本番

 そして、ついに来る文化祭初日の十一月三日。

 オカルト研究会主催のイベント当日となった。


「緊張しますね」


 今村ちゃんが青白い顔をして言う。

 機材や入場の導線の最終チェックが終わり、受付や会場内に配置するスタッフを残して、私たちメインスタッフは楽屋として借りている法学部キャンパスの教室に集合していた。

 もう今からやれることは何も残っていない。


「わたしたちはもうやること終わってるから。ねぇ」


 まるちゃんが言う。


「そうだね。後はもう終わるのを待つだけかな。あと出演者の人たちが来たら挨拶するくらい?」

「今村ちゃんももう後は会場に一般客のフリして良席でイベント堪能するだけでしょ?」

「そうなんですけど緊張するんですよ」


 イベント全体の構成や怪談の時のライティングからBGMまですべて決めたのは今村ちゃんだ。


「ダメだったら一緒に台本書いたわたしの責任でもあるし」


 まるちゃんが今村ちゃんを慰めるが、そんなこと言ったところで気が晴れることはないだろう。

 今村ちゃんが腹部を押さえて、苦しそうに俯く。


「演劇サークルだし、高校も演劇部だったんじゃないの? そんな緊張しいで舞台とか立てるものなの?」


 私は純粋な疑問を投げかける。

 すると、今村ちゃんは顔を上げて、逡巡する。


「なんででしょうね? 不思議ですね、たしかに演技してて緊張したことない気がしますねー」

「役に入り込んでるからだろ。その設定とか環境を自然なものとして受け入れちゃってるれば緊張しないだろうな。今は今村春子としてステージをプロデュースしてるから緊張してるんじゃないか?」


 幽霊のように部屋の端に佇む岩崎が急に割って入る。

 なんとなく女性陣が席について、男性陣が壁の染みになっている。


「じゃあ、あたし今日はもうイベント終わるまで緊張抜けないじゃないですか!」


 今村が鞄から取り出した胃薬を一掴み水で流し込み、目を閉じて中空を仰ぐ。

 私もまるちゃんもかける声がなかった。

 たしかに私が実行委員長でまるちゃんが副委員長であり、失敗した時の責任はすべて自分たちで取ると言ったところで「じゃあ、イベント大失敗だったら全部先輩たちのせいということで!」などと言うわけも思うわけもない。

 それに誰よりも彼女が頑張っていたのはここにいる全員の知るところだ。

 サークルの半数くらいの人間は私とまるちゃんが主催のイベントだと思っているかもしれないが、少なくともともこの場にいる者たちは全員彼女の頑張りを知っている。

 明日は演劇サークルの方の手伝いにも駆り出されるらしい。


 ――文化祭終わったら、燃え尽きて大学来なくなるってことはないよね?


 今村ちゃんの沈黙を発端に一人また一人と口を噤む。

 沈黙が教室を満たし、海の底のような重圧が心を押しつぶすような錯覚を覚えた。


「お待たせ。流石に俺も緊張してきたわー。さっきから何度トイレ行っても、またすぐ行きたくなっちゃうんだよな」


 トイレに出ていた大谷先輩が戻ってくる。

 秋も深まり、気温もかなり下がってきているにもかかわらず、汗がワイシャツと薄手のジャケットを抜けて染みを作っている。

 いつものサークルや信者たちを前に話すのとは違う。二百人近い人数が目の前にいて、ライブ配信でさらにその何倍もの人間に見られているのだ。

 しかも、これまで先輩たちもイベントをやってきたわけでもない。

 三年生でも緊張するのは当然だろう。


「大谷さん、トイレまでの道のりで夕立ちでもあたりました? なんか湿ってますよ」

「屋内から出てないし、今日は快晴だわ。緊張の汗だわ」

「なんかそんな妖怪いましたよね。いっつも髪濡れてるっていう」

「濡れ女な。海とか川から上がってきて人食うやつな。ちげーから」


 私はいつも〝いらんこと〟を言いがちな人間だが、黙っているよりはいくらかマシだろうと大谷先輩を小馬鹿にするようなことを言ってみた。

 周囲の人間は一様に表情を和らげたので、そう悪くない結果だったようだ。


「お前らが司会できないっていうから仕方なくやってるところもあるんだから、もうちょっと敬えよな」


 私、まるちゃん、今村ちゃんは【百鬼夜行】のファンの間では完全に顔が割れており、彼らが出演するイベントで司会をして、表立って関与したことがいらぬ疑念を呼ぶかもしれないということで大谷先輩に司会進行をお願いしているのだ。

