第21話 あらそいは始まって⑤

「……おう?」


 俺が眉をひそめると、彼はハッと肩を跳ねさせてから鳶色の瞳を泳がせ、小麦色の髪をガシガシして呻く。

「――うあ、その。言ったろ……勇者の物語は好きだって。俺でも勇者サマみてぇになにかできンじゃねぇかってずっと……だから、なンてぇの……ちっと勉強させてくンねぇか……とか? いや、ええと」

「勉強? ……俺といて学べることなんて……」

 言いかけたそのとき、エルフのお姉さんが木製の器に並々と注がれた茶を俺の前に置いた。

 ふわりと立ち上る湯気から甘酸っぱい香りがする。

「奢り。そこの坊やは貴方に憧れているのよ千葬勇者。昨日も張り切っていたもの。見てわからなかった?」

 その言葉にフォルクスの頬がぶわーっと紅くなる。

「ぼ、坊……ってか憧れとかそンなんじゃ……」

「…………」

 俺はその言葉に思わず言葉を失った。

 憧れ……?

 急に勇者だなんて言われて、ただがむしゃらに……誰かを助けようとやってきただけ。

 結果として呪われて――うじうじと悩んでいるだけ。

 そんな俺に――憧れているって?

「…………あぁくそ。ンな意外そうな顔するなよ勇者サマ! 俺は……俺の一族は皇族に仕えて貧民街で生きるはめになっちまったけどさ、それでも――魔物を育てて国民喰わせるような奴がいなくなったことのほうが『いいこと』だってのはわかる。その行動を起こした国民はあんたに勇気をもらったンだ。だから俺みてぇな奴でも――あんたみたいに誰かを奮い立たせることができたらって……そう思ってンだよ」

「……誰かを奮い立たせる、か……」

 ――旅に出たばかりの俺なら、きっぱり断っていたかもな。

 でもそんな俺を引っ張って……彼女・・は踏み出した。

 人と関わらないなんて俺には無理なんだと思い知らせてくれた。

 そう。メルトリアは……奮い立たせてくれたんだ、俺を。

 なら俺も……それに応えないと駄目だよな。

 俺は甘酸っぱい茶をひとくち飲んでから言葉を続ける。

 ちゃんと考えての発言なのか、それを知る必要があるからだ。

「――これは命を落とすかもしれない案件だ。逃げたいと思ったときには遅い。それを理解しての台詞か?」

 俺の言葉にフォルクスは真剣な眼差しで、しっかりと頷く。

「――貧民街ではさ、いつ死んでも可笑しくなかったわけよ。家族も友達も……今日無事でも明日は冷たくなってる……そんなことが普通に蔓延はびこってたンだ。だから俺は死を甘くみたりしねぇ」

「……そうか。わかった、それなら一緒に行こうフォルクス」

 本当はもうひとつ、問わねばならないことがある。

 だけどいまはフォルクスという『人族』に応えようと……そう思ったんだ。

 だから俺が言うと……フォルクスはホッとしたように肩の力を抜いて煮込みラグーを口にした。

「んぐ。……ちょろい。やっぱあんた優しいンだな。断られたときの準備もしてたンだぜ?」

「おう?」

「山脈を南西へと下るなら鉱石街道メタルムレーンから外れて廃坑を行くのが早いンだよ。俺はそこの地図を覚えてる。それを餌に雇ってもらうつもりだったンだ」

「…………。それさ、最初から雇ってくれって言えばよかったんじゃないか?」

 俺が思わず返すとフォルクスは驚いた顔をしてからプイとそっぽを向き、追加で煮込みラグーを頬張った。

「い、いいンだよ、これで……どっちにしても雇われみたいなもンだろ」

 その顰めっ面に俺が笑うと、エルフのお姉さんは妖艶な笑みをこぼし、フォルクスにも茶を出した。

「よかったわね坊や。奢るわ」


******


 翌日に山脈へと向けて出発した俺とフォルクスは、少し山を登った先で薄暗くひやりとした坑道へと踏み入った。

 苔っぽい湿った香りが満ちる鉱石街道メタルムレーンだ。

 これからもっと寒くなってもこの中の気温はそう変わらない。

 山肌を歩くよりずっと暖かく感じるだろう。

 なにより雪が積もらないのはありがたいな。

 足下は踏み固められて凹凸が少なく、壁には等間隔でランプが灯されている。

 魔素を含む石を使い魔法によって灯された明かりは橙色で、歩く俺たちの陰を幾重にも描き出していた。

 幅は……馬車がギリギリ擦れ違える程度には広い。

「ここを抜けると〈ヴァンターク皇国〉か……実は皇国に行ったことは一度もないんだよ」

 俺が言うと隣を歩いていたフォルクスが不思議そうな顔をした。

「そうなのか? でも……あんたの仲間だったスカーレットとライラネイラは前の――〈ヴォルツターク帝国〉出身だろ?」

「ああ、うん。よく知ってるな」

「物語にあったからな。紅髪短髪のスカーレットと蒼髪長髪のライラネイラ。対称的なふたりだったって」

 勇者一行の星詠みスカーレットと治癒術士ライラネイラ。

 彼女たちはかつての〈ヴォルツターク帝国〉出身だ。

 皇族が魔物を飼い始めたらしい情報も手に入れていたけれど、大元である魔王を屠ることでその思惑を挫けるはずだからと行動を共にし続けてくれた。

 俺は彼女たちを思い、少し笑って言葉を紡ぐ。

「残念、実物はスカーレットが長髪でライラネイラが短髪だな。まあ……よく喋るスカーレットと無口なライラネイラって感じか。でもふたりとも結構頑固で似てたと思う。……民が立ち上がったとき、彼女たちは国に戻っていた。たぶん革命にも参加したはずだ」

