イカかタコか

 雫になってこぼれ落ちるのではないかと思うような濃い緑に囲まれながら、俺たちは歩き出した。

 人間が住んでいたというだけあって、舗装はされていないものの、ギリギリ人間の生活が想像できる程度の道であり、やはり登山グッズは必要なさそうだった。

 たかだか十五分ほど歩いただけで現場には到着してしまう。

 幾ら一般社会から隔絶したところで集団生活を送っていたといっても完全に自給自足でやっていたわけではなく、町に下りて買い出しをすることもあっただろうから道はあって当然だ。

 ただ、ゆるやかな他者の拒絶を感じた。



 結論から言うと、その集落の廃墟は燃えて真っ黒になった大きめの一軒家が二つだけで集落と呼んでいいものかなんとも判断がつかないものだった。

 ただ、緑に侵食されたそれは人工的には生まれない美しさを感じさせた。

 人類が滅んだあとに植物が支配者となった世界のようにも思えた。

 俺たちは写真を撮ったあとに何か宗教的な痕跡――崇めていた偶像や資料のようなもの――がないか軽く周囲を探索することにした。


「ここに宗教施設があったんですか」

「焼け跡だけだと本当に普通の家っぽいな」


 少し土の雰囲気が変わる場所を苫野先輩が発見する。


「ここはちょっとした畑だったのかな」

「あぁ、そんな感じっぽですね」


 雑草が生い茂っているが一度耕したような盛り上がりがある。


「自給自足の生活だったのかな」苫野先輩が言う。

「こんな畑で自給自足は無理ですよ。家庭菜園でしょう。多分買い出しに街に下りてたんだと思います」


 俺が言うと、周囲をぐるっと回ってきた岩崎が戻ってくる。


「絶妙ですよね、街との距離感が。買い出しに行くにはそこまで不便じゃないけど、あえてここを目指してこないと外の人間はたどり着けない。ここは拓けてますけど、一般道からはまったく見えないですからね」

「何かあったか?」

「何もないですね。そこの細い道ちょっと行ったところに川があったんですけど、キャンプにはちょうど良さそうでしたよ」

しばらく捜索したものの何も見つからなかったので、俺たちは一般道に向けて歩き出す。

「いやー、良いスポットでしたね」

「うん、結局のところ、噂が本当か嘘かわからないというのがよかった」


 と、岩崎も苫野先輩もたいそう喜んでくれたので、俺は満足していた。

『よくわからない』ならそれはそれで良いのだ。

 想像の余地があるし、なんでもかんでも科学的に解明できてしまったらそれはつまらない。



 ところが、その帰り道に事件が起こった――。


「苫野さん、何か言いました?」


 俺が隣の先輩に声をかけると――。


「あっ」


 苫野先輩がなにかしら声をあげ、躓いたと思った直後に俺にも異変が起きた。


「うわっ」


 なにか冷たいものがかかったのだ。

 俺は思わず、声を上げてしまう。


「苫野さん、大谷さん、どうしました?」


 先を歩いていた岩崎が振り返って俺の元に駆け寄る。


「あぁ、いや。急に濡れたから……濡れてないな」


 俺は頭から水を被ったような気がしたのだが、実際に俺が浴びているのは深緑の隙間を縫って届く五月の生ぬるい日差しだけだった。


「わっ」


 すると、岩崎も声を上げる。


「苫野さんもですか?」

「う、うん。僕もなんか一瞬……」

「なんというか。水というか墨が零れたような感触というか」岩崎が割り込んで言った。


 俺は岩崎の言うことが一番しっくりきた。


「誰かが頭の中で墨を零したような感じがしたな」

「そうそう、そんな感じです」

「うん」


 二人も同意する。


「これは……なんというか。三人揃って神秘体験をしているってことなのか?」

「なんかあるのかな、磁場みたいな」苫野先輩がスマホの方位磁針アプリを立ち上げるが正常だった。

「あー、なんだろ……こう二人に上手く伝わるかわからないんだけど……自分の感覚的なことなんだけど……」


 俺がこういうと二人が息を呑んで「はい」「続き言ってくれ」と言う。


「頭の中になんというか……イカ?みたいな?なんかいるようなイメージがある」

「タコかなって僕は思ったけど」

「いや、イカじゃないですか?」岩崎が俺のイカ案に賛同する。


 というわけでとりあえずなんとなくイカということにして、全員の頭にイカのイメージが浮かんだという体験をしたのだ。

 それ以降ふとした時にイカのことを考える。

 というか、頭の中に「いる」。

 山の中だからせめてタヌキとか狐とかカワウソとかであってほしかったが、イカである。

 特に何かを語り掛けてくるわけでもない。

 しかし、こんなくだらない現象であっても俺たちは初めてオカルト体験をしたのだ。



     *


「というわけで、なんとなくイカを祀ってみようってことになったんだ」

「というわけで、じゃないですよ」


 私は大谷先輩の前置きの長い話を結局最後までちゃんと聞いてしまった。

 まるちゃんも意外と楽しそうに相槌を打ちながら聞いていたので、大谷先輩はちょっとおしゃべりが上手なのかもしれない。


「一つ訊いてもいいですか?」


 私は一つどうしても気になることがあった。


「なんだ?」

「公認会計士合格に釣り合う罰って何になりました?」

「そっちかよ」


 全員からツッコミが入ったが、どのくらいのものなのか気になってしまったのだ。


 三人の結論は「指を二本詰める」だったらしい。

右手の小指と左手の人差し指の第一関節から先とのことだった。


 ――ヤクザじゃん。


 私には全然ピンとこなかったが、まるちゃんは大きく頷いていた。

 しかし、私は思った。


 ――公認会計士と税理士の違いがわからん奴が納得してんじゃねーよ。

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