第16話 ひめごとは曝かれて③

 俺はその言葉にハッとした。

〈ヴォルツターク帝国〉……いまは亡き国。魔物を飼っていた国のことだ。

 俺が魔王を打ち倒した後、彼の国は革命によって滅び〈ヴァンターク皇国〉として生まれ変わったはず……。

 メルトリアはそんな俺の考えを見透かしたように小さく頷き、苦しそうな悲痛な表情で言葉の続きを紡いでいく。


「……私がまだ皇女だった・・・・・頃、〈アルバトーリア王国〉の王子ユルドとは……政略的な婚約者という関係で繋がっていたわ。でもそれでよかった、そういうものだと思っていたから。勇者アルトスフェンが魔王を打ち倒したそのとき、私は十六歳、ユルド王子はたった八歳で、まだなにも知らない無垢な子供同士だったの。けれど知ってのとおり――〈ヴォルツターク帝国〉は魔物を飼い――魔王側に組するような国よ。父と兄は魔王が討伐されたあと私を城の一室へと閉じ込めた……私は何度も罪なき人々が餌となるのを見せられたの……。剣狼けんろう山羊頭魔サタナキア、たくさんの魔物が穴の中で餓えていたわ」


 その話に、胸が疼く。

 体が震えて……息が詰まった。

 待ってくれ……だってそれじゃ……メルトリアは……。


「なにもできなかった――いえ、しなかったわ。外の様子を知ることもなければ……民のために立ち上がることさえも。……私は……傍観者であり、主犯であり、悪の象徴だった。美しいドレスに身を包み、投げ込まれる人々を震えながら見下ろすだけの。そうして――そう、なるべくして――民が自ら立ち上がったの。千葬勇者アルトスフェンが……皆を奮い立たせてくれたからよ」


 メルトリアは――俺と――同じだけの年月を……同じように生きているっていうのか?


「けれど……民からすれば私も憎い存在。わかっていたわ、わかっていたけれど――恐かった……。眼を血走らせて城へと雪崩れ込む民たちが怒声を上げて追い掛けてくる。だから逃げたわ、逃げて、逃げて、逃げて……でもただの小娘だもの。すぐに追い付かれて……殴られて、蹴られて……斬られて」


 両腕で己を抱くメルトリアは言葉を呑むと唇を噛んだ。

 彼女は――いったいどんな気持ちで過ごしてきたのだろう。

 俺が……親しい人を葬送したそのとき、遺されて寂しいと嘆いていたそのとき、彼女はどんな気持ちで……。

 

「……最期には谷へと投げ捨てられた。裁かれたの。恐かったけれど……風が頬を打っていくのに安堵した。ようやく終わるって――。メルティーナはそうやって死んだと……いえ、存在していなかったのだと思われたかった。皆に忘れてほしかった、すべて消えてほしかった。――でも私はいまの家族に助けられて生き長らえたの。……貴方と……同じなの、アルトスフェン……私は悪そのもので、貴方は正義の象徴――成り立ちは全然同じじゃないのに……生きているの。同じように、永い刻を」


 龍族の血を呑めば永遠の命が手に入る――それはただの噂話なんかじゃなかったんだ。

 ルーイダは『そのまま呑めば毒』だって言っていたけれど、『なにかをすれば』本当に効果がある――そういうことなのだろう。

 でも……いまはそんなこと、どうでもよかった。

 メルトリアが自分を『忘れてほしかった』なんて言うのが酷く胸を締め付ける。

 俺は忘れられてしまうことが……そう、恐いんだ。誰の記憶にも遺らず見送るだけ……葬送するだけの存在になる自分を悲観していた。

 けれどメルトリアは違う。自分が『遺る』ことが恐いのだ。俺とは違う意味で自分を悲観していたんだ、彼女は。

 ――そう理解はできても、納得できはしない。悪ってなんだよ? そんなの不可抗力だろう。

「馬鹿なこと言うな、悪そのものだなんて……! メルトリアは悪じゃない。そんな仕打ちが許されるはずないだろ!」

「……いいの。私がなにもしなかったことも父や兄を助長させた。民は私を赦せない、当然だわ」

 咄嗟に口にした俺にそう言って……メルトリアは困った顔で無理に微笑んだ。

 引き攣る頬が痛々しくて見ていられない。

 魔物を飼う穴の縁、助けてと泣いた彼女を思い出す。

 逃げようとして土を――そこに根付く草を掴む白い指先。

 あのときメルトリアは自分を追い掛けてくる民を見ていたのだろう。 

 あんなに取り乱していたんだ、恐くないわけがない――当然じゃないか……!

 ドロリとした感情が染み出してきて、胸が酷く疼く。

「――助けてくれたいまの家族は、抜け殻みたいになっていた私を『ヒト』へと戻してくれたの。長い時間が掛かったわ。そのあいだ、ユルドが私を捜してくれていたことも聞いた。谷に落とされたはずの私の死体が上がらなかったから」

「父上が――。そうだったのか」

 王が悲痛な面持ちで眉間を揉む。

 彼はやがて視線をメルトリアに向けると、目の前に並んだ料理へと移した。

 つらそうな彼女を見ていられなかったんだろう。

「事情はわかった。皇族と民が争った歴史は学んできたが――そうか。当時の皇族、特に皇帝の血筋は……そのような扱いを……」

「ええ。だからなにも知らない無垢で遠い血縁がいまの皇族に担ぎ上げられたの。民は国を滅ぼしても皇族そのものを否定しなかった――導く象徴が必要だったんだわ。でも……それでよかったの。民は私たちを裁く――そうすべきだった。誤算なのは私が助かってしまったことくらいね」