 【百鬼夜行】のプロデューサー長谷川氏からも、やんわりと女性ファンの嫉妬などを煽る可能性があるのでイベントで彼らと接するのは男性の方がいいという希望もあった。

 【百鬼夜行】のファンは狭いコミュニティのため、表立って嫌がらせなどをするようなファンはいないが、おそらくネット上で誹謗中傷は免れないだろうことは容易に予想がつく。

 結果的に大谷先輩に頼むことにし、彼も快諾してくれたのである。

 勿論、感謝はしている。

 だが、私はこの場でお礼が言えるほどには素直な人間ではなかった。


 

 出演者がそれぞれの楽屋に入る。

 【百鬼夜行】は昨日の搬入後にわざわざ現地にやってきて、しっかりゲネプロまでやっているのでサークル員全員と既に面識があり、しっかり女子サークル員にサービスして新規ファンを獲得していた。今日も迎えに行かずとも勝手に楽屋までやってきた。

 楽屋挨拶に行くといつも通りにみんな好意的に接してくれるものの、鵺君がやはり窶れて見えるのが気になった。

 しかし、そのことに触れることはできない。

 続けてやってきた竹林監督と河合先生もサークル員にファンが多く、きちんと案内が完了し、待ち時間も失礼なく凌ぎきった。

 長谷川氏は二人に対して【百鬼夜行】をしっかり売り込んでいたが、今後の仕事に繋がるかどうかはわからない。

 客入れが完了し、演者たちが会場に移動するとなったとき――。


「なぁ、会場行って観てこいよ」岩崎がそっけなく言った。

「いいよ、私はここで荷物番しながらライブ配信の方で観るから」

「実行委員長なんだし立ち見でも観た方がいいだろ」

「楽屋二つあるのにもう片方どうするのよ? 鍵かけられないから誰か一人はいなきゃいけないってことで、私とあんたなんでしょうが」

「村山と安井呼んだから」

「え? 二人共掛け持ちのサークルの屋台があるんじゃないの?」


 安井の野球サークルはタコ焼き、村山のバンドサークルは焼きそばを売ると聞いていたので、今回のイベントも協力できないという話だったはずだ。


「安井の野球サークルはなんか出店基準満たしてなくて出店取り消しになったんだと。暇してるらしい。村山はちょうど休憩時間が当たるから何か手伝いましょうか? って連絡きてな、ちょうどいいから荷物番頼むことにしたんだ。焼きそば持ってきてくれるっていうから、それ食いながら待ってるよ」

