-6- 苔むした墓標
二週間というのはあっという間だった。ミネの体は状態が安定し、ポッドに入ってメンテナンスをする回数も少なくなった。俺たちはしばしの別れを憂いつつも、また会おうと約束して握手しあった。
最終日。アリスがミネとともに森を散策すると言い出したので、俺もついていくことにした。心配だった。アリスの家の周辺の森は足元が悪い。怪我をしてまたミネに不具合が起きてしまっては元も子もない。
「あらミネ、大切にされてるわね」
アリスが俺をからかうように笑うと、ミネはアリスにふっと微笑みかけた。ここ最近で一番いい笑顔だった。心のないミネがこんな風に笑うなんて。アリス、君がミネに何かさせたのか。そんな疑問も浮かんでくる。
アリスについて行くうちに、いつの間にか苔むした墓石のようなものの前にたどり着いていた。
それはこの森にいくつも見つかる石のひとつだった。きっと墓標か何かなのだろうと思って、いままでスルーしていたものだ。
「しばらく会わなくなる前に、見せておきたかったの。この街で暮らして、この街で散っていった命のこと」
俺とミネは頷きながら聞いている。
「彼のこと、話してたかしら」
「彼?」
ミネが聞き返すと、アリスは振り向いた。真剣な眼差しだった。
「私の夫よ」
***
ミネは製造されて間もないアンドロイドだ。確か今年で製造5年目だったように思う。あと35年間の短い命を、彼女はどう歩んでいくのか。アリスはそれをミネに問いかけるように、墓標の一つ一つを紹介しながら森を歩いた。
「この森には、人間とアンドロイド両方のお墓があるのよ」
アリスは一つ一つの墓石を簡単に説明しながら、足場の悪い森を歩いていった。
そしてついに、ある墓石の前で立ち止まった。とびきり古いもので、他の墓標と比べてももう苔でおおわれているが、かろうじて輪郭だけ認識できる。石には何か文字が刻まれている。他にも書いてあるようだったが、それ以外は摩耗して読み取れなかった。――ヴィルセン・フランシェリアという名前以外は。
「このお墓は、約50年前に亡くなった私の夫のものよ」
アリスの説明によると、50年程前、この雨の街で流行病が蔓延し、街全体で150人ほどが亡くなったそうだ。その中にはアリスの夫――ヴィルセンも含まれており、体が弱かった彼は病に勝てず亡くなってしまった。ヴィルセンの死因については、俺はそこで初めて知った。
「ひどい時代でしたね」
ミネは呟いた。その言葉を聞いて、アリスはミネを振り返る。
「同情はいいの。わかってると思うけど、あなたはあと35年間しか生きられない。わかってるわね?」
「は、はい」
少々たじろいだミネに、アリスはぽんと肩に手を置く。
「もちろん、あなたを追い込みたいとか、怖がらせたいとか、そういうんじゃない。ただ、アンドロイドの人生について……『生きる』ってどういうことなのか。考えて欲しかった」
ミネははっとしたような顔でアリスを見つめる。
「自分を使い捨ての人形のように扱うことは絶対にしちゃダメよ。あなたはもう、立派な命なんだから」
「……はい、肝に銘じます」
ミネはアリスに向かって、しっかりと頭を下げた。アリスはそれを見て安心したように微笑むと、今度は俺の方に向き直った。
「ヴィルセンが死んだときね」
アリスは少し言い淀んだあと、意を決したように続けた。
「私は生きていようと思ったの。彼の分まで」
彼女は少し恥ずかしそうに下を向くと、指先をもじもじと重ね合わせた。その姿はどこか乙女めいていて可愛らしかったが、俺は何も言えず黙っていた。すると彼女は早口で捲し立てるように言った。
「あなたに会って、それも少し変わってきたっていうか……なんか、ね?」
「は? なんかって」
「もちろん、彼は素晴らしい人だったわよ。私は彼を否定したいんじゃない。彼の存在は、今も私の胸に刻まれてる。ヴィルセンは私にとって、最高の人」
アリスは自身の両手を重ねながら続ける。
「でもね。人への愛は時に自分を縛ることになる。特に半永久的に生きられる私にとっては、これはとても苦しいものなの」
その苦悩がどれほどのものなのか、俺には理解できなかった。それでも、アリスの表情は曇っている。なんとなく察することしかできなかったが、これで本当にいいのだろうか。
アリスは俺を見つめながら、こう告げた。
「あなたのおかげよ。やっと見つけた」
「み、見つけた?」
「いろんな人と出会って、すれ違って、ここまで生きてきた。やっと見つけたの」
「何を」
「……かけらのようなもの」
アリスはそういうと、俺の手をぎゅっと握った。それはあまりに力強かったので、俺は少しびくついてしまったが、振り解こうとは思わなかった。アリスは少し照れたような顔をしつつ俺を見上げていたからだ。
まるで恋愛初心者のようなその表情に、俺は思わず胸を高鳴らせた。しかし相手は大胆不敵な行動をよく取る高性能アンドロイド。こんなことはよくあることだ。深呼吸して平静を取り戻す。
「あら、びっくりした?」
「急に来られたら、そりゃあ」
「ふふ、堪忍ね」
「……人たらしな方だ」
アリスは微笑んで手を離し、くるりと背を向ける。その仕草をミネは不思議そうに見つめていた。俺はなんだか恥ずかしくなって、頭をかいた。
森の空気は澄んでいる。苔むして古びた彼の墓標には、美しい木漏れ日が差し込んでいた。
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