宗教サークル会合

 せっかく化粧をしたので生協の書店に寄って漫画を買ったり、学食で珈琲を飲んだりしているうちに集合時間ギリギリになってしまった。

 学生会館の常に渋滞しているエレベーターに乗って十階まで上がる。


「お疲れ様でーす」


 いつも通りのトーンで部室へと足を踏み入れる。

 私は遅刻しそうになっても急がない/急げないという極めて悪質な特徴がある。

 自覚はしているのだが、遅刻ギリギリでも急いできたような芝居を打つことができないし、道中で走れば間に合うというような場面では、走るくらいなら遅刻でいいとむしろ歩みが遅くなる傾向すらあった。


「おう、お疲れ」


 どうやら私以外の今日出席できるメンバーは全員揃っているようだった。全部で私を含めて十三人。イカを自覚した人数は二十人だったので、出席率はそこそこ。

 二十人もいればいくらか法則性がありそうなものだが、学年、性別、出身地すべてバラバラだった。

 大谷先輩に手招きされて通されたのは、岩崎の隣だった。

一番奥の窓際には祭壇、その前には苫野先輩、そして左右に大谷先輩と岩崎が座っており、私だ。

おそらく、オカルト体験をした順番なのだろう。

 お誕生日席に座る苫野先輩は少し気まずそうだったが、背筋を伸ばして座っていると背も高いし、それなりに様にはなっている。


 ――眼鏡も指紋で汚れてないな。


 

「さて、皆さん。本日はお集りいただきありがとう」



 ――でも結局、大谷さんが喋るのね。


「とりあえず、オカルトサークルとして架空の宗教を作って遊んでみましょうっていうのがこの企画の主旨です。ごっこ遊びなので参加は強制じゃないですし、抜けてもらうのも自由です。気が向いた時に宗教っぽいことをやってみたり、色々実験をしてみたりして、面白ければ発展させてみてつまらなければすぐやめる。そのへんはフレキシブルにやっていきたいですね」

「そんなにリアルにやるつもりはないけど、どこまでっていうのはみんなで相談して決めていこう」


 大谷先輩がなにやら色々と話し、時々苫野先輩も一言二言口を挟む。

 パラパラと面白そうだとか、いいね、とか肯定的な声が聞こえてくる。



 しかし、私は既に今日の晩御飯のことを考え始めていた。

 おそらく、今村ちゃんに一緒にご飯に行こうと誘われて、一年で今村ちゃんとも私とも仲がいい二人がついてきて、四人で行くことになるだろう。

 誰か一人先輩も連れて行かないと、奢るのはやや厳しい。

 彼女たちは割り勘でも気にしないだろうが、こちらが気にするのだ。

 できれば一年生だけで行ってほしいところだが、誘われてしまったら行かないわけにはいかない。

 今日、暇であることも知られてしまっている。

 四人で行くことになったとしたら、学生会館前の安いファミレスにするしかないな。

 学食は意外と学生に優しくない金額設定なのだ。

 だが、ここでケチな先輩だと思われるデメリットの方が大きい。

もう四人分の食事代くらいは出す覚悟を決めた方がいいだろう。


 

「おい、ボンヤリするな」


 隣の岩崎が小声で注意してくる。


「ごめんごめん」


 私はスマホを取り出し、岩崎にダイレクトメッセージを送る。


【なんの話してんの?】

【最初から聞いてなかったのかよ】

【今日の晩御飯のこと考えてた】

【ホントにマイペースだな】

【だって、私すでにちょっとイカに飽き始めてるからね笑】

【常に意識の中にいるものなのに飽きられるのすごいな。鈍感力】

【で、なんの話?】

【宗教ロールプレイをやるから、その設定を有志で考えましょうって】


 岩崎のメッセージとぼんやり聞こえてくる声とを総合して状況を把握することに成功した。


 ――っていうか、私は鈍感なのか……。


 たしかにそうなのかもしれない。

 だが、可愛らしいわけでもなく、話しかけてくるわけでもないイカのような何かに対してそれほど強い興味を持ち続けられない。

 と私は思っているのだが、ここにいるみんなはそうでもないらしい。みんなが大谷先輩の演説に対して割と高揚しているのを感じる。

 たしかにちょっと宗教ごっこっていうのは面白そうな気配を感じないでもない。

 町を歩けば本物の宗教団体の勧誘はしょっちゅうだが、実際にはとてもじゃないがついていくことはできない。

 ただ、どんなことをやっているかは気になる。

 気にはなっても特に調べることもない。

 それを先輩たちが巧く御膳立てして、宗教っぽい舞台を作ってくれるなら、そのロールプレイに乗るのはやぶさかではないというサークル員はいるだろう。

 イカの神様みたいな神秘体験をした選ばれし者たちが集まってるっていうのも冗談みたいでちょうどいい。

大谷先輩と苫野先輩に心酔していそうなサークル員が若干名いるのは少し気がかりではあるがやってみること自体には特に否定するつもりはない。

新しい展開がなければ、時たまイカのことを意識するだけの日常だ。


 ――でも、私は別にいいかなぁ。



 話はどんどん推進していく。

 サークル内にはTRPGをやるメンバーがいたりして、ちょうど今回の企画に参加するメンバーと被っている。

 こういうリアルなごっこ遊びが好きな連中のようだ。

 大谷先輩がまずみんなで決める前の大枠の設定を説明し始めている。

「宗教名とか団体名とか教義はみんなで決めるんだけど、とりあえずこの俺たちの頭に浮かぶ脚の持ち主はイカっていうことにしておこう。暫定的にイカって呼んでたけど、本当にイカかどうかはわかってなかったからな」

