第15話 ひめごとは曝かれて②

「ずっと勇者の力を借り続けるわけにもいかない――頼り切ってはいけないと、父上と話していた。お前にはお前の生きる道があるというのに〈アルバトーリア王国〉は常にその力に頼ってきた。……今日の視察も実はその一環だ」

「……? それは、どういう……」

「ハグレの魔物は減ってきたが……すでに繁殖も確認されている。完全には排除できないだろう。ならばできるだけ国の力で解決できるようにせねばとな。だからアルト、この国に縛られず生きてみないか」

「……!」

 俺は驚いて目を瞬いた。

 いままでだって縛られていたなんて思っていない。

 だけど彼らは……俺を縛っていると考えていて……俺を自由にしようと言っているのだ。

「そのためにな、実は周辺諸国と新たな『凱旋協定』の締結をした」

「えっ?」

「つまりアルトは面倒な手続きなしに周辺諸国を自由に行き来できるというわけだ。勿論、今回は〈ヴァンターク皇国〉も同意してくれているぞ」

『凱旋協定』――それは勇者一行が魔王討伐のために周辺諸国を自由に往来できるよう取り決められたものだ。

 勇者一行であるという証は魔王討伐の際に返還したけれど、それをもう一度――俺のためにやろうというのである。

「そ、それは……ありがたいけど……。その、実は俺も旅に出ようと思って――ああそうだこれ」

 慌ててエルフメイジのルーイダから預かった書簡を出すと、王は軽い手つきで受け取ってサラサラッと目を通した。

「おお、エルフたちが魔物討伐に際し手を貸してくれると? これはありがたい。ふふ、最近はエルフの木製食器が密かに人気を博していてな」

 そのとき、控えていた医師が小さく囁いた。

「……王、そろそろ」

「っと……話の続きは後ほどしようアルト。……父上、また参ります。いまはゆるりとお身体を休めて――」

 すると前王がゆるりと手を挙げて王の言葉を止め、小さく微笑んだ。

「……待て。……アルトよ。後ろの……彼女はお前の新しい旅の道連れではないかね……?」

「え? あ……そうだけど……」

 ちらと窺うとメルトリアがマントを掻き寄せたのが見えた。

 前王は震える指先でそっと手招きをする。

「喜ばしいことだ……彼女の分も証を用意せねばな。……顔を……見せてはくれんかね?」

「い、いえ……わ、私のような者が王族の方の前になど……」

 か細い声でメルトリアは言うけれど、ベッドの傍らで王が笑った。

「気にするな、むしろ気遣えずに申し訳なかった。勇者の連れとあっては歓迎せねばなるまいからな!」

「…………」

 言葉を呑んだ彼女に俺が頷くと……メルトリアは少しのあいだ俯いて……やがて、ゆっくりと被っていたマントを下ろす。

 彼女の亜麻色の髪が縁からこぼれ出て、伏せられたままの翡翠色の瞳が瞬く。

「あの……お気遣いは無用です……」

 ――しかし。


「……ッ! ごほ、ごほっ……」


 前王が目を瞠り――激しく咳き込んだ。

 胸と肩が大きく上下し、体が跳ねて医師たちに緊張が走る。

「父上……!」

「ごほっ……まさか⁉ ゴホゴホッ……め、メルティーナ……! メルティーナか……⁉」

「…………!」

 メルトリアの表情が強張る。

 俺は意味がわからずに顔を顰めたが、そのあいだも前王は必死の形相で手を伸ばしていた。

「メルティーナ……、顔を。顔を……よく、ゴホッ……ガッ……」

「こ、これ以上はいけません! 皆様、ご退室を!」

 医師のひとりが言うけれど、前王は顔を歪めて懸命に首を振ろうとしている。

「…………ッ」

 瞬間、メルトリアが前王に駆け寄って……その手を取った。

「……ごめんなさい、ごめんなさいユルド! 挨拶が……遅くなったわね……」

「……え」

 俺はなにがなんだかわからずに言葉をなくし、王もポカンと口を開ける。

 ユルド……それは前王の真名だ。それをどうして……メルトリアが? それに、メルティーナって……。

「生きて……生きていて、くれたか……ゴホッ」

