一方、取り残された刑事達は、幹人と双子達を連れ、店の中に一度避難していた。

中庭に鎮座する肉塊は、正太郎と天道を飲み込んでから然程時間は経っていない。

しかし手を出そうとすれば、反射的に触手が動いて、必ず何かを一つ壊すまでは勢いよく暴れ回る。


「さて、どうしたもんか。手を出そうにも、ちょっと近寄ればすぐにあの触手がズタズタにしようとするし」

「神楽さん、やっぱりここは応援を呼ぶべきじゃ……」

「せめて出入り口さえ開けれたらいいんだが。こうも触手が店じゅうを覆っているんじゃ、迂闊に外にも出れないし」 


神楽は渋い顔をして、中庭の垣根越しに外を見やる。

時折人が行き来するものの、まるでユビキタスの周囲の状況が見えていないかのようだ。

店の前を通っても、中庭からはみ出ている肉塊を気にも留めない。

どころか、庭の中から助けを求めてみても、誰も声に反応しないのだ。

まるで店の存在そのものが無かったように扱われてしまっている。


「どうなってんだこりゃ」

「結界のせいです」 飛鳥が溜息をついた。

「店の中で起きている異常事態を隠そうと、家そのものが結界を強化してしまっているんです」

「そんな!解除する方法は?」

「ありません。術をかけた本人である兄が解除しない限り……」


そんな、と三好が嘆くように声を漏らした時だ。

やおら出入り口から、大砲が撃ち込まれたような、けたたましい音が響く。

咄嗟に神楽と三好、幹人が身構える。中庭の肉塊が動いた様子はない。

もうもうと煙を立たせ、周囲の触手が煙の向こう側へと襲いかかる。

血と胆汁にも似た悪臭が、黒い血と共に周囲へぶちまけられる。

そして煙を払って現れたのは─────


「どうもぉ、お邪魔致します。かっこ粛々かっことじ」

「め、メイドさん?」


クラシカルメイドを着た、若い女のメイドであった。

ボリューム控えめでウェーブがかった、淡く赤色に近い茶髪、背丈はそこそこ高く、彫りの深い顔立ちだ。

長い睫毛に伏し目がちで、こちらを見ているかすら定かではない様子。

ドレスのようなフリルたっぷりのエプロンが血まみれになろうと、お構いなしといった様子で、襲い来る触手をで払いながら中庭に堂々と入ってくる。

明らかに只者でない。

その上、背後に3人、女に追従するように、ゆらゆらと現れる人影を見て、三好が息を飲む。


「か、神楽刑事!あれ、……死んだ筈の……」

「死んだはずの被害者達が、動いている!?」


彼らの目に生気はない。

だらりと垂れ下がった両手に、彼ら自身の気力は感じられない。

だがゴム同然にペラペラだった体は厚みを持ち、肌は普通の人間と遜色ない姿に戻っている。

ぎこちない動きに目をつむれば、まさに生前の彼らの姿そのもの。

メイドはそんな彼らを背後に、鞭のように飛んできた触手を、恭しい一礼で回避する。

神楽は鋭い目つきでメイドを射貫く。


「何者だ?」

「私、メイドの姫雪と申します」 女・姫雪は粛々と答える。

「こりゃご丁寧に。あんたが味方だとしたら、こちらとしちゃあ助かるんだがね」

「ご主人様の命により、魂の回収に上がりました」

「魂?誰の?」


会話になっていないようなやり取りの直後、姫雪はステップを踏むように足を鳴らす。

途端、彼女のロングスカートの中からモーニングスターがゴロンッと吐き出され、軽やかに持ち手を右手で掴む。

そして無数のダイナマイトを左手に、肉塊の前に躍り出る。

神楽と三好が「危ない」と叫ぶより早く、襲い来る触手をモーニングスターの先端出次々いなし、その度に触手達は虫の塵と化していく。

一方で元死者である被害者達も、触手が近づくや否や動きが変わり、まるで捕食するように触手達にかぶりついていく。


「早、強ッ!なんなんだあのメイドさん!」

「いや待て、ここでダイナマイト使う気か?彼女、発破技士の資格は持ってるのか!?」

「つっこむ所はそこですか、神楽刑事」 と幹人。


姫雪は本体である肉塊まで辿り着くと、モーニングスターを振り回し、何度も何度も殴打する。

だが肉塊の蕾は傷つくどころか、ゴムのようにモーニングスターを弾き返す。

「鬱陶しいですね」と呟き、姫雪は更に激しい殴打を与え始める。

だが、その殴打に応じて、徐々に蕾が不気味に膨張し始める。表面にドクドクと血管のようなものが浮かび始め、強烈な酸っぱい匂いが鼻を突く。


「ッまさか……メイドさん、それ以上殴ってはいけない!」


幹人が叫ぶと同時、ひときわ激しい殴打が肉塊にめり込む。

直後、肉塊の巨大な口に似た部分から、噴水の如く土留色どどめいろの液体が四方八方に噴射される。

咄嗟に面々は物陰に隠れる。液体が触れた部分が、肺の焼けそうな熱風と酢酸臭を放ち、触れたものを次々に溶かしていく。

姫雪も咄嗟に避けるが、激しく飛び散った液体によって、ジュウジュウと嫌な音を立てて服が溶けていく。


「あら、破廉恥かっこ恥かっことじ」

