四人を乗せ、スバルのフォレスターはじりじりと坂道を上がる。

昼間だというのに鬱蒼と薄暗く、時間が夜へと吸い込まれたかに思われるほど。

大きな椿の木を何本か通り過ぎた矢先、やにわに射羽は寒気を覚えた。

四月にあらざる寒さだ。八戸が「なんだか寒くないですか?」と吐き出した息は白くそまり、外はたちまちに霧が立ちこめ始める。

窓の外を観察していた公太郎は、一度曇った眼鏡を拭いて、数度瞬きした。


「しまった。高雄、いったん停まって」

「なんだ?」

「外の様子がおかしい。カーナビつけて」


高雄は言われるがまま、カーナビを表示させた。

画面に表示された地図は、最早案内図としての様相を呈するどころか、砂嵐を引き起こしている。

ナビボイスが「ここから先先こここ先先こここ先右右右左左左上上上」と不気味に軽快なリズムを刻むので、不愉快になり消した。

スマートフォンも見やると、時計は35時94分などというあり得ない時刻を表示させ、電波は圏外、アプリケーションも軒並み奇妙なアイコンに切り替わっている。


「霊障がひどいな。こりゃ外に連絡も出来そうにねえ」

「強い怪異がここを根城にしているか、元々霊力が高い地域なのかもしれない。

 車はいったん置いていこう。ここから先は徒歩のほうがいい」


フォレスターを停め、先に続く道を見やる。

頭上から青空は失せて、どんよりと分厚い雲が立ちこめている。

山の天気は変わりやすいなどというが、先程までは薄く巻雲がたなびく程度でしかなかった。明らかに天候の推移が正常ではない。

一寸先は白い霧。真冬の早朝でも、こんな濃い霧が立ちこめることなどないだろう。

八戸は「なんか出そうですね……」と高雄の腕にしがみつきながらも、周囲を警戒する。

高雄は鼻をひくつかせ、猫のフレーメン反応よろしく顔を顰めた。

射羽が隣を見れば、公太郎も高雄と似たような表情を浮かべている。


「出そう、というよりも出るだろうな、こりゃ。なんか居やがる」

「成程。ここから先は高雄くんの鼻と公太郎君の触覚に任せたほうが良さそうだ」

「八戸くんと射羽先生は後ろに。高雄、僕が先導する」

「へいへい」


手に懐中電灯を持ち、四人は臆することなく山道を進む。

徐々に道幅は狭くなり、フォレスターでは通れそうもない狭く険しい道が続く。

八戸が殿しんがりをつとめ、先頭を公太郎が行く。

四人分の足音が、ざらざらと木々の梢がさざめく中をくぐり続けて暫く。

やおら、公太郎が待ったをかけた。



その言葉に八戸が腰の得物を手にかけ、すぐさま前に出る。

足音がする。だがそれは人のものではなく、重量のある獣が、ゆっくり土を踏みしめ、枝や小石を踏み潰す音だ。

前方を睨むと、白い霧を吹き飛ばし、巨体が姿を現す。


その体格と形相は、牛にも似ていた。

下顎から巨大な牙が皮膚を突き破り、頭部には曲がったツノが突き出ている。

上半身は黒々とした剛毛に覆われ、蹄は鉤爪のように変形し、その下半身は蜘蛛を彷彿とさせる、でっぷりとした体にいくつもの蟲の足が突き出て、地面に食い込んでいた。


「奴は……牛鬼だ!」

「八戸、奴の正面に出るな!毒霧を喰らうぞッ!」


その言葉通り、牛鬼は下顎をがぱりと開いて、赤黒い毒霧を放つ。

すかさず四人は霧を避けるよう散開し、そのぶくぶくに太った体躯の背後へ回り込む。

四人がばらばらに走り出したことで、牛鬼は誰を標的とするか逡巡していた。

動きがさほど機敏でないとみて、八戸はちらりと無防備な背後を睨む。


「こいつどうしますッ!?」

「刺激するな、多分こいつは餌を探しにきただけだ!

 下手に刺激して怒らせるほうが面倒臭ぇ!走れ走れ!」


牛鬼が豚に似た不愉快な咆哮を吐き出し、四人に向けて尻から太く長い糸を射出する。

その先を走っているのは射羽だ。避ける暇などない。

「危ない!」と高雄が咄嗟に割って入り、もろに粘着質な糸を被って、地面に叩きつけられた。

糸は瞬間接着剤のように硬く、それでいて粘度が高い。

高雄がもがけど、糸は更に絡まるだけ。

ギッギッ、と牛鬼は前脚を擦り合わせながら、ゆっくり高雄に近づく。

その様を視界に認めた八戸は、すぐさま踵を返して牛鬼に肉薄する!