 メルトリアは瞼を伏せて呟いた。

「……忘れてくれていたらと、そう思ったわ。けれどユルドはひと目で私に気付いた。まさかこんな形で貴方にばれるなんて……ごめんなさい……アルトスフェン」

「そういえばアルトも聞いていなかったんだな、彼女が皇族だと」

 王が眉を顰めるので、俺は頷いた。

 メルトリアは――龍族との約束があるからそれを話さなかったんだろう。

 きっとこの先で話してくれるはずだった、それが早まっただけのことで。

 こんな……傷を抉るような形で聞いてしまったことに申し訳なくなる。

「事情があって隠す必要があったのを俺は知っているから。謝るようなことじゃないさ、だから気にするなよ、メルトリア。……ごめんな、こんなつらい話だなんて思ってなかった」

 言うと……メルトリアは俺を見て微笑んだ。

 痛々しい微笑みで。


「…………ありがとう」


******


 そのあと、王は食事に手を付けないまま『凱旋協定』の証をメルトリアの分も用意させると言って出ていった。

 俺とメルトリアを気遣って明日には完成するよう手配してくれるらしい。

 俺は黙っている彼女に食事を摂るよう促して……自分もすっかり冷めてしまったスープを口にする。

「……メルトリア。食べられそうか?」

「あ、うん。ごめんなさい、心配かけて。私は大丈夫よ」

「――強がらなくてもいいと思うけど。こんなときこそ頼れる仲間が必要なんじゃないか?」

 戯けて胸を叩いた俺に……彼女は目を瞬いて……。

「アルトスフェン……うん。ごめんね、じゃあ少しだけ」

 そのまま、俺の肩に頭を載せた。

「……⁉」

 え、ええと。これは想定外――なんだけどな……。

 言った手前、身動ぐわけにもいかず。

 俺は黙ってソロリとスープを置いた。

 するとメルトリアは小さな吐息をこぼす。

「龍族もね、こうやって互いを励ましたりするの」

「お、おう……そうなんだ、龍族も……」

 龍族も……あ、そう。龍族もね……なるほど。

 そういえばマントを共有したときもそうだったな……。

 照れる必要は――ないってことか……うん。

 ふと冷静になった俺にメルトリアは続ける。

「私ね、もうメルトリアとして生きている時間のほうが長いのよ。戦い方も、生きる術も、たくさん学んだ。人族と離れて……永きを生きる龍族たちとずっと過ごしていくつもりだったの」

 彼女の温もりが肩越しに伝わってきて……胸が疼く。

 忘れないでと言わないのは『忘れられたかった』から……それを知ってしまったから。

「谷底から拾い上げたボロボロの私を〈エルフ郷〉に連れていって……龍族は血を与えたわ。エルフは快く協力してくれたそうよ。龍族の血はエルフ族の魔法があって初めて効果が出るけれど、それに馴染めるかどうかもまた障害になるんだって。だから成功率は高くない――それでも私は見てのとおり龍の血が馴染んで、代わりに魔法を使うことができなくなった。ルーイダはね、私がこうなった経緯を全部知っているエルフなんだ」

「ああ……そういえば親戚みたいなものって話してたな……あいつが魔法に手を貸したのか。……じゃあメルトリアも元々は魔法が得意だった?」

「うん」

 俺は焚火を起こそうとしていた彼女を思い出す。

 ――もしかしたら魔法が使えるんじゃないかって……どこかで気にしているのかもしれないな。

「そっか――考えてみたらメルトリアの言葉……たしかに長く生きてきたって感じがするな。双剣も何十年鍛えたとか、ギルドでもあんな年頃があったーとか言ってたし」

 俺はそう言って微笑んでから気付いた。

 彼女は……魔物に蹂躙されるなんて二度と誰にも味わってほしくないと、そうも言っていた。

 それは彼女が経験したことで、結果として自分がボロボロにされたとしても願った……その優しさの証なんだ。

「……なあメルトリア」

「……?」

「俺の覚えておきたい人を自分も覚えているって言ってくれただろ。俺が俺を遺す手伝いになるって」

「――うん」

「正直、少しだけつらかったよ。メルトリアも俺が葬送することになるって思ったから」

「…………」

「でも――それでも。悪くないかなって思ったんだ。自分を遺すことができるって思えたから。ルーイダが言ってたろ? 千葬勇者の千年紀行に祝福をってさ。だから手帳にメルトリアの粥を遺した――千年紀行の一頁目だ」

「え…………お粥?」

「そう。美味かったから」

「…………お粥が一頁目……」

 メルトリアはそこで顔を上げると……堪えきれなかったのか噴き出して笑い始めた。

「やだ、アルトスフェン……ほかにもっと書くべきことがあったんじゃない?」

「……これから増やすさ。だからもう気にするなよ。メルトリアはメルトリアだ。――初めて会えた俺と同じ境遇の仲間だ。聞かせてくれよ、いままでのこと。もっと話そう、俺たち」

 俺が笑うと……メルトリアは一瞬だけ目を瞠り……どこか儚げな笑みを浮かべて微笑んだ。


「…………ありがとう」


 一緒にやっていけるって思ったんだ。

 同じだけ生きているって実感はまだないけど、いろいろなことを共有できるって。


 ――――だけど。


 翌朝目が覚めると――メルトリアは。


 俺の前から姿を消していた。

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