4話 深更と天明



新みらいヶ丘市は山が多い。


金銀山かながねやま敷波山しきなみやま皆子山みなこざんをはじめとした、ぐるりと市の外周を囲むように聳え立つ山々は、春には桜、秋には紅葉で色づき、季節の移り変わりを身近に感じることが出来る。

かつては鉱山として有用な鉱石が採掘され、閉山した今も再開発により住宅街として機能している土地も多い。

中には、明治時代から保存され続けている洋館なんてものも存在している。


市内北西部に位置する、旭川洋館などがまさにそうだ。

山の中腹、崖っぷちに立つ洋館は、眼下に大きな河川を望むことができ、朝日を一番に拝める絶景スポットだ。

しかし、旭川洋館の周辺は落石事故も多く、一時期は事故の名所として悪名高くなっていた。

いつしか子供達の間では「洋館に幽霊が出る」「石を落とす化け物がいる」などと噂されるようになっていた。

今年の二月を以て、旭川芙美あさひがわふみは、その洋館の新たな所有者となったばかりであった。


「芙美様、おはようならぬ、おそようございます」

「既に起床時刻を十五分は過ぎておられますよ。さあ早くお顔を洗って」


洋館の二階、東部屋。そこが芙美の寝室だ。

窓という窓を分厚い遮光カーテンが覆い、朝の日差しを阻んでいる。

燕尾服の青年と嫋やかなメイドが、天蓋付きベッドに歩み寄り、一斉に掛け布団を引き剥がす。

小さな黒髪の普遍的少女は、くるんとハムスターのように丸まって、シーツに縮こまっていた。


「……あと5分……」

「ベタな寝言にございますね、芙美様、かっこ微笑かっことじ」

「仕方ありません。姫雪、お湯とタオルを持ってきなさい」

「はあ、芙美様でもないくせに命令しないでください、かっこ怒りかっことじ」

「立場は私のほうが上だ。とっとと行け」


姫雪ひめゆきと呼ばれたメイドは、執事を睨むと、さっさと部屋から出ていく。

縮こまった芙美は枕を頭にかぶり、是が非でも布団から出ないという断固たる意志を見せつけた。

執事は鼻を鳴らし、「失敬」と一言断って枕を剥ぎ取った。


「ああん、起きたくないわ」

「我儘をおっしゃらないで。もう朝食の時間を過ぎているんですよ」

「朝ごはんなんか要らないわ。一時間寝かせて……」

「お体に障りますよ。三食きちんと召し上がってくださいったら」

「お湯を持ってきました~」


メイドの姫雪は、湯気が立ち上る熱湯を並々注いだ桶を持ってくる。

水面をちらとも揺らさないまま駆け寄ると、一度サイドテーブルに置く。

タオルを熱湯につけてぎゅうっと絞り、桶の隣に添え置くと、姫雪は桶を掴んで流れ作業の如く、熱湯を執事に浴びせた。


「おぼぎゃあッ熱ァァアア!?」

「あらあら愉快なお悲鳴。芙美様、素敵な悲鳴でしょう?かっこばくしょうかっことじ」

「何をするこのサイコパスメイドッ!私じゃなかったら重度の火傷で病院行きだぞ!」

「ええ、なんでピンピンしてるんですかあ、90℃の熱湯なのに。この人こわ~い、かっこ棒読みかっことじ」

「当然のように熱湯を他人の頭におっ被せるお前の方が怖いわッ!」

「んもう、頭の上で痴話喧嘩しないでちょうだい……」

「痴話喧嘩ではありませんッ!」「痴話喧嘩じゃないですう」


カラスの喧騒よりも喧しい二人の間を這い出るように、芙美はやっとベッドから降りる。

主人が起きたとみるや、口喧嘩をしながらも、メイドは服を着替えさせて髪に櫛を入れ、一方で執事はタオルで芙美の顔を拭き、今日一日履く合わせの靴を選んで履かせる。

この屋敷に住むようになってから、芙美の一日の始まりは、概ねこんな賑やかさから始まる。

頭上でねちねちと繰り返される口喧嘩を右から左に受け流し、芙美はぼんやり、今日の朝ごはんはサンドイッチがいいわね、などと考えていた。


「芙美様。本日は来客がありまして、そのう」

「来客?」

「天道と名乗る例の不遜者です。

