第22話 あらそいは始まって⑥

******


 枝分かれした先は暗く、俺とフォルクスはランプを灯す。

 火種を補充しておいてよかった。

 鉱石街道メタルムレーンから外れたせいか空気はどこか淀んでいて皮膚に纏わり付くような重さを持っている。

 照らされた壁面はてらてらと光っていて、土と石が混ざり合って見えた。

「ここからはハグレの魔物も出そうだな」

 俺が言うと先導しているフォルクスが肩越しに振り返って苦笑する。

「だろうな。人も来ねぇし……さぞ住みやすい場所じゃねぇの?」

「嫌なこと言うなよ……どのくらい進むんだ?」

「――三日で一度外に出られるはずだ。昔、鉱夫が使ってた村の名残がある。そっから別の坑道に入るぜ」

「三日も真っ暗か……」

 俺はランプに揺らめく灯りを眺めてから身軽そうなフォルクスに視線を移す。

「食糧とか水は持ってる?」

「さすがに一カ月は無理かもしンねぇけどそれなりには。水は節約しねぇとだけどな。……おい勇者サマ、この音聞こえるか?」

「ならよかった。……おう、聞こえる。どうやら早速見つかったみたいだな」

 言うが早いが俺たちは荷物を放って武器を構え、ぽっかりと闇へ続く坑道を見遣る。

 なにかがこっちに向かってくるのだ。

 ランプで見えるのはほんの僅かな範囲であり、感じるのはなにかの気配、その息遣いと足音。

「四本足……三体くらいか?」

 音を頼りに俺が言うとフォルクスはくるくると円月輪を回しながら頷いた。

「そう大きくねぇな。群れってほどでもねぇとくれば……土喰いフムスイータとか」

「ああ……名前の割に肉食なんだよな、あいつら」

 俺が続けるとフォルクスは「ひひ」と笑って両手の武器を軽やかに放った。

「先手必勝ってなもンよ!」

 すると暗闇で『ギャヒッ』という獣のような鳴き声が木霊し、すぐにズングリしたネズミのような魔物の姿が闇から浮かび上がる。

 灰色の硬い毛に覆われた体に特徴的な長い鼻先。間違いなく土喰いフムスイータである。

 数は……二体。もう一体の気配はまだあるが、フォルクスの攻撃で動けないようだ。

 考えているうちに肉迫した二体のうちの片方を、戻ってきたフォルクスの円月輪が斬り裂いて転げさせる。

 自身の円月輪を手に戻したフォルクスは再び右の刃を放ち、飛び掛かる一体を左の円月輪で叩き落として踏み付ける。

 放たれた円月輪は転げた一体に深々と突き刺さり――また戻ってきた。

「それ、どうなってるんだ? 突き刺さったのに戻ってきたぞ」

 俺が聞くと、踏み付けた魔物を仕留めたフォルクスは仏頂面で俺を振り返った。

 その向こう側、二体の魔物が塵芥ちりあくたとなって闇へと溶けていく。

「――おい、そンなことよりあんたも戦えよ勇者サマ……いまやる気なかっただろ」

 俺はフォルクスに向かって微笑んだ。

「道連れの力量を推し量るのも大事だからさ」

「は? 変なところで適当だなあんた……。まぁいいや。この円月輪には魔法を掛けてンだ。使うときにちょいと俺の魔素を変化させて『引き寄せられる』ようにしてる」

「おお、フォルクスは魔法が使えるのか?」

「火とか出すのは無理だな。そっち系は得意じゃねぇし」

「そうか……俺は全然使えないからさっぱりわからないけど、とにかくすごいな! ……っは!」

 俺はフォルクスの後ろからじわりと距離を詰めてきていた土喰いフムスイータ、その最後の一体を思い切り踏み込んでひと突きし、塵に変える。

 擦れ違いざま、フォルクスが目を瞠ったのが見えた。

 土喰いフムスイータが傷付いていたところを見るに、やはりフォルクスが適当に投げた最初の一撃が当たっていたのだろう。

「……仕留め損なってたか、悪い……気を付ける」

「おう」

 俺は笑って剣を収め、荷物を拾い上げた。

 フォルクスは強い。だけどまだまだ荒いところがあるようだ。

 メルトリアのほうが堅実な戦い方をするし、警戒も怠らない。

 まぁ感情が先走ったけどな……。

 でも――フォルクスも十分な強さだろう。

 俺はそこまで考えてから……聞こうと思っていたことを口にする。

「なあフォルクス。戦う相手が『人族』だとしても――お前は武器を振るえるか?」

「……え」

「人と戦えるだけの十分な強さがあることはわかった。……だから問う。俺は『龍族』と『人族』の争いを起こすわけにはいかないと思ってる。止めるために『人族』と戦うことになったら……フォルクスはどうする?」

