長らく舗装されていない山道を、一両の車が走る。

春を迎えていることもあり、道中を枝垂桜のアーチが長く坂道に咲き誇っている。

巻雲が青空を薄く覆う朝、山道には人気も、他に車の通る気配もない。

運転手の高雄は、くあっと軽く欠伸をする。かれこれ二時間は運転しているが、同じような景色がずっと続くばかりだ。

カーナビの示す目的地は未だ遠く、サービスエリアどころか、バス停らしいものもない。いい加減疲れてきた。

その様子を見た助手席の射羽が、そっと声をかける。


「運転、代わろうか?」

「そうしてくれると助かるぜ。

 やれやれ、車で花見も悪くないが、こうも同じ景色だと参るねェ。公太郎は?」

「まだ寝ているよ。もう少し休ませてやろう。

 夜通し、吸血鬼たちのコミュニティを回ってもんだから、疲れがたたっているんだろうさ。

 幹人さんと公太郎くんのお陰で、ここまで来れたんだ。後は私たちの仕事さね」


高雄はミラー越しに後部座席を見やる。

話題の主は、座席に横になって、静かに寝息を漏らしていた。眼鏡を外して安眠している彼の顔を見るのも久方ぶりだ。

眠いのは俺もなんだがなぁ、という言葉は飲み込んで、前方に視線を戻す。

急勾配をスバルのフォレスターがじりじりと登っていく。

つづら折りの坂道を、この車で訪れたのは若干失敗だったかもしれない。と今更になって後悔した。

なお、車の持ち主には「傷ひとつでも付けたら同じところに根性焼きしてやるからな」と脅されている。

カーブにちょっと擦るだけでも許されない。が、既に泥が跳ねているし、はみ出た木々の枝に擦れて汚れがついてしまっている。

こりゃ根性焼きじゃすまなさそうだ、半ば諦めの溜息を漏らす。

のんきに後部座席に座るメイド服の青年──宮田みやた八戸やえが、景色をぼんやり眺めながら、不意に疑問の声を漏らした。


「それにしても、吉備津集落ってすごく遠いですね。

 麓の地元民の人たち、「ちょっと走ればすぐだ」なんて言ってたのに」

「土地感覚を俺らと同じ尺度で測ったのが間違いだったな」と高雄が毒づく。

「長年ここで暮らしてるジジババどもからすりゃ、確かに「ちょっと走れば」って距離なんだろうよ。

 都会住まいにゃちと堪えるぜ、この山道は」

「記録によれば、吉備津集落は川の上流にあって、山々に囲まれているうえに、地盤沈下が激しい場所ということもあって、半ば孤立した土地のようだからね。

 昔は鬼のたまり場だと噂され、「椿鬼ヶ村つばきがむら」なんてあだ名をつけられていたらしい」

「ツバキガムラ?」

「椿が多く自生していることからついたらしいよ。

 ここまでは桜が多かったが、山頂に上がるにつれて椿が沢山見られるかもしれないね」

「わ、楽しみです!写真撮っちゃおっかな」

「花見に来たんじゃねえんだぞ、ったく……こいつ置いてくればよかったな」

「あ、ひどいです!そもそも誘ったの高雄さんでしょ!」

「君たち、じゃれあうのは良いが前を見るか停めてくれないか」


どうせ誰も通るまい。誰からともなく休憩をとなえ、高雄は一度車を停めた。

外に出ると、春の風にあたためられた土と草の匂いが鼻腔を撫でる。

ガードレールから少し身を乗り出せば、瀬戸内海の一角がのぞめる。白波たつ水面が、陽光を反射して鮮やかな群青にきらめいていた。


「わ、良い景色。お弁当持ってきて正解でしたね」

「やっぱりピクニック感覚かよ、暢気な奴」

「だって、山っていうもんだから、きっと道中食事する場所なんてなさそうですし。

 お弁当持ってきた方がいいかなーって」

「はいはい。サンドイッチあるか?」

「ツナマヨきゅうりですよ!ピクルスもありますけど、どっちがいいですか?」

「きゅうりがいい」

「どうぞ!今鵺先生もどうですか?」

「ありがとう、おにぎりの方をいただくよ」


朝ご飯にしては遅く、昼食には少し早い時間。

