第17話 あらそいは始まって①

「……その、なんというか……すまなかった……」


 肩を落とす王は、俺に『凱旋協定』によって周辺諸国の往来を許された勇者である証と、勇者の仲間である証のふたつを渡して俯いた。

 すでに昼を回った王都は明るく喧騒に満ちている。

 鼻を掠めるのはほんのりと香草が効いた様々な料理の匂いだ。

 肉や魚を焼いたもの、なにかを煮込んでいるもの、パンの香りもする。

 俺は証を日に翳して苦笑した。

「気にしないでくれ。……彼女の向かう先はわかってるから。きっと事情があるんだよ」

 手のひらに収まるくらいの四角い銀の枠に塡まった親指大の丸い翠玉が、光を散らして煌めく。枠に刻まれた模様は幾重にも柔らかな曲線を重ね、ときに絡ませた繊細なものだ。

 首から提げられるように細い鎖も準備されていて……すごく綺麗だった。 

 ――メルトリアがいなくなったのは、どうやら昨日の夜らしい。

 夕食まではギルドへの報告に行ったりして一緒だったしな。

 部屋は当然別々に用意されていたけれど、彼女は騎士に町に出てくると告げてそのまま――戻ってこなかったのだという。


 ――なんでだよ。


 そう思わなくもなかった……いや、思った。思うさ! 当然だろ!

 でもきっと理由があったんだと……俺は笑ってみせる。

 王は眉尻を下げたまま唸った。

「……なにかに巻き込まれた可能性はないのか……あの容姿だ、皇国の者なら彼女が皇族に縁のある者だとわかるだろう……すぐに騎士に捜索させよう」

「それは大丈夫じゃないかな――巻き込まれたにしても、俺になにも言わないで出ていくことはないと思うから。……まあ、つまり俺がなにも聞いていないってことは……彼女の意志だってことだけど」

「……そうか」

 俺はがっくりと落とされたままの王の肩をポンと叩いて証をふたつとも首から下げ、置いていた荷物を背負う。

「前王と話させてくれてありがとな。じゃあ行くから――またな、王」

「――千葬勇者アルト……どうか気を付けて。なにかあれば必ず〈アルバトーリア王国〉は貴公を支援する。何年経っても、必ずだ」

 決意を込めた言葉は胸に響くものだ。

 俺はその言葉をしっかりと受け取った。

「おう!」

 踵を返す俺を王や騎士たちが黙って見送ってくれる。


 ――まったく、こんな感動的なときにどうしていなくなるかな。


 隣を歩くはずだった彼女を思うと、なぜか苦笑がこぼれてしまう。

 秘め事が予期せぬ形で曝かれたことが失踪の理由なのだろうとは想像できた。

 儚げな笑みで微笑む彼女が……ギルドを目指し町を歩いていてもどこか上の空だった彼女が、それを物語っていたから。

 俺に知られていいことじゃなかったのか――龍族との約束を破ってしまったからなのか――。


 たぶん、これは俺が追い掛けなくてもいい話なんだろう。それが彼女の意志なのだから。


 でも――。

「絶対に見付けて説教してやるからな、メルトリア――」

 行き先はわかっている。

 龍族がいる、その場所だ。

 手を貸してほしいと言っておいて自分からいなくなるなんて、説教案件だろ。

 それにもう助けるって決めたんだ。

 俺は懸命に笑みを作った唇で呟いて……賑やかな王都を一歩一歩強く踏み締めて進んだ。


◇◇◇


 その日の朝、メルトリアがいないとわかった俺はまず前王と話をさせてもらったんだ。

 旅に出ると改めて伝えておくためと――もうひとつ。ある情報が欲しかったのである。

 ふかふかした豪奢なベッドに用意された背もたれに体を預け、前王は昨日よりずっと体調が良さそうな穏やかな笑顔で迎えてくれた。頬や唇の色もどこか明るくなっている気がする。

 そこで俺はメルトリアが昨日の夜、ここに来ていたことを知ったんだ。

勿論、前王が動揺しないよう彼女が失踪したことは伏せておいた。

「アルトを頼むと伝えたら『アルトスフェンならきっと素敵な千年紀行ができるわ』と笑っていたよ。けれど……アルトよ、どうかメルティーナを……いや、いまはメルトリアと名乗っているそうだな。メルトリアを頼む……なにか思い詰めているようだ」

