-4- 凪の少年
凪の街で猫の写真を撮るべく歩いていたある日。私は、とあるコーヒー店の看板を見つけました。そこには「アンドロイドでも飲めるコーヒー始めました」の文字が。焦茶色を基調とした落ち着いた雰囲気の喫茶店で、そこは「凪」という名前のようでした。
(私でも、コーヒーが飲めるの……!?)
興味を持った私は、猫の撮影を中断し、店内に入ることにしました。
カランカランというベルの音とともに茶色のドアを開くと、カウンターに立つ店員の方と目が合いました。彼はこちらを見るや否や、
「いらっしゃいま……せ……」
と言いかけて、目を丸くさせました。無理もないでしょう。なにしろ私がクラシックメイド服を着ていたのですから!
その日着ていたメイド服は、クラシックタイプのロングパンツスタイル。定番のスカートではなくズボンを着用していたのは、その方が動きやすいからです。
クラシックメイドはスカート丈が長いのが特徴的ですが、私はスカートではなくズボンを着用するため、脚が太く見えるなどのデメリットがあります。ですが、そこに浪漫があるのです。黒を基調としたキリッとしたデザインに、慎ましく整えられた胸元のフリル。そして私の手入れした長い髪は、さそがし美しく……。ああ、これこそメイドとしての歓びと言えましょう!
ちなみに、ここまでで数秒間です。私はメイドのことになると人工大脳が音を立てるくらいに思考速度が速くなってしまいます。その度にお嬢様からはお咎めを喰らいますが、今日は一人。自由です。
店員さんは目を丸くしたまま、すぐに私をカウンター席へ案内しました。名札には「ミルド・モカ」と書いてあります。ミルド様というお方のようです。
そして彼はメニューを差し出してくれます。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「ええっと、その……私、アンドロイドなんです」
「ああ、そういうことでしたか。それならこちらがオススメですよ」
店員さんはカウンターから身を乗り出し、メニューの一部を指差してくださいました。アンドロイド用のコーヒーにはいくつか種類があるようです。それは液体ではなく、コーヒーを再現したマイクロチップの集合体なのだとか。それならアンドロイドでも消化ができます。
「じゃあ、このブレンドコーヒーというものをお願いします!」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
ミルド様は頭を下げて、コーヒーを作り始めました。ミルド様は、とても爽やかな方でした。私は比較的社交的なアンドロイドであることを自覚しておりますが、その私が緊張してしまうほどに、彼はとても……。
「あの、すみません」
「はい」
ミルド様は振り返って、首を傾げます。
「つかぬことをお聞きしても」
「うん、どうぞ」
「どうしてアンドロイド用のコーヒーを始めたのですか?」
「僕がコーヒー好きだから。香りだけ楽しむなんて楽しくないでしょう? コーヒーはやっぱり下で味わうものだよ」
「そう、なんですね」
「それにほら、これ見て」
ミルド様は作業の手を止め、腕を見せてくれました。そこにはなんと、アンドロイドの生体認証用バーコードと充電用のソケットを開くパッキンがありました。
「僕もアンドロイドだし」
「え、ええっ!」
「アンドロイド同士仲良くしようよ」
そう言って微笑んだミルド様に、私はときめきのようなものを感じました。
それから、私は初めて飲むコーヒーの味にドキドキしながら、ミルド様に凪の街のことをたくさん聞きました。ミルド様は嫌な顔ひとつせず答えてくださり、おかげで私はすっかりこの街が好きになりました。
「僕はこの
「そうですか? そうは見えませんが」
「これ、台に乗ってんの。降りたら、ほら」
そう言うとミルド様は……カウンターから消えました。どうやら彼は少年型アンドロイドのようです。言われてみれば、普及型と比べて少し幼い顔つきですね。
「全く、どうして少年型なんだろうね。もう30年近く生きてるけど、未だに子ども扱いされるよ」
「大変ですね。その、コーヒー美味しいです」
「ありがとう。君は優しいなぁ」
「受け売りです、ただの」
「そうなの? まあいいや、僕も飲もうかな」
「いいですね」
「……って、もう淹れちゃってんだけど」
私たちは笑いました。ミルド様は照れたように頭を掻きながら、コーヒーをカップに注ぎます。私は手元にあるコーヒーをもう一度飲みました。うん……やはり、今まで飲んだことのない苦さと深さが口の中に広がります。
「どう?」
「すごく、大人な感じがします」
「はは、そうだろうね。香りは心地いいのに、どうしてこんなに苦いんだろう」
「でも、なんだかいい苦さです」
「うん、それは、そう」
ミルド様は子どものような元気な笑顔を見せました。あら、かわいらしい。私はミルド様の笑った顔をじっと見つめていました。すると、視線に気付いたのか、ミルド様はそっぽを向いてしまいます。
店内は木の焦茶色で統一されています。レトロな雰囲気で、とても落ち着きます。ミルド様がコーヒー豆を引いている音が心地よく響いてきました。
「君、名前は」
「マリエッタです。マリーとお呼びください」
「じゃあマリー。君はどうしてこの街へ? ここの人ってわけじゃなさそうだ」
私はコーヒーを啜りながら答えました。
「猫です」
「猫? まさか、野良猫のこと?」