「メイドさん、おそらく外的刺激を与えられると、防衛手段として強酸をかけてきます。迂闊に攻撃すると貴女まで溶かされてしまいます」

「ご忠告有り難うございます。では溶かされる前に退治せしめましょう」


最早メイド服は、本来の服の役目を果たしていない。

ぶら下がったフリルを「勿体ない」と姫雪は顔色ひとつ変えずに引きちぎり、再び肉薄する。

肉塊はこのメイドを脅威とみなしたか、再び触手を差し向ける。

姫雪は軽やかな動きで全て、紙一重で避けつつも、新体操さながらのアクロバットな動きで翻弄し、徐々に再び肉塊へ接近を試みる。

肉塊の蕾は膨張すると、今度は小出しに溶解液を噴出し、姫雪を溶かさんと狙ってくる。

このままでは近づけない。


「何か武器、ないんですか?魔術師の家なんでしょう!?」

「武器と申されましても……ここは只の家ですし」 

「お三方、こちらに」


三好の問いに幹人はやや困ったように返していると、飛鳥が這いずって、リビングの床下収納をひっぺ剥がす。

床下には、まるで玩具同然の拳銃に似た道具がいくつか仕舞われていた。

どれも黒をベースとした色合いで、銃弾の代わりにBB弾のような弾を装填するものらしいということは、見て分かる。


「なんですかこれ?」

霊填式射出機エメレント・ガンです。

射出すると人間のエネルギーを射出してクリーチャーに攻撃出来ます。非常時にのみ使うよう言われているのですが」

「物騒なもん持ってるなあ!だが頼りになる!」


神楽は即座に受け取ると、銃口を向けて射出した。

途端、ただのBB弾のような小さい弾に炎が灯り、肉塊の触手に直撃する。

炎は実体となって触手をみるみる焼いていき、肉塊の口吻が不愉快な絶叫をあげる。

有効とみるや、三好と幹人も応戦するように霊填式射出機の撃鉄を叩き、触手へ弾丸を放った。

不思議なことに、飛び散った火の粉は辺りを焼くことはなく、地面の芝生や壁などに当たると、火の勢いが一瞬で消えていく。


「メイドさん!近づくなら今だ!」

「ご助力に感謝いたします」


動きが止まった今が好奇であった。

姫雪は突撃すると、モーニングスターで幾本かの触手を次々払う。

そして回転しつつ脚部に力を込め、凄まじい跳躍力で肉塊の上へと舞い上がる。


「お召し上がりくださいませ、一口で天にも昇るお味で御座います」


姫雪は左手に巻いていたダイナマイトに点火するや、ポイと肉塊の口吻に放りこむ。

それをばくり、と無邪気に飲み込む肉塊の蕾。きっかり三秒後、それは凄まじい衝撃音を伴って、肉塊を爆発四散させた。

土留色の体液と黒い肉片が中庭じゅうに散らばり、惨劇と化す。辺り一面に悪臭が広まり、その中心で姫雪が半裸のまま、涼やかに立っている。

真尾としゅうは悲鳴を上げ、幹人や刑事たちも呆然とその惨状を見ていた。

あの中にはまだ、正太郎と天道たちが居た筈なのに、巻き込まれてしまった!

だが幸か不幸か、子供達の哀れな骸は存在しない。あるのは吸血鬼だった肉塊の成れの果てだ。


「思いの外、散らばってしまいましたね」


姫雪は自身にかかった、土留色の体液をピッピッと払った。

強酸によって焼け爛れた肌は少しずつ、逆再生のように元の艶やかに戻っていく。服はお陀仏と化したようだが。

荒れ放題の中庭を見つめ、真尾としゅうは不思議そうに顔を見合わせた。


「正太郎くんたち、どこ行っちゃったんだろ?」


一方で姫雪は、中庭に転がっている、大きな椿の花弁にも似た肉片に近寄る。

そして迷うことなく肉片に手を突っ込むと、ずるずると音を立てて、白く丸いものを引っ張り出した。

煌々と輝く玉を、姫雪は雑にも地面の芝生でごしごし拭うと、辛うじて残ったレースで丁寧に包んだ。

その様子を見ていた三好と神楽は、警戒心を拭えぬまま姫雪に近寄る。


「姫雪さんでしたか。結果的に助けていただきましたが……このまま署までご同行いただけますか?」

「亡くなった筈のお三方が、何故ここにいるのかもお尋ねしたいところですし」


そう告げる二人に対し、姫雪は変わらぬ涼やかな顔で、きょとりと小首を傾げる。

数秒ほどの沈黙があった後、姫雪の閉じられた二つの目がやおら、開かれた。


「ごめんなさい。業務内容にない項目ですので、お断りさせて戴きますね。かっこ悲哀かっことじ」


閉じられた瞼の奥には、妖しく桃色に煌めく山羊の瞳。

姫雪の目の煌めきを見た刹那、神楽と三好の目が徐々に虚ろになっていき、彼らはそのまま崩れ落ちる。

その様子を見ていた幹人は、子供達を庇うように背を向けた。


「ええ、良い判断です。私の目を見た方は皆「こうなって」しまいますので。では、失礼致します」


そうして姫雪は、虚ろな目をした被害者達を連れ、惨状もそのままに、その場を後にした。

神楽と三好がやっと意識を取り戻したとき、姫雪らの姿はなく、後には荒れ放題の中庭と、少しずつ自動的に修復していくユビキタスの家屋だけが残されていたのだった。



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