 ……どこか切なそうに語った王の声が忘れられない。

 やっぱり自分の意志で失踪したんだな。

 その思いが確信に変わり――胸の奥が疼くのを感じた。

「実はな、アルト。〈ヴォルツターク帝国〉が崩壊する直前、メルティーナを擁護する声も多かったのだ。しかし民たちに過激派がいたのは間違いなく――彼女はその手に堕ちたと聞いていた。皇帝と彼女の兄も恐ろしい方法で処刑されたのだ……」

 俺は前王が途切れ途切れにそう語ってくれた話のなかで、必要な情報を手に入れた。

 皇都から南東、〈アルバトーリア王国〉と〈ヴァンターク皇国〉の国境の一部にもなっている山脈――そこでメルトリアが――いや、メルティーナが手に掛けられたことを。


◇◇◇


 そこからは馬を借りてまず西の〈ヴァンターク皇国〉皇都を目指すことにした。

 当初の予定どおり龍の情報を集めるためだ。

 助けるって決めたから――だから追い掛けるんだ。

『やることは山積み。でも。ひとつひとつ確実に』

 俺は……ふと勇者一行の回復術士ライラネイラの言葉を思い出す。

 魔王の生み出した魔物たちが次々と町を襲う報告が上げられ、俺たちが討伐に奔走していたときに言われた言葉だ。

 それは彼女の性格を表すようなもので――うん、ちゃんと覚えている。

 

 あのときは……そう。


 とある町が魔物に襲撃されたあと、別の町で討伐を終えた俺たちが通りかかったんだ。

 すでに魔物の姿はなく、動ける人々が負傷者の救護を急いでいた。

 当然、俺たちもすぐに手伝いに加わったさ。町は酷い有様だったし、放っておくなんてできないもんな。

 けれどそこで魔物たちが西と東に分かれて走り去ったと証言を得たのである。

「くそっ、西も東もだって⁉ 南の町もやられたばかりだぞ! 一度にこんな――」

「焦らないことよアルト。あんたもなにか言ってやって、オルドネス」

 息巻く俺にぴしゃりと言ったのはエルフメイジのルーイダだ。

「…………この痕跡から見るに、魔物たちは半々にわかれたようだ」

 オルドネスは足下の土についた痕を指先でそっと撫でてからゆっくりと振り返る。

「いやそういうことじゃないわよ……はぁ」

 ルーイダが金色の髪を指先で弄びながらため息をこぼす。

 そこで負傷者の回復に当たっていたライラネイラがこっちを向いた。

「……アルト。回復はもうすぐ、終わる。西も、東も、順番に行こう。やることは山積み。でも。ひとつひとつ確実に。……私、頑張る。だから。頑張れ」

 俺より頭ひとつ分は小さく、ふんわりした白いローブを纏う彼女は少し吊り上がった猫目を持つ。

 深い蒼色をした肩までない短い髪は頬に沿うように丸みを帯びていて、同じ色の瞳はいつも眠そうで。

 けれど必要とあらば、睡眠時間を削ってでもやることをコツコツやっている姿に何度助けられただろう。

 そのときも辿々しく頑張るから頑張れと言われて……急に頭が冷えたのを覚えている。

「……ひとつひとつ確実に……か。うん。そうだよな、ごめん。――それなら西と東、近いほうから向かおう。どこかで馬を用意して急いで次に向かえば……」

「賛成。きっと間に合う。それじゃ、少し待っていて」

 ライラネイラはこくりと頷くと再び回復に戻る。

 ――焦げ臭い煙の立ち上る霞がかった街並みは自分の無力さを思い知るのに十分で、だけど……諦めないと決める切っ掛けにもなった。

 俺たち勇者一行はそのあと、東と西、両方の町を救うことになる――。


「……なんだか最近、皆のことをよく思い出すな」

 俺は借りた馬を引きながら街道まで出たところで回想から我に返り、思わず呟く。

 不思議と……胸の奥が温かい気がした。

 こう思えるのはたぶん、メルトリアやルーイダのお陰なんだろう。

 ここ数年は葬送することの苦しさや哀しさ、遺される寂しさばかり感じていたけれど――変わるもんだな。本当に。

「……千年もあるんだ、浮き沈みもするだろうけど……まずは目の前のことをコツコツとだな……っと」

 俺は鐙に足を掛けて一気に馬に跨がる。

「――しばらくのあいだ頼むぞ、追い掛けたい人がいるんだ」

 言いながら俺が足で腹をポンと叩くと、美しい青鹿毛の馬は軽やかな足取りで動き出した。

 メルトリアもたぶん馬を借りたはずだし、いまから飛ばして追い付けるとは思っていない。

 だから……そう。一歩一歩だ。


「……よし」


 俺は気合を入れ、腹に力を込めた。

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