一方、正太郎と天道はというと。


「……ねえ、ここどこ?」

「さあ。アホクソデケぇ山ということしか分からん」

「んもう!無責任なんだから!どっかの誰かさんのせいで死ぬかと思ったし!」


絶賛、遭難していた。

というのも、飛ぶ女にしばらくぶら下がっていたものの、女がある山に着陸する段階で振り落とされてしまったのだ。

生い茂る木々に引っかかって九死に一生を得たものの、行き着いた先は見知らぬ山の中。

どっぷり日の暮れた夜ということもあって、右も左も分かったものではない。

梟の嘲笑う鳴き声と、獣と草木と泥の匂い、そして暗闇が二人を包む。

僅かに梢の隙間から見える月と星が、森全体の輪郭を薄らぼんやりと照らすだけ。

湿った泥のように重たい空気が、うなじにべったりへばりつく。


「うう、気味悪い……何か出るんじゃないのぉ……」

「出るだろ。ここってあの吸血鬼の記憶の、多分一番深いところだ。

お前、見ず知らずの輩が勝手に家に入ってきたらどうする?」

「え?そりゃあ、追い払うけど……」


やおら天道が手を翳し、不気味な発音と共に呪文を唱えた。

途端、周囲に無数の橙色の火の玉が灯り、周囲を鮮やかに照らす。

道すがらに生えている椿たちの幹に、何かがへばりついている。

ぞるり、と幹の模様が動いた。否、模様が動いたのではない。何かがぱっちりと目玉を開けたのだ。

天道が手を振るい、火の玉を直撃させると、何かは「ギョブェ!」と悲鳴を上げてぼとりと墜ちる。

木の肌に同化した、巨大な蛙だ!その体高だけでも、天道くらいはあるだろう。

ぬどぬどと黄緑色の汁を垂らしながら、怒り狂って舌を突き出す。


「ぎゃああああ!キッ、キモいッ!?」

大蝦蟇おおがまだ!あの舌に捕まるなよ、魂食われちまうぞ!」

「蛙ってそんなにおっかない生き物だっけえ!?」


げこげこ、ぶぎゃぶぎゃ、ぐっげっげ。

蛙たちは気味悪い笑い声を喉から吐き出しながら、べちゃべちゃと粘液を滴らせ、黄色い濁った目玉をぎょろつかせて追いかけてくる。

多勢に無勢、天道も迎撃するには限界がある。ちっと舌打ちし「退だ!」と喚いて走り出す。

正太郎も空を掻くように、無我夢中で走る。なりふり構ってなどいられない。

一歩先さえ何も分からない森の中、脇目も振らず風を切る。

行く手を邪魔する枝葉が、頬をひっかき、根が足を躓かせる。すっ転んでは起きて走り、大蝦蟇の毒液を避けては走り。


「だああッ!?なんで吸血鬼を倒しに来たのに、カエルに命狙われなきゃなんないのさあッ!!」

「つべこべ文句いわずに走れッ……えええええええええ!?」


直後、正太郎と天道の視界が「落ちた」。

大きな自然の落とし穴の先は、崖にたてかけられた巨木の幹の中。スライダーのように滑り落ちる二人の体。二人とも絶叫しながら、いつ来るとも分からない衝撃にそなえる。

そのうち二人の体はすぽん!と宙に放り出され、ぼすんっと藁山の上に落っこちていた。


「いででで……し、尻がすり切れてないか、これ……!?」

「な、なんなんだよ今の罠……(ちょっと面白かった……)ん?」


やおら、頭上に灯りの気配。この真っ暗な山の中では不自然な火の群れ。

続いて人の怒声、無数の足音。二人がぱっと顔を上げると、頭上の山道に、松明を持った大勢の人の姿がある。

さながらちょっとした軍隊のような並びに威圧され、生唾を飲む。

彼らは矢筒を背負い、刀と弓を佩いている。

松明の明かりを背に受けて、先頭に立っている女が声を張り上げた。


「火矢、放て!悉くに燃やせ!」

「っ伏せろ!」


刹那、二人の頭上を駆け抜けていく、流星のような火矢たち。

ヒュンヒュン空を裂いて、メラメラ燃える矢が、二人を追ってきた大蝦蟇達に直撃。

みるみるうちに粘液に火が燃え移り、あっという間に大蝦蟇が火達磨となって悶え苦しみ始める。

ゴムが燃やされるような悪臭に思わず鼻を覆う。

その時、正太郎の目が異様なものをとらえた。

己の粘液と共に燃やされる大蝦蟇が一瞬、下半身を歪にひしゃげて固定されままもがく、人間の姿に見えたのだ。