「ええ。キャットフォトグラファーはご存知ですか」
「ああ! 聞いたことがあるよ。猫専門の写真家だよね。よくネットで写真を見かけるよ」
ミルド様は興奮気味に話しました。
「実は私、猫の写真を撮影するために凪の街に住んでいるんです。特にこの街の猫たちはとても有効的で」
「なるほど。それで」
「ええ」
「それまではどこに?」
「雨の街に」
「へえ、渋いところに住んでるね。あそこ、人も少ないしじめっとしてるし、僕は苦手なんだ」
気を悪くしないでね、と少年は元気に笑う。私は気にしていないと首を振りました。
「ミルド様は、何かご趣味は」
「趣味ね。音楽かな」
「まあ、素敵。私のお嬢様も音楽が好きなんです」
「お嬢様?」
ミルド様は首を傾げました。そうですね、これでは伝わりませんものね。
「ルームメイトです。その、親友なんです」
「へえ、シェアハウスしてるんだ。いいね。お嬢様ってことは、マリーのマスターなのかな?」
「彼女はアンドロイドです」
「え、じゃあアンドロイド同士で同居してるってこと? あまり聞かないね」
そうでしょうか。地域によって違うのかもしれません。
「話が逸れてしまいましたね。普段はどんな音楽を?」
「レコードが好きなんだ」
「あらまあ」
「今かかってる曲も、僕が選んだ曲だよ」
店内のスピーカーからは落ち着いた雰囲気のジャズ・ミュージックが流れています。
「チェット・ベイカーって知ってる? もう200年くらい前のアーティストだけど」
「いえ、知りません」
「僕の好きなミュージシャンの一人さ。レコードで聞くとすごく味があっていいんだよ」
「確かに、そうですね。他には?」
「他にかあ、そうだね」
ミルド様はカウンターから出てきて、店内のレコードプレイヤーの方へ歩いていきました。そして、レコードを一枚取り出して、ターンテーブルに置きました。
レコードの溝がゆっくりと回り始めます。ミルド様は慣れた手つきで針を落とし、プレイヤーにかけました。
途端に、どこか懐かしく、そして熱のこもったメロディが響き渡ります。
「カフェには似合わないけど、こういうのも好きだな」
エネルギッシュな金管楽器のイントロに続いて、ピアノの音色が始まりました。タイトなドラムセットの音と寡黙で落ち着いたベースラインが並ぶと、女性の声がスッと入ってきます。とても情熱に溢れた愛を描いた歌詞。まるで踊りながら歌っているようなその歌声には、聞き覚えがありました。
「……止めてください」
「え?」
「私はあまり、好きではないんです」
「ああ、そう? ごめんね」
ミルド様はレコードプレイヤーを操作し、先ほどのチェット・ベイカーのレコードを流しました。
「あの、ミルド様」
「なに」
「そのレコードのジャケット、見せてください。先ほどの」
「ああ、これ?」
ミルド様は胸の前にレコードを持ってくると、こちらに掲げるように見せてきます。私は席を立ち、彼の方へ近づいていきます。
そのレコードのジャケットをよく見ると、そこには見知った顔が写っていました。金髪に青い瞳の女性が、赤いドレスを翻しながら踊っている様子を写した写真。見覚えがありました。見覚えどころか、毎日のように見ているものです。
「フレア・アルメリア……」
「え、知っているのかい!?」
ミルド様は目を輝かせて尋ねてきました。
「はい。彼女は、私が尊敬する人物です」
「そうなんだ! やっぱり有名だよね」
「ええ、まあ」
「全く、なんで急に辞めちゃったんだろうな。もう100年以上も前の話らしいけどさ。なんか知ってる?」
私は、なにも言いませんでした。ミルド様はそれ以上フレアについて聞くことはありませんでした。ただ、私の答えを待つようにじっと見つめてくるだけでした。
「いえ、何も」
「そっか。まあ、仕方ないよ。でもおかしいよな、引退理由の一つや二つ、ネットに転がってそうだけど」
「きっと隠されているのですよ。フレア自身が」
「まあ、そんなとこだろうけど。いやーでも、悔やまれるなあ」
「……もし、まだ生きていたとしたら」
私の言葉に、ミルド様は顔を上げます。
「もし、まだ生きていたとしたら。聴きたいですか」
「そ、そりゃあ! でも、アンドロイドの寿命は40年だし……」
「……そうでしたね」
私が苦笑すると、ミルド様は「忘れてたの?」と不思議そうにしていました。
「まあ、もし生きてたとしてもさ。フレアが決めたことは尊重しないとね」
「え?」
「ファンはアーティストを支えるとともに、幸せを願う存在であるべきなんだ。その人が辞めたくなったら、送り出すくらいの気持ちでいないとね」
「……そう、ですか」
「火は永遠に見えて、いつか消えるものだよ」
彼は寂しそうに笑って、レコードの針を外しました。
「コーヒー、冷めちゃったね。新しいのを」
「いえ、ありがとうございます。そろそろまた撮影に戻らないと」
私は腕時計を見る仕草をしました。ミルド様は微笑んで、「頑張れ!」と言ってくれました。
コーヒーショップを出る寸前、扉のカランという音を鳴らしながら私は振り返りました。幼い顔つきのミルド様に目を合わせ、伝えました。
「またきます」
「うん、またね」
「先ほどのお言葉……フレアご本人が聞いたら、きっと喜んだと思います」
ミルド様はポカンとした顔をした後、笑顔で頷きました。
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