宗教ごっこ
大谷先輩、苫野先輩、岩崎が経験し、私にも宿ったイカの話は幽霊サークル員も含めて周知されていた。
正直、私自身はこの現象についてはかなり肯定的な立場ではあったものの、他の先輩や後輩に痛い奴だとか先輩に媚びて、イカが宿ったフリをしていると思われるのは心外だったので、大谷先輩がサークル員たちに説明をする時に私のことを話すのはあまり良い気持ちはしていなかった。
ところが私が今村ちゃんやまるちゃんとメン地下のライブに行ったりで、あんまりサークルの方に顔を出していなかったこともあって、他のサークル員のリアクションを知らなかったのだが……相当に好意的なものであったらしい。
そして、サークルの企画の一つとして、なんちゃって宗教ごっこを立ち上げるところまで話が進んでいた。
普段のサークル活動としては、怪談イベントに参加したり、オカルトスポットに出かけたり、実話怪談と創作怪談をいっしょくたにした同人誌を作ってみたり、怪談をyoutubeにアップしてみたりというのが主だったものだが、それに宗教ごっこが追加されるというわけだ。
オカルトサークルの柔軟さを甘く見ていた。
大谷先輩の話し方がよかったのかもしれない。
今村ちゃんに聞いたところ、大筋は私が聞いた話と同じなのだが、体験したオカルト現象は何か頭の上を鳥が通過した影を濡れたと錯覚したのであり、心の底からそういう神や妖怪がいると信じているわけではないという前置きと、私が部室で同じような体験をしたことも集団催眠のようなものだと考えているということを話し、変なカルトにハマってるとかそういう胡散臭い感じがしないように気を遣っているらしい。
またその話を聞いて、祭壇に手を合わせて、同じような錯覚を覚えるサークル員が続出したことで否応なく受け入れざるをえなかったというのもある。
ちなみに現在の祭壇は当初の面影はまったく残っていない。
大谷先輩が仏具店で買ってきたミニモダン仏壇――縦横それぞれ五〇センチ程度――なるものに変わったのだが、もちろん仏像は不在で旅行後に苫野先輩がスーパーで買って食したというホンビノス貝の貝殻がそのまま飾ってある。
――せめて原産国が日本の貝にせえよ……。あと仏教は関係なくない?
そんな冗談のような状況が続いているのだが、サークル員たちも本気でオカルト現象だと思っているというより、どういう仕組みなのかが気になっているようだった。そしてなにより面白がっていた。
とにかく、私が先輩に媚びて、嘘を吐いていると思われていないということがわかっただけで十分だった。
ちなみに今村ちゃんも頭にイカがいるらしいが、ふと気を抜くとすぐに存在を忘れてしまうそうだ。
まるちゃんも同調圧力に負けて、祭壇に祈ったが残念ながら何も起こらなかったと言っていた。
どういう条件なのかはわからない。
だが、一つだけ心当たりがある。
「心が美しいものしか見えないんじゃない?」
「だとしたら、今村ちゃんが見えたのはともかく、あんたが見えてるのはおかしいでしょうが。あんたと私はその条件だとセットだろ」
まるちゃんに言ったらそう返ってきた。
――たしかに。
組み合わせが謎過ぎる。
イカも適当に選んでるのかもしれない。
催眠状態だとしていつか解けるだろうと思っていたが、私の頭の中のイカはいつまで経ってもいなくならない。
たまに身体を回転させたり、墨を吐いたりする。
だけど、それが気になって仕方ないということもないし、愛おしくなることもない。
今日はちょっと元気な気がするなとか、思い込みレベルでそんな風に感じることはあるが、だからどうということもない。
基本的にはただいるだけだ。
最近、よく遊ぶ今村ちゃんも「そういうものだと思ってます。むしろ前髪が目にかかった時の方が鬱陶しいくらいですね」としか言っていなかったし、私たちは先輩たちのようには盛り上がってもいなかった。
話を聞いたときはかなりときめいたものだが、一回経験してしまうとこんなものかといった具合だ。
今はイカよりも幽霊や妖怪が見たい。
*
