さよなら、私のアイドル

 しかし、不快なイカカルトとは距離を置けばいいだけだ。

私を落ち込ませた最たる出来事は【百鬼夜行】から鵺君が脱退したことである。

 イカカルトの集会からの帰り道にそれを知ることになった。

 そしてグループの公式アカウントから脱退が発表される前に本人のSNSアカウントは公式のものもプライベートのものも削除されていた。

 アイドルを辞めれば彼の苦痛は収まるかもしれないのだから、仕方ない。

 むしろ窶れて、目が落ちくぼんで苦しそうな彼をこれ以上見たくなかったので、私は少しだけ安堵してしまった。

 勿論、寂しい。

 寂しいには決まっている。

 私はきっと余計なことをしたのだろう。自分の虚栄心や疑似的恋愛感情のために彼の人生を弄んだのだ。

 私が悪い。

 最後に一言の別れの言葉もなかったのは私に謝罪/贖罪させないためなのだろうと思う。

【気にしなくていい】【君のせいじゃない】なんて甘い言葉を私が望むのをわかっていて、あえて何も言わずに去ったのだ。

 しばらくは自己嫌悪に苛まされながら生きていくことになるだろうが、私は面倒くさがりやだ。きっと申し訳なく思うのも面倒くさくなって忘れてしまう。

 だから、今のうちに沢山泣いて、心の中で謝っておくのだ。

 十一月の後半は連休が多くて助かった。

 人に会わなくていい。

 今村ちゃんとまるちゃんには【しばし喪に服す】とメッセージを送っておいた。

 まるちゃんからは【死んでないだろ。勝手に殺すな。まぁ気持ちはわかる。単位落とさない程度にゆっくり休みな】と返事があり、今村ちゃんからはそれはそれは読む気も起きない程の超長文メッセージが送られてきたが、要約すれば【元気だしてください】というだけのことだった。あといつかまた一緒に【百鬼夜行】のライブには行きたいとも書いてあった。