 芙美様に御用があると言うなり、食堂を占拠しておりまして」

「私が呼んだんだから、そりゃあ来るでしょうね。

 いいわ、一緒に朝ご飯にしましょうか」

「はあ……しかし芙美様。

 あのような腕っぷしだけの下賤な男と食事をなさるなど、如何なものかと……」

「あら宗城むなぎ、彼に一騎打ちで負けたこと、未だに根に持っているの?」


執事・宗城は渋い顔を浮かべ、それっきり黙り込む。

食堂に向かうと、広い空間の中央に設置された豪奢な長机の一席に、一人の少年が座していた。

その表情は、不機嫌極まるといったところで、芙美が入ってくるなりぎろり、と睨みつけた。


「おはよう、天道」

「遅ぇぞ、芙美。テメェが起きないせいで、俺ァそこのクソ執事達に風呂ん中突っ込まれちまってさあ」

「ああ、道理でいい香りすると思った」

「芙美様にお目通りするというのに、小汚い恰好で会わせると思うのか」

「風呂は嫌いだ」


宗城が睨み返す。芙美はいつもの自分の席に座ると、「朝食にしましょうか」と笑う。

朝食にはぶりの照り焼きにだし巻き卵、ホウレンソウのごまあえ、切り干し大根、湯豆腐、白米などといった和食であった。

いただきます、と天道は手を合わせるや否や、もりもりと平らげていく。よく食べること、と感心しつつ、箸でちまちまとつついていく。


「時に天道、さっそく仕事をひとつ、頼まれてくれないかしら」

「ああ、この間そんなこと言ってたな。良いぜ、退屈だしよ」

「この町に害虫が入り込んだわ。それを懲らしめてほしいの」


芙美が目配せすると、宗城執事が打ち合わせしたかのように手を鳴らす。

控えていたメイドの一人が恭しく小さな封筒を天道へと手渡す。箸を咥え、天道は封筒を開けた。

中には写真が数枚入っている。顔色が悪く、髪は短く、落ち窪んだ目をした若い男だ。いずれの写真の中でも、背を窮屈そうに曲げ、カメラを睨んだり、明後日の方向を見ていたりしている。


「誰だ、こいつ」

「近頃、新みらいヶ丘に侵入してきた余所者よ。名前は知らなくていいわ、顔だけ覚えなさいな」

「ふうん。こいつが邪魔なのか」

「外じゃちょっとした有名な連続殺人鬼なんですって。

 経緯はさておき、吸血鬼化して、町の子たちを片っ端から食い荒らしているの。

 私としては、低級な吸血鬼風情が粋がって暴れるのが許せないわけ」

「強いのか?こいつ」

「肩慣らしにはなるんじゃないの。大人しくさせるか外に追い出してくれるなら、生死は問わないわ」

「あっそ。でも、この町の魔術師たちに倒される方が先じゃねえの」

「”血”の元が問題なのよ。あの愚鈍たちじゃ、ちょっと手を焼くかもね」


やや憂鬱げに、芙美はぷつぷつと湯豆腐を食べにくそうについばむ。

天道は既にすべて平らげて、おかわりまで要求しつつも、そわそわと芙美のだし巻き卵を見やる。

暫し悩んだものの、芙美はだし巻き卵の皿を天道へと押しやった。

天道の表情がぱあっと明るくなる。


「血の元ねえ。誰だ?」

「”真祖”の一柱よ。鬼だと聞いているわ」

「……ああ、そりゃあ。並の術師じゃ、手を焼くだろうなあ。

 お前、”エンターテインメント”ってやつを分かってんじゃねえか。陰険だけどよ」

「一言余計よ。貴方の腕を試すって意味もあるの。引き受けてくれるわよね?」


言葉の意味を理解し、天道はにやにや笑い始めた。だし巻き卵は既に腹の中だ。

運ばれてきたおかわりも、構わず天道はつるつる胃袋におさめていく。

芙美も楽しそうにふふふ、と笑い返して、白米を丁寧にかき集め、つるりと食べていく。

空になった皿を前にして、天道は「ごちそうさま」と手を合わせた。


「任せろ。お前からの挑戦状、この天道様が受けて立つぜ!」

「口をお拭きなさい、はしたないったら」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る