こんにちは、宗教の勧誘でーす

 私は小綺麗な格好――といってもいつものように黒づくめだが――で文学部キャンパスの生協で小説を立ち読みしていた。

 告げられた集合時間が十三時だったので、私は鵺君に送るレポートをなんとか半分まで書き上げることができていた。


 ――残りは夜だなぁ。


「お待たせしました」


 私の肩を遠慮気味に叩いて声をかけてきたのは今村ちゃんなのだが、そのトレードマークの青いセミロングが黒のロングになっている。


「どちら様?」

「あたしですよ。今村春子ですよ。わかるでしょ」

「お約束としてやっとかないとと思って。どうしたの、その髪? ウィッグ?」

「そうです。別に宗教じゃなくてサークル勧誘だとしても、青髪は第一印象ビミョウだと思うんで」

「なんで、青にしたのよ?」

「高校が校則厳しかったんで、大学生になって浮かれちゃったんですよねー。ブリーチ二回かけた上で青入れてるんでめちゃくちゃ痛んでますけど、木霊君に一発で認知もらえたんで後悔はしてません。さ、行きますよ。演劇サークルの女優の実力見せてあげます。先輩は一緒にいてくれるだけでいいです。なんでも勧誘は二人一組が効果的らしいので」

「あぁ、私がいるのってそういう理由なんだ」


 たしかにこれまで街中で声をかけてくる宗教勧誘の人はだいたい二人一組だったような気がする。

 どういう理屈で二人がいいのかわからないが、そういうものらしい。


「行きましょう」



 私たちは三階の中規模の教室の後方に陣取った。


「宗教学の講義たまたま受講してたんですよ。講義自体は宗教といいつつ殆ど世界史ですね。世界の宗教から見た歴史を学ぶって感じなんですが、この講義にはガチ勢がいるので、その人たちに声をかけます」

「まぁ、言わんとすることはわかる」


 どの講義にも熱狂的なマニアが存在するのだ。

 源氏物語が大好きだとか、松尾芭蕉に憧れてるだとか、教授のファンだとか理由はさまざまだが異様にその講義や科目にこだわる人間がだいたい一人二人はいる。

 これの何が面白いんだ? と言いたくなるような講義にも絶対いる。

 宗教学にもいるらしい。


「講義自体も面白いんで、せっかくモグったわけですし聴いてみてください」

「私、本当に全然興味ないよ?」



 ――わからん。


 これ初回か二回目ならまだしも期末試験直前の講義などハイコンテクスト過ぎてわかるわけがない。

 黒板に書かれるドイツ語を見ているうちにうつらうつらとしてしまった。

 イカも反応しない。

 今村ちゃんは熱心にタブレット端末にタッチペンでせっせとノートをとっている。

 そして、私は寝た。



 いつの間にやら講義は終わっており――。


「起きてください。行きますよ」

「あう」


 口の端から零れかけていた涎を間一髪ティッシュで拭き取り、荷物をまとめている私を置いて今村ちゃんは最前列に並んで座っている男子学生二人に近づいていく。


「こんにちは。宗教の勧誘でーす」


 今村ちゃんはいきなりそう言った。


 ――見知らぬ男にいきなり声をかけられるのも、第一声もすごいな。私には無理だ。


「えぇ?」


 二人組のうち顎鬚を生やした方の男が笑顔で聞き返す。


「冗談ですよ。お二人、いつもこの授業出てますよね? 私、先週出られなかったんでノート貸してほしいなって思って」

「あぁ、そういうことか。いいよ。俺より村山の方が字綺麗だから。村山の方見せてもらって。あぁ、俺は安井。で、隣のこっちが村山」


 二人組のうち、骨太で体格がいい方が安井で、背が高くて穏やかな顔をしている方が村山というらしい。

 しかも、宗教の勧誘は冗談ではなく本当のことだ。


「あたしは一年の今村です。で……ちょっと先輩、そんな遠目に見てないでこっち来てください。あたしもサークルの先輩と一緒に出席してるんですけど、先輩は授業中寝てばっかりなんですよ」


