彼女気取り

 近頃の私はちょっとした彼女気取りで鵺君にLINEを送るようになっていた。

 プライベートのアカウントを教えてもらったのだ。

 デートなんかできないし、お金を持ってライブハウスに会いに行くのは変わらないが私には十分だ。

 私以外にも特別扱いを受けているファンはいるのかもしれない。

 むしろ私程度の容姿と使う金額でも連絡先を教えるのであれば、毎回何万と使い、すべてのライブに通うトップオタに何もしていないわけがない。

 狐火のように露骨に現場で依怙贔屓をしないだけでこうして影では特定のファンと繋がっていることに対して、多少の失望はあったがやはり喜びが勝っている。

 それはもう売れないアイドルを好きになってしまった以上仕方がないことだ。

 いつか夢から覚める日が来るのかもしれないし、今村ちゃんが言うようにもう彼のことを思い続けて他の男の子と付き合ったりできないのかもしれない。

 だが、それでもかまわない。

 なぜなら彼と私はイカで繋がっている。

 サークルの誰にもこのことは話していないが、あの部室で彼にもイカは宿った。

 嘘を吐いていないかどうかはすぐに石川啄木の詩を暗誦して確かめた。

 イカがどんなものにどんな反応をするのかは彼に渡したレポートには記載していなかったのだ。

 これは二人だけの特別な絆だ。



【お疲れ様。今日もライブかっこよかったよ。ツイッターに私があげた服着た写真載せてくれてありがとね】


 当たり障りのない文面だ。

 最初にメッセージを送った時のような過剰な推敲はもうしないし、送信ボタンを押すのに震えるほど緊張もしない。

 ただ、本当に送りたいことは送れないし、訊きたいこと――本名さえも訊けない。

 あくまで特別扱いをしてもらっているファンとアイドルの関係であって、恋人同士ではないのだ。

 踏み込むことはできない。彼の方も踏み込んではこない。

 きっと私に彼氏ができても仕方ないと思っているし、ライブに来てお金を使いさえすれば、彼氏ができたと言っても笑って許してくれる。


 ――大丈夫かな。鵺君。


 最近、私は彼の体調を気にしていた。

 SNSで公開する写真はかなり加工しているのだが、ライブ会場で会うと明らかに痩せてきているし、目の下の隈を化粧で隠しきれていない。


【今日も来てくれてありがと。ちょっと聞きたいんだけどさ、頭の中のイカって消したりってできないのか?】


 ――え?


 私は意図がわからず、彼の返事を何度も読み返す。

 私たちの繋がりが否定されたような心持になった。


【ごめんね、わからない。ずっといるけど考えたこともなかった。意識しなかったらいいんじゃないかな?】


 イカなんていてもいなくても同じようなものだ。


【君のイカは大人しいのか。俺のはずっと動き続けてて鬱陶しい】


 私は一つ思い当たることがあった。


 ――アイドルのことを考えるとイカは回るんだ……。じゃあ、アイドル本人は……。


【あのね、たぶんなんだけどアイドルのこと考えると身体を回転させるみたい。あとは微分の問題解いたり、つまらない小説読んでも反応すると思う】

【そうか。ありがと】

【ごめんね、消す方法がわからなくて】

【いや、変なこと聞いて、こっちこそ悪い。まさか自分がこういう催眠とか錯覚みたいなものにかかるとは思ってなくてな。明日朝早いから今日はもう寝る。おやすみ】

【おやすみ。あんまり辛かったらカウンセリングとか行って相談してみるといいかもね】


 私はイカを消したいと思ったことはないし、消すもなにも存在しているかも怪しいただの集団催眠の一種だと考えている。あえて何か言えるとしたらこんなところだ。

 実際に脳に何か変異があるのではないかと一年生の一人――実家が大病院の次男坊―――が夏休みにCTスキャンを撮ってもらったらしいが、特になんの異変もなかったらしいし、血液検査でも異常は見られなかったという。

 イカはいつか消えるかもしれないし、消えないかもしれない。

 オカルト研究会のメンバーからも消えてほしいなどという声が上がったことはない。

 むしろイカが宿ることで【森烏賊の会】では優遇されるので、消えてほしくないと思っているだろう。

 私には鵺君の感覚を慮ることができない。

 繋がっていると思っていたが、どうやらそうではないのかもしれない。

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