「あんたも二人もいいヤツだね」

「今さらだろ。でも、お前がいいヤツだからちょっと助けてやろうって気になるだけだよ」

「私はいいヤツではないでしょ?」

「捻くれてちょっと露悪的に振る舞ってるけど、面倒見がいいのはわかってるよ」

「照れるね」


 私はわざとらしく頭を掻く。


「いいから行けよ」

「じゃ、お言葉に甘えて」


 私は楽屋を飛び出し、駆けだした。



 イベントは既に開始しており、前説が終わり最初の怪談パートが始まったところだった。

 チケットは完売しており、事前入金制だったため空席があっても構わなかったのだが、席はほぼ埋まっていた。

 私は受付に立っていた一年生に声をかけて中に入る。


「お疲れさまです。最後列の予備席使ってください」

「いいの?」

「勿論です。先輩のために空けてたんで」

「ありがと」


 私がかがんで最後列の端の席に滑り込むと隣はまるちゃんだった。

 彼女は私をちらりと見て、口角を上げた。



 怪談パートは今村ちゃんのアイディアで【百鬼夜行】のメンバーが二人一組で役を割り振る二人芝居形式で、ちょっとした身振りやSEなどの仕掛けを使っていた。

 最初は狐火、猫又ペアで曰くつき物件の怪談を不動産業者と物件を探している学生それぞれに分かれて演じている。

 普段は一人ずつ怪談を披露する落語のような形式なので普段ライブに来ているファンの目にも新鮮に映っているようだ。

 ゲネプロで観ていたので内容はわかっているものの、観客の反応も上々でまずは一安心である。

 観客のうち半数が【百鬼夜行】目当てだったので、多少は過剰にリアクションをとって盛り上げようとしているのはわかっているのだが、それでもやはり嬉しいものは嬉しい。

 最前列センターの特等席で観ている今村ちゃんは今頃涙を流しているのではなかろうか。

 と思ったが、最前列なので私のように後ろから客席全体を見渡せないのでいまだに不安を抱えているのかもしれない。

 怪談のクライマックスで花瓶が割れる音をスピーカーから大音量で流す演出もうまくいって、会場からは悲鳴があがった。

 【百鬼夜行】のワンマンではホラーが苦手な女性ファンへの配慮から余計な演出は行わない方針なので、意表をつけたのではないかと思う。

 二番手は木霊、鉄鼠のコンビで検索してはいけないワードを検索すると不幸を降りかかるという都市伝説で、これもスマートフォンのAIアシスタントを模した音声を事前に収録しておいたのでリアリティが演出できた。

 そして、三番手は鵺だ。

 彼だけは一人でイカの話をすることになっていた。

 余計なライトや音での演出を入れず、演劇的要素を排した純粋に古典的な怪談を演じる。

 どこの大学のどんなサークルということは明言せずに、田舎の廃墟を訪れた大学生が「びしゃり」と頭が濡れたような感覚の後に脳がどんどんイカのような軟体生物に変化し、それに操られていくという多少のアレンジを加えたものだ。


「自分の脳みそがイカの化け物に変わっていくんです。毎日少しずつ。何かをしようとするとずるりとその脚を蠢かせるんです。頭の中がむずむずむずむずむずむずむずむずむずむずむずむず……まるで頭蓋骨の内側を無数のミミズが這っているような感触……耐えられなくなったそのサークル員たちは部室に火を点けて死んでしまったそうです。そして……その焼け跡からは屋台のイカ焼きのような匂いがしたそうです」


 という笑っていいんだかどうなんだかわからないようなオチになっていたが、会場ではサークル員も含めてウケていた。

 それまでの二組と鵺君の前半で作り上げられた緊張感からのオチでの弛緩で安心して笑ってしまったというのは大いにあるだろう。

 しかし、鵺君が少し痩せて雰囲気が出てきたことで怪談に迫力が出てきたのも要素としては大きいように思えた。

 本当に怪談だけは上手いのだ。



 客席側の電灯が点けられる。

 ライティングや音声にトラブルが発生しなかったことにまずは安堵した。

 やっぱりイベントは純粋に客として楽しむに限る。

 まだ前半戦が終わっただけにもかかわらず、私はグッタリしていた。

 隣のまるちゃんも眼鏡を外し、こめかみをマッサージしながら深呼吸している。

 トークコーナー用に什器が運び込まれていく前方ステージを観ながら、私は今村ちゃんに【怪談パート上手くいってよかったね】とメッセージを送る。

 すると【すごく感動しました。あたし、もう死んでもいい】と即座に返ってきた。


 ――良かったなぁ。やって良かった。



 トークイベントも業界人の二人が口達者だったおかげでトラブルもなく、非常に盛り上がった。

 最後に鵺君が演ったイカの怪談というのが半分創作、半分実話であり、そのモデルとなったのがこのイベントを主催するオカルト研究会であることが紹介された。


「じゃあ、今君の頭炙ったらイカ焼きできるの?」


 などと河合先生に話しを振ってもらった大谷先輩は手短に本当の部分がどこなのかを説明する。


「本当に脳が変容してるわけじゃないです。集団催眠みたいなものだと思うんですが、せっかくのオカルト体験なのでこれを活かして色々と実験してるんですよ」


 そして、イカに選ばれし人間による宗教ロールプレイをしていて、学内外から一緒に研究してくれる同志――入信者という体をとるということも勿論付け加え――を募集しているとカメラ目線でしっかりと宣伝した。

 ゲストがリップサービスで今度の映画や小説のアイディアに一部使わせてもらうかもしれないと褒めてくれた上に、【百鬼夜行】のメンバーも今日演った怪談はすべてオカルト研究会の学生の演出が入ったもので非常に反応が良かったので今後の怪談ライブでもかける本ネタにすると絶賛したことで、イベントは最後の最後まで成功を収めることになった。

 機材トラブルがあったり、出演者が我儘を言ったりといったことが起こったときのために対策は考えてあったのだが、一つも使うことはなかった。

 だが、それでいいのだ。

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