私は大学から徒歩五分のワンルームマンションに住んでいる。
こんなに大学から近いのだから、友達や男が入り浸ることになるだろうと上京してきた時は期待と不安が半々だったのだが、二年生の初夏になってもいまだに男がここに足を踏み入れたことはない。
田舎の親が心配して、オートロックで三階南西向きの角部屋を借りてくれたのだが、快適すぎて卒業後に仕送りが止まって、安アパートにしか住めないとなったらギャップで死んでしまうのではないかと不安に思っている。
――卒業してからもこの家賃九万円のマンションに住み続けられたらいいなぁ。私もなんか資格試験の勉強でもしようかなぁ。面倒くさいなぁ。今日も一歩も家から出たくないなぁ。
六月も半ばになり、気候はもう夏だ。クーラーを点けた部屋から出られない。
今日はもともと二限にフランス語Ⅱの講義があったのだが、講師が風邪で休講になり、大学に行く必要がなくなったのだ。
故に化粧もせずに午後までダラダラしていた。
講義があれば気合を入れて化粧をして、そのまま帰るのは勿体ないので部室に顔を出したりライブに行ったりするのだが、最初のきっかけが断たれるとそこを飛ばして、その次に行くことはできない。
すっぴんで行ける範囲は徒歩三十秒のローソンがギリギリだ。
しかも、うっかり大学の近くに住んでしまったが故にそれでもマスクは必須だ。知り合いに出会ってしまう可能性がある。
普段からそこまで化粧を頑張っているわけではないので、さほどの変化があるとは思わないが、逆にちょっとだけ落差があるのがよくない。
仮面くらいの化粧をしているのであれば、逆にすっぴんでも誰だかバレないだろう。いっそ私も自分を偽るくらいの化粧をしてもいいかもしれない。
イカが墨を吐き出す。
イカもなにかしらの意思を示してくれればいいのに。化粧するやせんやで墨を吐かれてもわからん。
――頑張って! 講義がなくてもお化粧して推しに会いに行こう! とか言ってくれれば、起き上がれるかもしれないけど……。
イカはなにも言わない。
ただそこにいるだけだ。
――つまんない奴。
みんなはこいつに名前とかつけているのだろうか。
私の中に一つの疑問が浮かぶ。
全員の頭の中のイカはそれぞれ別個体だと思っていたけど、一匹のイカの幻想を全員で見ているのだろうか。
どっちにしろ、それを確認することはできない。
――こいつら顔とかないし、個体差確認することもできないもんなぁ。いや……できる。できるわ。墨吹いた瞬間に他の人のイカが同時に墨吹いたか聞いて吹いてなかったら別個体なのはわかるよね。ただ、全員同時に墨が出てた時は同一とも別々かは断定できないか。全部のイカが同時に墨出す可能性は否定できないし。
ベッドに仰向けになり、スマホでアイドル育成ゲームに勤しむこと一時間。
LINEのグループに連絡がきて、ゲーム画面の一部を通知が覆う。
それは勝手に作られた〝イカを宿した者たち〟のグループだった。
とりあえず、頭の中にイカがいる人間は一旦企画の仮メンバーになるということと、今日最初の企画会議をやりたいから都合がつく人間は集まってほしいとのことだった。
――うーん、どうしようかな。
と悩んでいると個別に着信がくる。
今村ちゃんからだった。
【今日の会合、出ます?】
【今日、授業なくなったから家から一歩も出るつもりなかったんだよね】
【ライブもお休みですか?】
【金欠だし】
【あたしもちょっと前回のライブで積んじゃって今日はライブは厳しいんで、サークルの方行こうと思ってたんですけど、先輩来ないのかぁ】
――要するに私に来てほしいってことか。
【うーん、じゃあ行こうかな】
【本当ですか! じゃあ、先輩来てくれるならあたしも行きます!】
――あーあ、余計なことを書いてしまった。
でも、後輩に行くと言ってしまった以上後には引けない。
私は鈍重に感じる身体に鞭打って、化粧をすることにした。
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