あいつらはもうカルトだ。
文化祭が終わり、私の生活は急激に色褪せていった。
目標を達成して、燃え尽き気味だったところに私の心が砕け散る二つの出来事が重なったのだ。
まず一つ目は文化祭の翌日――大学では文化祭二日目が開催されているのだが、私は家で夢も見ずに泥のように眠っていた。
ふと目を覚ませば夕方になっており、スマホには昨日のイベントを労うメッセージが沢山届いていた。私は帰宅後に今村ちゃんにだけ【お疲れ様】とメッセージを送ったがそれ以外には特に何も送っていなかった。
――私って意外と友達いるのかな。
などと思いながら、一通ずつ手短に返信していく。そして、大谷先輩からのメッセージが目に留まる。
明日の午後十三時からJR高田馬場駅近くのイベントホールで【森烏賊の会】の集会があるので一度だけでも観に来てほしいというものだった。
直截に言ってしまえば、面倒くさいから嫌だ。
だが、文化祭イベントのためにサークルの金を使い、【森烏賊の会】の人員を使ったこのタイミングで誘いを断れるほどの図太さはない。
翌日、私は高田馬場駅近くのイベントスペースに向かった。
場所は大谷先輩が地図のURLを送ってくれていたのだが、どんな所なのか公式サイトで調べたところ、雑居ビル二階に入っている中規模のスペースで、オールスタンディングなら百五十人人程度入るが、椅子を出して全員着席だと百強のキャパシティだった。普段はちょっとしたトークイベントや企業セミナー、会議室として貸し出しているらしい。
十三時の五分前に現地に到着すると、イカ宗教信者の一年生が『【森烏賊の会】定期集会 2Fイベントスペース』と書かれたプレートを持って一階エントランスに立っていた。
「お疲れ様」
「あ、カラマーロ様。お疲れ様です!」
「え、あ、あぁ、え? うぅ」
――カラマーロ様じゃあないんだよ、カラマーロ様じゃ。完全に忘れてたわ、その名前。
私は咄嗟のことに言葉が出ず。口をもごもごさせながら二階へのエレベーターに乗り込む。
二階フロア全体がイベントスペースになっており、エレベーターを出た正面に受付があった。受付には見知らぬ男女――清潔感がある――が一人ずつ立っており、私が名前を告げると名簿にチェックを入れてくれる。
チェックのボールペンが止まるよりも前に私が扉の向こうの会場に足を踏み入れようとすると、受付の女性に呼び止められる。
「少々お待ちください」
この時の私の顔はこれ以上ないほどに怪訝そうだったと思う。なにより「カラマーロ様」と呼ばれそうな予感がしたのでそれを避けたいというのが一番だったのだが。
「こちらをお持ちください」
私は紙袋を渡される。
「え、あぁ、これは?」
「集会後に販売予定のグッズです。代表からいらっしゃったらお渡しするようにと指示がありましたので」
「あぁ」
私は紙袋の中を覗き込みながら、会場の最後列の右端に座る。開始五分前ということもあって、席は七割八割埋まっていた。
――いつの間にこんな規模になったんだか。【百鬼夜行】や文化祭イベントの出演者のファンが来てるのかな?