「たぶんって……そんな曖昧なのか?」

 俺の言葉にフォルクスが首を傾げる。

「ああ。気にはなっていたけど……そもそも〈ヴォルツターク帝国〉は『凱旋協定』に賛同しなかったし、民が奮起したのも俺が理由だって言われていたし……入国は難しかったと思う。でも一番の理由は、彼女たちが俺には頼らなかったってこと」

「――頼らなかった? ……どっちにしろ、あんたなら助けに行きそうなもンだけど」

「おう。それはもちろん考えた。でも勇者一行を解散するそのとき、スカーレットが『アルトを馬鹿にした国だから許さない、だからアルトなしでも改めさせてみせる』って言い張っていたからさ。ライラネイラも『頑張る』って。だから行かなかった。……ふたりに会ったのはそれからかなり時間が経ったあとだよ」

 どこか懐かしくさえあるその思い出は……彼女たちの笑顔を脳裏にはっきりと描き出してくれた。

『国を改めさせたら、大きな家を買うわ! それで庭には一面に紅い薔薇を植えるの。アルトの好きな花も植えてあげるわ、なにがいい?』

『うーん。ガーベラかな? スカーレットみたいな花だし』

 そんなふうに話すスカーレットに俺はそう言って、聞いていたライラネイラが黙ったまま微笑んで。

 俺はふたりを信じたし、ふたりも……俺を信じてくれていたんだろうな。

「……よくわかンねぇな、仲間なら頼るもンだと思うぜ」

「ふ。頼るは頼るでも『信頼』なんだよ、俺たちの関係は。俺は彼女たちがやれるってわかってた、だから行かなかった。そういうこと」

「…………信頼」

 フォルクスは反芻すると少し考えるような素振りを見せ、それからふと立ち止まる。

「なあ勇者サマ。ひとつだけ聞いていいか?」

「……おう?」

「歳を取らなくなった……それは人を……数多く葬送するってことだよな? 信頼した仲間も、家族も……大切な誰かも。それでもあんたはそうやって笑う。――克服してンのか?」

「…………」

 あまりに唐突で、一瞬、身が竦むような名状しがたい感情が背中を這った。

 俺はフォルクスの数歩先で足を止め、半身だけ振り返って苦笑する。

「痛いところを突くな……実は全然。でも……メルトリアのお陰でだいぶ前向きになれたんだよ」

「――メルトリア? もしかして姫さんのことか?」

「ん、あぁそうか。まだ名前言ってなかったもんな。そうだよ」

「……龍の力を伴う……メルトリア、か……ふぅん……」

「どうかしたか?」

「いや、次に会ったら俺も名乗らねぇとな」

 フォルクスはひとこと言うとゆっくり歩き出す。

 俺も彼に合わせて踏み出し、なんとなく話したい気分になって口にした。

「大切な人を葬送するなんて御免だよ。だから誰とも関わらないように一期一会で過ごそうと思ってたさ。でも俺は彼女に引っ張られて……勇者一行のルーイダに背中を押されて、関わる道を選んだってわけ」

「ルーイダ……そうか、酒場で言ってた美しいお兄さんエルフってのはエルフメイジのことなンだな」

「おう。旅に出るときに『千の親しい人を葬送しろ』って言われたよ。それが俺のためになるって」

 ルーイダは『魔物ではなく千の親しい人を葬送なさい。それが継がれ、継がれて……いつかあんたを救ってくれる』と言っていた。

 本当にそうなるかはわからない。だけど、それでも――俺は選んだ。

 俺が頷くとフォルクスは前を向いたまま話し始めた。

「…………貧民街で育った俺にとって死は隣人だ。常に隣にいて、いつでも誰かを連れていこうと狙っていやがる。多くの死を見てきたけど――無力感が消えねぇんだ。もっと真っ当な仕事ができれば。もっと真っ当な金が手に入れば。もっと真っ当な暮らしができれば――って毎日思っていたよ。……同じなのかはわからねぇけど――あんたも死を目の当たりにすンのはキツいってことか」

「はは。悪いな、やっぱり勉強にならないだろ」

「いや。自分が多少はまともなンだなって思えた。さて勇者サマ、あそこを折れるぞ」

 俺はフォルクスの言葉に、彼が指した先を見る。

 ……坑道が左に枝分かれしている……が、えぇと。

「なんか目張りされているけど……?」

 そう、そこには板――のようなもので塞がれた道があるだけだ。

 フォルクスは肩を竦めてから飄々と笑った。

「あンなのただ簡単に立て掛けてるだけだ。一部だけ外して潜るンだよ。入ったらほかの奴が入らないように誤魔化す必要もあるけどな。迷ったら二度と出られねぇかも」

「うわぁ……」

 俺はため息をこぼして肩を落とした。

 大丈夫かな……。

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