる。ベンチに腰を下ろし、ぼんやり眺めるのは、ひょっとこ縛りだ。

 慣れというのは不思議なもので、そんな姿も雪国では、ありのような気がしてくる。「貸してあげようか?」と言われ、一真は首をふる。笑ったのは久しぶりだった。

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