――恨み。

世に遍く怪異の大半は、怨恨や絶望などのマイナス感情から生じることが多い。

通常、生物を含めた有機物や無機物の類は、運動エネルギーや位置エネルギーといった、つまりは法則に基づく能力を蓄積することで怪異や現象として成す。

一方、知性の高い生物として進化した人間は、含有するエネルギーの殆どを感情から生成する。

これは非常に稀有なことで、感情とは法則の伴わない能力だ。

規則的な力と不規則の力が掛け合わされる時、特定的な法則――

つまりは特徴や生物としての能力を持ちながらも、予測できない行動原理や感情を伴う怪奇的な超常存在は誕生する。

執念、恨み、絶望といった感情は、特に死に近い時に発露しやすい感情エネルギーだ。

人間は知らず内に感情の発露という形でエネルギーを発散し、そのエネルギーは別のエネルギーと衝突や融合を繰り返すことで、新たな核を構築する。

星と星が衝突して新たな星として生まれたように――

この世界のあらゆる「生命」は常に、星の生まれに倣うようにして誕生するのである。

それは進化であったり――

或いは変異であったり――

時には新種という形で突然この世界にもたらされたりするものだ。


目の前に立ちはだかる、吉備津山ムツがまさに「そう」であるように。


「ッふ!」


鍔迫り合う音が響く。

本物の刀同士がぶつかる訳ではない。だのにまるで鋼同士が打ち合うが如く、重くも甲高い音が反響する。

吉備津山ムツの刀は文字通り、しなやかに鞭打ちながら何度も叩きつける。

シンは少ない身動ぎで躱しつつ、蒼炎の刃で打ち返す。

常に目を凝らしていなくては追いつけないほどに、真に迫る戦い。


「(……速い!この右目だからやっと見えているけど……)」


正太郎は歯噛みする。

もしまともに立ち向かったところで、ムツには勝てないという確証を、まざまざと見せつけられているようだ。

刀を構え直し、距離を取って、シンは静かに問う。


「時に貴様。真に吸血鬼なのか?」

「あ~、そやんねえ。キューケツキなんやないの。

 血ィ吸わんと腹減るし、体も昔に比べるとごっつ強なったし、日差し浴びたらむっちゃ痛いし。

 ただ自分が”そう”かと言われると、ショージキ、ピンとけえへん。

 そのせいなんかねえ。獲物なんぞいくらブッ殺しても、なーんとも思わんようになってもうて」


吉備津は伸びきった鋭い爪を、自らのこめかみに押し当てる。

ずぶずぶと爪がこめかみの皮膚を抉り、膿のような黒く濁った汁が溢れ出す。

じくじくと汁は芋虫のように自らをくねらせ、地面にべちゃりと落ちると、地面を腐った鉄錆色に変えていく。

指を中ほどまで差し込んで、ズチュズチュッと嫌な音を立てて己の頭の中を搔き回しても、津山は顔色ひとつ変えない。


「こ~んな風に頭の中でひっきりなしによお、吸った奴の声がとぐろぉ巻く

 みてぇにうわんうわん煩く響いてるわけよお。お陰で俺ちゃん、言葉遣いまで

 ぐっちゃぐちゃってわけよォ。元がどんなセーカクだったかも忘れちゃったしぃ?」

「道理で、情緒が安定しないわけだ。吸血鬼として目覚めたのは、ごく最近だな」

「あ、分かんのォ、そういうの?」

「"成り立て"にはありがちな症状だ。

 無闇矢鱈に血をありったけ飲み干してしまう類だろう、貴様。あの屍臭の帯を見れば分かる」

「へえ、アンタにも視えとんのやね?

