3話  聞き分けのない女子高校生

「これが最後の砦なの。だめなら親のコネで働かなきゃいけない」

「コネで働きなさい」

「絶対にいや! 十八で自立をするの。だから、『サンプラザ札幌ホテル』に行かなきゃだめなの。死ぬひまがあるなら、さっさと答えろ!」

 胸倉むなぐらにひねりを加えられ、一真の息が止まる。苦しさでまぶたが開くと、パンフレットの赤丸を手袋がさしていた。

 一真はだるそうに体を起こし、ベンチからすらりと長い足を下ろすと、北側車道を指さした。


北海ほっかい銀行の裏手が北一条、右手に『サンプラザ札幌ホテル』だ。さっさと行って、とっとと消えろ!」

「ありがとう」

「ちなみに、三時三十分だ」

「分かっている。びるだけでもいいの」

 頭を下げ、走り出すと三つ編みが揺れる。斜めがけのスポーツバックについた鈴が、背中でジャラジャラ鳴いていた。


「もう少しだったのに……」

 一真は首筋に手を当て、自分の脈を確かめた。凍る大地から、突き上げる地吹雪を体が覚えている。落ちた意識で、一度、死んだ気がしていた。

 腐敗ふはいした体は、もうすぐ二十三年目、凍らせるなら、匂いを放つ前がいいとつぶく。遠のいてゆく意識、心地良い眠気、再びベンチにうずくまる。


 あと少し―― あと、もう少し――


 意識が消える瞬間をひたすら待ち、数え唄を繰り返す。やがて、鈴の音が鼓膜こまくを揺らし、それはベンチ正面でピタリと止まる。胸倉をつかまれる気配を感じ、ベンチから体を起こすと、一真の空は赤いカサに染まっていた。

「先ほどはどうも。目が覚めた?」

「また、君か……」

「面接は無事に終了、取りあえずお礼を言いに来ました」


 カサをまわして笑う顔は、幼さが残っていた。面接時間は十分程度で、その速さに合否ごうひを聞かなくても想像がつく。それは、鼻から口元へ伝う二本の水路で、そんな女がフロントに立てば、観光都市札幌の終わりを意味していた。

「お礼はいいから、帰りなさい」

「じゃあ、お礼のしなは、いかがでしょう?」

「何?」

「飴」

 赤い手袋が差し出したのは、黄色い包み紙が一つ。『長寿飴ちょうじゅあめ』と印字され、レモンの絵が描いてあった。


寿命じゅみょうが延びる不思議な飴なの。元気も出るよ。ホームレスには厳しい季節だから、糖分を取らないとね」

「僕が、ホームレスに見えるのか?」

「さすがに、ホームレスに見えても、ホームレスに向かって、『もしかして、ホームレス?』なんて、言えないよ」

「もう一度言うぞ。帰りなさい!」

「まだ、お礼を言ってない」

「お礼はいいから、帰りなさい」

「じゃあ、お礼の品はいかがでしょう?」

「ん?」

「どら焼き」

「ちょっと、待て」


 一真は、うっかりどら焼きを手に取るが、ループする感覚で頭を押さえる。ここはすでに死後の世界で、お迎えはとぼけた顔の三つ編みなのかと空を見上げた。すると、雪雲は流れ、輪郭りんかくさえ見えなかったビル群が一真を出迎えている。

 氷点下の気温に差はないが、体感温度は高い。凍りついていた髪はとかされ、しずくとなって手に落ちた。


「もう、凍死できないね。ほ~ら、寿命が延びたでしょう?」

 自慢気じまんげに笑う顔を見て、一真は一つため息をつく。飴で寿命が延びるなら、高齢化社会のゆく末は深刻な問題だ。そして、一真の深刻な問題は帰宅をうながしても、話を続ける女子高校生問題で、面接会場を間違えたのは金歯のタクシーで、一度だけうなずいたが、世話になった銀縁メガネの話は、よく分からなかった。


「もうすぐ日が沈む。よい娘は、お家に帰る時間だ」

「名前を教えてくれたら帰る」

「君に名乗る必要はない」

ずかしい名前なの?」

 顔を正面からのぞかれ、一真は横を向いた。

権左衛門ごんざえもん?」

「違う!」

 否定をするために正面を向いたが、「分かった!」の声に驚き、「もしかして~」と指をさされて鼓動が早まる。

「きっと、酔った勢いで、ついぽっこりできちゃった、八人兄弟のすえっ子でしょう?」

「……」

「あなたの名前は……末吉すえきち? いや、留吉とめきちかな?」


 一真が二回うなずいたのは、「分かった!」になんの不安を感じる必要もないと言う理由で、「末吉」と「留吉」を容認する仕草ではなかった。しかし、否定が遅れたことで、名前は後者の『留吉』に決まり、頭を抱えるとビルの谷間に、日が沈みはじめた。


 手のひらには、どら焼きと黄色い飴が一つ。ホームレスの誤解の解き方を考えているうちに、ミルクチョコが二つ乗る。次に、聞き分けのない女子高校生を雪に埋める方法を考え出すと、「もう、お菓子はないの」と言われ、広げた手のひらが、催促さいそくと受けとられたことを一真は知った。


「これだけじゃあ、りないよね。今日の分しかなくてごめんね」

「いや……そうじゃない」

「そうだ。明日もお菓子を持ってくる。だって、おなかが減るでしょう?」

「僕は……」

「留さんには、お世話になったから、遠慮えんりょしなくていいよ。三時にここに来て、明日はみたらし団子だんごを持ってくる」

「みたらし団子」

「わたし、そろそろ帰るから、ベンチで寝ちゃだめだよ。『明日の約束』忘れないでね」

「帰る……それはよかった」


 積極的に否定をしなかったのは、開放感からだった。ベンチに深く腰をかけ、走り出した背中を眺める。身長は百五十センチ代と小柄で、赤い長靴をり上げるたび鈴が鳴る。交差点を曲がる途中で、大きく手をふる姿が赤い花に見えた。

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