桜のアーチを抜けた先で、大きな椿が、急な曲がり角にぐんにゃりと腰掛けるようにして生えていた。

真っ赤な花たちが俯くように大輪の花を咲かせ、風が吹く度にはらはらと、梢が囁くように揺れる。


「でっけえ椿だな。まだ咲いてるもんか」

「綺麗ですねえ。まるでお休みちゅうの貴婦人みたいです」


八戸はスマートフォンを掲げて一枚撮った後、あっと声を漏らす。

圏外、と表示されている。ここは電波すらまともに通らない場所らしい。

公太郎は相変わらずよく寝ている。しばし穏やかな静寂が周囲を包んでいた。

椿を見て、高雄もスマートフォンを出し、この静かで情緒あふれる山道を一枚撮ろうと画面を見やった。


「ん?」


スマートフォンから目を離し、高雄は目を細めた。

坂道の奥に、誰かがいる。かなり距離があるが、白い人影だ。

何気なくスマートフォンの画面越しに拡大して、よく見ようとし、息を飲む。

。写真撮影画面は、ただの山道をうつすばかりで、坂道の上にいる人影をとらえてはいない。

同じく人影に気づいてか、八戸が「あれ、誰かいますよ。住民さんですかね?」と首を傾げた。

だが高雄の硬い表情に気づいた射羽が、同じようにスマートフォンの撮影画面を覗き込み、凍りつく。


「八戸、目を合わせるな」 高雄はスマートフォンで撮影する姿勢だけは続けた。

「え?」

「あの人影、写真に写ってない。妖魔の……それも鬼の類いだ」


先程までの穏やかな空気はなりを潜め、三人はそれとなく視線を人影に向けた。

「それ」はこちらに近寄るでもなく、ただ静かにと立ちすくんでいる。

風が吹くと、人影の形が揺らめいた。否、それは白く長い髪が、風に弄ばれてたなびいたのだ、と高雄は気づく。

人影はゆっくり、坂道をのぼりだす。覚束ない足取り、とはまさにこのことだ。

三人とも人影を凝視し、死角へ見えなくなるまでその動きをじっと観察していた。

やがてすっかり姿が見えなくなった時、車のドアが開いた。公太郎だ。

眼鏡をかけ忘れて、ぎろりと睨むように周囲を見やっている。


「さっき、妙な気配がしたけど。何かあった?」

「公太郎、起きたのか」

「さ、さっき、変な人影が坂道の上の方にいて、でも消えちゃって」


八戸が指さした先を、公太郎がじっと見つめる。

その先は桜の代わりに、大きな椿の木たちが手招くように山道の両脇に生え、ざわざわと吹き下ろす風に身を任せて枝をくねらせていた。

先程まで心地よく感じていたはずの風は、やおらねっとりと重苦しく、それでいて突き刺さるような冷たさを孕んでいた。


「高雄、射羽さんと八戸さんとここにいて。僕はこの先を見てくる」

「おいおい、ここに来て帰れはないだろう。どうした急に」

「多分、上は鬼の住処だ。君たちはここで引き返したほうがいい」

「はあ!?なおさら一人で行かせるか馬鹿、なんのために一緒に来たと思ってんだ」

「射羽先生の護衛兼運転係」

「にゃろう、言わせておけば……」

「まあまあ。公太郎くん、この先も道は長い。

 もう少し我々を頼っても問題ないはずだ。

 それに、君の身にもし何かあった時が心配だよ」


射羽が言い聞かせると、やっと公太郎は諦めたようで、大人しく後部座席に戻る。

高雄は八戸に「気ぃ張っとけ、この先何があるか分からん」と耳打ちする。

八戸は頷いて車に戻ると、トランクに置いた刀袋を抱えて座席に座る。

再びカーナビを見ると、画面にはノイズが走り、道順を示す矢印はあり得ない方向をあちこち指していた。

まるで山全体が、車をこの先、正しい道へ示すことを拒んでいる。

ハンドルを握りしめ、高雄は険しい山道を睨んだ。


「なあにが鬼の住処だ。上等、鬼の元を叩くためにここまで来てんだ。

 無駄足にさせてたまっかよ。公太郎、道案内頼むぜ」


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