夏休みどうする?

 そろそろ六月も下旬に差し掛かり、前期も終わりが見えてきた。

 気温の乱高下が激しく、上振れした日は汗が服の外まで抜け、脳が煮え立つような苦痛を感じた。

 夏服に着替えても私は黒づくめのままだから、それがよくないのかもしれない。

 でも、髪を染めたり、服のコーディネートを考えるのは面倒くさい。私は黒が好きなのだ。

 大学の近くに住んでいなかったらとても講義に出る気にはなれない。

 


 教育学の講義が終わり、私と今村ちゃんとまるちゃんは【百鬼夜行】のライブまでの時間を潰すために大学前の喫茶店に集まっていた。

 全員が一番安い紅茶を頼んだのだが、私だけはホットを頼んでいた。

 冷房で身体が冷え切っており、とてもアイスを飲む気にはなれなかった。

外に出れば一番暑がり、屋内に入れば一番寒がるのが私だ。


「今年の夏休みどうする? あんた実家帰る? 本当に天狗探しには行かないでしょ?」


 まるちゃんに問われて、私は逡巡する。


「親には帰ってこいって言われてるけどね。どうしよっかな。地元戻って、教習所通うとかありかなぁとは思ってるけど、うちの地元かなり田舎だから退屈なんだよね。今のところはっきり決めてはないよ」

「わかるー」

「大学の夏休みっていつからですか?」


 今年入学したばかりの今村ちゃんが素朴な疑問を投げかけてくる。


「講義の最終日とか試験の日程によるけど、七月の最終週から九月の二十日とかそのあたりかな」


 まるちゃんが流れるように言い、私は「そうそう」と相槌を打つが実際はまったく把握していない。

 内心では一年生と同じ気持ちで聞いていた。


「二ヶ月あるんですね」

「長いよ。わたし、去年はかなり無為な二ヶ月を過ごした」

「そうだね……私の去年の夏休みなんかぎゅっと凝縮したら二日分くらいしかないよ」

「あんた、それは相当だね」

「まるちゃんだって、別に何してたわけでもないでしょ?」

「そうだね。わたし達二人揃って四日分くらいの密度の二ヶ月だったね」


 私たちは二人揃って去年の夏休みを思い出そうと中空を仰ぐが、何も出てこない。

 暗闇の中にイカが浮いているだけだ。


 ――このイカ、死んでないよね。


 私は心の中で啄木の詩を詠む。


 ――生きてたわ。しかし、この生存確認方法なんなんだ。


「あんた、何笑ってんの?」


 イカ生存確認法への苦笑が顔に現れていたらしい。

 まるちゃんはイカを宿していないし、岩崎が他のメンバーに伝えたかどうか定かではないので私は誤魔化す。


「いや……去年の夏休みは酷かったなって。ほぼ化粧しなかったから、肌の調子はすこぶる良かったけどね。日焼け止めくらいしか減らなかった」

「それはある」

「でも、もっと遊びたかったし、勉強もすべきだった。それで今年は免許でも取るかって思ったけど、それも面倒くさい」

「じゃあ、わたしと一緒にどっか合宿で取りに行く?」

「まるちゃん、免許持ってないんだっけ?」

「持ってないよ。免許は別にいらんかなと思ってたけど、わたしもこのままだと去年の二の舞だし、免許は持ってて損するもんでもないからね。親も免許取るならそのお金はくれるって言ってるし」