「話さないでまずは呼吸を整えて――こんな形で……再び会うことになるなんて……ごめんなさい、ユルド」

「……はあ……は……すぐにわかった。君は変わらない……」

「……ひと目でばれてしまうとは思わなかったわ」

 メルトリアの翡翠色の瞳が困惑に揺らぐ。

 前王は大きく深呼吸しながら僅かに笑みを作り……彼女の手を握り締めた。

「……なに、千葬勇者の前例がある。その姿に、驚くことなど……ゴホゴホッ……。捜した。何度も、捜した……ああ、なんと…………そうか。君はアルトといてくれるのだな……あぁ」

 メルトリアは黙って頷きながらゆっくりとその手を擦り、前王は目尻の端にじわりと雫を滲ませ、震えながら嗚咽を漏らす。

「――いまは少し休んでユルド。あとで話しましょう……」

「……ああ……。すまない、な……少し、眠らせてもらうと、しよう……」

 瞬間、糸が切れるように意識を失った前王に医師たちがざわめく。

 メルトリアは静かに下がり彼らに場所を空けると……瞳を伏せたままこちらに戻ってきた。

「……大丈夫、眠っただけ。出ましょうアルトスフェン……説明するわ」

「お、おう――」

「う、うぅむ。なにがなんだかわからないが、すぐ部屋を用意させよう。誰か、アルトと彼女に部屋と食事を。私もすぐに行く」

 困惑に眉を寄せた王が指示を出し、部屋の外に控えていた侍女たちが忙しなく動き出す。

 前王の周りでは医師たちが緊張した面持ちで脈を測ったりしていて、空気も張り詰めていた。


 ――いまは聞きたくても聞いていい雰囲気じゃない……か。


 俺は俯いたままのメルトリアの肩を軽く叩いて……移動を促した。


******


 通された客間は窓が大きく取られていて明るく広い。

 晴れた空がよく見えるけれど、俺は窓際に立ってメルトリアの様子を窺っていた。

 磨き上げられた一枚板のテーブルには食事が並べられたが、メルトリアは柔らかな革張りのソファに深く体を預けてどこか遠く……いや、深くへと想いを馳せている。


 ――メルティーナ。


 前王は……彼女をそう呼んだ。そして彼女は前王をユルドと……そう呼んで。

 旧知の仲だったのだと……俺はどこかで確信していた。

 でも――そうだとして。一体どこで、いつ出会ったんだろう……?

 そのとき、小さく身動いだメルトリアが伏し目がちに俺へと向き直った。

「アルトスフェン……」

「おう。……どうした?」

「……ごめんなさい」

「おう?」

「――私は」

 彼女がなにかを口にしかけたとき、扉をコンコンと鳴らす音が響く。

『私だ。入っても?』

 続けて聞こえてきたのは王の声だ。

 俺はぎゅっと瞼を閉じたメルトリアに言葉を投げた。

「メルトリア、どうする? 少し時間をもらおうか?」

「……いいえ、アルトスフェン。彼も知りたいはずだもの。一緒に聞いてもらいましょう」

「わかった」

 俺が立ち上がって扉を開けると、王はするりと部屋に入って扉を閉める。

 その翠色の瞳は真っ直ぐメルトリアを見詰めていたが――やがて彼は深く礼をした。

「――亜麻色の髪。翡翠色の瞳――貴女は〈ヴァンターク皇国〉の皇族に連なる方だな? 先ほどは驚きで言葉を失ってしまったが……気付かずにいたご無礼をお許しいただけるだろうか」

「……え」

 俺は……息を呑んだ。

 皇族? 誰が……メルトリアが?

「――お座りになってください、ご説明いたします」

 メルトリアはゆっくりと首を振り……王がテーブルを挟んだ向かい側へと座るのを待った。

「アルトスフェン……貴方もどうか座って」

「あ、ああ」

 俺がメルトリアの隣に座ると、彼女は小さく頷く。

 そして……血色の良い唇を震わせた。


「生まれ持った名はメルティーナ。私は……〈ヴォルツターク帝国・・・・・・・・・〉の皇女だったの」


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