イカがただそこにいる
「で、俺の話の感想は?」
大谷先輩が特にオカルト体験について一切触れない私におそるおそる質問してくる。
スベったのではないかと不安にさせてしまったのかもしれない。
「え? ……うーん……そうですねぇ。イカのイメージを共有したっていうねぇ……めっちゃ良いじゃないですか! めっちゃ羨ましい! 私も体験したい!」
私は少しだけ溜めた後に本心を爆発させた。
心の底から羨ましい。
私もイカの幽霊に水だか墨だかをかけられたい。
「え、そんなに?」
大谷先輩がちょっと気圧されたような感じで身体を仰け反らせる。
私は別に身を乗り出したわけでもないのだが。
「ノッたらノッたで引かないでくださいよ。私はオカルト全肯定少女ですよ」
「少女ではないだろ」
「じゃあ、淑女ですよ」
「淑女でもないだろ」
「じゃあ、なんなんですか?」
「女性?」
「語呂が悪いなぁ。じゃあ、オカルト全肯定女子大生にしときます」
「それなら良しとする」
釈然としないところもあるが幹事長が少女でも淑女でもないというのならそうなのかもしれない。
あとでウィキペディアで少女と淑女の正しい定義については調べておくとしよう。
「とりあえず、本題に入るまでが長くて、本題の方があっさりしてたような気はしますが、このセンス悪い祭壇みたいなのが神秘体験でテンション上がって作っちゃったっていうのはわかりましたよ」
「ちょくちょく引っかかるがお前の言う通りだよ」
「しかし、羨ましいですねぇ」
私は再度独り言ちる。
「いいかなぁ? イカだよ? イカの神が降りてきて墨だけ吐きかけて去っていくとか最悪じゃない? しかも、海ならわかるけどなんで山なのよ」
まるちゃんは否定的なスタンスらしい。
「いいよ。イカだよ? いや、別にイカが好きとかではないけど、ちょっとクトゥルフっぽいじゃん。イカだかタコだかって」
「わたしは天狗とかだったらよかったなぁ」
「天狗とかいいね。それはそれでいい」
「あんた、本当に節操ないね」
「オカルト全肯定女子大生だからね」
「それ気に入ってるね。オカルト全肯定ナントカっていうやつ」
「ちょっと気に入っちゃってるね。すぐ飽きると思うけど」
オカルト全肯定といっても、それは「信じる」ということとは違う。
神様がいるとか幽霊がいるとかそういうことを信じているわけではなくて、あくまで「否定しない」ということである。
誰かにわかってもらう必要はないのだが、自分の中だけではそこの線引きはしておいた方がいいと思っている。
今回の先輩たちの体験についても本当にそういうことがあった――と彼らは認識している――とは思っているが、現実に起こったことがどこからどこまでなのか――もしくは一切が妄想なのか――は判断がつかない。
だが、本当だったらいいなの精神でやっていきたい。
「先輩たちはイカ人間になってしまったんですねぇ」
まるちゃんがしみじみと言う。
イカ人間というとB級ホラー映画のタイトルか、特撮モノの怪人のようだ。
「イカのようなイメージを共有したけど、イカ人間にはなってないよ」
苫野先輩が苦笑いでそう返した。
そして、大谷先輩が続ける。
「先輩の言うとおりで、せっかくの体験なんだけどなんかイカのイメージがあるなぁくらいでこれといって他には何もないんだよ。だから、ちょっとこんな祭壇作ってみたりとか、あとは追加取材じゃないけど、あのあたりの伝承とかもうちょっと調べてみようと思ってるんだ」
「面白そうですね。いいなぁ。ところでそのイカってどんな姿なんですか? っていうか、イカなんですかね? 苫野先輩はタコかと思ったとか言うじゃないですか」
「いやー、イカだとは思うんだけど、姿が見えるっていうわけじゃないんだ。そんな感じというか……自分の語彙力のなさが情けないな。せっかく後輩がこんなに興味持ってくれてるのに、巧く説明できそうにない。すまん」