「っ今のって……」

「ぼさっとすんな!アイツら、こっちに来るぞ!」


天道が再び正太郎を抱え、後ろに跳ぶ。

途端、火矢を受けて背中を燃やして尚、構わずこちらに突進してくる大蝦蟇の姿が目に入る。

すると待ってましたとばかりに、頭上の山道から崖を滑り降りて、一人の人間が刀を手に駆けてくるではないか。


「汝、畏れ多くも千歳にこの地で根を張りし荒ぶる椿の御霊よ、汝に為す我が所業を何卒赦したまへ!」


女の声だ。

面を被った白髪の女だ。素早く二振の刀を互いに打ち鳴らしながら、二人の頭上を跳び越える。

大蝦蟇が身震いすると、火がたちどころに消え去る。松明に照らされたその姿は、果たして本当に只の蛙とは思えない。

いぼだらけの肌は、大木の樹皮のように硬く乾ききって、激しい凹凸と水の波紋めいた模様がうねっている。

ぎょろぎょろと飛び出そうな黄色く濁った目玉の周囲には、血をおもわせる真っ赤な椿がざんざらに咲いている。

刀を手にした女は、猿叫が如き怒声を張り上げると、大蝦蟇に斬りかかる。

跳んで避ける大蝦蟇。長い舌が瞬時にのびて女に襲いかかる。

しかし女もくるりと刃を翻すと、その長い舌に刃を突き刺し、抉るように舌の肉を斬る。


「やれ、やれ!構わず矢を放て!多少森が焼けても構わん!」

「太鼓を鳴らせ!追い立てろ!鶏も連れてこい!」


場は混沌としていた。

地を這うような太鼓の音色が、ところ構わず鳴り響く。絹を裂くような鶏の絶叫が森じゅうにこだまする。

蝦蟇がしわがれた悲鳴をあげて舌を引っ込める。絡め取られた刀ごと女が引っ張られ、肉薄。

構わず女は刀に手を離したと思うと、大蝦蟇にへばりつくや、もう片方の刀を大蝦蟇の目玉に打ち立てた。

ヘドロのような黄緑色の汚い体液が噴水のように噴出し、大蝦蟇はたまらずよろけて後ずさりながら首をふる。

振り落とされた女に加勢するように、またも火矢がたちどころに降りそそぐ。

またも火達磨となった大蝦蟇が口を大きく開け、道連れとばかりに女を舌で巻きとり、ぐばりと飲み込んでしまった。


「ああっ!?た、食べられた!?」


たまらず正太郎は大蝦蟇の元に駆け寄ろうとする。

……刹那。大蝦蟇の眉間、その内側から刀がぞぶり、と露わになる。

大蝦蟇が間抜けな声を最期に、眉間から縦半分に真っ二つに「裂け」、その場にごろり、と転がった。

そして大蝦蟇のあらゆる体液を頭からかぶって、刀を大事そうに抱えた女が、よろよろと無事に生還した。


「す、すごいや!あんな大きい化け物に食われながら斬るなんて!」

「ありゃあ相当の手練だな。他の連中もかなりの練度だ。化け物退治に慣れてるとみたぜ」


女は正太郎たちに気がつくと、べとべとの粘液を軽く身震いして払いながら近寄ってくる。

そして二人の視線と合わせるように屈み込むと、ぽんと正太郎と天道の肩を叩いた。


「もう大丈夫や。迷ったか村から捨てられたか知らんが、ここまで来れば安全よ。

あんさんら、どこの村から来たん?隣村の子やなさそうやけど」

「え、あと、えと……」


言葉に迷っているうちに、火矢を撃っていた男達が、真っ二つにされ事切れた大蝦蟇達に群がっていた。

持ち寄った刀で肉をバラバラにし、内臓を潰さないよう袋にはしまったり、残る大蝦蟇の骸の残骸を丁寧に焼いている。

「まあええ、村に入れたるさかい、こっちゃ来い」と言いながら、女は正太郎と天道の手を引いて立ち上がらせた。

その拍子に、粘液で脆くなっていたのか、女の面の紐がぷつりと切れた。

ぽとり、と落ちた面の下、その女の顔を見て、たまらず正太郎は驚きの声を上げた。


「あ、ああっ……あれえ!?き、吉備津山ムツ……!?」


天道も、声こそ上げないものの、女の顔を凝視する他なかった。

その女の顔は、性別さえ除けば、あの吸血鬼──吉備津山ムツ、その人だったのだから。


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