 今はちょっと検討することもできない。なかなか上手くいかないものだ。

 こんな時もイカはただいるだけ。慰めてくれることもない。

 そして、アイドルではなくなった鵺君のことを考えてももう反応はしないのだった。


     *


 私は日がなベッドに仰向けになって過ごした。

 涙が頬を伝って枕を濡らす。

 でもお腹は空くし、シャワーは浴びる。悲しんでいるし、罪の意識に苛まれていても人間的な活動を止めることができない自分の卑しさにまた涙が溢れてくる。

 最後に一目、彼に会って謝りたい。

 そうしなければ前に進むことができない。それが自己満足だということはわかっていても。

 ふと三日ぶりに見たスマートフォンはバッテリーが切れていた。

 そして人との繋がりを断つことができない私は充電してしまう。

 そこそこに着信があり、意外と私も人望ないわけじゃないなと悦に入りそうになるが、今の私に何かを喜ぶ資格などないのだ。

 しかし、一つ見慣れぬアカウントからの連絡があった。捨てアカからのメッセージだろう。

 だが、私はその住所と日時が書かれただけのメッセージを読むと荷物を鞄に詰め込み、家を飛び出した。


     *


「いくら、私が忠誠心高いファンだからっていって、こんな田舎まで呼びつけるのは酷いよね」


 焼け跡に佇むのは私が大好きだった鵺君だ。


「でも、来ただろ」


 ここは一番最初に先輩たちがイカを宿したあの山中の廃墟。

 木々に囲まれた家の残骸、畑の名残、アスファルトはひび割れ、自然に飲まれつつあるが雪が降ったらこのあたりの草は埋まってしまうのだろう。

 終電で麓に辿り着き、一泊してから来たのだが私の目は連日泣き腫らした上に不眠で隈ができてコンディションは最悪だ。

 厚めに化粧をしても隠しきれておらず、私は俯きがちになってしまう。


「今はもうただの一般人じゃん、鵺君。もう……鵺君でもないのか」

「鵺君でいいよ。他に呼びようもないだろ」

「そうだね」

「こっち来いよ」


 私は彼に近づいていく。

 正直、少しだけ怖くもあった。彼の人生をめちゃくちゃにした私だ。

 殴られるくらいはあるかもしれない。


「別になにもしないから、そんな死にそうな顔するなよ」


 やはり私は顔に出てしまうようだ。女優にはなれない。


「何かしてもいいんだけどね」

「しないから」


 私たちは横並びになって焦げて半壊した家屋を見上げる。


「ごめんなさい」


 これを言うことで自分が救われるようなことがあってはならない。そう思っても言わずにはいられなかった。


「なにが?」


 彼は曖昧な笑みを浮かべながら言う。その笑みがどういう意味なのか私にはまったくわからなった。


「鵺君は頭のイカのせいでアイドル辞めなきゃいけなくなっちゃったんでしょ? 私のせいだ。私が図々しく一緒にイベントやりたいなんて思わなかったら、鵺君は今でもステージで歌えてたし、怪談もやれてた。だから、謝らなきゃって」

「あぁ、そういうことか。その発想はなかったな。イカのことは苦痛で仕方なかったし、ノイローゼ気味になって心療内科にかかっても薬飲んでも改善しなくてさ。アイドル辞めた今でもちょっと不快感はあるんだけど、君のことを恨んだりはしてないな。だって、多分このイカさ、自分で望まなきゃ入ってこないだろ。俺が嫌がってるのに押し付けられたなら怒ってたかもしれないけど、俺が望んだことなんだから自業自得だとしか思ってない」

「そうなの?」


 私は喜びとも悲しみともつかない得体のしれない理由で湧き上がる涙を必死で堪えて、一言絞り出す。


「嘘じゃないぜ」

「そっか」


 二人して黙って廃墟を見上げる。

 すっかり寒くなっているが雪が降っていないのは意外だった。


「雪降ってないんだね」

「例年より遅れてるみたいだけど、もう今週末には降るってよ」

「今週末……。今が何曜日かもわかんないや」


 私は曜日感覚も失っていた。スマホを見ると木曜日と表示されていた。本来なら英語Ⅱが終わって、現代メディア論までの時間をどこかで潰している頃だ。


「どんな生活送ってんだよ。毎日大学通ってんだろ?」


 ――あんたのせいだよ。言わないけど。


「そもそも鵺君もなんでここに来たの? 場所は教えたけどさ」

「この化け物の巣があるかもしれないなら、ここまで来たら帰ってくれるかと思ってさ。色々頭の中に向かって話しかけたり、頼んだりしてみたけどダメみたいだな」


 私も心の中でイカに鵺君の中から出ていってくださいと何度も頼むがイカはただ揺蕩うだけ。


「なぁ、ここに住んでた生き残りの人ってどうしてるんだ?」


 そもそもこの元集落のことを教えてくれた編集者の先輩にここでの出来事を報告したついでに苫野先輩と大谷先輩が情報提供者に会いたいと相談したらしいが、情報提供者とは連絡がつかなくなってしまったらしい。先輩の雑誌に記事は載ったが情報提供者の方からは反応もなく、宗教の宣伝記事にしかならなかった。


「音信不通だって。その人は宗教団体のみんなと同じようなものが見えたわけじゃないから集団自殺に加わりたくなくて逃げ出したらしいけど」

「ふーん。でもさ、俺ずっとここに来てから宗教団体の人たちの気持ち考えてたんだけどさ。なんとなくわかった気がするんだよな。いや、わかってないな。想像できる、だな」

「どんな気持ち?」

「なるべく関わる人間や出来事を減らしていきたかったんじゃねーかな。イカが何に反応するのかってのを気にしながら生きていくの疲れるしさ、反応にどんな意味があるのか……ないのかわかんねーけどさ、やっぱ頭の中で化け物が疼くの怖いんだよ。だったら、もう反応しないってわかってるものだけに囲まれて生活すれば楽だろ。だからこんな人里離れたところなんじゃねーかな。でもその生活にすら耐えられなくなって、適当にイカの行動に理由こじつけて自殺しちゃったんだと思うんだ。ま、ここに住んでた人たちがイカを追い払うこともせずに集団自殺しちゃったってことは、やっぱり俺が来ても救いはなかったんだよな。話してて今気づいた」