「じゃあ、一緒に免許合宿行くかぁ」


 正直、免許取得に対してもだいぶ面倒くさいと思っていたが、友達と一緒であればある程度の強制力が働くのでやらざるをえない。


「あの……あたしも一緒に行っていいですか?」


 小柄な私よりもさらにもう一回り小さい青髪の後輩が手を挙げる。


「構わないけど、別に無理しなくていいんだよ」


 場の流れに合わせて本当は行きたくのに、先輩と一緒に二週間寝泊りするのは苦痛極まりないだろう。


「あ、全然大丈夫です。あたしも免許取りたいと思ってたんですけど、一人で行くの怖かったんで」

「じゃあ、三人で行くことにしようか」

「ありがとうございます!」


 まるちゃんと今村ちゃんは二人でも遊びに行ったりするくらい仲がいいらしいので、気の置けない三人になってよかった。

 合宿は関東近郊ではなく、関西のまるちゃんの実家か中国地方の私の実家に滞在して実家の近くの教習所にしようということで仮決めとなった。

 私かまるちゃんの実家に滞在すればそれぞれ実家に帰るという義務も同時に消化できる。

 仮に自分の実家でない方になったとしても、そこからであれば免許取得後に実家に帰るのも大した負担にならない。

 私はどちらでも構わない。


「夏休みの予定決まってよかったー。もうこれで心置きなく夏休みに突入できるよ。この一瞬で二日分くらいの有意義な時間だったね」


 私はすっかり何かを成し遂げたような心持となっていた。まだ教習所の予約もしていなければ実家への連絡をしていないにもかかわらず。



「その後の学祭どうする? なんか企画出す?」


 まるちゃんもすっかり気が抜けたように軽く違う話題を出す。


「文化祭って去年は何したんですか?」


 今村ちゃんの質問に私が答える。


「何も」

「何もって何も?」

「そうだよ。去年はうちのサークルとしては特にイベントとか出店とかやらなかった」

「なんでですか?」

「なんで? 何かやりたいっていう人がいなかったから。サークルの性質として、別に外に向けて大っぴらに何かするっていうサークルじゃないからね。芸能人呼びたいって人もあんまりいないし。むしろ学祭に参加する方がイレギュラーなんだよね。あと、うちは掛け持ちの人が多いからそっちで参加するって人多いしね」


 去年の文化祭で何をしていたか思い出そうとしたが、夏休みと同様に何も思い出せなかった。


 ――私の去年ってなんだったんだろ?


 私はタイムリープしたのかというくらい空虚な一年を送ってきたようだ。


「今村ちゃんは演劇サークルでしょ? そっちで何かやらないの?」


 まるちゃんが尋ねる。


「やるはやるんですけど、三年生が公演打つんですよ。一年で脚本と女優志望のあたしはやることないんですよね。一年でも制作とか照明とか大道具とかの子は混ぜてもらうんですけど」

「サークル全体で一個しか公演やらないの?」

「文化祭公演はそうです。普段は幾つかグループに分かれてるというか、何人かいる脚本家と演出家が公演やるっていう時に役者や制作が何人か立候補とかオーディションするんですよ。まぁ、この脚本家と役者はいつもセットみたいな実質固定メンバーのグループはありますけどね」

「へー」

「今村ちゃんはどういうのやりたいの?」

「あたしですか? あたしは怪談と演劇のミックスみたいなのがやりたいんですよ。劇場で舞台の演出使って怖い話やるみたいな」

「【百鬼夜行】の演劇版だ」

「あ、だいたいそういう感じです。だから、【百鬼夜行】好きってのもあるんですよね」

「なるほどねー。大学の公認サークルで会場に大教室使えるからやりたければやってもいいんじゃないの?」

「わたし達も手伝うし」


 まるちゃんが助け舟を出す。

 私は手伝うつもりはなく、今村ちゃんが勝手にやる分にはいいのではないかという意図での発言だったが、まるちゃんの発言の中に「達」と入っており、この場にいる「達」には私しかいない以上は参加は必須らしい。


 ――まぁ、普段よく遊んでくれるし、メン地下のライブも一緒に行ってくれるからイベントくらい手伝ってやるか。


「えー、でも一年生がサークルの看板背負ってイベントやるとか生意気だって思われるんじゃないですか?」

「そんな感じのサークルじゃないでしょ」


 私は間髪容れずに返す。


「そうだね。むしろ、ここで一年のくせに生意気だぞ! 俺がイベントやる! とか言えるような気概があればいいんだけどね。なんなら、便乗してくるくらいでしょ。特にイカ倶楽部の連中は飛びついてくるんじゃないの」


 まるちゃんが辛辣なことを言う。そして、私も今村ちゃんも【森烏賊の会】ですよ、などと訂正することなく、イカ倶楽部を受け入れる。


「ちょっと考えてみますけど、お客さん来ないだろうし」

「有名な怪談師とかホラー映画監督とかゲストで呼んでもいいかもよ。どうせ会費もあまりまくってるでしょ。ちょっとくらいなら出演料も出せるんじゃない?」


 私は自分で言いながら、歴代の会費がどこに消えているのかというのは大いに気になっていた。

 飲み会は完全に割り勘でイベントも行わない。

 歴代の会費のプールはかなりの額に上っていると思われた。

 そうこうしているうちにライブ会場に移動する時間になる。

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