真面目な人なのだ。
長話も後輩を楽しませるためにある程度練ってきたのだろう。人を退屈させまいという生真面目さが根っこにあるので、巧く説明できない時に罪悪感を感じてしまうのかもしれない。
こういうところがふざけたことを言ってもサークル員に支持される所以だと思う。
「そうですかぁ。私もイカ人間になりたいなー」
「ちょっと祭壇にお祈りでもしてみろよ」
「このダサい祭壇にですか?」
「全肯定じゃないのかよ」
「先輩たちのセンスに対しては全否定女子大生ですよ。まぁ、いいや。作法も何もないし、適当に手合わせてお願いしてみますか」
私は席を立ち、どこで入手してきたのかわからない貝殻の祭壇の前に立つ。
せめてイカのフィギュアとか木彫りの像とか置いといてくれれば対象が見えて、やりやすいのだが、ないものは仕方ない。
だが、偶像みたいなものを作ったり似たものを置こうにも大谷先輩と苫野先輩と岩崎のイカ像が曖昧で一致していないから置くことができないというのは想像がついた。
「えーっと、私もイカ的神秘体験がしたいです。よろしくお願いしますっ」
手を合わせて祈る。
びしゃり。
頭に水がかかるような感触があった。
墨のような幻臭もあったかもしれない。
私は思わず、身体をビクリと震わせたが、声を上げることもなく、そのまま元の席に戻る。
もともとホラー好きで耐性もあったし、私もきっとイカが見えると信じていたのでその覚悟がある程度驚きを相殺したのだろう。
私の身体が跳ねたことに対しては特にその場の誰も何も言わなかった。
咳かしゃっくりでもしたのではないかと思ったのかもしれない。
「なんてね……まぁ、意味のない時間でしたね」
「そうだね。アホなのかなって思った。あの祭壇に祈る姿、かなり間抜けだったよ」
「まるちゃんも後でやって。動画録るから」
「嫌だよ」
まるちゃんは誰にでもこんなことを言うから私と二人合わせて全然モテない。
そして、意外にも意味のない時間ではなかった。
しかし、私はあんなゴミをくっつけたような祭壇に祈って「わー、私も神秘体験しちゃいましたー」とか一オクターブ高い声ではしゃげるような人間ではないのだ。
「大谷さん、さっきどんな感じか説明しにくいって言ったじゃないですか?」
「あぁ」
「私がこんな感じかな?っていうの言ってみるんで、近いかどうか判断してもらっていいですか?」
「おう」
「先輩は頭が濡れたって思ったんですよね?」
「そうだな。びちゃって感じで」
「で、墨かな? って思ったのって、墨のような匂いがしたんじゃないですか?」
「そうかも。あぁ、言われてみたらそうだった気がしてきた。ですよね、苫野さん」
「うん。そうだったかも」
「想像というかイメージの話なんですけど、その濡れたような感覚と一瞬の墨の香りがした後に自分の頭の中が変わっていく感覚というか、自分の頭蓋骨が水槽になって脳が所謂イカとかタコみたいな頭足類に変わっちゃったみたいな感じなんだけど、別にそれがリアルな感覚じゃなくてあくまでそんな感じでしかないっていうのと、はっきり姿がイメージできなくて真っ黒な水とか墨の中にいるから。一瞬だけイカかタコか迷うこともあるとかそんなんじゃないですか」
と言いつつ、とりあえずタコではない。タコかと思ったとかいう苫野先輩に対してはちょっとセンスないなって思う。
そして私は続ける。
「墨みたいなのを吐いてる感じがちょっと何かを語り掛けてるような気がするっていうのもあるかもしれないです。ひょっとしたらSF小説の『あなたの人生の物語』みたいにそれが文字とか言語になってるかもしれないですけど、そんなの大学生に解読できるわけないし、そもそも〝そんな感じ〟でしかないし、はっきり形状が目に見えるわけじゃないから、意思の疎通とかは無理っぽいとか……」