「こらぁ!その人は食べちゃ、いけま、せんッ!」


牛鬼の前に躍り出るや否や、くるりと鞘を翻し、見事な一振りの刀を引き抜く。

そして目にもとまらぬ速度の剣戟が牛鬼へ放たれると、不意を突かれた牛鬼はツノと片目を一撃で潰されていた。

牛鬼は絶叫しながらのけぞり、後ずさる。

更に八戸が数撃、その上半身に刀傷を与えると、牛鬼がたまらないとばかりに距離を取る。

その隙をついて八戸は高雄の元に地下より、刀を糸に突き立てた。


「何してる八戸!構わず逃げろ!」

「貴方を見捨てられるわけないでしょ……うわ、これすっごいベトベト!?

 糸っていうか最早おもちですね!」

「感心してる場合かッ!後ろ、後ろ!」


糸を相手に悪戦苦闘する八戸。そ背中越しに、怒り狂った牛鬼が迫る!

だが直後、辺りを照らすほどの巨大な火球が牛鬼の側面に直撃し、吹き飛ばされながら燃え盛る。

火球をぶつけた張本人たる射羽は、涼しい顔で火球を打ち出した右手を払うと、二人に駆け寄った。


「た、助かったぜ、射羽先生」

「牛鬼の糸はタチが悪いんだ。切るより燃やす方がいい」


ぱちん!と射羽が指を鳴らせば、擦れた指同士から火花が散る。

そして高雄にまとわりつく糸に着火すると、みるみる糸は燃え盛って灰となってしまった。

一方で、不意の攻撃を受けた牛鬼はよろよろ立ち上がり、半身が燃えるにも関わらず背を向けて逃げ出していく。

坂道をよたよた駆け上がる先には、公太郎が行く手を塞いでいる。

邪魔とばかりに牛鬼は威嚇し、燃え盛る脚を振りかざして圧しかからんとする。

だが公太郎は、冷ややかに視線を向けるのみで微動だにせず、腕を突き出す。

腕から紫色に蠢く鎖が、大蛇の如く飛び出し、牛鬼の頭部や上半身に絡みつく。


「悪いね、牛鬼。出会ってしまったからには、君も討伐対象だ」


鎖が肌に食い込み、徐々に牛鬼の皮膚を裂いていく。

暴れ狂う牛鬼が鎖を振りほどこうと藻掻くも、公太郎は無感動な色を瞳にたたえたまま、拳を握りこんだ。

勝負は一瞬で決した。鎖が瞬きの間に牛鬼を縛り上げ、その圧縮力を以て体を八つ裂きに滅した。

衝撃で吹き飛んだ肉片が周囲に放射し、黒々とした血が公太郎に降りかかる。

絶命した牛鬼を見下ろし、公太郎は掌に炎を宿すと、牛鬼の骸を燃やして灰へと変えた。

ぱちぱちと飛び交う火の粉が、彼の暗い横顔を淡く照らす。


「おーおー、相変わらずおっかねえな。お前の『自縄自縛』。

 同じ技を食らったってのに、吉備津山ムツとやらはよく生きてたな」

「彼は己の体を虫に変える変身能力があるからね、すりぬけて逃げたんだよ。

 あれだけの高度な変身能力と再生力があるのに、どのコミュニティにも属していないし、血の祖についても、誰も把握していなかった」

「ふゥン。ま、夜通し駆けずり回って調査した結果、誰も知らないと口を揃えるってことは」

「「新たな真祖」が現れたかもしれん、ということだ。約百年ぶりか?」 

射羽が高雄の言葉を継ぎ、公太郎が頷く。

「その事実を確かめるために、この地にわざわざ足を運んだんだ。成果があるといいんだけど」


公太郎は坂道の終わりに立ち、「ついたよ」と指さす。

射羽と高雄は顔をしかめ、八戸は坂道から見下ろした景色を見て、小さく声を震わせた。


「あの、ここが例の集落ですか?」

「記録によれば、この辺り一帯が吉備津集落……別名椿鬼ヶ村だろう。

 昭和中期に一帯の土地はある事業に買い取られ、家屋は全て取り壊された。

 本来であれば再開発が行われる予定だったが、様々な事情で再開発は見送られ、単なる更地となり、何も残らなかったと聞いている」

「でも、……ありますよね、村………?」


びゅう、と冷たい風が吹く。

彼らが見下ろす先には、昔ながらの長屋が並び、広い田園や畑、厩などの、さながら一昔前の田舎村の景色が広がっている。

赤々と椿が咲き乱れ、だのに村にはちっとも、人の姿が見当たらない。


「気を引き締めて。多分ここは現世じゃない。誰かの真魂回録の中だ」



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