それは宇宙から
それは宇宙からやってきた。
非常に高い知能を持つそれは宇宙に近い環境である海にコロニーを作り、徐々にその数を増やしていった。
しかし、彼らがコロニーを作った海は地殻変動によりいつの間にか山に囲まれ孤立した湖となってしまう。
陸に上がることも検討されたが彼らの持つ肉体でそれは適わない。
思念で意思疎通を行ってきた彼らは自らの魂を肉体から分離、思念体と化し、近くを通りかかる陸上生物に寄生することで絶滅を逃れたのだった。
しかし、彼らを認識できるのは選ばれた一部の人類だけであった。
彼らが運んできた宇宙の意思を感じとることで人類は進化できるのだ。
「という感じなんだけどどう思う?」
部室に行くと苫野先輩が急に読み上げた文章についての感想を求められる。
「何がですか?」
私はそもそもよく聞き取れていなかったし、おそらく聞き取れたとして何を言っているのかわからなそうだということしかわからなかった。
「え? もう一回読もうか?」
「いや、まず何なのかの説明がほしいです。確かにあんまりよく聞き取れてはいなんですけど」
私は露骨に訝りながら言う。
「【森烏賊の会】のパンフレットの序文を書くことになってさ、その下書き」
苫野先輩が心の底から嬉しそうに言うので、私は胸がちくりと痛んだ。
この人は純粋に自分が文章を書いて、それを人に読んでもらうことに喜びを覚えているのだ。
しかし、私には一つ懸念があった。
――この人が書いた文章ってイカが嫌がるんじゃないの?
今もまさにイカがその脚を上下に振っている。
頭に入ってこなかった要因としてはそれもあるだろう。
ただの会話では特に問題がないのだが、なぜか苫野先輩が書いたものや、それを読み上げた声を聴くとイカが反応するのだ。
苫野先輩の頭のイカも同じだろうが、自分で書いている最中は反応しないのだろうか。
この人は気にしないのだろう。
そういう自分の能力や周囲の人間の感情やあらゆるものに鈍感なところが私を苛立たせるとともに同情を誘うのだ。
「あぁ、いいんじゃないですか」
「本当に?」
「えー、まぁ、私の頭の中のイカもなんか先輩の今の聞いて手足パタパタさせてましたよ。手足? イカに手足の区別とかあるのかわからないですけど」
私は極めて曖昧な表情で、曖昧な言葉を吐いた。
「それはよかった。あとで大谷にも見てもらおう。あとイカの脚は八本で、残りの二本は触腕っていう腕なんだよ」
「そうなんですか。詳しいですね」
「森烏賊の会のメンバーはみんなイカについてはかなり詳しくなってきてるよね」
――私を除く……だけどね。
私はイカについて特に興味がなかったので、いまだに何を食べているのかも知らないままだ。
「タコの方が脳は九つあるし、見た目も宇宙的じゃないかって最初は思ってたんだけど。あぁ、そもそも宇宙から隕石に乗ってきたレトロウィルスがタコを進化させたっていう眉唾モノの説もあったりするんだね。あぁ、タコの遺伝子ってイカから分かれたものらしいんだよね。だから大元はどうやらイカらしいんだけど。でもレトロウィルス説気に入ってて、そうあってほしいっていう気持ちも込めて【森烏賊の会】の文章書いたんだよ」
――ダメだ。全然頭に入ってこない。この人の話はなんでこんなにわかりにくいんだ。
「なるほどー」
必死に絞り出した言葉がこれだ。
ただ、このイカの幻想のエピソードなんて、ちょっとくらい変な方がいいのかもしれない。
パッと読んでわからないくらいが〝それっぽい〟。
そうこうしているうちに大谷先輩が部室にやってきた。
「おう、お疲れ」
「お疲れー」
「お疲れ様でーす」
私は苫野先輩との会話に疲れてきていたので、人がやってきたことに安堵した。
大谷先輩は荷物を下ろし、私と苫野先輩と均等な位置に座り、私たちは三角形の頂点になった。
「新規入会員、良いな。あいつら」
「あぁ、会いましたか」
あの勧誘の後、今村ちゃんは大谷先輩を呼び出し、村山と安井を会わせたらしい。
今村ちゃんからかなり好感触だったという報告は受けていた。
「感じいいから、すぐに企画メンバーとも仲良くなったし、サークル自体にも入ってくれるっていうからな。なにより知識が豊富なのが素晴らしい」