「なぁ」
大谷先輩がぎくりと空唾を飲み込んでから続ける。
「お前……頭にイカがいるだろ?」
「たぶん」
私は正直に答える。
私もたいがい勿体ぶった人間だなと思った。
「別に東北まで行かなくてもオカルト体験できるものですね」
「いっそう謎が深まったね」苫野先輩が言う。
「いや、要するに『こっくりさん』みたいな集団催眠の一種なんだと思いますよ。最初の先輩たちの体験のきっかけはわからないですけど、サークルの性質とかかかりやすい何かがあるんでしょうね」
そのあたりは意外と冷静な分析をきちんと伝えておく。
「しかし、自分の頭蓋骨が水槽になって、その中に満たされた黒い水の中にイカがいるっていう説明、すごくしっくりきた」
「そうとしか言いようがない感じですけど。まぁ、感覚的にイカが一番近いなっていうのはなんとなくわかりますね」
「流石は国文科だな。言語化するのが巧い」
「近世文学専攻なんで関係ないですよ」
私も大谷さんもこういう喩えとか説明は文学部で小説家志望の人間がやってくれよという気持ちが暗に出てしまっている。
苫野先輩を傷つけてしまったかもしれないと思いきやそんなことはなく、一心不乱に何かメモをとっていた。
「でも、これはオカルト好きとしてはなかなか良い体験でしたね。このイカの感覚ってずっと続いてます?」
先輩二人に尋ねる。
「あぁ、今のところずっと続いてるな」
メモを取っている苫野先輩は曖昧に頷き、大谷先輩が代表して答えてくれる。
「そうですか。まぁ別に一生このままでも特に困るような感じでもないですけど」
「意識すればいるのがわかるけど、別に意識しなきゃ気にならないし、ただいるだけだからなぁ。いてもいなくても一緒としか言いようがないな」
「なんか未来予知してくれるとか、ありがたい神託くれるとかじゃなくて、ただ存在感薄いイカがいるだけですしね」
「昔、ウィンドウズにいたイルカよりも鬱陶しくないな」
「なんですか、それ?」
大谷先輩の喩えはよくわからなかった。
「いやいい。俺もリアルタイムでこのネタの経験はしてない。知ったかぶって言ってみただけだから」
「はぁ」
「ともかく、頭の中にイカを飼ったまま生活するんですね。まぁ、餌とかあげるわけでもないし別にいいか。というわけで、まるちゃんもやってみなよ」
「嫌だよ」
まるちゃんは心底嫌そうに言う。
「イカだよ?」
「いや、あんたたちの話聞いて、わたしもやりたい! とはならないから。頭にイカのイメージがついてまわるとか結構気持ち悪いからね。しかも、今の雰囲気だとその集団催眠にかかっちゃいそうな気がするから、よりいっそう嫌だ」
「そっかぁ。残念。気が向いたらやってみてよ」
「向かないから。天狗連れてきたらやるよ」
「じゃあ、夏休みに一緒に天狗探しに山行くか」
「いいけど、女子大生が二人して夏休みに天狗探しとか絶対モテないね」
「たしかに」
そう言って私たちは笑いあった。
たしかに何の役にも立たない「イカがいるような気がする」体験にはしゃぐというのは客観的に見ればなかなかの気持ち悪さがある。
その後、部室に人が集まりだし、八人掛けテーブルだけでなく、壁際のパイプ椅子までもいっぱいになったので謎が解けた私とまるちゃん、苫野先輩は一足先に撤収することにした。
大谷先輩は幹事長なので新入生がサークル活動に定着するように接待をしなくてはならないので部室に残していく。
私たち三人は晩御飯を食べて解散しようということで学食に移動した。
イカが好きそうなものを食べてあげようと思ったが、そもそもイカが何を食べているのか知らないので、カツカレーにした。
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