私のこと好きなの?

 その後は有志が残って団体名やらなんやらを決めるということになったのだが、トイレの我慢が限界に近づいていた上にいよいよ会合に飽きてきた私は抜けさせてもらうことにした。

 今村ちゃんに「疲れちゃったから先帰るね」と一声かけて出る。

 彼女は残るらしく、名残惜しそうに首肯した。

 会合に乗り気なようにも見えなかったが、他の同期が残るので残らざるをえない同調圧力のようなものだろうか。

 抜けるのは私と岩崎の二人の幹部だけだったので、抜けにくいというのはあったのかもしれない。

他のメンバーの表情を見ても、誰が積極的に参加を楽しんでいるのか、誰が同調圧力で嫌々残るのか、もしくは中間くらいの感情で先行者利益のために残った方が得だと判断しているのかはわからなかった。

 後輩たちに食事代を奢る覚悟を決めていたのだが、その覚悟は無駄となった。

 だが、お金は浮いた。



「岩崎は残らなくてよかったの?」


 私は岩崎と並んで学生会館を後にする。


「俺? 俺は別にどっちでもよかったけど、抜けるのがお前一人だけだと気まずいかと思って気遣ったんだよ」

「いい奴だな」

「今さらだな。俺はずっといい奴だよ」

「私のこと好きなの?」

「そんなわけないだろ。彼女いるし」

「知ってるけどさ」


 岩崎は青白い幽霊のような男だが、こういった優しいところがあり、公認会計士を目指していると公言していることもあって寄ってくる女性は多いらしい。

 実際に、良くも悪くも人形のような風貌の恋人がいる。

 構内を二人で歩いているのを何度か見かけたことがある。

 その恋人は語学の授業で隣同士になったことから付き合うようになったということだが、オカルト趣味に関しては理解してもらえていないらしい。

 しかし岩崎曰く〝恋人とホラー映画を観たいとは思っていないし、そういったマニアックな趣味を共有する友達を作るためにオカルト研究会に入会しているのだから趣味の不一致は特に問題ではない〟らしい。



 岩崎を見ていると私は失敗したのかもしれないと思うことがある。

 私だって恋人がほしい。

 だが、私が彼と決定的に違うのは趣味を受け入れてほしいという欲望だ。

 彼氏とホラー映画を観たいし、怪談イベントに行きたい。

 それはサークルの友達と一緒に行くから問題ないと割り切ることができなかった。

 サークル内で彼氏を見つければいいのではないかとも思ったが、付き合いたいと思える相手は現状見当たらない。

 苫野先輩のことを前はちょっと良いなと思っていたこともあるが、先輩の書いた小説を読んで幻滅してしまった。

 小説家を目指していて、背が高くて、顔もまぁまぁで、なによりオカルトマニアという条件を満たしていても、あれだけつまらない小説を書いているというだけで耐えられなかった。

 無邪気に「先輩の書いた小説興味あります! 読ませてくださいよー」なんて言わなければ今でも好きでいられたかもしれない。

 先輩はきっと小説家にはなれない。

 ずっと箸にも棒にもかからなかったのなら四年で諦めて就職したかもしれない。だが、一度だけ一次選考を通過したことがあるから未練が断ち切れないでいるのだ。

 いや、私にも責任はあるのかもしれない。


 ――先輩の小説の感想を言わなければ……。


 私ははっきりつまらないと思った。

 つまらないと思ったにもかかわらず「私には難しかったですけど、先輩にしか書けない作品だと思います。才能あると思います。がんばってください! 最初のサインは私にくださいね!」なんて言ってしまったのだ。

 今でも後悔している。

 一緒に読んだまるちゃんは「苫野さんの小説ってオチないんですねー」と言った。本当は私もまったく同じ感想を持っていた。

 当時、まるちゃんは私が苫野先輩を好きなことを知っていたので、あえてそんなことを言って、相対的に私の好感度を上げようと辛辣な感想を言ったのだ。

 私はまるちゃんに礼と本心を伝えた。

 まるちゃんと完全に同じ感想であり、あの小説を書く男とは付き合えないと。

 彼女は大笑いした後に「やっぱりな。あんなの本気で面白いと思ってるなら、あんたヤバいなって思ってた」と抜かした。

 苫野先輩は絶妙にナイーブな性格なので周囲は気を遣う。

 彼は自作に客観的な評価を得られず、修正もできずに今に至る。



 駅前で夕食を食べるからと、私は自宅前を通り過ぎ、岩崎を駅まで送っていくことにした。


「お前、今回の企画に乗り気じゃないの? 最初はあんなに祭壇にもイカにも食いついてたのに」

「うーん、やることは良いと思うんだよね。オカルトサークルっぽいし。ただ、私って面倒くさがりだからさ」

「たしかにな」

「自分からやりたいって思わないとあんまり企画の中心にはいたくないんだよね」

「あー、それはなんとなくわかる」

「勝手に幹部にされてるしさー」

「俺たち三人だけが幹部だと一年がついてこないだろ。そこは我慢してくれよ。サークル以外でも一年と遊んだりしてて、一年人気がある奴入れておきたいって大谷さんが言うからさ」