授業というものは大抵後方から埋まっていく。アイドルのライブは前から埋まっていく。だが宗教の集会も前から埋まっていくものらしい。
私は椅子の上に置いてあるパンフレットを手に取る。フルカラーでしっかりした紙の八ページ冊子だった。
――金かかってるな……。
私はパンフレットを開きもせずに紙袋に突っ込んだ。その際ちらりと見えた紙袋の中身はTシャツらしきものが見えた。
見ずに捨ててやろうと思っていたがTシャツのデザインが気になってしまう。すぐに好奇心に負けた私は紙袋を膝に乗せ、中を覗き込む。
中身はTシャツとCD、キーホルダー、そして本が一冊だった。
キーホルダーはイカの脚一本を模したものだ。
――なるほど。
CDは聴くことはできないので無視だ。
覆われたビニールのカサカサいう音を気にしながら取り出したTシャツは白地に筆で何か――おそらくイカの絵と文字――の洒落たデザインが入っている。文字は開封しないと読めないが、どうせ【森烏賊の会】と書いてあるに決まっている。
――ちょっと普段使いできそうなデザインなのが腹立つな。【百鬼夜行】のクソダサいグッズよりいいじゃないの。
最後の本は薄めだがハードカバーのしっかりした作りだ。非常に嫌な予感がしたし、十中八九その予感が当たる自信もあった。
カバーを見ると案の定『宙から森。そして人へ。 苫野慧』。
――でしょうね。
私がグッズを仕舞い終わると同時に集会が始まった。
スーツに身を包んだ大谷先輩が現れるとそれまで静かに待っていた信者たちから割れんばかりの拍手と喝采が巻き起こる。
私は驚き、心臓の鼓動が速くなる。
遅れて岩崎が台車に何かを乗せて運んでくる。大きな仏壇のようだが、その扉はおとぎ話や洋風ファンタジーに出てくる宝箱の蓋に蔦が絡みついたようなデザインだった。
――あれが今の祭壇なんだ。あの蔦……いや、蔦じゃないな。
それがイカの脚だと気づくのに時間はかからなかった。私は視力が良いのだ。
その扉が開かれ、中の木彫りの仏像のようなものがお披露目されると会場の熱気がさらに上がる。
アイドルのライブとはまったく異質な熱狂はまるで徐々に熱湯が足下からせりあがってくるようで恐怖と息苦しさを覚える。
私は最後列であるため、いくら視力がいいといっても木彫りの像のディティールまではっきりと視認することはできないが、どうやらイカの脚が全身に絡まっている男の姿を彫ったものらしいことはわかる。
イカ宗教はついにオーダーメイドでここまで作れるようになったのか。
――そりゃ、イベント費用をサークルの会費から出しても平気だよね。
大谷先輩の司会で始まった集会はまず先輩の当たり障りのない挨拶から始まり、皆で森烏賊の神との約束事を読み上げましょうという流れになった。
それは呪文のようでまったく頭に入ってこないのだが、この場にいる人たちの多くがそれを暗唱していた。とりあえずイカという言葉も神という言葉もなく、世界平和とか悟りとか救済とか言っていた。
イカは暴れた。
次に一般信者の代表が登壇してスピーチをするということになったのだが、私は登壇者を見て首を傾げた。四十歳ほどの品の良さそうな女性だったのだ。
――知らない人だ。
他の参加者をザっと見渡すと三分の一は大学生よりもっと上の年齢層のようだった。
大学のサークルの一企画だという認識の私からすると三十歳四十歳を超える人が参加しているということには大きな違和感があった。
そして登壇した女性が語り出す。
内容は――夫と子供に先立たれて人生に絶望していた時にこの会に出会った。もう何も失うものはないのだからと試しに【森烏賊の会】の救いを信じてみようと思ったのだという。最初はイカの神様を信じるなんて冗談のようだと心のどこかでバカにしていたが周りの信者がどんどん神を感じ、救われていくのを見てどうしても自分も救われたいと善行を積んだ。余計なものがあるから自然と一体化できないのだと、貯金も一千万ほど会に寄付したという。するとある日、彼女は目覚めた。今では自分が自然と一体化し、宇宙と神と人々とを繋ぐ使命を担った存在であるという自覚をもって、活動に勤しんでいると胸を張って言っていた。
夫と子供の保険金であろう一千万円をこんなニセ宗教に突っ込んでしまったことにはもう正気を疑うとかではなく同情を通り越して恐怖しかなく、途中で「【イワシの頭も信心から】などと言いますが【ゲソも信心から】ですね」という冗談なのかなんなのかわからない発言に会場が揺れるほどウケて、スピーチが終わるとすすり泣く声があちこちから聞こえたことに自分は異星人の中に紛れ込んでしまったのだと本気で思った。
この後も信者たちの体験談が続き、幹部のスピーチ、教祖のお言葉など盛り沢山の内容がお届けされる予定なのだが、気分が悪くなった私はそっと会場を後にした。
――あいつらはもうイカ宗教じゃない。イカカルトだ。
私はコンビニのゴミ箱にイカカルトグッズが入った紙袋を放り込んだ。
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