第2話

昔、もうずっと昔のことだ。


父と母は、真昼の見るものは全て現実ではないものだと言うが、ずっと昔の記憶が蘇る。




小さな真昼は、実の母とささやかな旅に出たことがある。


その目的地は、母に聞いても答えてくれない。


不安だった。


信じていたが、それは本当に不毛な信頼だった。




でも、小さな真昼の瞳にはとても綺麗な世界が移っていた。


大きな川に架かる大きな橋を通る。母の運転する車の助手席から見えたのは、雲を二つに割る大きな青空だ。


雪が降っているのに、晴れていた。




車内に流れるラジオは「by your side」を流していた。誰の歌う曲かは知らない。ただ、母が珍しく機嫌よく口ずさんでいたことを覚えている。


「今日、真昼と一緒にいられるのをずっと楽しみにしていたの」


と言って笑顔を見せた。




小さな真昼も嬉しかった。




助手席の窓から見える景色が変わっていく。すれ違う車の数が少なくなってきた。


広大な山の中を走っている。




「ここはどこ」


真昼が聞いてみたが、母は好きな曲を口ずさむのに夢中で、聞こえていないようだった。




途中から車を置いて歩くことになった。


バリケードを越えて、積もった雪をサクサクと音を立てて踏み鳴らして。


白い、誰も踏んでいない雪の中を、母と手をつないで歩んでいく。




たどり着いたのは、電波塔が建つ雪原だ。


木々は切り倒され、ポッカリと白い野原になっている。




「真昼、お母さんと遊ぼう」


「何をするの」


「かくれんぼしよう」




こんな隠れるところのない場所でと思ったが、珍しく自分にかまってくれる母に、嬉しくて頷いた。




「真昼は目をつぶって百まで数えていて。お母さん、その間に隠れるから、百まで数えたら目を開けて見つけてね」




目をつぶり、一、二、三と数えだす。


母の足音が急いでいるかのように、遠ざかっていく。




真昼は、百まで数え切った。




「もういいかい」




まあだだよ、という声が聞こえない。母の姿を探す。




どこにも居ない。隠れているにしては、気配すらない。




不安が、ドォッと音を立ててやってくる。


泣き叫んだ。


「お母さん」




泣き疲れてしまった。


真っ白に輝くフワフワの雪に、背中から倒れ込んだ。


「冷たい」




泣き腫らした瞳に移ったのは、真っ青な空だ。とても鋭利な色をしている。




お母さんなら、いつかこんなことをするって思ってた。


真昼は心で呟いた。


まるで以前から予感していたかのように、呟いた。




目を閉じる。


体が火で炙られたかのように熱い。しもやけなのか。




生きているのか、死んでいるのか。




この思い出を、最高にしようと思う。


とても綺麗な鋭利な青空を、目に焼き付ける。




これが幸せなのだというのなら、死んでしまうことも幸せかもしれない。




何か、空を駆けている。


飛行機の、空割る音が、この雪原に響いている。


真昼を迎えに来る足音はしない。






これは夢なのか、何なのか。


気づいたら、真昼は母と一緒に温泉施設にいて、赤くなった肌を洗われている。


お湯の熱さが沁みた。




殺そうとした人間を、どうして助けるの。


真昼の問いかけは、心の中で呟いただけ。






真昼は今、アヴリル・ラヴィーンの曲と共にいる。


窓の外には鋭利な青空があった。

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雪原でかくれんぼ 久保田愉也 @yukimitaina

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