2話  「あたす?」 

「何かの、お間違いではありませんか?」

 威圧的いあつてきにメガネを直すと、正面に立つ優を上から順に眺めた。黒いゴムでしばった三つ編みは後れ毛が多く、化粧気はないが頬だけ赤い。スクールコートに斜めがけしたスポーツバックは、ジャラジャラ鈴がついていた。


「いや、いや、いや、今日の三時に面接って、あたすは聞いたんですけど?」

「あたす?」

「進路指導の先生にあんた聞いてるべさ? 聞いてないのかい? はんかくさいこと言うんでないよ~」

「あんた」

 と呼ばれ、メガネを直す。標準語と敬語のすきをつく北海道弁は早口で、海外からの客と聞き間違える。人を見続けて二十年、素朴そぼくたてにした無礼者ぶれいものに、出会った感覚だった。


「何度もご説明いたしましたが、こちらは『サンプラザ札幌ホテル』ではございません」

「ラスト一社なの。ここが、最後のとりでなの」

「ですから……」

「ああ、もう~老眼ろうがんのオヤジは引っ込んでよ。あんたじゃ、話が見えない」

「オヤジ……」

「支配人を呼んでよ。支配人!」

 優が、フロントカウンターを二回叩いた。

「――『ホテルサンピアーザ札幌』総支配人、渡部隆わたべたかし、四十二歳でございます」

「げっ……」

「ちなみに、老眼ではなく近眼ですので、お間違えのないように」


 渡部は、ブレザーのえりを正し背筋を伸ばす。威圧的いあつてきな視線を送ると、「もう、だめだ」の声を聞きとる。カウンターに叩きつけた履歴書りれきしょを、こそこそ、しまう優の姿を眺めた。

「あなたは、ご自分が面接するホテルを、お間違えになったのでしょうか?」

「間違えたのは、関西弁で金歯の運転手」

「金歯?」

 渡部は聞き返してから、咳払いをした。

「同情はいたしますが、ほかのお客様にご迷惑です。一度おさがり下さい」


 渡部は後方の客に視線を流し、「大変、お待たせいたしました」と笑顔を見せた。客の列から優が消えると渡部はカウンターの下で合図を送る。慣れた手つきで受け取ったのは、案内係の山崎やまざきさおりだった。

「面接の方は、初めてですね?」

「まったく、こんな大事な日に迷惑な話です。パンフレットを渡して『サンプラザ札幌ホテル』までの、道を教えてあげなさい」

「タクシーがあるといいのですが」

「この雪なら地下鉄の方が早いでしょう。急げば、まだ間に合います」


 山崎がパンフレットを片手に優のあとを追うと、渡部は何ごともなかったようにフロントに立ち、若いスタッフに指示を出す。やがて、渡部の耳に鈴の音が響き、それはフロント正面でピタリと止まった。

「ありがとう。銀縁メガネ」

「――渡部ですが」

「またね。おじさん」

「総支配人ですが?」

「がんこな感じが、いいね~」


 親指を立てて笑う顔に、顧客こきゃくになる未来は想像できない。だが、人は第一印象で判断してはいけないと、渡部のキャリアがささやいている。接客のプロ意識で一度深く一礼をして、ロビーを走り出した優の背中を眺めた。

「あの高校生、間に合うといいですね」

 山崎に声をかけられ、渡部は優から視線を外した。


「わたしには、どうでもよいことです」

「面接は、大丈夫でしょうか?」

「無理でしょう。わたしが面接官なら、速攻そっこうで落とします」

「そうですか……」

「それより、今日は大切なお客様がお見えになります。失礼のないようにお願いしますよ」

「はい。お部屋の準備は、整っています」

「なかなか、気むずかしい方と聞いています。このホテルを、気に入っていただけるとよいのですが」


 到着は、午後二時と聞いていた。出迎えを断られている以上、ひたすら待つしかないが、張り詰めた空気をスタッフの誰もが感じている。

 無事に飛行機が飛んだと連絡を受けてから、渡部の背筋も伸びたままだ。話をしたことはないが、十八歳のころに一度だけ顔を見ている。あれから五年、成長した姿は楽しみでもあり、悲しくもあった。

        ◇

 この日、大通り公園の真上に、おおいかぶさる雪雲は疲れを知らない。 

うかつに足を踏み入れた旅人に、容赦ようしゃなく降り積もる。一真の体は、しまい忘れたベンチに横たわり、見えているのは髪と爪先だけだった。


 もう少し あと、もう少し――


 五感は凍りつき、もうろうとする意識が心地良い。深い眠りを夢見て一真は闇に落ちていく。しかし、闇の世界で香ってきたのは、なじみのない甘い匂いだった。

「ちょっと、あんた――――! なまら、はんかくさいんで、ないかい!」

 何語――? 聞く間もなく、体が揺れる。

「生きているの? しっかりしなさい!」

 頬が右と左に二回往復したが、痛みは感じない。


「ねえ~起きてよ~道を聞きたいの。ここって、八丁目? 『サンプラザ札幌ホテル』って、知っている?」

 揺らされるとまぶたは動くが、返事をする前にまた眠りへ落ちていく。

「答えてから死ね――――!」

 その声で一真の脈が大きく波打つ。全ての細胞が、「死ね」の言葉にふり返り、舌打ちをした感覚だった。


 息苦しさに薄目を開けると、空は赤く染まっている。人影は首をかしげた仕草で、赤いカサを支えていた。

「三時に面接なの。就職組みで決まってないのは、あたすだけ」

「あたす……?」

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