 私はただ黙って頷くことしかできなかった。理解はできる。共感はできないが、彼の言うことははっきりとわかる。


「……やっぱりアイドル続けたい?」

「どうかな。でももう続けたいと思っても無理だしな。田舎に戻って就職でもするかな」

「役者とか怪談師目指すのはダメなの?」

「アイドル俳優とかアイドル怪談師とかレッテル貼られたり、自分のことをそう自覚しちゃったらまたイカがぐるぐる回り続けるのかと思ったら怖くて無理だな」


 鵺君は莞爾と微笑みながらそう言って、地面に落ちてる小石を拾って遠くに投げた。

 私は浅はかなことを言ったと自己嫌悪に陥る。


「でも、なんで私のこと呼んだの? 恨んでないならなんで呼ばれたのかわかんないんだけど。殴られたり、殺されて埋められるかなってちょっと思った。それに私はイカの消し方なんてわからないし、そもそも鵺君みたいに気にしたこともないんだよ」


 彼は薄く笑みを湛えたまま私の正面に立つ。


「イカのことを嫌いなまま終わりにしたくも、新生活を始めたくもなかったから……だな」


 私は黙って彼の目を見つめる。彼の整った綺麗な顔と瞳の向こうからイカが私を見ているような気がした。


 ――いい加減にしとけよ。なんでイカがアイドル好きなんだよ。


「今日ここに来てイカが俺から出ていってくれたらそれでもう二度とイカのことを思い出したりせずに日常生活に戻る。もう一度芸能界を目指すかはわからないが、ちょっとした悪夢だった、で終わり。だけど、イカがこれからもずっと俺の中に居続けるなら、どこかでやり直すにしても最後にいきなり事務所辞めて、みんなと連絡断った苦い思い出の延長線が俺の新しいスタートになるだろ」

「うん」

「で、イカに関連する出来事で良い思い出ってあるかなって思ったら、君のことが思い浮かんだんだ」


 私の口角は無意識に上がっていき、ふと気づいた時には笑っていた。

 しかし、冷たい涙が頬を伝って地面にぽつりぽつりと落ちていく。


「ファンの中では一番気に入ってた。まぁ、ぶっちゃけると好きだったんだな。けっこう可愛いし、頭もいいし。今気づいたけど……こんなことファンに言ってもいいんだな。他の子に気遣わなくていいんだもんな」

「チェキ券百枚分は喋ってるよ、既に」

「百枚分も喋ってねーよ。本当に面白いな」

「鵺君に面白いって言われるの、悪い気しなかったよ」

「他のファンが嫉妬するから、面白いとしか言ってあげられなかったんだよ。ごめんな」


 謝られるようなことはまったくない。

 そんな謝罪を受け入れるなんて烏滸がましくて無理だ。

 首をただ横に振ることしかできない。


「これからずっとイカと一緒に生きていくとしても、良い思い出からスタートしたら……耐えられるかなって思ったんだ。でもやっぱり根っこはアイドルで我儘だからファンの方に俺のところまで来てほしかったわけだ」


 彼の言うことはすべてが正しい。

 ファンはアイドルのところに会いに行くものだ。


「君のイカはさ……まだ俺のこと考えると回るのか?」

「うん……うん……。鵺君はずっと私のアイドルだから。鵺君のこと考えるとぐるぐる回るよ」


 私は嘘を吐いた。

 私のイカはもう……回らない。


「そっか。良かった。それが聞けただけでここまで来て良かったな。もう会うこともないだろうけど……お互いに今日の思い出から新しくイカのいる人生……やり直していこうな」

「うん」


 本当は鵺君と付き合いたいし、やり直すのは一緒がいい。

 でも、そんなことは言えない。きっといつか私の嘘――私がアイドルだと思い続けているということ、そして私のアイドルで居続けようと努力することが彼を追い詰める。それはきっと彼自身もわかっているのだろう。

 いつも一言余計な私は最後の最後に余計な一言が言えなかった。

 イカはずっといる。鵺君はもういない。

 だけど、もう一度ちゃんとやり直そう。

 でも、すぐには無理そうだった。


 ――帰ったらもうしばらく引きこもって泣く。

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