「僕は最初に咄嗟にタコとか言っちゃったしね」

 苫野先輩が言うと部室内が温かな笑いに包まれ、私が鼻で笑ったのが掻き消されて助かった。


 ――タコなわけないじゃん。


 観察力――実際に目で見ているわけではないが――がポンコツであることをちょっとしたユーモアに変えていることは素直に評価したい。

 自分でうまく言い方や持って行き方を調整したのか、大谷先輩か誰かがアドバイスしたのか。

 サークル員と私の間の苫野評は同じくらいだと勝手に思い込んでいたが、横目に見る限りどうやら違うらしい。

 私が不当に苫野先輩を低く評価しているのかもしれないと不安になってくる。

 背も高いし、涼しげな顔をしている。見た目はそう悪くないのだ。

 見た目も性格も全く悪い人ではないのだが、話は要領を得ないし、書いている小説はつまらない。

 私はその二つの要素だけでとてつもなくカッコ悪いと思ってしまったのだが、やはり小説家を目指してわざと留年しているというのは人によっては――特にこんなサークルに入るような人間には――そう悪いことではないのだろう。


 ――今度、みんなに苫野さんってどう思う? とか訊いてみようかな。

 と思ったが、やはりやめておくことにした。


 そんなことを訊けば、私が苫野先輩に気があると後輩たちに勘違いされてしまうかもしれない。

 私が好きなのは鵺君だけなのだ。

 サークル員にもそこは正しく認識しておいてほしい。



 大谷先輩の話は私がぼんやりしている間にも続いている。

 聖地は先輩たちが最初に神秘体験をしたあの山にするのだそうだ。


 ――まぁ、それはそうでしょ。


「なんで山なのに水棲生物なのかという疑問はあると思う。実は色々と調べてみたんだが、あそこはもともと海だったらしい。山中からクジラの化石が発掘されたという記事を見つけたよ」


 周りから感嘆の声が漏れる。

 こんなことくらいでイカに運命を感じられても困る。


 ――それならいっそクジラとかイルカがよかったよ。イカ人間だもんなー。それにしてもみんなピュア過ぎじゃない?


 別にあそこじゃなくてもクジラの化石が発掘された山くらい幾らでもあるだろう。

 正直、既に宗教じみた空気感に居心地の悪さを感じ始めていた。


「いつかあの土地を買って、正式に聖地として施設建てたりするのを目標にしてみようか。空飛ぶスパゲッティ・モンスター教みたいに流行ったらいいなぁなんて壮大な夢を持ってもいいかもしれないね」


 苫野先輩のその発言は明らかに冗談めいたものだったが、扉に近い位置から「いいですね」「是非買いましょうよ」「ウィキペディアに載せたい」などとちょっと本気にしたような声が聞こえて、私はまたも失笑を禁じえなかった。

 今回は完全に噴き出してしまったので、自然に咳払いをして誤魔化し、顔に波立った表情を鎮める。



「また教祖や幹部も一応最初に設定しておくけど、別に教祖だから崇めなきゃいけないとか言うことを聞くとかそういうことではないから安心してほしい」


 わざわざそんなこと言われなくても、ごっこ遊びの宗教の教祖に何か言われたとして聞くことなんてありえないだろう。

 大谷先輩が続ける。


「教祖は一番最初にこの神秘体験をして、俺たちみんなにこの体験を齎してくれた苫野さんにお願いします」

「もう六年生なのにサークルに居座ってる長老が企画のトップをやらせてもらうのはみんなには申し訳ないんだけど、とりあえずお爺ちゃんが座ってるだけだと思って気にしなくていいからね」

「いやいや、普段から頼らせてもらってますから。俺たちが面識のないOBと繋いでくれるの本当に助かってますし。操山出版の山城さんみたいな編集者とか映画業界とかマスコミ行った先輩のところに俺たちみたいな弱小サークルの人間がOB訪問行ったり、コネバイトやらせてもらえるのも苫野さんのおかげですからね」


 ――それはちょっとわざとらしいんじゃないの?


 だが、苫野先輩に媚びることに実利があると知った一年二年は大いに盛り上がる。


「で、幹部なんだが……」


 私の名前が呼ばれた。

 どうやら最初に現地で神秘体験をしてイカを宿した三人に加え私と私の後にイカを宿した二人までが幹部という扱いになるらしい。


「とはいえ、これもロールプレイの一環として幹部っていう設定をつけただけだから。普段通りの先輩後輩同期の関係性で接するように」


「はーい」の声が重なる。


 幹部から一言ずつ挨拶をさせられることになり、面倒だったので無難に「オカルト研究会らしく楽しく遊びましょう」みたいなことを言ってお茶を濁した。

 私とあと二人が選ばれたのは最初の三人だけを幹部とすると女性が一人もいないということになるので、女性を入れたかったのだろう。


「教祖や幹部の設定もみんなで今後どうするか相談して……たとえば、何かしらの功績に応じて幹部になれるとか入れ替えがあるとか、新しい役職をつけるっていうことをやってもいいかもしれないな」


 私は別に幹部になりたいなどとは思わないので、すぐに入れ替えてもらっても問題ないが、あまり乗り気でないような振る舞いで場を白けさせるのも本意ではない。

 曖昧な笑みと会釈で空気に溶け込んでいく。

 私の中のイカは特に反応を示すこともなく、じっとしていた。

 イカは自分が崇められることも宗教ができることも興味がないのかもしれない。

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