「事前に言っといてよ」

「先に言ったら、面倒くさいから嫌だって言うだろ?」

「言うね」

「ほらな。だからこうなったんだよ。でも、悪かったな。本当に名前だけでいいから。俺もあんまり本格的にやらないし」

「在学中に合格したいんだもんね」

「合格したら、本気で取り組むのもいいと思ってるけどな」


 私は岩崎の発言を反芻した。

 その違和感の正体に気づくまでにやや時間を要した。

 鈍感なのか、鋭敏なのか微妙なところだが、気づけた自分を褒めたい。


「岩崎はさ、私と一緒でこの企画に乗り気じゃないと思ってたんだけど、今の口ぶりだと、資格試験の勉強があるから本気で取り組めないだけであって、本来なら本気でやりたいってことなの?」

「そうだな。まぁ、そういうことになる」

「意外ー」

「まぁ、いい機会だし同期のお前には言っとくか」


 私たちは大学から駅まで続く大通りを半分ほど進んできていた。

 日が沈みかけ、建物を朱く染め上げていく。


「聞くよ」私は言った。


 あまり冗談めかしたり、からかったりする気にはなれなかった。

 彼ときちんと話しをする理由がイカというだけで冗談みたいな要素は十分だ。


「知ってると思うけど、俺は別に自分がなりたいわけじゃなくて親父の事務所継ぐから会計士にならなきゃいけないんだよ」

「うん」


 知らなかった/覚えてなかったが、「知ってると思うけど」と前置きされて「知らんけど」とは言えない。

 ひとまず「当然知ってますけど?」のニュアンスを含ませた「うん」を返す。


「大学卒業したら事務所に入るからできれば在学中に合格しておきたい。だから、趣味はある程度後回しにせざるをえない状況にあるわけだ。サークルの飲み会とか合宿とかにもあんまり行けない」

「まぁ、そうなるよね」

「だけど、本当はもっとみんなと遊びたいし、実話怪談の蒐集のために全国回ったりもしたいって思ってた。大谷先輩と苫野先輩との旅行は本当に楽しかったし、そこでの神秘体験は一生の思い出だし、このイカへの思い入れは強いんだよ」

「あ、うん」


 岩崎のイカはどうやらだいぶ愛されているようだ。

存在すら頻繁に忘れる――どころか思い出すことが稀――くらいにネグレクトを受けている私のイカにちょっと申し訳ない気持ちになる。


「それで今回ようやく自分が企画の中心人物になれるわけだよ。だから、ちゃんとやりたいって気持ちはあるわけ」

「なるほどね。そんなに真剣にとらえてたとは思わなかった。じゃあ、私ちょっと感じ悪かったかな。ごめんね」

「いや。そんなことはない。先輩たちも言ってたけど、あくまで有志でやる活動だから気が向いたらちょっと絡むだけでもいいし、まったくやらなくていいと思ってる。もし誰かがお前のことをサボってるとか、やる気ないのに幹部に名前があるのはおかしいと言い出したらきちんと叱る」


 その時はすぐに企画から抜けさせてもらうだけなので一向に構わないのだが……。


「ありがとね」

「こういう繊細な企画で何かを強要するようなことがあったら本当にカルト宗教になっちゃうからな」

「そこはちゃんとしてるんだね」

「遊びだからこそみんなが楽しくできるようにしたいと思ってる」

「じゃあ、今やってる宗教名とか団体名決める話し合いも本当は参加したかったんじゃないの? なんか協調性ない私のために抜けさせちゃってごめんね」

「いや、全然問題ない。ちゃんと俺の案は先輩たちに預けてあるんだ。みんなで案出して投票で決める流れになるからな」

「しっかりしてるなぁ」


 岩崎は莞爾と微笑んだ。


「他のみんなの案がどんなので最終的にどんなのが選ばれるのか後で見るのを楽しみにするっていうのもいいもんだ」

「うん、なるほど。わかった。まぁ、私はそんなにちゃんとロールプレイやるかっていうとかなり微妙なところはあるけど、ちょっとは協力してもいいかなって気がしてきた」

「ありがとう。同期にそう言ってもらえると嬉しいよ。なんだかんだお前、後輩人気あるしな」

「まだ入学して二ヶ月で人気も何もないでしょうが。今村ちゃんくらいでしょ、懐いてるの」

「その今村がお前のことをすごく良い人だって一年に言うから、一年女子はお前と遊びたがってるらしいぞ」

「げー、ご飯奢りたくねー」

「でも地下アイドルのライブのチケット代は奢るんだろ?」

「最初の一回はチケット代もライブ後のご飯代も奢るね。それで同志が増える可能性があるし」

「その感じを宗教企画でも発揮してくれればいいんだけどな」

「それは難しいねぇ。怪談が巧いイケメンがいないからねー」


 私たちは二人して闊達に笑いあった。

 岩崎とこんな風に二人で笑いあったことなんて初めてかもしれない。

 いつの間にか私たちの歩みはどちらともなく遅くなっていった。

 もう少し駅に着くまでの時間を引き延ばしたいという気持ちは一致しているらしい。


「あと幾つか、伝えておかなきゃいけないことがある。ちょっと喫茶店とか入ろう。まだ時間あるだろ?」

「いいけど、何? やっぱり私のこと好きなの? ダメだからね。私には鵺君がいるんだから」

「知ってるよ。ちげーよ。いや、推してるアイドルが鵺君って名前なのは知らなかったけどよ」

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