つまらない小説

 微分のことを考えると墨を吐き、石川啄木やアイドルのことを考えると回転するのは何度か試したがどうやら間違いないらしい。

 すべてのイカが同じように反応して、それを人間側も同じように感じているのかは不明だが、今村ちゃんや岩崎との会話の中でだいたいは似たようなものだということはわかってきた。

 他にどんなものに反応するのか、そしてその反応をこちらが感じとれるのか。岩崎と話してから否応なく意識するようになっていた。

 普段から別に何もなくてもたまに墨を吐いたり、脚を動かしたりはするのでそれが何かに反応したものなのかどうかははっきりとわからない。

 このイカが反応するものの種類やパターンを蓄積していくことで、イカとのコミュニケーションもいずれは成立するようになるのかもしれない。

 岩崎はサークル内でイカが特定の物事に対して、常に同じような反応を示すことを発表し、【森烏賊の会】はそのパターンを探していくらしい。

 私も先日の集まりの時にライブアイドルのことを考えるとイカが回転するということは伝えてある。

もちろん、文化祭イベントのために多少媚びを売っておこうと思ったからだ。

 サークルの集まりの時にこの話をしながら、今村ちゃんの方をちらりと見ると私の意図を察したようでほくそえんでいた。

 実を言うと他にもイカが反応するものを見つけているのだが、まだ誰にも言えていない。



 イカが反応するものを見つけたのはたまたまだった。

【百鬼夜行】のライブに行った日の夜のこと。

 信じられないようなことが起こったのだ。

 もはや東北で神秘体験をして、イカのようなものに憑かれるなんて大したことではない。

 この日に起こったことに比べれば「まぁ、そんなこともあるかな」という程度のよしなしごとだ。

 シャワーを浴び、髪を乾かしながら、スマホで漫画を読んでいた時にツイッターの通知アイコンが点灯した。

 私のツイッターアカウントは三つあり、一つは高校・大学の友人たちに向けたアカウント、二つ目は地下アイドルの応援アカウント、最後の一つはアニメ、ゲーム、漫画関連の感想アカウントだ。

 通知がきたのは地下アイドルのライブレポを書いたりする二つ目のもの。

 なんぞやと思いながら、アカウントを切り替えて絶句した。

 それは鵺君からのダイレクトメッセージだったのだ。

 私のアカウントは彼に知られており、彼の「俺のファン」なるリストに入れられているのは知っていたが、まさか直接連絡が来ることはあろうとは。

 実話怪談の提供をして、採用されると【百鬼夜行】メンバーから直接、追加取材の連絡がくるという噂があり、それについては特に肯定も否定もされていなかったのだがどうやら事実らしい。

 私も流石にアイドル本人からダイレクトメッセージが来たことについては他のファンに自慢する気はない。

 自慢したい気持ちよりもそれで嫉妬されて、敵対視される恐怖の方が圧倒的に強い。

 鵺、木霊ファンはみんな仲が良くて、民度が高いとされているのに、私がその輪を乱すわけにはいかない。


 ――いや、表面上は仲がいいまま、ネットで叩かれるんだろうな。もっと怖いな。多分もう現場に行けない。


 自分の実話怪談が採用された時に自慢するのが限界だろう。

 それでも自慢をする時は極限まで嫌味を排した言い方/書き方を検討した上でやるしかない。


「ふう。緊張するな」


 イカがくるくる回っている。


 ――そうか地下アイドルのこと考えてるからか。


 その回転は緩やかなものだが、ちょっと静かにしてほしい。

 だが、こちらのその気持ちは伝わらない。


 ――ちょっと大人しくしとけ、このタコ! タコじゃなくてイカだけどさ!


 といっても、回り続ける。


「はぁ……見たいような見たくないような」


 ダイレクトメッセージを開く手が震える。


 ――いや、むしろ返事が遅いとか無視してると思われる方がマズい。ちんたらせずに早く見なきゃ。


 私は意を決して開くことにする。

 その前に一旦、鵺君のアカウントのプロフィールの「※このアカウントのDMは事務所が管理しています。」の文言と、「みんなの怪談王子」という寒いキャッチコピーを目に焼き付け、冷静さを取り戻す。