「そうでしょう」
「お前はあんまり企画に対して乗り気じゃないと思ってたけどな」
「別にそんな乗り気ではないですよ、今でも」
「本当に素直じゃないな、お前は」
私自身の態度は一切変わってはいないが、新入会員のおかげで完全にバイアスがかかっている。
「私はいつでも素直ですよ」
「今村から色々聞いてるから、そんな捻くれたこと言わなくても大丈夫だよ。あと、何か相談があるんだろ?」
女優の後輩は私が積極的に宗教ロールプレイで勧誘活動をしたと喧伝しているのは知っていたが、これほど効果的だろうとは思わなかった。
――ここまで御膳立てしてもらってからには、先輩としてちょっとくらい頑張ってやるか。
「実はちょっと相談があってですね……」
私は文化祭イベントにオカルト研究会として参加し、怪談師や映画監督、怪談をやる地下アイドル――ここが一番大事――を呼んで、怪談とトークショーイベントをやりたいということ。そのイベントにかかる費用をサークルの会費から捻出したいということ。
イベントで地下アイドルにオカルトエピソードか実話怪談としてイカの話をしてもらって、サークルが企画をやっていることを紹介して、勧誘活動もすること。
それらをさらりと説明する。
「いいよ。当日のスタッフも【森烏賊の会】のメンバーでやろう。もちろん、オカ研のメンバーもやりたい奴がいたら手伝ってもらうし」
「あ、ホントですか」
「すごくまっとうなサークル活動じゃないか。すごく良いと思う。お前と今村が追っかけやってるアイドル呼びたいっていうのが本当の目的なのは目瞑ってやるよ」
「バレてましたか」
「バレバレだよ」
私たちは声を上げて笑い、そのやりとりを眺めていた苫野先輩も莞爾と微笑んでいる。
目的を達成した私はもうここに用はないので、帰って昼寝でもしたいところだったが、一つ大谷先輩に確認しておくことがあった。
「あと、さっき苫野先輩からパンフレット作るっていうの聞いたんですけど」
「あぁ」
「なんていうか、苫野先輩の文章読むと頭の中のイカがこう……なんていうか、パタパタってするんですよね」
「よくLINEしてるけど、そんなことはないけど。なぁ、苫野さん?」
大谷先輩が苫野先輩に同意を求めるが、私は苫野先輩の返事を遮って続ける。
「いや、日常会話とかそういうのだと反応しないんですけど、小説とかちょっとした書き物とかですよ。苫野さん、さっきの宇宙がなんとかみたいなの読んでください」
苫野先輩はスマートフォンにメモしていたらしい先ほどの文章を読み上げる。
腕を組んで聴いていた大谷先輩が目を見開く。
「本当だ」
「これ、パンフレットに載せたら、メンバー全員の頭の中でイカがこの状態になるんですけど……なんていうか、いいんですかね? ちょっと落ち着いて読めないってことないですか?」
私は言葉を選びに選んで捻り出していく。
「むしろいい。素晴らしい。教祖である苫野先輩の才能に強く反応してるんだろ」
――あぁ、やっぱりそういう解釈になるのね。
このイカという奴は表情もなければ、言葉を発するわけではない。受け手の解釈によっていくらでもそのあるのかないのかわからない感情が恣意的に変えられていく。
「これは大発見だぞ。苫野先輩はやっぱり選ばれた人間なんですよ。これから教義から何から何まで書いてもらうことになりますね」
「いや、それは大げさだよ」
と、言いつつまんざらでもなさそうだ。
「じゃあ、私はそろそろ行こうかな」
立ち上がろうとした時に、苫野先輩から声をかけられる。
「あ、ちょっと待って」
私は荷物を片付ける手を止めることなく、一応顔だけを向けて話を促す。
「なんです?」
「イカが宿った後にも、僕の小説読んでくれたんだね。ありがとう。だいぶ前に渡したものなのに読み返してくれたっていうのがわかってすごく嬉しかった」
「今村ちゃんと一緒に読んだんですよ。時間おいて今回もう一回読んでみて、やっぱりユニークだなって思いました」
私はそう言い残して、部室を出た。
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