 近づくと今村ちゃんは早口で私のことと、私との関係性を説明する。

 村山がノートを取り出すと今村ちゃんはそれを開きながら「すごーい。本当に字綺麗ですね」とか言いながらパラパラとめくる。


「俺たちも一年だから敬語じゃなくてタメ語でいいよ。なんで俺たちに声かけたの? ほかにも女の子いるでしょ?」

「いつも最前列でちゃんとノート取ってそうだったからね。後ろの方に固まってる子たちのノート借りるより、絶対ちゃんと書いてるってわかる人に借りた方がいいでしょ?」


 たしかにこの講義の最前列は彼ら二人しか座っておらず、二人を除けば横一列空席だった。


「なるほどね。ちょっと期待して損した」


 安井がそういうと村山が闊達に笑う。


「期待なんかするなよ。煩悩に支配されてるな」

「じゃあ、別に他意はまったくなかったけど、せっかく期待してくれたならノートのお礼に学食で珈琲の一杯くらい奢ってあげるよ。ノートもびっしり書いてあって書き写すよりコピー取った方がよさそうだし」


 そう言って、今村ちゃんは私と二人を促し、四人で学食に向かうことになった。


 ――すごいな、この女。


 私は女優・今村春子の行動力にやや恐怖を覚えていた。

 無反応だが、私の頭の中のイカも引いていることだろう。



 生協のコピー機でコピーをとった後、「あ、スマホで写真撮ったらよかったね」などと言いながら、学食に向かう。

 私一人だけ二年生であり、やや居心地の悪さを感じつつも、今村ちゃんが一人でまくしたてて、二人を同時に相手にしてくれていたので、曖昧に笑っているだけでたどり着くことができた。

 四人掛けテーブル席に三人が座ったところで、私は席につかずにこう言った。


「じゃあ、私が飲み物買ってくるよ。先輩だから私に出させて。私もあとで今村ちゃんからノートのコピーもらうし」


 そういってリクエストをとって、全員分の飲み物を買うためにその場を離れた。

 自身のコミュニケーション能力の低さと役立たずっぷりに軽い自己嫌悪に陥りながら、ゼロカロリーコーラ、ミネラルウォーター二つ、そして自分用にジャスミンティーを購入した。


 ――コーヒー奢るといいながら、誰もコーヒー飲まないんだ。


「お待たせ」


 私が席に戻った頃には今村ちゃんが二人のことを色々聞き出して本題に入るところだった。

 村山と安井は二人とも教育学部の国語国文学科の一年生――私の学部学科の直の後輩だった――で、二人とも寺の息子であり、意気投合したということと、出自が出自なので真剣に勉強した方がいいだろうということで最前列で講義を受けているのだそうだ。

 村山はバンドサークル、安井は野球サークルに入っているという。


「あ、そうなんだー。宗教の勧誘は冗談なんだけど、宗教に詳しい人はちょっと募集してるんだよね」

「え、どういうことどういうこと?」


 村山は仏のように微笑んでいるが興味ありげだし、安井はかなり露骨に食いついている。

 今村ちゃんの話の持って行き方がうまかったのか、別にもっと下手くそでもこのくらい可愛ければ問題なかったのか。

 そこそこ可愛いと自負している私は完全に蚊帳の外に置かれていた。


 ――私、絶対いらなかっただろ。何見せられてんのこれ?


 何を見せられているのかと自問すれば、可愛い後輩が男性ホルモンの濃度が高そうな男二人を相手に宗教勧誘しているのを見せられていると自答せざるをえない。


「あたし、演劇サークルと掛け持ちでオカルトサークル入ってるっていったでしょ? そっちのサークルで新しい宗教を作ろうって企画やってるの。で、だいぶ大枠はできてきたんだけど、意見とか聞ける人いたらいいなって。まぁ、ごっこ遊びだけど、せっかくだからちゃんとやりたいよねって話になってるの」

「はいはい、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教みたいなことをサークルでやってるわけだ」


 村山が言った。こっちの男は飲み込みが早い。

 安井の方もそれを聞いて合点がいったらしい。どうやら二人ともバカではなさそうだ。


「そうそう、そういうこと。やっぱり二人とも詳しいね。で、あたしが勧誘して連れてきた入信者役で企画に参加してくれるなら嬉しいなって。別にオカルト研究会に入らなくてもよくて、企画ゲストって形でいいんだけど」

「そんなに活動活発なサークルでもないなら、別に企画だけじゃなくてサークルの方も入っていいよ。バンドサークル優先だけど」


 村山がそう言うと安井も「俺も俺も」と声を上げる。

 こうして今村ちゃんはあっという間に二人の入信者を捕まえてしまった。


     *


 私は徹夜でそこそこの短さに削った文章を鵺君に送りつけ、日曜日の夕方まで眠り続けた。

 鵺君からの返答は【ありがと! また連絡します】だけだった。

 たったそれだけの文章でも、とても嬉しかった。

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