 ――みんなの怪談王子ってなんなん。王子は怪談なんかやらんわ。


 鵺君のことを好きになりすぎた時はこのダサいキャッチコピーを見て、心のバランスをとることにしているのだ。



 そして、ついにダイレクトメッセージを読み始める。


【こんばんは。鵺です。今日はライブ来てくれてありがと。大学のサークルでの話すごく興味深かった。もっと詳しく聞かせてほしいし、もし人に話してもいいのであれば怪談ライブのネタに使わせてほしいと思ってる。返事待ってます】


 私はしばらくこのメッセージを凝視した。

 想定の範囲内だ。むしろ想定の範囲内から一歩たりとも外には出ていない。


 ――まぁ、こんなとこでしょ。


 しかし、私一人に向けて文章を書いてくれたというだけで宝物だ。スクリーンショットを撮って画像フォルダに保存する。

 私は普段からそれなりに文章を書く人間だが、鵺君に送るメッセージに誤字脱字があってはならないのでしっかりと推敲した上で返信する。


【こんばんは。メッセージありがとう。今日もライブは素敵だったし、カッコよかったよ。サークルの話にも興味持ってくれて嬉しい。詳しく教えるのも、怪談ライブのネタに使ってもらうのも全然問題ないよ♡】


 ――と、まぁこんなもんか。


 敬語にするかどうかは非常に迷うところだった。

 鵺君のメッセージは口語と文語が混在していて、合わせるのが難しかったというのがある。

 また、ダイレクトメッセージというのがLINEやチャットのような会話の延長線のものとメールや手紙の中間のような曖昧さをもったものであるというのも私を悩ませた。

 しかし、ここは一年以上応援してきたファンであり、特典会でも気軽に同じ目線で話ができる関係なのだということを暗に匂わせていく方が得策であると判断し、このような文章となった。

 国文科であるからといって普段もなるべく使用を控えている絵文字を一切使わないだとか、諧謔味のあるレトリックを駆使するだとかの余計なことはしない。嫌味に思われたくないのだ。

 相手を待たせないために短時間で戦略を練って、文章を組み立てて送信するのだが、脳の疲労が凄まじいので、この上ない幸福であることは重々承知の上でできることならこのラリーは一刻も早く終わってほしい。

 メッセージを送信してから、喉の渇きに気づいた私はスマホの着信音とバイブレーションをオンにして握りしめたまま水をがぶ飲みする。

 今日はもう反応がないかもしれない。

 反応がないとしたらおそらく寝られない。

 ベッドに入ったとしても返信が来ているのではないかと気が気ではなく、一時間おきに目が覚めるだろう。

 とにかくシャワーを浴びた後だったことは僥倖だった。

 しかし、返信はすぐに送られてきた。


【返事ありがと。じゃあ、手間かけさせちゃって悪いのだけど、詳しい経緯をまとめて送って。あと、文化祭イベントに呼んでくれる話も期待していいか? 君の通ってる大学の文化祭には客として行こうと思ってたくらいだから、本当に呼んでくれるならとてもうれしいよ】

 私は「ありがと」の後に「う」がないことにほんのひと欠片のストレスを覚えながらも、計り知れない喜びがあった。


 ――よし。受験勉強頑張ってよかった。ありがとう、母校! ありがとう、イカ!


 これほど大学とイカに感謝したことはない。

 私の経験が大好きなアイドルの糧となるのだ。

【了解です。ちょっと長くなるけどそのうちまとめて送っておくね。学祭の企画はまだ企画書出す段階だからもうちょっと待って。なんとか実現できるようにがんばってみる。その時はグループアカウントの「お仕事はコチラ」のメールフォームから送るね】


 私は怒涛の勢いでフリック入力した後に五回読み直して送信ボタンを押した。


【文化祭イベント、実現したら直接会って打ち合わせしような。あ、他の子にはもちろん内緒だからな】


 ――いやいやいやいや、いくらなんでも出来すぎでしょ。このアカウントは事務所が管理しているのでは? もしかして、こうやってファンの子を食いまくっているのでは?