「…………」

 揺らめくランプの灯りがフォルクスの鳶色の瞳を照らす。

 彼は眉を寄せると……視線を落としてから瞼を下ろした。

 小麦色の髪が頬に濃い影を描いている。

「――戦えるぜ。なにが『いいこと』かはわかるってもンだろ。あんたが言うんだ、伝説に謳われる龍族も本当に存在して……人族と龍族の衝突は避けなきゃならないンだろ? それに……」

「……それに?」

「…………いや、とにかく大丈夫。確認は不要ってもンよ! さあ、そうと決まればさっさと坑道を抜けようぜ勇者サマ」

 フォルクスは言いかけたなにかを呑み込んで歩き出す。

 俺は無理に聞こうとも思わず、それに追随した。

 

******


『おかえりメルトリア。戻ったのだね』

 重厚な……雷のような轟。

 彼女の目の前、腹這いになって伏せていた白い龍は僅かに頭をもたげる。

 ゴツゴツした鱗に艶はなく、どこか灰色がかった姿。老齢であろう。

 しかし、か弱い人族などひと呑みにできる巨大なあぎとからこぼれる声に、メルトリアはゆっくりと頷いた。

「ただいま、アウル。……ごめんなさい、千葬勇者は連れて来られなかった……私、アウルとの約束を違えてしまったの……!」

 その鼻先に飛びついた彼女に、老いた白い龍は金色の瞳を細めた。

『――ふむ。なにかあったのだね?』



 ……アウル。

 彼の老いた白龍は世界を愛しており、『人族』にも友好的な龍であった。

 龍は太古の昔から多種族の生き様を見守り世界に満ちる力の均衡を図るために生きているが、それを知る者は少ない。

 永きを生きるが故に心を歪め、他種族と敵対行動を取る龍族もいる。

 ……そのなかでアウルや彼のもとに集う龍族たちは、魔王が魔物を生み出しはじめ勇者がそれを浄化していくあいだ、世界の力の偏りを注視していた。

 けれどその戦いに終止符が打たれ世界の力の均衡が戻ってすぐ、近隣の国である〈ヴォルツターク帝国〉が崩壊。

 可哀想に、同じ『人族』からの仕打ちでボロボロになった赤子同然の皇女が谷底へと落とされるのを……アウルは見過ごすことができなかった。

 彼の国が興った当時、まるで人々を照らす太陽の如き存在であった皇帝の血が流れているというのに――なんたるさまか。

 けれど……永きを生きる彼にとって、人族の命は文字通り瞬きのごとく一瞬である。

 助けたとて、それはただの気まぐれで……彼女は僅かな時間を得るだけ。

 それだけのはずだった――が。

 すでに酷い仕打ちを受けた彼女に、もし――もっと多くの愛を受け取る時間を与えられるとしたら。

 勿論、確率は高くない。しかし乗り越えたそのとき彼女に愛を授けるのもまた……永きを生きる自分の役目ではないのか、と。

 アウルは思ったのだ。

 そうして谷底に落ち行く彼女を救い〈エルフ郷〉へと羽ばたいた彼は……メルティーナ皇女……メルトリアに己の血を与えたのである。

 そうして、アウルは己の血に順応した彼女に抱えきれないほどの愛を授け、また、愛を持って見送ることを良しとし、メルトリアにもその思いを説いた。

 誰かを送るそのとき、自身もまた愛を受け取るのだ――と。 


 ――そんなアウルがはるか昔に築いたのが龍族の生息地である。

 この場所はいまでこそ〈アルバトーリア王国〉と〈ヴァンターク皇国〉を隔てる巨大な山脈の一部にあるが、造った当時『人族』はさほどの知識も有しておらず、国という概念もなかった。

 しかし時代が移り変わるうちに国を興し鉱脈を見つけられるまでになった『人族』は山脈内部に蟻の巣のような坑道を掘り進め、いつか龍族の生息地まで辿り着くだろうと思われた。