 人ォ喰らい始めたあたりから、よぉ視えるようになって、煩わしいったらないねん」

「自業自得だ。それは貴様が背負う罪の証といってもいい」

「しゃあないやん。外にも出られんから、見つけた先から狩って回るほかないんよねえ」


津山は己の瞼に指を突っ込み、瞼の裏をがりがり削る。

赤い血などなく、膿のような汚汁が垂れ落ちるのみだ。

はた、と正太郎は、ここ最近騒がせている連続殺人鬼の話を思い出す。


「人間の魂は不可視にして不定形、かつ流動する臓器だ。魂を含有するのは、主に血液や細胞を巡る体液。

 未熟な”擬き”風情が、際限なく魂をずるずる搾り取れば、

 吸われた人間の魂が中に取り込まれ、混ざり合って自我が保てなくなる」

「フーン。ま、要は――」


くるりとムツの手首が翻り、黒刀が無造作な一閃を振るう。

すかさずシンが刀を翻し、峰に火花が散る。

まるで肉を力いっぱい叩くような音が弾け、シンの脇腹の一部が消し飛んでいた。

血こそ流れないものの、シンの顔が苦痛に歪む。


「ッ……!」

「もっともっとヒト様の血ィ吸わせてもろて、”モドキ”を卒業すりゃあええっちゅう話やろ?」

「(今、不可視の速度で放った!?)」


津山の動きが、さらに加速する。余裕すら醸すように、鼻歌を歌う。

赤黒い靄が濃密な分身として形を成し、津山の姿をみるみる変えていく。

性根を表すような捻じ曲がった角、鉤爪の生えた蜘蛛の如き六本の手。

目は獰猛な牛のように殺気立ち、喉を焼くような噎せる吐息を放つ。


「(――彼奴め、この短時間で”妖魔”に成り果てたか!)」


名をつけるならば、牛鬼。

西日本を中心にその名を轟かせる妖怪に酷似している。

海岸に、あるいは山間部に、時に川や沼などからも生じる、鬼の一種。

牛の頭と鬼の体、ないしは蜘蛛の体などの姿で伝えられている。

残忍にして獰猛、その口からは毒を吐き、人を喰い殺し餌とする怪異。


名もなき怪異は時に、その身を別の怪異あるいは妖怪として変化、あるいは進化させることがある。

短期間に多くの生命を喰らう、魔術的要因に触れる、怪異として命の危機に瀕する――状況は様々だが、彼等はそうした契機を経て、名のある怪異へと生じる。

鬼、天狗、大蜘蛛、邪神、世界に「名」をつけられ分類化された妖魔たちは、その知名度と所業こそが、「進化」の象徴や特徴といえよう。


「(まずい、よりによって牛鬼か!くびり殺すだけでは斃せんぞ、この手の輩は――!)」

「どぉしたよぉ、元よりかんばせから色が失せてるぜえ、生臭坊主ゥ!!」


ぶわりと口から、鉄錆色の毒霧が舞う。

シンは手の中で素早く印を結び、小さく呪を呟く。フッ、と力強く息を吹くや、吐息の代わりに青い炎が噴き出し、禍々しい毒霧を焼く。

牛鬼の吐息は、容易く人の臓腑すら腐らせる毒だ。炎で多少浄化は出来ても、シンの動きを鈍らせるには十分すぎる。


「ッはは、妙な術を使うじゃあないの!ホンマは坊主やあらへんな!?」

「博識な生臭坊主と言ってもらおうかッ!」


津山の猛り嗤う嗤い声が、場を支配する。

じゃりじゃりじゃりじゃりじゃりじゃりじゃりじゃりじゃりじゃりじゃり

ざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざり

ぞりぞりぞりぞりぞりぞりぞりぞりぞりぞりぞりぞりぞりぞりぞりぞりぞり

ぶぅんぶぅんぶぅんぶぅんぶぅーんぶーんぶーんぶーんぶーんぶーんぶーん


周囲の虫たちも沸き立つように、足や翅を擦らせ、不気味な哄笑の如く輪唱する。

正太郎は虫たちの輪唱に総毛立ち、恐怖に縮こまるしかない。

鍔迫り合いの音は尚も響く。だがシンの劣勢は変わらず、どころか津山の勢いは強くなっていく。


「刃交えてりゃあ理解わかるぜ……手前ェ、さては雑魚よわいな!?

 虚勢ハッタリだけでここまで耐えたことは褒めてやる。

 やが、手前の技量もはかれねえ奴が、喧嘩を売るもんじゃあないでえッ!」

「舌が、よく回る若造だなッ……!」

「青二才相手に真っ青やないのお。もっと楽しませとくれやあ、なあ!?」


黒々と艶めく蜘蛛の腕が、鉤爪を無骨な刃に変えて、間髪入れずシンへと叩きつける。

受け止めるごとに、蒼炎の刃は刃毀れし、罅割れていき――やがて、ぱりん!と儚い音が鳴る。

唯一の得物である刀が、真っ二つに折れて、空中に輝く蒼い塵となり散っていく。

息をつくことも、防御の姿勢を取る暇すらなく、練り上げられた巨大な牛鬼の腕がシンに振りかぶり、横薙ぎに殴る。

「ギャッ」と悲鳴を漏らし、シンは球体の遊具に叩きつけられる。

硬質な遊具が砕ける音に正太郎は怯え、悲鳴が溢れた。


「く……!」

「呆気ねえなあ、クソ雑魚生臭坊主。

 邪魔してくれたお礼だ、先にお前から踊り食いにしてやんよォォオ!」

「――!止めてッ!」


六つの鉤爪が妖しく殺気で輝き、全ての切先がシンに向けられた。

はっと息を飲み、正太郎は隠れていた遊具から飛び出し、シンの元に駆け寄る。

小さな体でシンの体に覆いかぶさり、ぎゅっと目を瞑った。



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