メン地下ってなんですか?

 オカルト体験をしたあの日から、とりあえず頭の中にイカを飼ったままの生活を送っている。

 が、特にこれといって良いことも悪いこともない。

 大学二年になって勝手知ったるキャンパスを闊歩し、学部の友達やサークルの友達とご飯に行ったり、買い物に行ったりしつつ、根が文化系なのでテニスサークルやオールラウンドサークルに対してささやかな敵視をする毎日である。


 ――あぁ、私はイカ人間になってしまったんだ。もう元の私には戻れないんだ。


 なんてことを思ってみたけど、そもそも何の変化もないのだから、元の私なるものに戻りようもない。



 五月も下旬。私が全学部共通の映画の講義を受けていると隣にサークルの後輩が座ってきた。


「お疲れ様です!」

「あぁ、お疲れさま。今村ちゃんもこの講義取ってたんだ」


 今村春子ちゃんは演劇サークルとオカルト研究会を掛け持ちしている国際ナントカ学部の一年生だ。

 国際政治学部だか、国際経済学部だかそんな感じだったと思う。

 小動物的な可愛らしさがあってモテそうなのだが、髪が青色でややエキセントリックなところがあるため、男性陣は様子見しているらしい。


「大教室だから同じ講義なの気づかなかったよ。今村ちゃん、青いからすぐわかりそうなのにね。あぁ、私が前の方に座ってるからか」

「あたし、ギリギリまでバイトしてるんで、いつも遅刻なんですよ。それで後ろの方に座るからですね」

「今日は早いんだね」

「バイトやめちゃったんで」

「バイトやめるのも早いんだね。四月に入学してから始めたんでしょ?」

「高三の春休みからです。髪染めてから、変なお客さんに絡まれるようになっちゃって。ついに先週お客さんとトラブルになってしまってですね。店長に相談してやめさせてもらったんですよ。親も心配してるし」

「あー、そうなんだ」


 どういったトラブルなのか気にならないでもないが、可愛い女の子が巻き込まれるトラブルなんて一種類だ。


 ――私もかつて……ないな。


 思い出そうと思ったけど、ない。

 ナンパされたこともない。

 ナンパかな? と思ったら風俗のスカウトだった。


 ――せめてキャバクラであれよ。芸能事務所とかモデル事務所とまでは言わんから。


「しばらくはちゃんと講義受けて、サークル活動頑張ろうと思いまして。実家暮らしでお金に困ってるっていうわけでもないですし。先輩はバイトとかしてるんですか?」

「私? あんまりしてないよ。私は上京組で一人暮らしだけど、親の仕送りに甘えちゃってる。メン地下にハマってるから、お金が必要な時は短期バイトちょろっとする感じかなぁ」

「メンチカ?」

「メンズ地下アイドル」


 そうか。一般的にメン地下と言っても伝わらないのか。一つ学んだ。


「先輩、アイドルが好きなんですか?」

「うん、最近は【百鬼夜行】っていうライブが歌とダンスと怪談で構成されてる変なグループ推してる」

「ちょっと調べていいですか?」


 今村ちゃんがスマホで【百鬼夜行 アイドル】で検索するのを横目に眺める。


「へー、みんなけっこうカッコいいですね。地下っていうからどのくらいのレベルなのかなってちょっと疑ってたんですけど、これはハマるのも納得です。しかも、怪談までやるなんて最高じゃないですか。先輩の推しはどの人ですか?」

「鵺って人」


 私はひとまず肯定的な意見が出てきて安堵した。

 先輩に対して悪く言うようなことはないだろうとは思っていたが、露骨なお世辞でも多少は傷つくのだ。


「先輩、こういう王子様みたいな感じの人が好きなんですか?」

「王子様っぽさっていうか怪談が巧いから。そこがいいなって思った」

「怪談ってオマケじゃないんですか?」

「むしろ、鵺君は歌とダンスをもっと頑張ってほしい」


 今村ちゃんは声をあげて笑った。


「でも、イケメンが怪談もやってくれるってすごくいいの見つけましたね」

「そうなの。いいでしょ」

「すごい興味出てきました。この木霊さんって人はどんな感じですか?」


 スマホを私に見せながら訊ねてくる。

 わざわざ見せてくれなくても知っているのだが、一応は覗き込んでから口を開く。


「木霊君も怪談巧いよ。歌とダンスも結構イケてる。人気はぼちぼち」

「そうなんですね。この人がいいなぁ、あたし」


 木霊は黒髪眼鏡のインテリ系だ。今村ちゃんはこういうのが好みらしい。

 出会って一ヶ月程度だし男の好みの話などはしたことなかったので新鮮だ。


「あたし、地下アイドルのライブって行ったことないんですけど、どんな感じですか?」

「ライブと怪談見て、その後特典会で一緒にチェキ撮って握手してもらって、ちょっとだけおしゃべりするよ。お金に余裕があればチェキ券何枚も買って長い時間しゃべったりするけど」

「アイドルとしゃべれるんですか?」

「しゃべるし、ファンの名前と顔覚えてくれるし、ツイッターでライブの感想書いたら『いいね』くれるし、たまにリプもくれる」

「そんな世界があったとは……今度連れてってください!」

「いいよ。いつがいい? ものすごい頻度でライブやってるからいつでもいいよ」

「そんなにやってるんですか?」

「去年の八月なんか、週四とかやってたよ。歌も怪談もレパートリー少なかったから、短期間で同じ構成のライブ何回も見せられた」

「そんなにやってるんですね。今週の金土日のどこかってどうですか?」

「じゃあ、土曜にまるちゃんと行くつもりだったから今村ちゃんの分のチケット取っておくね。今回は私が奢ったげる」

「ありがとうございます! まるちゃん先輩も好きなんですね」

「そんなに熱狂的って感じじゃないけど、結構気に入ってるらしくて誘ったら来てくれるよ」

「オカルト好き女子にはたまらないですよー。しっかり予習しときますね」


 私の頭の中のイカがぐるりと回転している。

 少し心地良いような気がしたが、おそらくイカの行動に意味なんてない。

 私が自分の趣味を後輩に受け入れてもらえてちょっと嬉しかっただけだ。

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