 私は全身が心臓と化したかのように、血液の流れと熱と鼓動を感じ、息苦しさでベッドに突っ伏した。


「苦しい。苦しい」


 かれこれ一年以上追いかけてきてこのような気持ちになったのは初めてだ。

 快適なワンルームが灼熱地獄のように感じ、私は這うようにして冷蔵庫の前まで進み、中にあるトマトジュースを鯨飲した。

 思わず手に取ったトマトジュースだが、完全に失敗だ。

 喉に絡みつく青臭さに気持ちが悪くなり、キッチンでマグカップに水道水をなみなみと注いで再び流し込む。

 喉の渇きは解消したが吐き気がする。

 しかし、吐いたり倒れたりしている時間はない。

 時間に猶予を持たせるために「そのうち」と表現したが、人によって解釈の幅のある表現ではある。

 鵺君ももう日付が変わらんとしている今日中だとは思うまいが、明日や明後日になっても送られてこなかったら、遅いと感じる可能性は十分にある。

 いくらなんでもそこまで間抜けではないと信じたいが、私自身が「そのうち、そのうち」と大学の課題ように後回しにして、忘れてしまう可能性だって皆無とは言い切れない。

 皆無だと言い切りたい気持ちは山々だが、そこまで自分を信用していなかった。


 私はローテーブルにノートパソコンを乗せ、座椅子に腰掛ける。

 部室ではじめてあの祭壇を見た日に遡り、見聞きしたり実際に体験した出来事を書き出していく。

 しかし、突如としてすさまじい不安に襲われる。


 ――こんなことが現実にあっていいのかな? このままだと私死んでしまうかもしれない。


 世界の運がプラマイゼロになるようになっているとしたら、私は死ぬしかない。

 少しだけでも不快感を自らに与えてバランスをとっておかなければというオカルトサークル的な思考に支配されてしまった。

 しかし、半分冗談のようなもので、別に自傷行為までしようとは思わないし、最終的にはもちろんプラマイプラスの良い気分ではいたいと思っている。

とにかく、私は鵺君に送る文章を書く前にちょうどいいストレスを探し始めていた。


 ――何かムカつくことなかったかなぁ。


 腕を組み、六畳のワンルームを行ったり来たりすること数分。

 一つ、丁度良く不愉快なものに思い当たった。

 そのもの自体も不愉快であれば、自己嫌悪にも陥ることができる代物だ。

 あれならば仄かな幸福感だけが残り、作業にも集中でき、健やかに眠ることができるだろう。


 私は早速パソコンの奥底に封印してあるデータを探し出す。


 ――あった。やっぱり削除してなかった。


 それは……苫野先輩が書いた小説である。

 きわめて退屈で読んでいてイライラするという今の私にとってはこれ以上ない。

 ただ原稿をもらった当時は先輩に淡い憧れを抱いていたし、期待していたからこその幻滅だったのかもしれない。

 今読んでみると意外と面白いと感じるのかもしれない。


 ――なんだか楽しみになってきたな。


 ホラー小説なのだが、ホラー・サスペンスの新人賞では一次選考にも引っかからず、純文学の新人賞に再応募したら一次選考を通過したというその前提だけ聞くと面白い不思議/不気味な作品なのだ。

 しかし、いざ読んでみると納得してしまう。

 独特の文体とストーリー構成でホラー小説としてはまるで成立しておらず、どういう精神状態の人間が書いたのかを考えると恐怖を覚え、実験小説だと言われると――そうなのかな?――と腑に落ちるのだ。

 また初っ端で怪奇現象が宇宙から来た異星生物がコミュニケーションをとろうとしているのだという種明かしを食らったあとに登場人物が怖がる滑稽な様子を延々と読まされるのかと読む前から辟易しつつあったが、今は自ら求めているのだ。

 私はファイルを開いて、小説を読み始める。

 と、共にはっきりとわかったことがある。


 ――イカが暴れてる?


 暴れているというと大げさだが、十本の脚を振り回している。

 こんな反応は初めてだ。

 私は思わず吹き出してしまった。


 ――イカもつまらない小説は嫌いなんだ。


 私の主観からすればイカは嫌がっているという解釈だが、大谷さんや苫野さんは喜んでいると解釈するかもしれない。

 ただ通常の反応でないということは確かだ。

 これはつまらない小説に反応しているのか、苫野先輩の文章に反応しているのかは現時点では断定できない。

 立ち上がって本棚の前に立つが、よく考えなくても自分の本棚には面白くない本など並べていない。


 ――とりあえず、今村ちゃんに送っておくか。


 私は鵺君から来たメッセージの件と、ついでに苫野先輩の作品を送っておいた。

 冒頭を読んだだけですっかり冷静さを取り戻していた私は再び身の回りに起こった出来事を書き起こし始めるのだった――。

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