第4話

声を出せずに立ちすくんだままいると、声の主もぴたっと発するのやめてこちらを窺っているようだった。

「あ、あの―――」

私は思い切って声を出した。相手もほっとしたのか息を吐いたのが分かる。

「ここは、お店ですか?あ、あの私、少し離れた…坂の上の家に住んでいるんですけど、二階の角から灯りがともるのが見えて、それだけを頼りにあたりを探していたんですけど……」

たどたどしく、でもしっかりと自分の意思を伝えたくて一語一語嚙みしめるように口にした。相手の人も「ああ…」と声を漏らす。

「ここが見えたんですか?夜の11時からオープンするので、あまり近所でも知られていないんですよね。見つけてくれてありがとうございます」

(やっぱり、窓から見えた光の場所はここだったんだ)

ふわっという綿菓子のような思いが胸の中いっぱいにあふれ出してきた。

「…すみません、暗闇だとお互いの顔も分からないですし、良かったら少しお店の中に入りませんか?」

「い、いいんですか?」

「もちろん、ここを見つけてくれた奇特なお客様ですから」

私たちが話し終わるのを待っていたのか、腕の中にいたヨルはそのままぴょんと飛び出し、闇の中に消えていった。

「あ、猫が―――」

「ヨルは気紛れなので、気が向いたらまた戻ってきますよ。さあ、中にどうぞ」

ゆっくりと店の外の電灯に近づくと店の外観が現れてきた。

深い紺の壁に緑の竪枠がついた扉があり、そのすぐ横には黒の立て看板が置かれていた。立て看板には白地で【月夜の森】と記載されている。

「月夜の森……?お店の名前ですか?素敵ですね」

「ありがとうございます」

店の明かりに照らされて、相手の表情が段々と見えてきた。

少し茶色がかった短髪に黒ぶちの眼鏡をかけている。その男性は店の扉すれすれぐらいの背丈のようで、少し屈みながら店の扉を開けてくれた。

「どうぞ」

「ありがとうございます。お邪魔します」

扉をくぐると、目の前に外といるのかと思わすような存在感のある街灯がそびえたっていた。周りには天井すれすれまでの大きな本棚が所狭しといくつも立ち並んでいる。店の真ん中には大きな丸い机と何脚もの白い椅子が周りを囲んでおり、窓側には縦長の机が置かれ、花弁を思わすランプが取り付けられていた。

「ここは……喫茶店?」

「ブックカフェです。夜11時から朝5時まで営業しているので、お客様は限られてくるんですけどね」

「ブックカフェ?」

「父の忘れ形見の置き場所に困りまして、処分するのも勿体ないし、せっかくならたくさんの人に手に取ってもらいたいので始めました。私の趣味でコーヒーについても学んでいたので、ちょうどよかったです」

私自身、小さい頃から父の書斎に入り込み、たくさんの活字の海に投じていた。だけど、いつからか父の書斎にも入らなくなり、活字を目で追うと頭痛や耳鳴りが起こり、あまり本を開くこともなくなっていた。

だけど、父の書斎を超える本の多さに圧倒され、どくどくと胸が高鳴っていた。

「少し、本を手に取ってみてもいいですか?」

「もちろん、いいですよ。好きな席に座って手に取ってみてください。私はキッチンの方にいるので、何かあったら声をかけてください」

「ありがとうございます」

外は闇に充ちているのに、この世界は未知なる光にあふれている。

私はゆっくりと身をかがめ、端から本の背表紙を目で追い始めた。



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