 そこでアウルとほかの龍族たちは協力して何重にも結界を施し、住み家を護ることにしたのである。

 剥き出しの岩壁に囲まれたその場所では空は見えず、代わりに苔生した天井から逆さまに草や蔦が生い茂り、柔らかな白い光を纏う花が太陽の如く咲き乱れていて明るい。

 地面からは小山のような岩がいくつも聳えて連なり、その足下には透き通った水がさらさらと流れている。

 空気は澄み渡り、ゆったりと時間を刻む空間。

 連なる岩の天辺は平らになっていて、龍たちが思い思いに体を休めている。

 いまメルトリアがいるのはそのなかでも一際高い岩の上、龍族の長老が体を休める場所だ。

 隣り合った岩と岩の間には必ずといっていいほど道が渡されており、飛べない龍やメルトリアはそこを行き来する。

 メルトリアは澄んだ空気を肺一杯に吸い込んで……龍の鼻先に回した腕に力を込めた。

「あのね、アウル。私を知っている人がまだ生きていて……私がメルティーナだとバレてしまったの。〈アルバトーリア王国〉の前王、私の婚約者だった人よ。だから私、約束を破って……龍の血を得て永きを生きていることをアルトスフェンと現王に話してしまった。ごめんなさい、アウル」

 白い龍は目を閉じたままそれを聞くと、ぶしゅう……と音を立てて鼻から息を吐き、鼻先にいたメルトリアの亜麻色の髪を巻き上げた。

『なるほど……それは少々予想外であったね。……さて、それを踏まえて尋ねよう。千葬勇者はどのような者だった?』

「…………アウルから聞いていたよりずっとお人好し。彼が勇者だと信じるに値する……優しい人だったわ。彼がいたから〈ヴォルツターク帝国〉の民は立ち上がった。誇るべきことよ。……でも彼は永きを生きることに苦しんでいたの。誰かを葬送するのが恐いんだわ――だから私は彼が彼を遺す手伝いがしたいと思ったし、アウルと会ってもらいたかった。アウルが私にしてくれたように、永きを生きることがどれほど誰かの力になるのか伝えられたらって……」

 柔らかな彼女の声音に、白い龍はバフバフと息を吐く。

 どうやら笑ったらしかった。

『そうかそうか……出会ったことはよきことであったのだね。しかし千葬勇者は葬送するのが恐いか――』

「……ええ。でも彼は私を助けるって……言ってくれた。私が永きを生きていると知らなくてもそれを選んでくれたのは確かよ」

 メルトリアは瞼を閉じて脳裏にアルトスフェンの姿を思い描く。

 さらさらとした黒い髪は光の当たり方によって蒼や翠に艶めく美しさを持っていた。

 翠玉のような瞳は誰かを優しく包み込む慈愛に満ちていた。

 言葉の端々に、行動のひとつひとつに、彼が勇者である理由を垣間見た……。

「だから当然、私が永きを生きていると知って……アルトスフェンはもっと話そうって言ってくれたの。でもそれはアウルとの約束に反する。だから……なにも告げずに出てきたわ。アウルは彼を試していたのでしょう? 知らなくても龍族を助けてくれるかどうか……とか……。それが確かめられない状況で彼を連れてくるのは――駄目だと思ったの」

 何も告げないことを選んだのは自分だけれど――どちらもアルトスフェンを傷付けるだけなのはわかっている。

 黙って置いてきたことを後悔していないはずがない。

 けれど、かといって事情を話してから別れを告げることなどできなかった。

 同じように永きを生きるメルトリアにアルトスフェンは確かに希望を見出していたはずだから。

 しかしメルトリアは龍族との――アウルとの約束を違えたことが気掛かりで、アルトスフェンのそばにいるのが一時でも耐えがたかったのだ。

『ふむ。ほかにもいろいろと事情はあるのだが……その決断はさすが噂に聞く千葬勇者といったところか。――メルトリア……少し話をしよう。心して聞いておくれ。実はね、彼をここに連れてきていいものかと龍族でも意見が割れたのだ。だから我らの血のことを知らずとも助けようとするか、それを見極めるという条件が出たのだね。……我ら龍族からすれば他種族の争いごとなど一瞬の出来事だけれど、魔王を名乗る者が現れ魔物を生み出し、負の力を増幅させたことは見過ごすわけにはいかなかった。それだけ世界の負の力が強まっていることになるからね。だから我らは千の魔物を屠った勇者の動向を常に見守っていたのだよ。彼が負の力を浄化してくれているあいだは、我ら龍族は静観を貫くつもりでいたのだね。……けれどそのあとが問題だった。呪われてしまった勇者もまた、危うい存在になってしまったのだから』

 メルトリアはそれを聞くと体を龍の鼻先から放し、眉尻を下げた。

「危うい……存在?」

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